大理石の胎児は加速世界で眠る   作:唐野葉子

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後編の続きです。
前後編と比べると短いです。


書き終えた勢いでせいやーっとばかりに投稿してしまいましたが、言い訳はしません。
これが今のベストです。どうそお召し上がりくださいませ。


雪風の災幸なクリスマス:余篇

 

 西暦二〇四七年一月三十日、金曜日。

 午後七時三十分。

 

 阿佐ヶ谷住宅のロフト付き平屋、間取り1LDK、専用庭付き。

 それが加速世界でもっとも有名な反逆者《ブラック・ロータス》こと黒雪姫(正直、中学生になってまで自称するには痛いニックネームだと思う)の自宅だった。

 何がどうなったのかさっぱりだが、師が売り言葉に買い言葉、戯言に詐欺に表替えしの裏返しの意趣返しと言葉を翻弄したらしく、本当にどうしてそうなったのか何度も聞き返して確認したのだが、雪風はここにカレーを作りにきていた。

 小学生の雪風が中学生のお家にお邪魔するというだけでもハードルが高いのに、加えてどうにも今回は恋人の逢瀬に踏み込むらしい。どうか弟子であり子である少女に、いたわりの気持ちを見せてほしい。

 

 まるでアメリカ製ファミリードラマの舞台の一角。芝生や街路樹がふんだんに配され、瀟洒な白壁が歴然とした感覚で立ち並んでいる。

 率直な第一印象は、中学生の独り暮らしには過ぎた場所だなぁ、というものだ。

 それがなんだか、ここに年端もいかない少女を閉じ込めた大人の負い目が透けてみえるような気がして、境遇が自分に重なるところもあるような気がして、心にざらりとしたものを感じた。

 

 そんな感慨も、キッチンに入るころにはかちりと切り替わる。

 料理とは日常にして戦場だ。

 気負う必要はない。衣食住というように、食事は人間の生命活動からは切っても切り離せないファクターだ。一分一秒、生きることに全力を尽くすのはバトル漫画の主人公くらいで、雪風はバトル要素のある世界の住人だがその例には当てはまらない。

 しかし、気を抜いていいものでもない。ふとした怠慢で食器や食材を洗わなければ、じゃがいもの芽など有毒な箇所の下ごしらえを怠れば、生肉の火の通し加減が足りなければ、それだけで人は体調を崩し、最悪死ぬ。

 可もなく不可もなく。多すぎも無く少なすぎることも無く。必要な作業と工程がクリアになった脳内に積み上がっていく。

 

「邪魔じゃ。()ね」

「は?」

「……すみません」

「えっ」

 

 そしてさっそく、最初の五分で家主が脱落した。

 手料理を待っているはずの恋人のもとにすごすごと撤退する敗北者の背中は、妙にすすけていたという。

 

 説明を入れておくと、黒雪姫がラブコメ漫画に登場可能なほどメシマズ枠だったというわけではない。

 仮に料理上手のボーダーラインを百とすれば、雪風は九十五、ライハは八十、黒雪姫はギリギリ六十五で『上手』とは言えないまでも合格点には到達していただろう。

 しかしだからこそ、というべきか。ボーダーを越える腕前の持ち主がいなかったからこそ、人手をすべて戦力に換算することのできる指揮官がこの場にはいなかった。

 黒雪姫の家のキッチンがカウンター越しにリビング・ダイニングと隣接するスタイリッシュなデザインであり、ひとり暮らしの物件にしてはかなりの面積を誇っていたが、さすがに少女とはいえ三人が同時に作業するにはせま苦しかったというのもある。

 誰が消えるかと消去法を用いれば、雪風とライハは師弟関係にあり、加速世界の内外を問わず長時間を共に過ごしたため抜群とまではいかないがコンビネーションも良好。足並みが揃わず、単純に料理の腕を比較しても最も下である黒雪姫がリタイアという流れになるのは仕方のないことだったのだ。

 これが恋人に初めて料理を作るドキドキワクワクイベントだったという事実から目を逸らせば完璧な判断である。

 

「けろけろ、邪魔者がいなくなったのでニンニクと合い挽きミンチたっぷりぶち込んで、口臭を気にする初心なカップル間の会話を阻害してやるわー」

「やめましょうよ、ししょお。地味に嫌で効きそうです。たしかに美味しそうですけども」

 

 ごめんなさい、ごめんなさいと雪風は心の中で手を合わせた。

 やはり自分はいい子などではない。

 その気になればたぶん、師をいさめることはできたのだ。でも黒雪姫のために骨を折るには、少しばかり彼女に対する好感度が足りなかった。

 仮に黒雪姫が抜けなかったとすれば、自然な流れとして自分がライハのどちらかがキッチンから脱落することになる。自分が抜けた場合、憧れの先輩のご自宅にお呼ばれしちゃって、さらに手料理なんかごちそうになっちゃって、さらにさらに自分以外は全員異性というギャルゲーや少年マンガも真っ青な状況に心臓が口から飛び出しそうになりながら待機している有田春幸とリビングで過ごすことになる。

 きっと、お互いに愛想笑いを顔に浮かべながら沈黙に浸り、背中に滝のように汗を流す時間の耐久を余儀なくされるだろう。

 物怖じしないとか人好きするとかひとを指してニコちゃんはよく言うが、雪風からしてみればこのような状況のコミュニケーション能力はかの親友の方が上だと思う。たしかに彼女の相手のペースを握ろうとする攻撃的なまでの強気、勝気は臆病の裏返しであることは否定しようのない事実だが、それもまたコミュニケーションの一種であることも事実だ。

 逆に雪風が残った場合は、あまり交友関係があるとは言い難い、しかも別のレギオンマスター、おまけに()()《ネガ・ネビュラス》の頂点と肩を並べて作業することになる。

 できれば避けたい事態だ。……懸けてもいいが暇になったライハはハルユキ()遊ぶだろうし、その時に黒雪姫の手に包丁が握られている未来予想図が明確に想像できる以上、余計に。小中学生に昼ドラやサスペンス劇場は早すぎる。

 

 雑談を流しつつも、雑談を挟みつつも、プロ級には至らずとも心得のある二人が息を合わせて作業し、さらには市販のカレールーを使用するとなれば、料理は順調に着々と仕上がっていく。

 独り暮らしには似つかわしくない5.5合炊きの炊飯器が、そう遠くない昔にこの家にもう一人住人がいたことを物語る。そういえば一年生の頃は黒雪姫ど同棲していたと、自慢げに聞かされたことがある気がしたが、そんなことよりも。

 蓋を開けたわけでもないのに、フシューと漏れ出すごはんの香りに胸がぎゅっと詰まった。

 鍋の中でくつくつ煮られるニンジン、ジャガイモ、パプリカ。肉は何を入れる? カレーとは何を入れても、どんな作り方をしても、だいたい食べられる味になる。だからというべきか、家庭により具材は大きく異なる。

 これは雪風の知っているカレーではない。でも、間違いなく雪風の食べたかったカレーだ。

 いったん火を止めて、ルーを投入。小学生の雪風に合わせたのか甘口だった。ふんわり広がる、その食欲そそるスパイシーな香りが鼻腔をくすぐるのがとどめとなり、胸の中に詰まっていた感情がぽろりと涙腺から零れ落ちた。

 

「ん、雪風?」

「す、すみません。ちょっとタマネギが目に沁みちゃって……」

「いや、もうとっくの昔に切り終わっておるし。何なら煮込んでルーすら投入しておるし」

 

 別段かくすようなことでもないのだが、正直にいちいち説明するのも気恥ずかしい。雪風はあわてて話題を変えた。

 

「そ、そういえば。以前から気になっていたのですけど、ししょおはどこで料理をおぼえたのですか?」

 

 我ながらつたない話題転換だったが、まんざら嘘というほどでもない。

 人間は後天的学習に重きを置いた生物だ。

 インコはペットショップで雛の状態で購入され、人の挿し餌で育てられても、勝手に飛ぶ練習をして、教えられずとも飛べるようになる。人間もまた強制されずともつかまり立ちの練習をし、歩けるようになるのだから本能の助力が無いとは言わない。

 しかし、人間を人間たらしめている大半は教えられなければ学習することのできないものだ。

 とくに自炊は単純な料理の技術以上に、自分の手で料理を作り、食べることが満たされる行為なのだと子供のうちに経験で学んでおかなければ身につくことは難しい。必要に迫られて食欲と味覚を満たし、栄養を補給するだけならば、わざわざ手間暇かけて包丁を握らずとも今のご時世、インスタントも冷凍もレトルトも、あるいは外食やデリバリーだって、代替手段は豊富なのだから。

 

「んー、いやな? 鬱をこじらせると味覚はおろか満腹中枢すらぶっ壊れるもんじゃから……。いろいろ併発していたから何が入っているかわからんものは食べたら反射的に吐いてしまったしー?

 だからいちから自分の手で作らんとあかんかったのじゃが、食べても味も、胃袋の限界もわからんから、とりあえずレシピ通りに忠実に再現してー。そしたら栄養価も量も、ひとまず基準は満たせるじゃろう? 失敗しても味がわからんし、食中毒でぶっ倒れるまで自覚できんからわりと命懸けじゃったなぁ。

 最初は面倒でイギリス料理みたく『とにかく無毒になるまで煮る』『食える味にするために酢をぶっかける』みたいなこともしておったのじゃが、味がわからんくせに不味(まず)いのは不思議と感じるんよなー鬱って。要するにあれって美味いと感じる部分が狂っておるんじゃろうなぁ」

「すみません。覚悟も無しにししょおの過去に踏み込んだ雪風が愚かでした」

 

 がっつり食欲を減退させる流れになりつつも無事に料理が完成すれば、そこは成長期の少年少女。欠食児童と化してせっせと白い皿にごはんとカレーをよそおっていく。

 

「ほい。おまたせ」

「ようやくできたのか。待ちくたびれたぞ」

「やれやれ、ハル坊といちゃつきながら待っていただけのくせに、偉そうなやつじゃのう」

「それは貴様が追い出したからだろうが!」

「あ、あのー。ししょおに黒雪姫さん。とりあえず食べ始めませんか? ゆきかぜ、お腹がぺこぺこです」

「そ、そーですよ先輩! 冷めちゃったらもったいないですって。せっかく先輩とライハさん、あと陽炎ちゃんの手料理なんですから」

「む。ハルユキくんがそういうのなら……」

 

「「「いたただきまーす」」」

 

 このあたりの挨拶は、雪風はもちろんライハや黒雪姫、ハルユキもしっかりしている。それが親の愛情とイコールで結ばれるのかはともかく、最低限のしつけが行き届いているというのはお互いに楽だ。価値観が違う相手と会話するのは、それだけで一定量の疲労を伴うものであるから。ライハを見ていればわかるように。

 

 口にものを含みながら話すというお行儀の悪いマネをする輩はいないが、皿の半分を空にするころにはお腹具合もおちつき、食事から雑談に口の用途が移行していくのが常というもの。

 そしてこの場にいるのが全員バーストリンカーであり、先日の災禍の鎧討伐戦の参加者となれば、話題は自然とひとつになった。

 

 見捨てることしかできなかった旧友。

 傷つけることしかできなかった親友。

 雪風の中に残された傷跡は、加速世界の境界を経てなお癒えるには時間が足りなさすぎる。

 それを慮ってくれたのか、まあ十中八九偶然だろうが、ライハと黒雪姫の話題は直接あの事件に触れることなく、どちらかといえばレギオン同士の兼ね合いに流れていく。

 

「のう、黒雪姫や。お前そろそろCCC(クリプト・コズミック・サーカス)に一回しっかり詫び入れておいた方がよいぞ?」

「不要だ。……レディオにはしっかり話をつけておいたからな」

 

 黒雪姫の声色にはどこか敬意と誇りが滲んでいるように感じられたが、ライハはやれやれとこれ見よがしに肩をすくめてみせた。

 

「いや、そっちでのうてな。そろそろ四転王(フォー・オブ・ア・カインド)のヘイトがきけんがあぶない域に達しつつあるのよ。一回のみならず、このまえの災禍の一件で二回目の全損の危機を王に背負わせてしまったゆな。

 当の王たるケーキ(レディオ)君が抑えきれんわけではないが、間接攻撃特化レギオンの幹部たちの敵意じゃぞ? ガス抜きはできるうちにやっておいた方がええ。なに、大衆の前で土下座しろとは言わんよ。ただ、当事者同士にわかる合図でいいから謝罪の意をこっそり示すだけでも」

「不要だ。やつとはわかり合えないし、きっと手を取り合うこともない。根本的な価値観に誤差がある。

 それでも、お互いにバーストリンカーとして、加速世界の王として対峙することを選んだのだ。他者の目を気にして手を取りえるのなら、目を瞑ってなれ合えるのなら、端からずっと仲良しのままでいたさ。お前との二年間のようにな」

 

 誇り高いひとだと思った。

 その誇りは脆さと表裏一体だとも。

 軟弱を下方に超越してスライムめいた不定形ゆえに、折れることも壊れることもない師匠のメンタルとは対比的だ。

 加速世界の黒の王の四肢が剣になっているのは、あまりにも無粋な暗喩だとも感じた。

 

 それにしても、と違和感。

 たしか一度、黒雪姫は四転王の一角に殺されかけていたはずなのだけど。しかも未遂とかじゃなくてガッツリ九死に一生を拾う瀬戸際まで追い込まれていたはずなのだけども。

 そう思いながら師の顔を仰いでみれば、どうも伝えていないらしい。ニヤリと器用に瞳だけで微笑まれた。何を考えているのかさっぱりだが、理解できないということは理解しなくていいのだろう。

 考えないということも、師との付き合いには必要な要素だ。しかもけっこう重要度の高いテクニックだ。

 

 黒雪姫は殺されかけている。

 犯人の名は《ブロンズ・マーチャント》。黄のレギオン四転王(フォー・オブ・ア・カインド)が一角にして、生産(ダイヤ)のトップ。

 《加速研究会》を裏切って、否、イエロー・レディオに心酔したことで表立ちバーストリンカーに転向した変わり種だ。

 彼女は黒雪姫にいわば『過不足の無い殺意』を抱いている。PK(フィジカルノック)を仕掛けないのは、ただ単純にそれがバーストリンカーのやり方ではないというだけの話だ。それでもちょくちょく裏でヤンチャはやらかしているらしいが。

 

 たとえばそれはブレイン・バーストの難攻不落のシステムを研究し、バックドアを踏み台に実質的に一方的な対戦(マッチング)を可能にするプログラムを開発してみたりとか。

 それを黒雪姫の生活圏内にばら撒いて、事実上の梅郷中学内ローカルネットへの侵攻に成功してみたりとか。

 それによって得た情報をもとに黒雪姫に私怨を抱く不良に向けて、彼女を物理的に抹殺するプランをさりげなくプレゼントしてみたりとか。

 それによって黒雪姫が意識不明の重態に陥った時に、彼女が搬送された病院の場所を全損の危機に背中を煽られ判断力が低下している《シアン・パイル》にリークしてみたりだとか。

 

 まだ雪風が加速世界に足を踏み入れる少し前の出来事らしいが、ライハの脈絡のない雑談の中に混ざっていたのだ。当初は自身の過負荷(マイナス)にあてられたのだと思っていたが、少し気になって調べてみたらその実黒幕がいたのだと。

 絶対に暇つぶし感覚で話していい内容ではないと思う。

 

 (おそ)ろしいのは――いや、(おぞ)ましいのは。

 そこまで加速世界の内外を問わない《ブラック・ロータス》への殺意をむき出しにしておきながら、『彼女』は殺害に失敗した際に何のリアクションも起こさなかったことだろう。

 失敗を悔しがるでも、焦って次の手を打つでもない。そもそも、事の成就を自身の目で確認しにすらいっていない。サスペンスドラマや推理小説の殺人犯なら失格ものだ。

 事の露見を恐れて息をひそめた? 否である。

 きっと彼女はいつも通りだった。黒雪姫の殺害が成功しようが失敗しようが、翌朝同じ時間に目覚め、いつものように朝食を取り、学校に行き、何なら道中に加速して対戦の一つも嗜んだかもしれない。

 多すぎるわけでもない。少なすぎるわけでもない。等身大に黒雪姫の殺害を願い、それ以上を求めることは無かった。

 己の憎悪にも、殺意にも、あるいは愉悦にもひとしく値札を付けて、売りさばいてしまった。

 

 ちらり、とそこで雪風は視線を上げて、ハラハラと年長者ふたりのやりとりを見守っている有田春幸に目を向ける。

 ハルユキは迂闊に口を挟めない空気にもごもごと口を動かし、喋れないことをごまかすかのようにとっくの昔にカレーもライスも上から消えたスプーンを咀嚼し続けていた。

 

 思えば彼も不思議な存在だ。

 当時、ハルユキは状況証拠を繋ぎ合わせて『シアン・パイル=黛拓武』の公式を導き出し、見事に黒雪姫を瀬戸際で守り通した上に幼馴染とも和解、最良の結果をつかみ取り《ネガ・ネビュラス》再起の最後の一押しを担ったという。

 しかし、実のところその推理は間違っていたのだ。厳密に言えば答えは正解していたが、式が間違っていた。

 タクムが黒雪姫の搬送された病院に姿を現した。そのときハルユキは、タクムが倉島千百合からの情報でそこに現れたと考え、それが推理の兆しとなったのだが。

 実際は、チユリは黒雪姫が交通事故に遭い病院に救急搬送されたことは知っていても、彼女を含め梅郷中の生徒はついぞ搬送先の病院がどこなのか、その情報を知ることはできなかったのである。

 ファンクラブまで持つという黒雪姫へ見舞い希望者が殺到しないよう、ICUに三週間も籠りっぱなしになるほど重態だった彼女に教師陣が気を使った結果だと思われる。まあ、それを省いても個人情報の取り扱いに厳しい時代ではあるが、打ち合わせをしなければ漏らす意識の低い者は教師にだっているものだ。

 

 つまるところ黒雪姫の病院を知っていた子供は彼女の救急搬送に付き添ったハルユキ、後日教師から情報が伝達された生徒会メンバー、そして黒雪姫を車で轢いた不良である荒谷のニューロリンカーにバックドア・プログラムを仕掛け、その情報を起点に搬送先を割り出した『彼女』のみだったというわけだ。

 送信者がさだかでないメールを鵜呑みにして突貫するほど当時のシアン・パイルは加速を喪う恐怖に追い詰められていたということだろう。

 

 物的証拠に基づいた温度の無い推理ではない。場当たり的、感情的に行動し、その結果として上手くいってしまう。

 ご都合主義、いやこの場合は『主人公補正』と呼ぶべきだろうか。

 有田春幸は過負荷(マイナス)だ。しかし、主人公の因子も持ち合わせている。

 本当に不思議な人だ。まあ、それ以上の感慨はあまり無かったりするけども。

 師がとても気にかけている少年。そんな認識である。

 

「ふー、食ったくった。ごちそうさまじゃな」

「はい、おいしかったです!」

「ああ。腹立たしいくらいに美味だった。さすが私をキッチンから追い出してまで作ったクオリティだと感心したものだよ。ニンニクを大量にぶちこんでいたことに他意を感じなくもないが。少し洗面台に……うわっ!?」

「せ、先輩!? どうしました」

 

 いきなり黒雪姫が目の前の虫を追い払うかのような仕草をした。仮想デスクトップのアイコン操作だ。

 

「『お風呂がわけました』って……おいこらライハお前! 勝手に人の家の風呂を沸かすな」

「けろけろ、大丈夫だいじょーぶ。ちゃんと一番風呂は譲るわい」

「そういう問題じゃないわバカモノ!」

「儂のような人間に(キー)預けっぱなしのおぬしが悪いと思わんかね?」

「壮絶な責任転嫁をするな。逆に一瞬納得しかけたわ。お前が勝手に一時的電子鍵(インスタントキー)永久電子鍵(パーペチュアルキー)に改造しただけだろうが」

「えっ。先輩、ライハさんに一時的電子鍵(インスタントキー)渡していたんですか? それに、永久電子鍵(パーペチュアルキー)を造られてからも鍵を変えるようなこともしないで……あっ」

 

 どうも有田春幸は地雷を踏む趣味があるらしい。あるいは壮絶なまでに対人関係に対し不器用なのか。

 たぶん後者なんだろうなと思いながら、雪風は自分のぶんの食器をシンクに運んでいた。泊りがけでもないのに着替えを用意してこいと言われたのはこういうことだったらしい。

 たしかにカレーとニンニクのスパイシーな香りは食欲をそそるが、食卓から離れたらただの気になる臭いである。歯磨きだけでは飽き足らず、いっそお風呂に入ってしまえという発想も、まあ飛躍気味ではあるが理解できないこともない。

 

 冷気ただよう微笑にじりじりと追い詰められていたハルユキの腕を、ライハが巻き付くようにして豊満な双丘に抱く。

 

「なーハル坊、背中流してやろうか?」

「えななななははははららえあわわああなななあ!?」

「ころすぞ」

「落ち着け。冗談じゃがら。まずはゆっくりとその手に持ったスプーンを下ろすんじゃ」

 

 すんでのところで眼球をスプーンでえぐり殺されるという猟奇惨殺事件は回避された。

 その後、半ば強引にその役割を買って出た癖に『料理を担当したのは儂らじゃから、後片付けはよろしくな』というライハの謎理論で雪風たちは一番風呂の権利を手に入れた。そう、雪風も同伴である。

 黒雪姫からは『いくら《親》とはいえ、無茶振りには断固として断ってもいいんだぞ?』と憐憫と心配が入り混じったまなざしを向けられたが、やんわりと笑みを返しておいた。

 

 やっぱり彼らは知らないのだ。だったら教えてなんかやらない。

 そこまでネガ・ネビュラスに対し恩義も好感も無い。災禍の鎧の一連のことには感謝しているが、その貸し借りは赤の王であるニコが担ったものだ。幼馴染で親友とはいえ雪風が勝手に引き受けるのは泥棒というものである。

 

 ライハの身体の三割は《つくりもの》だ。

 金属と生体親和性ナノポリマーを素材とする人造物。かつて七王に粛清されかけたときに、心意の()()()()を振りかざした代償。主人公補正など持ち合わせていない彼女が、何とか生き汚く命を繋ぎ、それでも支払わざるをえなかった取り返しのつかない欠損。

 本来なら日常生活に支障をきたすレベルで彼女は壊れている。あのふらふらとした見ているだけで吐き気を催す歩行スタイルは、別にキャラづくりのためというだけではないのだ。

 ならばヘルパー代わりに風呂場で彼女を介護することくらい、《子》である雪風にはなんてことはない。

 

 黒の王は知らないのだ。かつて自身が殺人を犯しかけたことなど。だったら教えてやらない。

 風呂上がりのライハは色の変わらない人工部分と鮮やかに紅潮する生体部分のグラデーションで、怖気を感じるほどに美しい姿になるということを。

 

 

 雪風はもういい子ではないので。

 教えてあげないのです。

 

 雪風の《親》です。たとえ何年も共にあった『仲良し』でも。たとえこの世界でやっと見つけた『同類』であっても。

 雪風だけの特別は、譲ってあげません。

 




いろいろと語りたいことはありますが、脈絡のない感情をただ吐き出すだけになりそうなので、後程活動報告で改めてつらつらと語りたいと思います。
ただ、ひとつお礼を言わせてください。
完全にエタっていたのにこうして再び筆を執ることができたのは、皆さまのおかげです。温かい声に反応が示せなくて申し訳ありませんでした。でも、あれらがあったおかげでこうして帰ってくることができました。

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