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マルゼンスキーがトレーナーの部屋を訪ねることは実に珍しいことだった。
休日のドライブに誘おうと気まぐれに直接訪ねたら、少し時間が要るので部屋で待つか、と上げてもらったのは予想外の出来事。
トレーナーの部屋に上がることについて色々と脳裏をよぎるものがあったが、最終的には単純な好奇心に占められた。整理されつつも所々に資料が積まれたりした部屋の、その中ほどにあって異彩を放つものがひとつ。
それはクルマの運転席のようなものだった。
大きな座席の周りにはクルマを操作するための機器が備えられ、フロントウィンドウの代わりに大きなディスプレイが据えられている。そういえばゲームセンターでこういう筐体があったな、と思いつつも記憶のそれよりずっと武骨な雰囲気がマルゼンにはなんだか不思議だった。
「トレーナー君、これってクルマの?」
「まあ、ちょっとした趣味のものだよ。ゲームのね」
そんな趣味があったなんて聞いたことナッシングよ、と内心頬を膨らませつつも目の前のものへの興味が勝り色々と眺めてしまう。
すると、気になるなら少し触ってみるかというトレーナーの提案に乗って座席に座ることになった。
タッちゃんとは違う身体がはまり込んで固定される座り心地の慣れないむず痒さに戸惑っているうちに、目の前のディスプレイはクルマの選択画面になっていた。
しかし目の前に流れていくクルマ達はおよそ彼女に馴染みのないもので、どうにも勝手がわからず悩む。
「──マルゼンは初めてだし、これがいいかもしれないよ」
トレーナーが1台の真っ赤なクルマを表示させる。そのクルマも彼女は見たことが無かったが、一目で気に入った。
タッちゃんとは趣の異なる長いノーズの流麗なスタイリングは、ホンモノでなく画面越しのCGであるのが少しもったいない。チョベリグであった。
ひとまずはこれが彼女の新しい愛車となった。
◇◇◇
「これはゲームだし、レースだから君の思うように飛ばしてもかまわないよ」
「あら、それじゃあアクセル全開でいっちゃうわよ?」
画面に映し出されたコースは欧州の郊外か山道かのような雰囲気で、随時指示されるルートを走って走破タイムを競うのが競技内容の様子。
ブイブイ言わせちゃうんだから、とアクセル全開で挑み──見事に足元を掬われた。
スタートから少し走った後、角度のあるコーナーに鋭く切り込もうとハンドルを切った瞬間、クルマはあっさりとスピンして後部をしたたかにガードレールに打ち付けた。
マルゼンは唖然とした。今しがたの事故も、画面の中で後部を凹ませた赤いクルマもおよそ信じがたいものだった。
思わず固まったその後ろから「君のレースはまだ終わっていないよ」と声をかけられなければ暫しそのままだっただろう。
マルゼンスキーはスーパーカー乗りである。腕に覚えが無いわけでもない。それにトレーナーの前にあって格好悪い形で投げ出して終わるのは不本意だった。
とはいえプライドで走れるほどこのレースは甘くもなく。
教習所や街中での走りならいざ知らず、レースにおける全開状態のクルマとは狂った獣である。彼女の手にはいささか余った。
クルマに慣れるまで何度もスピンし、ルート指示に戸惑い操作を誤り。遂には速度を出し過ぎた勢いで崖から転げ落ちてリタイアという結果。
マルゼンはしょげた。まさか完走できないとは思いもしなかったし、リザルト画面に映るボロボロの赤いクルマが余計にチョベリバな気持ちにさせた。
そこから見かねたトレーナーのちょっとしたレクチャーとナビゲーションでもう一度走ることになった。
曰く、思っているずっと手前からゆっくり操作することや、道順をトレーナーの口頭から教えてもらえる程度。
本当にそれだけでいいの、と思うもそんなこと走ってみなきゃ分からないと気合を入れ直す。
果たしてその効果は覿面だった。
決してミスが無かったわけではなく、ふらつきながらではあったが前の走行が悪い夢かのようにコースをしっかりと走り、遂にマルゼンは今日初めてのゴールラインを踏んだ。
タイムこそリザルト画面の中であって決して優れたものではなかったが、確かに完走したのだ。
たったあれだけの助けで自分をゴールに導いたトレーナーの走りはどんなものなのだろうと俄然気になった。トレーナーの走りを見たいというマルゼンの頼みを快く受けて、トレーナーは走った。
彼女と同じクルマ、同じコースでそれは素人目にはまさに飛んで翔け抜けているような走りだった。
曲がりくねった道を風のように駆けていくその走りをもっと見たいと彼女は思い、トレーナーはそれに答えてあらゆるコースを走った。雪道、泥道、岩山、森の中。そのどれもを翔けて行った。
トレーナーが走っている間、彼女は声をかけることはなかった。
その走りの迫力に圧倒されていたのもあったが、何より楽しそうに走っていたトレーナーがずっと印象的だった。
時々交代しては見たこともないコースをトレーナーの案内で走ったりして、そのうちすっかり日は傾いていった。
◇◇◇
貴重な休日を潰してしまって申し訳ないとトレーナーは謝ったが、マルゼンにとってはそんなことは全く気にならなかった。むしろ、いつも一緒にいたトレーナーの初めて見せた側面が気になっていた。
「ちょっとドライバーを目指していた時期があってね。色々あってトレーナーになったけど今でも時々走っているよ」
初耳もいいところだった。多忙な合間すらも走りのように鮮やかに縫ってクルマに乗っていたのだ。しかしそうなればマルゼンは申し訳なく思ってしまう。これまで何度となく休日に付き合わせてしまった自覚が圧し掛かってくる。
「トレーナーくん、その──」
「君が気にすることじゃないよ。だったら今度、ふたりで走れる所にでも行ってみようか」
まったく今日はやられっぱなしだ。でも、たまにはそんな日もいいかもしれない。
その日からマルゼンスキーの運転は人が安心できるようなものにすっかり変わっていった。
誰もが驚き、受け入れ、そして理由を考えたが、ついに真実に辿り着いたものは──当の二人を除いて──いなかった
マルゼンさんの恐怖のドライブってどんなのだろうと思いまして
某所でアドバイス頂いた皆様に感謝を