大理石の胎児は加速世界で眠る   作:唐野葉子

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アクセル・ワールド以外の作品の原作キャラは直接出てこないと言ったな?
すまん、ありゃ嘘だった。しかも既存タグとはまた別の作品からの乱入だ。
まあ、ご本人そのものかと言われれば微妙なんだが……。

しかもこの章では直接登場しないから、新たな原作タグをつけるのはまた後日にするつもりらしいぜ、この作者。


紅の暴風姫
前篇


 

 小さい頃、自分は特別なんだと思っていた。

 

 昔から、少女は幸運の星のもとに生きていた。

 くじを引けば一等や特賞が当たるのが当たり前。

 ひどい怪我をしそうな事故に巻き込まれても、彼女だけは軽傷や無傷で済む。

 ママは私の娘はきっと天使の生まれ変わりねと、ことあるごとに頭をなでてくれたし、幼い少女もそれを無邪気に信じていた。

 

 それが間違いだと気づいたのは五歳のとき。

 小学校の入学祝いに家族三人で大阪まで遠出をした帰り、少女は事故に巻き込まれた。

 自動車に制御AIが搭載されてからはめっきり数が少なくなった高速道路における自動車事故。制御AIを違法改造して雨中を暴走していたバイクに巻き込まれ、合計七台もの車両が玉突き衝突を起こす大規模なものだった。

 

 そんな中でも少女は当たり前のようにフレームの隙間に引っ掛かり、頬っぺたに擦過傷一つだけで済んだ。

 

 四トントラックと大型バスの間に挟まれペシャンコになった車の残骸の中で、救助されるまでの六時間。

 両親だった液体が体の上でゆっくり冷えていくのを感じながら、自分は優れているのではなく外れているのだと気づき、特別(スペシャル)などではなく異常(アブノーマル)なのだと悟り、常に当たりくじを引くということは常に自分以外の誰かに外れくじを掴ませる行いなのだと思い知らされた。

 全身に浴びた両親の最後のぬくもりは、きっと一生忘れない。

 

 ――死神。

 

 いかにも夢らしく、場面は脈絡や筋道を置き去りにして転換する。

 そこは見覚えがないのに、なぜだかひどく懐かしい海の上だった。

 少女の周りには頼りになる多くの仲間がいて、少女の対面には凶悪な敵がそれよりもっとたくさんいた。

 彼女たちは戦う。

 

 何の為に?

 

 今となってはもはや思い出せない。

 どうしても守りたいものがあったはずなのに。自分の身を危険にさらして、仲間と敵の屍を積み上げてまで求めていたものが、確かにあったはずなのに。

 少女の疑問をよそに周囲の影は着実に数を減らしていく。

 あるものは海上を飛び交う閃光に命中して、またあるものは海中から襲いくる暴力に腹を食い破られて、そしてあるものははるか空高くから数多の悪意に蹂躙されて、みんな海の底へと沈んでいく。

 敵も味方も関係なく。

 気がつけば少女はただ一人きりとなっていた。

 静寂に支配された世界で潮騒が響く。

 

 ――死神。

 

 違う。

 声を嗄らして叫びたい。耳を押さえてうずくまる。

 しかし少女は声を上げられないし、聞こえる声は止むことがない。

 いつしか海は消えており、感覚が喪失しそうな真っ白な部屋の中に少女はいた。

 周囲には、彼女が外れくじを押し付けてきたすべての人が黒い影となって少女を取り囲んでいる。こちらを見て彼らは少女を指さし、ただ同じ言葉を口々に繰り返していた。

 

 ――死神。死神。死神。死神。死神。死神。

 

 パパも、ママも、友達も、敵も、味方も、みんながみんな少女を非難する。恨みのこもった眼差しで少女を見つめ続ける。

 どうしてお前だったのだと。なぜいつもお前なのだと。

 望んでそうなったわけじゃない。

 言い訳は自分にさえ述べることができず、ただ口の端から悲鳴じみた雑音となってこぼれて消えた。

 

 どれほどの時間が経ったのだろう。

 気がつけば声は止んでいた。ひゅるりと冷たい一条の風が少女の頬を撫で、思わず顔を上げる。

 影はまだそこにあった。が、少女を罵ることはおろかピクリとも動かなかった。

 怖くて直視できない。でも目を逸らすこともできなくて、震えながら影を見つめ続けた少女は、唐突にその正体に気づく。

 これは墓標だ。

 その瞬間、周囲の白は強い風に巻き上げられて壊れて崩れて舞い上がり、雪となって辺り一面に降り注いだ。

 月明かりが差し込む墓地の中、少女はただ茫然と自らと墓標に降り積もる雪を眺める。

 

 ……ただ、見ていることだけしかできなかった。

 こんなことは、もう、いやだ。

 救われたい。

 

 少女の慟哭に応えるように強い風が渦巻き、舞い踊る雪がそこに無い何かの形を取り始めた。

 鉄で作られ、火薬で彩られた暴力の塊。巨大なそれにはもう、身体を動かしてくれる頼もしい乗組員はいない。共に戦う仲間もなく、海上という戦場さえ喪った孤独な船。

 しかし、それでももう一度、戦う機会が、守る機会が与えられるというのなら。

 

 ――救いたい!

 

『――それが、君の望みか?』

 

 

 ハルユキがバーストリンカーの末席にその名を連ねてから早三か月。

 

 今日は黒雪姫がどうしても外せない生徒会の会議が昼休みにあり、珍しくハルユキはラウンジ以外で昼食を取る機会を得た。

 視線を集めるのは好きではない。そもそもあそこは黒雪姫という免罪符あってこそ一年生のハルユキが侵入しても咎められないのだ。ハルユキは購買で購入したカレーパンと焼きそばパンとポテトサラダのサンドイッチの入った袋を抱えて屋上に向かう。

 

 屋上の扉を開けた途端全身に感じる一月の冷気に、ハルユキは思わず立ち止まって身震いした。まさかこの時期に二日連続で屋上で昼食をとることになるとは思わなかった。しかも今日は一日中曇天であり、昨日より体感気温はずっと低い。

 こんな日にわざわざ屋上で食べようなどと考えるのはよほどの物好きか、何か他人に聞かれたらまずい話をしたい人間だろう。ハルユキは後者である。

 より正確に言うなら、ハルユキを呼び出した人間が、だろうか。

 

「よっ、ハル坊。こんな寒い場所に呼び出してすまんの」

「ハルが最後だよ」

 

 呼び出した人間と、ハルユキと同様に呼び出された幼馴染はもうすでに揃っていた。

 

 一人は白と灰のまだらに染まった長髪の、小柄な二年生の女子生徒。染色しているのではなく心因性の色素欠乏症であり、面倒が多いので医師の診断書もニューロリンカーに入れて携帯しているという。

 来春礼羽。梅郷中学格差(スクールカースト)特権階級(アンタッチャブル)に君臨し、教師生徒問わず忌み嫌われている問題児だ。ただし、ハルユキにとっては大切な恩人にしてよき理解者である。

 そして同時に、加速世界最低の犯罪者と呼ばれる古参バーストリンカー『マーブル・ゴーレム』でもある。

 

 もう一人は日本刀のように鍛え抜かれた長身で、眉目秀麗な一年の男子生徒。眼鏡をかけていながらもその美貌は一切損なわれておらず、むしろ逆に転校二週間にしてメガネ萌えの女子を梅郷中に量産しているとまことしやかに噂されるハルユキの幼馴染。

 黛拓武。最近一部でハカセのあだ名が定着しそうな苦労人気質の好少年だ。優秀なのは顔面偏差値のみならず、文武両道で人当たりもいい。かけがえのない幼馴染だということは即答できるが、隣にいると時折ハルユキは自分と勝手に対比して卑屈な感情が湧いてきそうになる。

 そして同じくバーストリンカー『シアン・パイル』であり、ハルユキの良きライバルにして戦友だ。ただしこちらも最近は週末領土戦の負い目から、胸を張ってそうと素直に言えなくなりつつある気がする。

 

 矮躯の彼女と長身の彼が並んでベンチに腰掛けている様子は、お互いの対照的な特徴を強調し合っているようでなんだか少し不思議な感じがした。

 ちなみに、もう一人のハルユキの幼馴染はこの場にはいない。

 ライハからの呼び出しメールには『ブレイン・バースト関係で少し相談がある』と書かれていたからだ。

 

「遅れてすみません。四時間目が終わるのが遅れちゃって」

 

 ハルユキもトコトコと二人が座っているベンチに近寄り、五歩手前で立ち止まった。その理由はベンチに座っている二人の位置関係にある。

 

 ライハは一番右端にぴっちりと、ベンチの角に足を引っ掛けるようにして座っている。

 ハルユキも似たようなことをよくするので気持ちはとても理解できた。隅っこはとても落ち着くのだ。真ん中など後から来た人にどれだけ譲れば考える必要があり、なかなかくつろげやしない。

 

 一方のタクムはライハから一人と半分ほどのスペースを開けて座り、その左にまた一人分ほど空白があった。

 

 ――僕はどこに座るべきだ?

 

 奇遇にも昨日のメンバーのうち、黒雪姫とライハを入れ替えたような形である。昨日は右から黒雪姫、ハルユキ、タクムという順番に座り、その席順になることに多少の照れはあっても迷いはなかった。

 何の間違いかハルユキは(今のところ)黒雪姫の恋人なので彼女の隣に座ることは当然の権利であり義務であるし、実務的な話としても軍団(レギオン)のマスターと部下という関係上、黒雪姫が顔を向ける方向に部下がまとまっていた方が話しやすい。

 

 しかし今日はそのようなわかりやすい判断基準がない。呼び出された都合上、端にライハが座ることは確定だが、ハルユキとタクムの席順はどちらでも構わないのだ。

 ハルユキの性分としては隅っこが好ましい。恋人がいる身でむやみに女子に近づくのもどうかと思うし。

 しかし、わざわざ空いているスペースをよけて狭い方を選んだら、ライハが不快に感じないだろうか。常にへらへらとした笑みを浮かべている意外と整った彼女の顔に、不快気なしわが寄らないだろうか。そう考えてしまうのだ。

 頭ではライハはそんな性格ではないと理解している。しかし小学校のころから経験で培った卑屈という性分を、理屈だけで覆すのは難しい。

 

 そんな十秒にも及ぶハルユキの葛藤は、タクムがすっと左端に寄って真ん中を手で指し示すことによってあっさり終わった。やはりリアルではかなわないという思いを新たにしながら、ハルユキは開けられたスペースに大人しく腰掛ける。

 

「ハル坊の四限目といえば……ああ、数学のエンドーか。あやつは途中で雑談に夢中になりすぎて、ペース配分を間違うことがよくあるからのう」

 

 そしてライハはそんなハルユキに気づいた様子を見せなかった。本当に気づいていないのか、反応していないだけなのか。わからないし、知る必要もないことだ。

 ハルユキはちらりと幼馴染の顔を見る。

 

 ――ありがとな、タク。

 ――どういたしまして。それよりハル、赤の王のことだけど……。

 ――ああ、わかってる。昨日のことも今日のこれからのことも、ライハさんには話さない。

 

 幼馴染にのみ許された、目で会話する以心伝心。ほんの三か月前までは疎遠になっていたとはいえ、幼いころに取った杵柄はちゃんと仕事をしてくれた。チユリボスの怒りに触れないよう密談する、子分二人が編み出した必死のスキルだ。

 

 二時間目の終わりにライハから送られてきた召集メールに対して、ネガ・ネビュラスではメーラーを使った緊急会議が開かれた。議題はライハの話題と赤の王の関係性について。

 その中で百戦錬磨の黒雪姫と頭脳役(ブレーン)としての立場を確立しつつあるタクムは、そろってライハの内容が何であれ赤の王と関係させることに反対した。

 ハルユキとしてはライハの意見も聞いてみたかったのだが、頭の出来が二人より圧倒的に劣っていることは自覚している。その二人が反対するのだから、やめた方がいいのだろう。心情的にも多数決的にも、従うことに異論はなかった。

 何より、黒雪姫の「ぜったい碌なことにならない」という意見に反論できなかったし。

 

「ハル坊、何かあったかい飲み物は買ってきたか? もしくは暖房器具のたぐいを持っておるとか」

「え? あの、いえ、ありません」

「やれやれ、そうじゃろうと思ったわ。呼び出しておいてなんじゃが、この気候で対策も取らずに長時間外におると風邪をひくぞ?」

 

 そういいながらライハは背中から魔法瓶を取り出す。腰に当てて暖を取っていたのだろう。

 

「先輩の儂が責任取って熱い紅茶を恵んでくれよう。ついでにタクム氏もな。しばし待っておれ」

 

 ごく自然に紙コップをどこからともなく二つ取り出し、こぽこぽと注ぐそのたたずまいは普段の猫背が嘘のようにきれいだった。

 このような気遣いのできる一面を見ていると、本当にこの人は年上の女性なんだなあ、と何とはなしに実感させられる。別に疑っているわけではないし、同年代や年下が気遣いがなっていないというわけでもないのだが。

 

「ほれ、ハル坊」

「あ、ありがとうございます」

「タクム氏も」

「ありがとうございます。いただきます」

 

 紅茶を受け取りながら会議の内容を反芻する。

 

 はとこのトモコちゃんを突然うちで預かることになった――という偽装で赤の王自らがハルユキに対しソーシャル・エンジニアリングをしかけてきたのが一昨日。

 その赤の王、ニコが黒雪姫率いるネガ・ネビュラスと対談し、その目的であった災禍の鎧クロム・ディザスター討伐が確定したのが昨日。

 そしてその決行日が今日の放課後となる。

 

 いくらライハが得体のしれない情報網の持ち主とはいえ、文字通り昨日今日で立て続けに起こった紅の暴風姫一連のあれこれを完全に把握しているとは考えにくい。

 だから彼女から何を尋ねられても時にごまかし、時に偽り、時にしらばっくれて何とか今日だけを乗り切る。それが結論の基本方針だった。

 

 そのためのシミュレーションは完璧。特にハルユキは黒雪姫とタクムの二人から加速を使ってまで特訓させられる念の入れようだ。まあ隠し事が苦手なのは自覚しているので文句は言えない。

 紙コップ越しにぬくもりを感じながら、ハルユキは紅茶を飲んで気合を入れなおした。ふんわりとした香りと甘みが口から鼻と喉へと広がり、身体がじんわりと温かくなる。

 

 ハルユキたちはいまだによく理解していなかった。

 そんな計算や予想を意識的無意識的を問わず根底からひっくり返すのが彼女、過負荷(マイナス)という存在なのだということを。

 

「のうハル坊、災禍の鎧って知っとるか?」

「ごふっ!?」

 

 あまりにもピンポイントかつクリティカルな一言にハルユキは噴出した。隣のタクムもわずかだが驚きを隠せていない。

 勢いよく噴出された紅茶はハルユキの口内と鼻腔を焼き、さらに紙コップからこぼれた一波が手に滴り落ちる。

 

「あぢゃぁっ!?」

 

 声にならない悲鳴を上げてハルユキはコップを取り落としてしまった。ぱしゃんと軽い音と共に屋上に湯気を立てる薄い朱色の水溜りの出来上がりである。誰の上履きや制服も濡らさなかったのは不幸中の幸いか。

 

「あーあ、もったいない。うーん、さすがの儂でも後輩男子二人の前で這いつくばって地に落ちた紅茶をすするのは抵抗があるかのう」

 

 やってやれんこともないが、それで話が停滞したら昼休み終わってしまうし、などと平然とのたまうライハ。咳き込みながらも反射的にその冒涜的で背徳的で退廃的な光景を想像してしまう十三歳の青春真っ只中少年ハルユキであったが、ぶんぶんと頭を振って妄想を追い出した。

 

 ――大丈夫、想定の範囲内だ。プランC、ライハさんが災禍の鎧復活の情報を掴んでいる場合の対応でいける。

 

 災禍の鎧クロム・ディザスターは今、無制限中立フィールドで暴れまわっている。

 無制限中立フィールドに同時にダイブする人数はせいぜい百人と言われており、これが災禍の鎧復活の情報が広まらなかった最大の理由だ。

 しかし、たかが百人、されど百人。

 無制限中立フィールドにダイブする権利を得られるのは最初の壁と言われるレベル4を超えた者のみだ。そんなバーストリンカーたちが百人もいれば、二年半前にも猛威を振るったというクロム・ディザスターのことを知っている者が一人くらいはいるだろう。

 人の口に戸は立てられぬ。悪事千里を走る。

 ライハの耳に五代目災禍の鎧の情報が入る可能性は決してゼロとは言えず、そのため黒雪姫はちゃんとその場合も想定して対策を立てていた。

 

「にしてもその反応。どうやら知っておるようじゃのう」

「げほっ、ごほ、は、はい。そうなんですよ。最近、無制限中立フィールドに異様なバーストリンカーが出るっていう噂を聞いて……」

 

 プランCの場合、ライハに聞かれたクロム・ディザスターの情報は基本的に否定しない。知っていることは知っている。その上で無関係を装うのだ。

 

「オレなんかビビりですから先輩に聞いてみたんです。そしたら二年半前に先輩が討伐したクロム・ディザスターっていう災禍の鎧の被害者らしいってことがわかって……」

 

 焦りのあまり二人の幼馴染の前でしか使わない乱暴な一人称を使ってしまったことに気づくハルユキだが、上目づかいで伺ったライハの表情に変化は見られなかった。少なくとも不快気な方向には、今はまだ。

 

「――それでつい昨日、ネガ・ネビュラスではクロム・ディザスター対策会議が行われたんです。まあ、見かけたら近寄らずにすぐ逃げるっていう消極的対策なんですけど」

 

 ごく自然な形でタクムがハルユキの後を継ぐ。これも台本通りで、長時間ハルユキに喋らせると余計なことまで言いかねないと判断されたためだ。まったく反論できない自分が少し情けない。

 

「マスターが『あいつは災禍の鎧にぼりぼり頭から丸かじりされたところで死ぬような奴ではないから放っておけ』と言っておりまして。同盟を組んだ間柄でありながら情報伝達が遅れましたこと、この場でぼくが謝罪させていただきます」

「けろけろ。実にあやつが言いそうなことじゃの。よいよい、上がそう判断したら下は黙って従うのが組織の習いじゃ。それにしても……」

 

 互いに微笑を浮かべ言葉を交わす二人は実に様になっている。何でもそつなくこなす幼馴染は言うまでもないが、実はライハの方も話術スキルはかなり高いのだ。

 だがコミュニケーション能力となると途端に欠点となる。彼女の会話からは相手に伝えようとする意志がまるごと欠損しているために。

 

 さあ来い。次はどう来る。

 ハルユキは虎視眈々と待ち構えた。この時のためにお互いに対戦を仕掛けては時間切れでドローにするという方法で合計三時間も練習に費やしたのだ。

 隣には頼りになる相棒もいる。絶対に負けやしない!

 

「うーん、組織としての方針は不干渉か……。これはまいったのう」

 

 しかしハルユキの熱意はあっさりと空を切った。

 ライハの反応は想定されていたどれにも当てはまらなかった。

 黒雪姫の性格や王としての立場から、災禍の鎧討伐に対する消極的な姿勢の矛盾を突く。それが予想されたライハのリアクションだった。それに対応した数々のシナリオが一瞬で水泡に帰す。

 

 思わず泳いだ視線が、冷静に流れを観察するタクムの聡明な目と合う。落ち着いて、と諭された気がしてハルユキは慌ててライハの顔に視線を戻した。

 相変わらず彼女は困ったように頭をかいている。

 

「いや、のう。実はとある小学生の知り合いに頼まれたのじゃ。災禍の鎧をなんとかしてほしい、とな」

「えっ」

 

 小学生。ライハのその言葉は否応なしにハルユキに赤の王ニコを連想させた。ついでに邂逅初日に発生したお風呂イベントの視覚情報や触覚情報がリプレイされかけたが、そちらはまとめて脳内ディスプレイのゴミ箱に放り込んでおく。

 ニコとライハが知り合い。意外ではあるが、ありえないとは言えない。というか、ライハなら何がどこで繋がっていても不思議ではないと思わせる滅茶苦茶さが彼女にはある。

 ライハが加速世界をいったん退場したのが三年前で、ニコがバーストリンカーとしてデビューを果たしたのが二年半前という時差があるが、ライハの口調はリアルの知り合いであることを彷彿させた。

 現実世界でニコがライハに頼み、ライハがそれを引き受けた。時差があるためにお互いにバーストリンカーだということは最低限知っていても、相手が赤の王であったり加速世界最低の犯罪者であるなどといった詳細は知らない。そんな脳内劇場がハルユキの中で展開される。

 ニコは外面がいいし、ライハは意外と身内に甘い。その二人が合えば、そんなことが起こるのはあり得ない話ではない。

 

「子供の願いは聞いてやりたいじゃろう? どうも知り合いが災禍の鎧に飲まれたらしくてな。困り切ったあげく、よりによって儂なんぞに相談してきよった。

 あやつもあやつで動いてみるとは言っておったが、子供が一人でどうにかできるものでもないじゃろうし、我ながら珍しく仏心を起こしてな。

 じゃが、災禍の鎧は儂一人で対処できるような代物ではない。じゃから同盟関係にあるネガ・ネビュラスに協力を要請しようと思ったのじゃが……」

「ライハさんのとこにもニコが?」

 

 そもそもこんなタイミングで、まったく縁のない二人の小学生が、別々に災禍の鎧討伐を求めるなどという偶然はないだろう。

 偶然や作り話にしては部分部分が合致しすぎていると考えたハルユキは、情報をすり合わせるためにそう口にした。

 途端にライハの目がきらりと光る。

 

「ふむ。やはり巻き込まれておったかハル坊よ。ニコというのがその主犯かえ?」

 

 後ろでタクムがあちゃーと頭に手をやる気配がする。

 

 ――やべ、やっちまった。

 

 ハルユキは自分がまんまと罠に引っかかったことを悟った。

 ライハの情報収集力を甘く見たのだ。おそらく彼女は現実世界でニコがネガ・ネビュラスに接触してきたところまで掴んでいたのだろう。そしてその正体まではわからなかったが、クロム・ディザスターの討伐を依頼しに来た健気な小学生だという仮説を立てた。

 情報を小出しにして思考を誘導するのがプランCの肝だ。それをまんまと相手側にやられてしまった。

 状況はすでに詰みに近い。自白した容疑者を逃がす検事はいないだろう。

 煌々と熱の無い光を放つライハの瞳を至近距離で見ながら、ハルユキは覚悟を決めた。自分の失敗の責任は自分で取る。死ぬのは一人でいい。

 

 ――タク、あとのことは頼んだ。どうか先輩に僕は勇敢に戦ったと伝えてくれ。

 

「ななななな、何もしゃべりませんよ僕は! いくらライハさんでも何をされたって絶対に口を割りませんからっ!」

「ほう?」

 

 ハル、きみってやつは……、とタクムが呆れているのが聞こえた。

 格好悪いのは百も承知だ。自分でも情けないと思う。客観的に状況を見て、どう考えても無駄なあがきだ。たとえここで本当にハルユキが口を割らなくても、確信を手に入れたライハは遠からず真実にたどり着くだろう。

 しかし、リアルのハルユキなんてこんなもんだ。鈍くてダサくて取り柄が一つとして存在しないデブのチビ。ヒーローになれるはずだった加速世界でさえ、最近は足踏みを続けている。

 それでも譲れない一線がある。捨てきれないプライドがある。

 

 何より、自分を救い出してくれたあの人に失望されたくないから。

 

「ほうほうほうほう。それでは遠慮なく」

 

 ライハを中心に冬の凍てついた空気がどろりと溶け出し、捻じ曲げられてまだらに染められる。正直赤の王と対戦したときの十倍は怖かった。

 瞬き一つしない人形のような瞳を背景に、己の顔へと迫ってくるほっそりとした手を見ながら、ハルユキは本能的に死を覚悟した。

 

 ――ごめんなさいセンパイ先に逝きますああニコたのむから今度は部屋を荒らさないでいてくれよすまんタクお前を男の親友と見込んで頼みがあるどうかオレの部屋の参考書の裏に並んだブツ一式は処分しておいてくれチユになんて謝ろうきっと泣くだろうなあいつ……。

 

 走馬灯のように様々な思いが一気に溢れてくる。くだらないこと、切実な想い、玉石混合の奔流はこらえきれない熱となってハルユキの眦から零れ落ちた。

 最後まで見続ける勇気がなくて、ギュッと目をつぶる。

 どれほどの時間が経ったのだろう。五秒か、十秒か。冷静に考えれば長くともその程度だが、ハルユキには加速を使っているように永遠と引き伸ばされて感じた。

 ぽん、と軽く頭に感じた触覚は常識的にハルユキの命を奪い取ることなく、そのまま二度三度とハルユキの頭の上で弾んだ。

 

「なんての、冗談じゃよ。可愛い後輩を親切なライハさんがいじめるわけないじゃろ? いじめカッコ悪い。おぬしが命がけでも情報を漏らしたくないことはよおっくわかった」

 

 おそるおそる目を開けると、そこにはいつも通りのへらへらした笑みを浮かべたライハが見える。ハルユキにはその笑顔が天使に見えた。同時に緊張から解き放たれた反動で、一月の野外だというのにどっと全身から汗が噴き出てくる。

 本気で死ぬと思っていたのかは自分でもよくわからないが、おふざけ半分の覚悟で無かったことは確かだ。

 ハルユキの頭をわさわさと撫でながらライハは言葉を続けた。

 

「しかしのう。ハル坊にも都合があるように、儂もハイそうですかと引き下がれぬ事情があるのじゃ。

 じゃからここはバーストリンカーらしく、対戦で白黒はっきりつけぬか?」

「え、と……それは……」

 

 ハルユキは言葉を濁す。

 ライハが譲歩してくれたのだということはよくわかるし、バーストリンカーなら対戦で決着というのにも納得できる。

 しかし負けたからといって自分の口から話す気には、ハルユキはどうしてもなれなかった。負けられない戦いなどと耳障りのいい言葉を使っても、結局は負けた時に守る気のない約束ということになる。

 自分が勝つことを前提にそんな約束をするなんて、恩人であり理解者でもあるライハ相手にはどうしてもしたくなかった。

 

「なあに、安心院さんではないが安心せい。自分の手元にないチップをかけろとは言わんよ。あるやつに支払わせればいいだけの話じゃて。条件はこうじゃ。

 ハル坊が勝てば儂はこの一件から手を引こう。少なくともネガ・ネビュラスを巻き込まんことはモノクローム・シアターの首領として約束する。

 そしてハル坊が儂に勝てなんだら、ハル坊は儂を責任者どもの元に連れていけ。そこからは儂が勝手に交渉する。ハル坊は偉い人にお伺いを立てるだけでよい。

 これでどうじゃ?」

「待ってください!」

 

 確かにライハの提示した条件なら、ハルユキは頷くことができそうだった。ライハに嗅ぎつけられた以上、すでに状況は変わったのだ。王二人に報告するのは当然のことである。その報告時にライハ当人が加わったところで、ギリギリ許容範囲内だろう。たぶん、きっと、おそらくはそうに違いない。

 それにこの条件なら、勝つだけでライハが災禍の鎧討伐作戦に参加しないという確約を得ることができる。大きな不確定要素であり不安要素であった彼女をここで排除できるのは大きい。呼吸をする気軽さで嘘をつく彼女だが、身内との約束や公なルールは意外なほど几帳面に守るのだ。

 しかし、ここでタクムが待ったをかけた。

 

「マスターとライハ先輩は相互不可侵条約を提携していると聞いています。お互いに観戦予約さえ登録していないのがその証拠。ハルとの対戦は違反になるのでは?」

「うむ。たしかに儂は黒雪姫と条約を結んでおる。

 しかし禁じられておるのは『対戦』じゃ。今からやるのは対戦にして対戦にあらず。かけるのはバーストポイントでなく己の意地と都合。あくまで話し合いの一環というわけじゃ。

 同盟相手と戦争するのは問題じゃが、話し合いをするのは当然であろ?」

 

 ライハはぬけぬけと恥じることなく口にする。

 明らかな屁理屈。しかし悪法も法であるように、屁理屈もまた理屈。堂々と押し通されてしまっては、防ぐ方法は意外と少ない。

 事実、タクムは反論できず黙り込んでしまった。

 

「さて、異論はないな?」

「……はい」

 

 ハルユキは頷いた。間違っても状況はベストではないが、現状で求められるだけのベターな条件ではあると思う。タクムは納得していない顔だが、言いくるめられてすぐには言葉が出てこないようだ。

 深呼吸して、戦いへと至るボイスコマンドを唱えようとして、その直前にライハに手で制された。

 

「まあ待て、焦るでない。儂の都合で付き合わせるのじゃ。保有ポイントも圧倒的に儂の方が多いし、儂の方から対戦を仕掛けよう。たかが1ポイント、されど1ポイントじゃよ」

「そ、そうですか? ならお言葉に甘えて……」

 

 ハルユキは素直に従うことにする。今日だけで何の生産性もないことに3ポイントも消費してしまったのだ。最近対戦成績が振るわないこともあり、節約できるのならそれに越したことはない。

 

「バースト・りん……おっと、ハル坊よ。直結するか?」

「ふえっ、へっ、うええ!?」

 

 しかし、なぜかライハは途中でコマンドを中止し、何を思ったか忘れ物を取りに帰るような気軽さでそんなことを口にした。ハルユキの口から驚愕と混乱を音声化したような奇声が漏れる。

 

 バーストリンカーをやっていると何かと直結――有線直結接続の機会に恵まれるが、本来ならセキュリティの九割がたを無視できるこの接続方法は家族や恋人など、ごく親しい間柄でも特別なことが無ければなかなか取られない。サーバーを介した無線通信で大概の情報伝達は事足りるからだ。

 ならば中高生が一番よく直結を使う状況は何かといえば、恋人間でお互いの親密さを確かめ合う手段として行う場合が大半となる。つまりはキスは言い過ぎにしても、手を繋いだりハグをしたりといった行動に近いものなのだ。

 別に必要があればいくらでも例外的状況は生まれるのだが、この年頃の男女ならなおさらその傾向が強い。そしてライハは気づかれにくいがそこそこ美少女で、ハルユキはこんなんでも男だ。奇声を上げるのもある種当然と言える。バーストリンカーやってんだからいい加減慣れろなどと言ってはいけない。

 

「理由をお聞きしてもよろしいですか。なんでわざわざハルと?」

 

 声が喉に詰まって話せないハルユキに代わり、タクムが冷静にライハに問いかける。その眼はライハの思惑を見透かそうとするように真剣だった。しかし、その視線はライハの軽薄な笑みを貫けない。

 

「なに、深い理由はないわい。

 ああ見えて黒雪姫はけっこう繊細じゃからの。ハル坊が儂にまんまと情報を引きずり出されて、さらに対戦までするなんてことがあったら怒り心頭で残りの昼休み、会議が手につかなくなるのではと心配になってな。

 ここは直結対戦にしておいてやるのが親切かと思ったまでよ」

 

 確かに筋は通っていた。

 むしろ今さらになって黒雪姫に怒られる未来予想図がありありと目に受かんだハルユキはひぐ、と喉の奥を鳴らす。

 極冷気クロユキスマイルを浮かべた黒雪姫にざくざくと言葉の刃で滅多切りにされる自分を思い浮かべると、ライハとの対戦を前にしたときにはまったく出なかった震えがぽっちゃりした全身をガタガタと揺らした。

 

「これは黒雪姫のことを思っての行動じゃ。儂らは何も悪くない。そうじゃろ?」

 

 ブレザーのポケットから五十センチの直結用ケーブルを取り出し、自分のニューロリンカーに片方の端子を差し込みながらもう片方のプラグを差し出すライハの声は悪魔の誘惑に聞こえた。ほっそりとした手に握られたプラグが妙に浮き上がって見える。

 

 そうだ。僕は悪くない。だって僕は悪くないんだから。

 運が悪かったんだ。会議中の先輩が悪いんだ。違う、タイミングが悪かったんだ。

 これは先輩を思いやっての行動なんだから、僕が悪いはずがない。今すぐ言わないだけで、別にずっと秘密にするわけじゃない。放課後になったらちゃんと先輩にもニコにも報告する。

 

 もし負けちゃったらその時にライハさんも一緒にいることになるかもしれないけど、むしろそっちの方が話が早くていいじゃないか。僕が口下手なのは周知の事実だ。話し上手なライハさんの口から説明してもらった方がずっとわかりやすいに違いない。むしろ何の対策も立てずに先輩たちをイラつかせる方が失礼じゃないか。

 

 報告が先延ばしになったって、この場にはタクがいる。だから僕が自分の弱さに負けて秘密にしたところで、情報が伝わらないまま状況が進行するなんていう最悪の場合も存在しない。

 

 怒られるのを少し先延ばしにするだけじゃないか。嫌なことが遠ざかるのならその方がいいに決まってる。それに言い訳を考える時間も欲しい。相手に不快にさせないよう、わかりやすく伝わるようタイミングを見計らって話すんだ。

 

 ハルユキの中で奔流のように言い訳が溢れ出した。それは耳を傾ければ一見道理が通っているようにも見えて、ハルユキは琥珀色に光るライハの瞳に吸い込まれそうになる。

 

「……いえ、通常対戦でお願いします」

 

 しかし結局、ハルユキの口はそう動いていた。

 どうして逃げなかったのか、ハルユキは自分でもよくわからない。

 

 このことがバレて、今度こそ黒雪姫に愛想を尽かされるのが怖かったのかもしれない。

 クロユキスマイルではない、あの黒曜石のような美しい瞳に興味のない玩具を見るような光を湛えて見下されるのがたまらなく怖かったからかもしれない。

 

 もちろんそれもあるだろう。しかしハルユキはそんなマイナスの理由だけではなく、最大の要因は己のなけなしのプライドが仕事をしたからだと信じたかった。

 対戦の成績が振るわなくとも、週末の領土戦争で足を引っ張っても、それでも自作の銃弾避けアプリを作って、被弾の痛みと涙と吐瀉物にまみれながら食らいつこうとする己の意地が逃げる足を踏み留めたのだと思いたかった。

 

 ライハの笑みがへらりと深まる。それは後輩の成長を喜ぶ先輩のようにも、誘惑に堕ちなかったことを残念がる下種のようにも見える笑顔だった。

 

「あいわかった。それでは対戦開始五分は弁明タイムにくれてやろう。目的は対戦ではなく交渉じゃからのう。

 せいぜい怒れる黒雪姫を納得させることじゃ。延長はその場で受け付けるぞ」

「あ、ありがとうございます……」

「では、しばし待たれよ」

 

 ケーブルを折りたたんでポケットにしまうライハから目を逸らし、ハルユキは深々とため息をつく。対戦を始める前からどっと疲れた気がした。しかし本当の戦いはまだ始まってもいないのだ。

 

 ――あれだけ口を酸っぱくライハさんとは戦うなって念押しされていたのに、こんなことになっちゃって……。先輩、すごく怒るだろうなぁ。

 

 正直な話、ライハとの勝敗よりもそっちの方が気がかりである。

 救いの手がかりを求めるように彷徨わせた視線が、静かにやり取りを見守っていたタクムの目と合った。

 

 ――きみが安きに流れないでよかったよ、ハル。

 

 ハルユキの葛藤を見抜きながらも信じて見守ってくれた親友が目で語る。ハルユキはこの得難い親友の幼馴染に自分が生まれついたことを、改めて感謝した。

 いくら劣等感を刺激されようが、やはり彼は最高の親友にして相棒である。

 

 ――あやうくチーちゃんに、きみがマスターという人がいながら年上の異性の先輩と直結するような人間だってことを報告しなきゃならないかと思ってヒヤヒヤしたよ。

 ――ちょ、まっ、チユはマジでやめてくれ。殺される!

 ――マスターの方が良かった?

 ――そっちも余裕で死ねるっ!

 ――というかハル。もしも仮にきみがライハ先輩と直結していれば、ぼくが言わずとも遠からずマスターは知ってそうな気がするけど?

 ――……あっぶなかったあ!

 

 一年生の男子二人が目で友情を確かめ合っている間に準備が終わったらしい。

 脳髄に突き刺さりドロドロに溶かすような甘い声で「バースト・リンク」とさんざん聞きなれたボイスコマンドが唱えられ、続いてバシイイイイッ! と何度聞いても戦慄を禁じ得ない衝撃音が世界を揺るがした。

 

 

 『HERE COMES A NEW CHALLENGER!!』

 

 今日だけで何度も見た炎文字が視界に踊り、世界が一瞬で作り変えられていく。

 

 曇天だった空は気持ち悪くなるような黄色い光で満たされ、どす黒い雲が不定形の生物のようにうねり泳ぐ。

 屋上のコンクリートはぎちぎちと音を立てて金属光沢を放つ生体部品のような奇妙な物質へと変貌を遂げ、錆びだらけの床を毒々しい色合いの虫が這い回る。

 見下ろす校舎の外壁はあちこちに襞が生まれ呼吸するようにぱくぱく開き、窓はすべて眼球のような生々しい器官に変貌した。

 

 《煉獄》ステージ。属性はステージが全体的に硬く破壊が困難、不気味な虫は色のきついやつが潰すと毒をまき散らす、といったところ。

 親友と理解し合えた思い出深いステージではあるが、シルバー・クロウとしては破壊可能なオブジェクトが限られ、室内もしっかり作りこまれているこのステージとの相性はあまりいいとは言えない。ステージ破壊で飛行アビリティ用の必殺技ゲージを溜められず、場合によっては飛行困難な密閉空間で戦闘が始まるからだ。

 

 まあ、今回に限って言えばどちらの問題も心配無用、というより無意味だ。

 ハルユキは目の前のライハを見る。

 白と灰のまだら色の光に包まれぐにゃぐにゃと粘土細工のように変形した彼女の影は、背丈が低く頭がでかく四肢が極端に小さい異形のデュエルアバターの姿へと変化した。頭部に設置されたこれまた巨大な単眼(モノアイ)が、びみょんと琥珀色の輝きを放つ。

 装飾の少ないのっぺりとした外見はまるでゲームのザコキャラのようで、ほっそりしていたり女性らしい丸みを帯びていたりといったことが多いF型アバターでは異例だ。

 

 視界の右上部では『マーブル・ゴーレム』という彼女の名が表示され、その下に体力ゲージの青いバーと必殺技ゲージの緑のバーが伸びる。その反対側には『シルバー・クロウ』の名前で同じことが起きていた。

 ハルユキの体もまた針金のように引き絞られて装甲に包まれ、ほそっこい銀色アバターのシルバー・クロウの姿となる。

 最後に【1800】の数字が上部中央に浮かび上がると、その下で巨大な『FIGHI!!』の文字が燃え上がった。

 レベル4に至るまでに何度も見た、昔懐かし格ゲー風のブレイン・バースト対戦画面である。

 

 通常なら対戦相手がこんな至近距離にいることはあり得ないので、相手と接触するまでに手近なオブジェクトを破壊して必殺技ゲージを溜めるのがどのカラーにも共通する定石となる。室内にいるのならばシルバー・クロウの場合、機動力を生かすために野外に出ることが望ましい。

 顔見知りとの対戦や、運悪くリアル割れの危険性のある至近距離で対戦してしまい目と鼻の先に対戦相手が現れた場合は悠長にゲージ貯蓄もできないので、スピードを生かした接近戦を即座に仕掛ける。

 これが普段のシルバー・クロウの戦術(タクティクス)。しかし重ねて言うが今は無意味だ。

 

 単眼以外はのっぺらぼうのくせになぜか笑っているとわかるしぐさで、マーブル・ゴーレムがハルユキの斜め左後ろを指した。

 昆虫の膨れ上がった腹部のような異形に変貌を遂げた屋上の貯水タンクの上に、二つの人影がある。この場に観客として現れることができるのは、梅郷中の学内ローカルネットに接続している者のみ。

 つまり一人は対戦者でないため隔離されたタクムことシアン・パイルであり、もう一人が――

 

「ライハ……いや、ハルユキ君やタクム君でもいい。誰かこの状況を説明してくれるんだろうな?」

 

 今からハルユキが言い訳しなければならないネガ・ネビュラスの首領にして黒の王、黒雪姫ことブラック・ロータスであることは疑いようがなかった。一周廻って静かになった彼女の声がハルユキには何より恐ろしい。

 

「ほれハル坊、逝ってまいれ。骨は拾うてやる」

「お願いします……」

 

 対戦相手に励まされて観客に向かっていくバーストリンカーなんて、きっと後にも先にも僕だけだろう。そんなことを考えながらハルユキは極冷気を放つ恋人へと一歩足を踏み出した。

 

 

 

「このっ、馬鹿者!」

 

 予想通りというべきか、あれだけ練習したのにあっさりとライハの話術に引っかかってしまった事情と、この対戦に勝てばライハは手を引くという条件を説明したところ、黒雪姫の第一声はやはり叱咤だった。

 ハルユキは金属なのか生物なのかよくわからない硬い床の上に正座してひたすらに頭を下げる。ロボットよろしく金属製のアバターなので膝が痺れることはないが、心がひたすらに痛い。許されるなら土下座の一つでもしただろうが、黒雪姫がそんな卑屈な態度を好まないことはこの三か月の付き合いで把握していた。

 

 鏡面ゴーグルの奥の青紫色の瞳を猛らせ、怒りのほどを示すようにバチバチと漆黒の雷光エフェクトを発していたブラック・ロータスだが、ふいに怒りを消して天を仰ぐ。彼女のアバターの手が剣でなければ額に手を当てていただろう。

 

「いまさらライハにひっかけられたことは咎めはしないさ。やつの方が私たちより一枚上手だったということだけだし、そもそも対策を立てて何とかなる相手だと考えていたことが間違いだったのかもしれない」

「いえっ、タクも先輩も悪くなくて、ただ僕が……!」

「だが! あれほどやつとは戦うなと言っただろう。もはや勝てとは言わん。負けろなどとは口が裂けても腐っても溶けても言うつもりはないが、どうか生き延びてくれ」

「……はい」

 

 ハルユキは頭を下げる振りをして黒雪姫の顔から視線を逸らした。彼女の顔に失望が浮かんでいることを確認するのが怖かった。

 『勝てとは言わん』。

 期待されないことには慣れていたはずだったのに、期待されないことは楽だったはずなのに、その一言は予想以上の痛みを伴ってハルユキの心に突き刺さった。

 

 これほど自分の馬鹿さ加減を疎んじるのは実に三か月ぶりだ。

 自分がダメなやつだということは知っている。それはもう覆しようのない事実だと思う。黒雪姫やタクムやチユリはいろいろ励ましてくれるけれど、それに応えられない自分が情けなくて消えてしまいたくなる。

 あれほど頑張って練習したのに無駄にしてしまった。自分だけの努力ではない。タクムや黒雪姫の努力も一緒にどぶに捨ててしまったのだ。

 

「ハルユキ君、どうか顔を上げてくれ」

 

 ハルユキはおそるおそる顔を上げる。黒雪姫の声から険が取れていたというのもあるが、なぜだか彼女が途方に暮れているような、無視すれば三か月前のあの時のように泣いてしまいそうな脆さを感じたのだ。

 デュエルアバターのマスク越しではうまく表情が読み取れない。しかしブラック・ロータスの青紫色の瞳は、どこか切実な色を帯びているように見えた。

 

「私はやつの隣に二年半もいたんだ。あいつ相手に勝つとか負けるとかがどれほど意味を持たないか、散々にこの目で見てきた。自分の身で感じたことも一度だけある。私は……」

 

 黒雪姫の目がマーブル・ゴーレムの方に向かい、ハルユキも反射的にそれを追いかけた。

 マーブル・ゴーレムは屋上のベンチが変じたらしい粘液まみれの灰色の肉板に腰掛け、無駄にうまい鼻歌を歌いながら黄色く濁った空を見上げている。ぶらぶらと足を揺らしているその姿は加速世界最低の犯罪者という肩書はあれど、ハルユキの目には気のいい変な先輩にしか映らなかった。しかし黒雪姫には別のものが映っているらしい。

 

「……私は、弱い女だ。本当は今すぐにでもキミに逃げてくれと言いたい。あんな思いを、あんな体験を、一片たりとてキミに経験してほしくないのに。

 しかし少女としての私がそう泣き叫んでいても、私はバーストリンカーとしての私も、黒の王としての私も捨てられないんだ。あんなの相手に戦ったところで何の誇りになりはしないと頭で考えても、心が納得しないんだ。

 キミに逃げるなと、戦えと、……勝てと、言ってしまいそうになる」

 

 それはまるで罪の自白のようだった。

 もしかしたら、彼女は二年半前のことを後悔しているのかもしれない。どうしてもレベル10の高みにたどり着きたくて、友の血にその手を染めたことを罪であり過ちであったと深く悔やんでいるのかもしれない。

 そして今、自分が同じ過ちを繰り返そうとしているのではないかと、ひどく恐れている。

 そう、恐れている。

 ハルユキは自分が出したその答えに驚きを覚えた。しかしそれが一番しっくりくる。この気高く猛勇な人は、ハルユキがマーブル・ゴーレムと戦うことを恐れているのだ。

 ただ愛しい人が戦場に出るのを見送ることしかできない、無力な少女のように。

 

 それだけで十分だった。

 

「先輩、だいじょうぶです」

 

 勝てと言ってくれた。それだけでハルユキが戦うには十分すぎる理由なのだ。その上に失うことを恐れてくれるなんてもったいなすぎる。いつか言った言葉に嘘はない。自分は使い捨ての駒で十分なのだ……見捨てられたくないという思いも、また事実だが。

 ハッと身を強張らせるブラック・ロータスの頬に銀色に光るほそっこい手を当てる。普通はそんなこと恥ずかしいし気が咎めてできないから、きっと今のハルユキはまともではなかった。

 

「絶対に勝ちます……なんて、ライハさん相手に言えませんけど。それでも僕は帰ってきます。絶対に、あなたのもとに」

 

 きっと夜にでもなればベッドの上で身悶える羽目になるに決まっている。それでも今だけは、黒雪姫の騎士でありたい。

 ハルユキは胸を張って踵を返すと、肩甲骨あたりに愛しい人の視線を感じながら戦場へと足を進めた。

 互いの間合いが五メートルほどの距離になったところでマーブル・ゴーレムが手を上げ、ハルユキは足を止める。ここなら声を張り上げずとも十分に会話ができる距離だ。

 

「お待たせいたしました」

「うむ、十分の遅刻じゃな」

「すみません」

「なあに、エスプレッソも装備せずにいちゃつくカップルに割って入る勇気が儂になかっただけじゃて。気に負う必要はない。古来より夫婦喧嘩の邪魔をする奴は馬に蹴られて犬に喰われろとも言うしな」

「どれだけ踏んだり蹴ったりなんですか、それ」

 

 戦意は上々だかなかなか始めるきっかけがつかめず、ハルユキはライハと会話しながらちらりと上のカウンターを見る。残りの数字は【900】を割り、対戦時間は半分も残っていない計算だ。交渉が目的とはいえ、そろそろ始めないとまずいだろう。

 そう考えていたハルユキの前で、いきなりマーブル・ゴーレムの全身から白と黒の光がどろりと噴出した。

 すわ必殺技か、と反射的に身構えるハルユキだったが、ライハはハルユキが弁明中フェアプレイに徹しており必殺技ゲージは一ドットたりとも溜めてはいない。それに必殺技の技名宣言もなかった。

 自分の理解の範疇外にある現象に油断なく身構えながらも困惑するハルユキに、ライハは混ざり合わないまだら色の光に包まれながら平然と告げる。

 

「なに、安心院さんではないが安心せい。戦闘行動ではないわい。

 戦いを始める前に決着がついてもポイント移動が起こらんよう、少し設定をいじるだけじゃ。いちおうは対戦であって対戦で無いという建前じゃからの。

 この螺子(ネジ)が砕け散るのと同時に戦闘開始でよいな?」

 

 そんなユーザーフレンドリーな設定がこのゲームに存在していたのか。

 ハルユキはズレたところで驚く。この上なく刺激的だがこの上なく不親切なゲーム、それがブレイン・バーストだと思っていたからだ。

 

 いつの間にかマーブル・ゴーレムの短い手には巨大な、白と黒で構成された一本のネジが握られていた。

 いや、果たしてそれをネジと表現していいものか、ハルユキは少し迷う。

 歯車型のヘッドの下に螺旋状の溝の入った円柱が伸びるさまはネジとしか言いようがないのだが、ネジと言い切ってしまうと間違いである気がするのだ。

 まるで設計段階で間違えたのに、構築中にもう一度間違えたために完成してしまったような、ありえない違和感。

 なんだかよくわからないが、おそらくそれがポイント移動を無くすアイテムなのだろうとハルユキは類推する。マーブル・ゴーレムはハルユキとは比べものにならない経験を持つ強敵だが、レベル的には4とハルユキと互角であるために負ければ10ポイントも失われてしまう。変動がないというのなら正直ありがたかった。

 

「は、はい。ショップ販売のアイテムなんですか、それ?」

「ン、これはのう――」

「ライハァッ!」

 

 黒雪姫の悲鳴交じりの怒声なんてものを、ハルユキはこのとき初めて聞いた。

 

「ふざけるなっ、貴様、ふざけるなよっ! それは――」

「ふざけておるのはそちらじゃろう、ロータス?」

 

 加速世界に七人しかいないレベル9の黒の王と、加速世界最低の犯罪者と言われる過負荷(マイナス)が睨みあう。

 二人から放出される闘気だか殺気だかわからない何かが煉獄世界を振動させ、その間に挟まれたハルユキはかろうじてひえーと情けない声を上げてへたり込むのを堪えた。ついさっきカッコつけて出てきた手前、それはあまりにもカッコ悪すぎる。

 

「対戦に置いて禁じられているのは『攻撃』じゃろう? 儂の()()は攻撃はおろか、自分が有利になるような効果はいっさい持たんと、おぬしは身をもって知っておるじゃろうに。

 である以上、観客であるおぬしが対戦に口を出すのは明らかなマナー違反じゃ。

 ――口出しするなよ」

「…………っ!」

 

 信じがたいことにマーブル・ゴーレムから放たれる(マイナス)のオーラはブラック・ロータスの苛烈なオーラを侵食して飲み込み、黒雪姫の口を塞いでしまった。いくら道理がライハにあるとはいえ、黒雪姫が押し込められたように見える光景にハルユキは驚愕を隠せない。

 黒雪姫は黙り込んでいるが、あれは納得したのではない。あまりにも感情が高ぶりすぎて逆に喉に詰まっているのだと、現実世界で同じことをよくやるハルユキにはわかった。

 

「では始めるか」

 

 ライハのその声にハルユキは慌てて前を向く。ライハといるとまるで普通の中学生のような反応を見せる黒雪姫のことはとても大事だが、今は対戦に集中するべきだ。

 

 地面に落とされたネジの先端が、硬い金属で構成されているはずの煉獄ステージの床にあっさりめり込む。とはいえさすがに成人男性の腕ほどの太さもあるネジが自由落下だけですべて埋まるはずもなく、円柱部分の三分の二以上を露出させているそれに対し、ガン、と音を立ててその上にマーブル・ゴーレムの小さな足が乗せられた。

 いかなる原理が働いているのか、甲高い音を立ててネジが回転を始め、その身を地面の中へと埋め込んでいく。

 

「『疑似大嘘憑き(ノットイコールオールフィクション)』――」

 

 マーブル・ゴーレムの技名宣言と共にその身体から迸るどろりとした白と黒の光は大きく広がり、まるで世界を覆い尽くさんばかりの濁流となった。

 否、この光は『まるで』ではなく、実際に世界を覆い尽くして侵食しようとしている。侵して溶かして捻じ曲げて、本来とは違う間違えた存在に変えてしまおうとしている。ハルユキは本能的にそう感じた。

 錆びた金属が擦れ削れる異音と共に、巨大なネジはみるみる生体金属めいた地面へとめり込んでいく。黒いスパークがまるで流血のように飛び散った。

 

 ハルユキは思わず腕で体をかばう。まるで弾き飛ばされような、あるいは逆に吸い込まれそうな、矛盾した巨大なエネルギーを感じたからだ。

 空で悶え狂っていた黒雲はいまやマーブル・ゴーレムの足の下で高速回転しているネジに吸い込まれるように動き、ハルユキたちの頭上でとぐろを巻いている。

 世界が胎動している。空から見た時にあれほど広大で雄大で無限に感じた加速世界が、たった一人のバーストリンカーの行動で断末魔の悲鳴を上げている。

 

 ――これが古参バーストリンカー、ハイランカーと呼ばれる人たちの実力なのか。純色の七王の制裁から生き延びた、加速世界最低の犯罪者と呼ばれたあの人の力の片鱗なのか!

 

 不思議と恐怖や嫌悪はなかった。世界を捻じ曲げる偉業にして異形をこの至近距離で見て、圧倒されたことは事実だ。これがたかが格闘ゲームのシステムの一環だなんて信じられない。もはや魔法やオカルトファンタジーの領域にさえ思える。

 なのに腰が引けることはなかった。むしろ来るべき時に備え、マーブル・ゴーレムの足の下でその身の九割がたを地面に埋めて高速回転するネジに注目し、足に力を込めて前傾姿勢を取る。

 ライハの行動がハルユキに直接危害を加える類のものではなかったというのもあるかもしれない。しかし、それ以上にハルユキはとっくの昔に決めていたのだ。

 

 並み居る強敵たちをすべて打ち倒し、レベル10までたどり着いてみせると。

 

 愛しい人の視線を背中に背負った今、騎士であるハルユキはその想いを忘れなかった。それゆえに彼の心は折れず、目の前で行われた圧倒的な過負荷(マイナス)は反転して余計なことを考える余裕を奪うという利点(プラス)として働いた。

 今の彼の中に、無様に負けて黒雪姫に失望される未来予想図はない。主君と相棒の足を引っ張る無様な領土戦争の過去の記憶もない。あるいは勝ちたいという、現在の欲求さえないかもしれない。

 速く。ただひたすら速く。

 姿勢から突っ込むのはバレているだろう。それでいい。カウウンターを合わせてくるかもしれない。それでいい。もっと速く。相手の追いつかない速度で、どこまでも。

 ハルユキの中はただそれだけに満たされていた。

 

「――この対戦の勝敗を、なかったことにした」

 

 その宣言と共に、地面に歯車型のヘッドまで喰いこませたネジがバキンと壊れ、粉微塵に散って消えた。

 その瞬間、致命的に世界が書き換わった気がして、何かの歯車がどこまでも食い違った気がして、何か聞き捨てならないことを聞いた気がして――そのすべてを置き去りにしてハルユキは駆け出していた。

 

「ぜあああああああ!」

 

 考えるのは後でいい。

 銀の閃光と化してシルバー・クロウは駆け抜ける。五メートルの距離など、スピード一極特化型のシルバー・クロウにとっては一足一刀の間合いでしかない。

 意識が超加速し、色の変わった視界の中で、ハルユキはマーブル・ゴーレムが迫りくるシルバー・クロウの顔をしっかり見つめ、へらりと笑ったのを認識した。その両腕は相手を迎え入れるかのように大きく横に広げられ、一見隙だらけに見える。

 罠だろうか? カウンター系のアビリティや必殺技?

 構うものか、いけ!

 ハルユキは右の拳を握りこむと、コンパクトなモーションで全身の加速を乗せ、マーブル・ゴーレムの顔面へ向けて振りぬいた。

 

 めちゃくちゃまともに入った。

 

 マーブル・ゴーレムの歪な矮躯は交通事故のように吹っ飛び、黒茨が巻き付いたフェンスをぶち抜いて屋上から消える。

 続いてどしゃん、ばき、ぐちゃ、などと下まで落下したらしい音がここまで聞こえてきた。

 

「…………えー」

 

 ハルユキとしてはそれしか言えない。人間は自分の思い通りに進みすぎても途方に暮れるのだと初めて知った。

 上を見ればまったく無傷な自分の体力ゲージと、さっきの一撃で一割ほど溜まった必殺技ゲージ。一方のマーブル・ゴーレムは先ほどの一連で体力は六割も体力ゲージが削れて黄色くに染まっており、必殺技ゲージは被ダメージで七割ほど溜まっている。

 理想的なまでに決まったクリティカルヒットに、高所からの落下ダメージを計算に入れてもかなり柔らかい。いちおう油断なく身構えながら、ハルユキは相手のカラーと属性を思い出していた。

 

 マーブル、つまり大理石。石である以上様々な色が存在するが、彼女の場合はかなり彩度の高い白系と、白と黒との混色である灰。

 白と黒は、遠隔、間接、近接のどれにも当てはまらない特色系統だと言われている。つまり、何が飛び出してくるのか受けてみるまで実質よくわからない。ハルユキの一番よく知る『特色の黒』であるブラック・ロータスはどう見ても純近接型だし、本当によくわからない。

 また、一部の鉱物や物体の名を冠したカラーは、メタルカラーと同じように名前の由来となったものの特性を持つ場合がある。

 大理石ってよく彫刻や建築に使われているけど、どんな特性を持っているんだろうとハルユキは首を傾げた。そもそも、鉱物の性質を持っているのなら少し柔らかすぎる気もする。

 結論、やっぱりよくわからない。なんだかライハさんらしいや、という感想だけが残った。相手の戦闘タイプを把握して戦術を立てようと思ったのに、あまりにもあんまりな結果だ。

 

 結果から言えば――

 シルバー・クロウはのん気に待ちかまえながら作戦なんて考えず、落下したマーブル・ゴーレムを追って追撃を加えるべきだったのだろう。

 

 しかしそれはあくまで結果論。神の視点を持つものが偉そうに指図するのに等しい冒涜であり、相手の情報を持たないハルユキが情報を整理して戦術を練ろうとするのも単純に間違いとは言い切れなかった。

 あるいは、クリティカルヒットの一撃を加えられたことでハルユキからペースを奪ったライハの手腕をここは褒めるべきだろうか。踏みにじられることによって相手を崩す過負荷(マイナス)十八番(おはこ)で、このとき確かにハルユキの頭からは黒雪姫から叩き込まれた戦いのいろはがきれいに消し飛んでいたのだから。

 すなわち『いちど戦場にダイブしたのなら、ひたすら戦闘あるのみ』の信念が。

 

 

 

 最初に知覚したのは聴覚だった。

 

「……猫の鳴き声?」

 

 ハルユキは首を傾げ、すぐさま神経を研ぎ澄ました。

 煉獄ステージに発生する動物型オブジェクトは不気味な造形の金属虫のみだ。猫などと言いう可愛げのあるものは存在しない。

 つまり、ライハの何らかのアクションだと予想できる。

 

 続いて変化があったのは視覚。

 十メートル以上離れている際に発生する水色のガイドカーソルがぐるぐると盛んに動き出したのだ。さらにマーブル・ゴーレムの必殺技ゲージがグッ、グッと一定量ずつ間隔を置いて減り始める。

 必殺技ゲージが減るごとに、どこか遠くでミャア、ミャア、ミャアと猫の鳴き声が聞こえた気がした。

 

 どうする。マーブル・ゴーレムがステージを駆け巡って何かやっているのは間違いない。ハルユキは決断を迫られた。

 ハルユキが飛行アビリティの恩恵でわずか三か月にしてレベル4まで到達できたように、相手の能力が十全に発揮されたらそこで勝負が決まってしまうことがブレイン・バーストには往々にしてある。このまま待ち続けるのは愚の骨頂だ。

 しかし、それこそが罠だったら? 相手がステージに罠を仕掛け、追撃しに来たハルユキを絡め獲ろうと虎視眈々と待ち構えていたら? 疑心暗鬼闇に足を踏み入れたハルユキはなかなか決断できない。

 一目でわかる圧倒的な体力ゲージの差が、残り時間が【700】の桁に入ったタイムカウンターが、ハルユキを無心の挑戦者ではなく、逃げきれば勝てるという逃亡者に変えつつあった。

 もちろん、意識しているわけではない。しかし無意識下であるからこそ有利による慢心を振り払うことができず、心の贅肉が速度を求めたシルバー・クロウの銀の装甲に纏わりつき動きを僅かに鈍らせる。

 

「やれやれ、黒雪姫は本当に何も儂のことを話しておらんようじゃのう」

 

 斜め右後ろから聞こえたその声に反射的にハルユキは振り向きそうになり、かろうじて堪えた。

 いまだに視界には水色のガイドカーソルが表示されている。つまりライハとは最低でも十メートル以上離れており、さらに今カーソルが指している方向はハルユキの左前方だ。

 つまりこの声はマーブル・ゴーレムのアビリティか必殺技。本当に彼女がそこにいるのなら声もかけずに不意打ちすればいいのだから、この場合は振り向けば罠にかかると考えるのが妥当だろう。

 

「儂のことを話せばそれがフラグとなって、儂とハル坊が戦うことになるとでも思っておったのかのう。まあ当たらずとも遠からずじゃが、そんなの遅いか速いかだけで、どちらであろうと同じ事じゃろうに」

 

 今度は斜め左後ろから声がかかる。罠と判断し視線は向けなかったとはいえ、警戒を強めていたハルユキは、その少し前に「よいしょ」というライハの掛け声とカツンという乾いた靴音を聞き取っていた。

 まるで外壁を伝って屋上までよじ登ってきたかのよう。しかし今のガイドカーソルが示す先は右前方である。

 

「儂ばかりがシルバー・クロウのことを把握しておっても面白くないし、戦闘の片手間にマーブル・ゴーレムのことを教えてやろう。

 こやつは典型的な、必殺技にポテンシャルをつぎ込んだピーキーなタイプのアバターじゃ。その代償としてアバター本体のステータスは軒並み最低値に近い」

「つまり、一番簡単で手っ取り早い攻略法は必殺技ゲージが溜まりきる前に距離を詰め、一気呵成に体力を削りきってしまうことじゃな」

 

 ハルユキは息をのんだ。今度は左右交互に声が聞こえたのだ。それも後方ではなく、前方で。

 目の前にはえっちらおっちら重たそうに頭を揺らして屋上まで登ってきたマーブル・ゴーレムが()()いる。対戦相手が視界に入った以上ガイドカーソルは消滅するはずだが、いまだに水色の小さな三角形は消えず、今度は真正面を示していた。

 

「そしてこれが儂の初期習得必殺技の一つ、『自己代用的幻影(オルタナティブ・ファントム)』じゃ。見ての通り、分身を生み出すスキルじゃな。いや、より正確には質量を持った幻影というべきか」

「効果は消費した必殺技ゲージに比例したステータスを持つ幻影(ファントム)を生み出すというものじゃ。最低値の一割消費なら本体の十パーセントのステータスが反映された幻影、最大の十割消費なら百パーセントの、儂と同等のステータスを持つ幻影が生まれる」

「まあ儂の場合、レベルアップボーナスをすべてこの必殺技を強化するアビリティ『群体蜃気楼(ミラージュカンパニー)』につぎ込んでおるので、初期必殺技そのものとは言い難いがの」

「ちなみに『群体蜃気楼(ミラージュカンパニー)』の効果は、一度に作成される人数と、最大作成人数の上限を増やすアビリティじゃ。消費される必殺技ゲージには変動無くのう。

 今まで一割で一体しか作成できなかったのが、同じコストで数体セットで作成できるようになる。まさにお得。第三段階まで鍛えた現状だと、なんと一度に十体も作成できるのじゃぞ」

 

 ハルユキを取り囲んだ四体のマーブル・ゴーレムは口々に説明し、それ以上動く様子を見せない。

 ハルユキの方からも動けなかった。メタルカラーの装甲の下にじっとりと汗が滲むのを幻覚する。まるでリアルのぽっちゃりした姿に戻ってしまった気分だ。致命的な間違いを犯してしまった気がする。

 ボン、とどこか遠くで爆発音がして、つい目を向けたハルユキの視界に白と灰の影が映る。遠方から放物線を描いてハルユキめがけて飛んでくるそれが目に映った瞬間、水色のガイドカーソルは消滅した。

 つまりは――

 

『つまり、こういうことじゃ』

 

 その幾重にも重なった言葉と同時に、屋上をぐるりと囲むフェンスのあちこちを乗り越えて、あるいは屋上の扉を開いてその中から、無数のマーブル・ゴーレムがわらわらと湧き出して一斉にシルバー・クロウに突撃してきた。

 

「うひょえー!?」

 

 滑稽さとグロテスクさを掛け合わせて分離に失敗したような光景に、ハルユキは自分でもわけのわからない悲鳴を上げて文字通り飛び上がった。

 考えての行動ではない。ショッキング過ぎる光景から逃げ出そうと肩甲骨に力を籠め、展開した翼で少しでもこの場から離れようとしたのだ。一割しかない自分の必殺技ゲージや、直前まで見えていたこちらに飛んでくる白と灰色の影は頭から消し飛んでいた。

 

「ごーれむきーっく」

「っ!」

 

 そのタイミングを見計らったかのように、否、事実計算してこの状況に追い込んだのであろう()()が、必殺技名ではなさそうな気の抜けた宣言を伴って、エフェクトのかけらもない超遠距離跳び蹴りをシルバー・クロウめがけて打ち下ろしてくる。

 飛行するものは何であれ、離陸時と着陸時が一番脆いというのは常識だ。シルバー・クロウの飛行アビリティもその例に漏れず、ここで攻撃を受けたらきっと撃ち落とされる。

 落ちるのか。あの場所に。

 いまや屋上はマーブル・ゴーレムで埋め尽くされており、琥珀色の単眼(モノアイ)がギラギラと輝くさまは昆虫の巣を覗き見たような生理的嫌悪をハルユキに与えた。――チユリボスに与えられた幼少期の数々のトラウマが蘇る。

 

「ぐ、うおおおおおお!」

「おろ?」

 

 跳び蹴りとはいえ実質は慣性任せの落下の一環でしかないマーブル・ゴーレムと、翼を持つシルバー・クロウ。空中における機動力の差は歴然だった。

 追い詰められたハルユキは火事場のバカ力を発揮し、右肩をかすめつつも紙一重でマーブル・ゴーレムの蹴りを躱す。目標を見失ったマーブル・ゴーレムはそのまま幻影の群れの中へと落ちていった。

 

「わー本体が落ちてきたー」

「死ぬ気で受け止めろー、じゃないと死ぬぞー」

 

 高所落下ダメージが適応されたマーブル・ゴーレムの体力ゲージが残り二割のレッドゾーンまで減り、一方のシルバー・クロウは先ほどグレイスした数ドットの減少のみである。

 避けた。

 その事実を確信して、一瞬だけハルユキの身体から力が抜けた。

 

「とすっ」

「あたーっく」

「ぶべらっ!?」

 

 そして死角から幻影を踏み台にしてハイジャンプしていた幻影に叩き落とされた。先ほどの一撃を避けるため、かなり無茶な姿勢になっていたのでひとたまりもない。

 

「とったどー!」

「落ちたぞー」

「人海戦術ー!」

「やったれー」

「タマとったる!」

「いてこましたれー」

 

 砂糖菓子に群がるアリの図が縮尺を変えて再現される。

 『自己代用的(オルタナティブ)』っていうだけあって、パッと見じゃ外見の区別が本体とつかないなー、とハルユキは現実逃避気味に考えた。

 

 べちべちぺしべちべちびしべちべち。

 

 哀れシルバー・クロウの体力ゲージは、アマゾン川でピラニアに襲われる水牛のごとくみるみる齧り削られていく――かと思いきや、覚悟したほどゲージの減りが速くない。

 メタルカラーは多くの耐性を持ち、硬質の体を生かした近接格闘の威力も高いが、打撃攻撃には弱い。マーブル・ゴーレムの攻撃はそのまさに拳や足を使った近距離打撃なのだから、一体一体のスペックが驚くほど低いのだろう。

 

 ――そういえば、必殺技にポテンシャルをつぎ込んでいるから全ステータスが最低値に近いって言ってたな……。

 

 屋上を埋め尽くすほどの幻影を生み出したのだ。一回の自己代用的幻影(オルタナティブ・ファントム)に使われた必殺技ゲージはおそらく最低に近く、ただでさえ低い攻撃力がさらに半減以下になっているのだと予想できる。

 ポテンシャルのほとんどを飛行アビリティにつぎ込んでいるため、打撃に弱いメタルカラーの中でも輪をかけて『打たれ弱い近接型』と言われるシルバー・クロウを袋叩きにして、五割強しか削れていないのがいい証拠だ。

 

 ――分身技って見かけは派手だけど、同レベル同ポテンシャルの原則の中ではかなり使いにくそうだなぁ。つまり分身を駆使してやっと互角ってことだもんな。

 

 シルバー・クロウも我ながらかなりピーキーなバランスだと思っていたが、それ以上に扱いにくそうなマーブル・ゴーレムのステ振りにハルユキはほんのり同情と共感を覚えた。

 しかし、それはそれ、これはこれ、である。そうであるならば話は早い。

 

「でりゃああああ!」

 

 ハルユキは丸めていた体を跳ね起こすと、銀の翼を大きくはためかせ、その推進力で回し蹴りを放った。

 「きゃー」「あーれー」と気の抜ける悲鳴を上げて周囲を取り囲んでいたマーブル・ゴーレムたちがまとめて吹き飛び、ポリゴンの破片となって消える。シルバー・クロウの周囲に奇妙な真空地帯がぽっかり空いた。

 ハルユキとてただ黙って袋叩きにされていたわけではない。必死に体を守りながら情報を集め、打開策を考えていたのだ。

 

 思った通り、幻影の多くはシルバー・クロウが力押しで何とか対処できるだけのパワーしか持ち合わせていなかった。それでも数十体をまとめて吹っ飛ばす威力の蹴りを瞬時に放てたのは飛行アビリティあってのことだろうが。

 それにしても一撃でここまで消し飛ぶのは予想外だ。今までは当たり前のように空を飛ぶために飛行アビリティを使っていたが、案外近接格闘の補助として使っても面白いかもしれない。そんな思いがぽたりと脳裏に落ちた。

 それはまるで推理ゲームで重要な手がかりを掴んだ時のようにハルユキの脳の奥を痺れさせたが、吟味する機会はまた今度になりそうだ。

 ハルユキは今度こそ上空に舞う。袋叩きと先ほどの回し蹴りで必殺技ゲージは七割を超えていた。これなら当分飛んでいられる。

 

「そう、それがオルタナティブ・ファントムの弱点その一じゃ。どれほど必殺技ゲージをつぎ込もうと、ダメージを喰らえば等しく消滅してしまう。

 向こうから攻撃してくる分には本物と変わらぬ痛みを感じるが、いざ覚悟を決めて立ち向かえばあっけなく消えてしまう、まさしく幻影じゃな」

 

 多くの仲間を喪ったことに対する痛痒を見せず、平然とマーブル・ゴーレムの一体が説明する。二割残った彼女の体力ゲージが変動していないところを見ると、本体は先ほどの回し蹴りに巻き込まれなかったらしい。

 いまひとつ冷静さを欠いている自覚があるとはいえ、こうやって空から見下ろしても本物と幻影の区別がまったくつかない。果たしていま喋っているのは本体か、幻影か。もしかすると見分ける方法があるのかもしれないが、今のハルユキに判別する方法は無さそうだった。

 だが、何一つわからなかったわけではない。

 

「では、弱点その二はどれだけ多くの幻影を生み出しても、一度に動かせる人数には限りがある、ということですか?」

「ほう、気づいておったのか」

「ええ」

 

 屋上への登場の仕方を考えると移動程度なら大人数相手でも可能なのかもしれないが、戦闘行為のような複雑な行動を行わせるのは一度に四、五人程度が限界と見た。

 

「囲まれた全員に攻撃されているにしては体力の減りが遅すぎましたから。シルバー・クロウの紙装甲具合は僕が一番よく知っています」

「哀愁漂うセリフじゃの。

 ま、その通りじゃ。ハル坊が見抜いた通り、この幻影はすべて儂が動かしておる。いちおうシステムのアシストが無いわけではないが、AIが搭載されていて命令さえ下せばあとは自動的に動いてくれるような親切設計ではない。

 ごく普通にイメージできる移動などの日常的な動作ならともかく、戦闘のように常に一手先を予想せねばならない動作は段違いのイメージ力が必要とされ、一度に動かせるのはせいぜい四体じゃな」

 

 ライハはあっさり自白した。

 確かに加速世界でその名を知られるシルバー・クロウと、悪名だけが独り歩きしてその実態が定かではないマーブル・ゴーレムではお互いが持つ情報量にはるか隔たりがあるが、アンフェアだという理由だけで自らの生命線をあっさり切るような説明の数々は正気の沙汰とは思えない。

 その正気の沙汰とは思えない行動を呼吸をするように取り続けるのがライハという人間(キャラクター)なのだが、それ以上にハルユキは対戦や交渉にかこつけたライハの裏の意図が見えてきた気がするため、あまり驚かなかった。

 

「つまり、幻影に喋らせていたのはフェイクだったんですね。一体一体に人格があるように見せかけて、相手に限界を悟られないようにするための」

「寸劇は儂の趣味じゃ」

「……さいですか」

 

 ハルユキはがっくりと器用に空中で肩を落とした。演じるまでもなく演じている、この性格まで染みついたトリックスターの気質が彼女の持ち味の一つなのだろう。合わない相手にはとことん嫌悪されるはずだ。しかしその一方で、好かれる相手にはかなり好かれると思うのだが……。

 脇道に逸れかけた思考を戦闘に集中させる。蹴散らして空に上がったシルバー・クロウは自らの本分を取り戻したとはいえ、屋上にはいまだに二十体以上の幻影がひしめき合っている。

 先ほどの手応え、いや足応えからすれば、普段のような上空からの一撃で五体はまとめて吹き飛ばせるだろう。無双ゲーの主人公になったような快感は今も足の芯に染みついている。

 しかし、突っ込んだところでその吹き飛ばす五体の中に本体がいなければ逆に反撃の機会を与えてしまう。必殺技ゲージのある限り翼の推進力に限界はないシルバー・クロウは、纏わりつかれたところで相手ごと上空に舞い戻ることができる。しかしあのライハがわざわざ手の届くところまで戻ってきた獲物をたたであっさり逃がしてくれるとは思えなかった。

 

「では次のステップへと進もうか」

 

 迷っているうちに主導権は再び相手に移ってしまった。それを悔やむ間もなく、マーブル・ゴーレムたちは行動に移る。

 

「がったーい!」

『わー!!』

 

 その光景を見た時のハルユキの心情は、果たしてどう表せばいいものやらハルユキ本人でも判別がつかなかった。

 あまりにもシュールすぎる。あまりにも滑稽すぎる。しかし、どこかで男の子としての本能が興奮していたのも確かだ。

 

 ありのまま目の前で起こったことを話すと、ザコゴーレムが合体してボスゴーレムになった。

 

 何を言っているかわかんないと思うが、見た本人でもわからない。頭がどうにかなりそうだった。必殺技とかアビリティとかそんなチャチなもんじゃ断じてない、もっと恐ろしい何かの片鱗を味わった気がする。

 

 まあ、実際は必殺技かアビリティのどちらかなのだろうが。

 

 号令をかけたマーブル・ゴーレム(推定本体)に周囲のマーブル・ゴーレム(推定幻影)が集まり、どろりとその輪郭を崩してぐにゃぐにゃ粘土細工のように捏ね繰り回されたかと思うと、一つのアバターとして再構成されたのだ。

 

 背丈は倍以上に伸び、つるりとして装飾の少なかったは装甲は、ゴツイ、分厚い、トゲトゲしてるの三拍子揃った甲冑めいたものにデザインを変えている。

 身体の厚みもかなり増し、感覚的には三倍以上に膨らんだように見える。しかも風船のように中身がスカスカではなく、鋼のような筋肉がみっちり詰まった暴力の塊であろうことがこの距離からも感じられた。

 単眼以外はのっぺらぼうだった頭部も、兜のような追加装甲と隊長機を彷彿させる一本ヅノが生じ、琥珀色のモノアイが迫力満点にビカッと光る。

 合体前と変わらないことといえば、カラーリングと相変わらずF型アバターらしからぬデザインというくらいだろうか。

 

「な、なんて…………うらやまカッコいいんだ」

 

 思わずハルユキはそうつぶやいていた。

 飛びたいという願いを形にしたシルバー・クロウのデザインは今となっては嫌いではないが、やはりミリタリー系男子としては油と鉄と煙臭いロボットにロマンを感じずにはいられない。

 勝手に仲間だと思っていたつるりとしたデザインのマーブル・ゴーレムの劇的ビフォー・アフターであることもその衝撃に拍車をかけた。

 

「けーろけろけろけろ! これが儂の唯一の初期習得アビリティ『自己淘汰的捕食(アイ・イート・ミー)』じゃ!

 見ての通り幻影を取り込み、ステータスを向上させる。一度使えばかなり長い冷却期間(クールタイム)を置かねば使用不可という、実質通常対戦では一回しか使えない切り札ではあるが、なかなか派手で(かぶ)いておろう? 効果は取り込む質と量で大きく変動するから、今回は見かけほど強化されてはおらんがな。

 自分が何でもできると考えるのは、いまだ何もしておらん者の特権。

 何かを得た新しい自分になろうと思えば、ありえたかもしれない無数の自分の幻影を喰らいつくして、狭めた一点に至らねばならぬということよ」

 

 ただ一人屋上にそびえ立ち、胸を張ってマーブル・ゴーレムは公然と言い放つ。エフェクトがかかっていてもそうとわかる少女の甘い声が、巨大で獰猛なシルエットから放たれるのは、はっきり言ってかなりの違和感があった。

 だが、それこそがライハらしいと思う。

 

 僕は何を選び、何を捨ててここにいるのだろう。ハルユキの脳裏にふとそんな思いがよぎった。

 三か月前、黒雪姫から送信された《BB2039.exe》というプログラムを実行したとき、それまでのハルユキはバラバラに壊されて再構成された。あれが今に至る最大の分岐点だったことは想像に難くない。

 あの選択のおかげで得たものは数えきれないほどある。加速世界、親友との絆、いまだに信じられないほど高貴で可憐な自分の恋人……。

 しかし、そのせいで失った未来もあるのかもしれない。そんな当然のことに、いまさら気づいてハルユキは愕然とした。

 

 視界上方のマーブル・ゴーレムの六割あった必殺技ゲージが一気に一割までグッと減り、ハルユキは対戦に引きもどされる。

 さっきのが無駄な思考とは思わないが、今は雑念で邪魔なだけだ。必要なものなら戦っているうちに自然と研ぎ澄まされていくだろう。いつかの対戦のように。

 

「『自己代用的幻影(オルタナティブ・ファントム)』」

 

 ライハの必殺技宣言と共に灰色の光が屋上の床に降り注ぐ。

 

 ホギャア、ホギャア、ホギャア、ホギャア――

 

 ハルユキは最初に自分が聞いた声が猫の鳴き声でなかったことを知った。

 産声だ。

 生物の肉体めいた金属の床を割り、中から無数の幻影が泣きながら這いずり出るのを見て、ハルユキはゴーレムがヘブライ語で『不定形なモノ』や『胎児』を表す言葉であったことを思い出す。

 グロテスクに育ちすぎた赤ん坊が金属めいた肉の床から産み出される光景は精神にくるものがあったが、今はそれ以上に注目すべき点がある。出現した幻影は皆つるりとした初期の姿ではなく、ボスキャラ化した強化版マーブル・ゴーレムと等しい外見をしていたのだ。

 もしも性能もボスキャラバージョンを基準としているのなら――その可能性は非常に高いが――先ほどのような十把一絡げに蹴散らすような無双はできないと考えるべきだろう。

 

 分身して、合体して強くなって、強くなった状態を基準にまた分身する。

 時間が経てば経つほど加速度的に厄介になるタイプである。

 そう考えてみれば、煉獄ステージはシルバー・クロウにとって相性の悪いチョイスだったが、あるいはそれ以上にマーブル・ゴーレムにとっては相性劣悪のステージだったのだ。

 生命線である必殺技ゲージ確保手段が、ほぼ敵バーストリンカー相手の与ダメージと被ダメージに限られてしまうのだから。すべてが鋼鉄で構成された魔都ステージほど硬いわけではないが、低スペックのゴーレムではステージ破壊ができないという点では変わりがない。

 むしろ、ドリルや炎熱などごく限られた手段でしか破壊できない魔都ステージと違い、大型の青系アバターなど、より広い相手にステージ破壊が許される適度な硬さの煉獄ステージの方が彼女にとっては始末が悪いかもしれない。

 

 一番無力で柔らかい、開始直前のマーブル・ゴーレムを仕留め切れなかった時点でシルバー・クロウは大きく不利になっていたと言えるのだが、裏を返せばそれでも勝負を決めにかからなかったライハの意図が透けて見える。

 百戦錬磨のライハにとって、必殺技ゲージを大量に溜めたまま放置されたあの序盤の時間は値千金の価値があったはずだ。あの時点で分身、融合、また分身のプロセスをたどっていれば、初見のハルユキでは対応できなかっただろし、対応させないだけの実力をライハは持っているだろう。

 

 ――つまり、ライハさんの目的は対戦の勝利なんかじゃなくて……。

 

 ハルユキは沸き立つ内心を抑えながら屋上に謎のポーズを決め横一列に整列したボスゴーレムたちを眺めていた。これは雑念ではない。相手の意図と目的を読むことは、最終的な勝利条件を満たすために必要不可欠な行いだ。

 ゴーレムたちは右端の三体と左端の三体が腕組みをしたまま微動だにせず、真ん中の本体を含めた五体が一糸乱れぬ動きで右手を空にいるシルバー・クロウへと伸ばし、人差し指と中指をくいっくいっと曲げ伸ばしする。

 古今東西、ありとあらゆるマンガやアニメやドラマで使われてきた挑発のしぐさだ。

 

『This way……』

 

 まったく同時に放たれた文句が妙にエコーして聞こえる。そこは英語の文法的に言えば『Come on』や『Come here』の方が正確なんじゃないかとハルユキは思ったが、無粋なツッコミはやめておいた。

 赤の王と対戦したときのような、心臓に火が入り血液が燃え上がる感覚。挑発を無視する理由などどこにもない。

 

 だって、バーストリンカーだから。

 

 ゴッと音を立てて翼から銀光が迸る。解き放たれた一本の白い矢のようにハルユキは飛翔した。

 

「はああああああっ!」

 

 雄叫びを上げてハルユキは加速する。目標は幻影の中心にいる本体ただ一人。姿かたちは同じでも、幻影の発生時点から空で見ていたハルユキが見間違える道理はない。

 重力に翼の推進力が加算され、瞬く間に近づいていくマーブル・ゴーレムたちの内、挑発した五体がどっしりと腰を下ろして右拳に力を込めるのが見えた。

 

『最初は、Rock……』

 

 動作は鏡写しのように同じでも、一体一体から感じ取れる圧縮された破壊力が、その幻影たちが戦闘行為が可能なレベルまで制御された特別製だとわかる。

 これがこの対戦最後の分岐点、勝敗の決定打になるだろうとハルユキはゲーマーの勘で悟った。

 正直ゾクゾクする。この一撃にすべてをかける勝負。FPSをたしなむハルユキにとってクレバーな作戦で相手の弱点を突くような戦い方は大好物だが、一人の男としての本能とでも言うべきか。刹那の見切りにすべてをかける緊張感にはロマンを感じずにはいられない。

 意外といえば意外なのが、それにライハが乗っかってきてくれた、否、むしろライハから仕掛けてきたことだろうか。てっきり彼女のイメージからするにこのような正攻法の決着は避けたがると思っていたのだが、詫び寂とロマンと遊び心を大切にする彼女のこと、まあやってもおかしくないという気もする。

 

 空中に白い軌跡を焼き付けて加速し続けるシルバー・クロウに対し、ここ一番の集中力を発揮したハルユキの体感速度はどんどん減速してゆく。どろりと停滞した空気の中で滑らかに体勢を入れ替え、左キックの姿勢に。奇しくもそれは、二日前の夜に赤の王と対戦したときの状況と酷似していた。

 加速世界の中でもう一段界自力で超加速したハルユキの感覚は、自分のピンと伸ばされ尖った足から一メートルと離れていないマーブル・ゴーレム本体の、武骨な追加装甲に包まれた顔の奥の単眼がニヤリと笑ったのを確認する。

 だから反応できた。視界の端、今まで微動だにしなかった一番左端の幻影が弾かれたように跳び上がり、シルバー・クロウに掴みかかってきたことに。

 

「ぐ、うう……!」

 

 体がバラバラになりそうな慣性の重圧を感じながら半回転し、何とか回避する。

 

『ああ、すまんすまん。一度に動かせるのは四体でのうて五体じゃった。うっかり数え間違えておったわ。儂、数学苦手じゃからのう』

『それは数学じゃなくて算数です。しかも教科書の上におはじき置いていく小学一年生レベルのやつ!』

 

 コンマ一秒が容易く結果を左右する超高速戦闘の最中である。普通に考えればのん気に会話をやり取りする余裕などないのだが、そのとき確かにハルユキはライハと話した気がする。

 

「って、うわあ!?」

 

 跳びかかってきた一体に気を取られた隙に、本体は明らかにパンチを放つ重心の低い体勢から筋力任せに体を捻り、意表を突く大きな回し蹴りを放ってきた。

 ハルユキは慌てて急ブレーキをかけ、身体を仰け反らせた。間一髪で回避が間に合い、耳元でボッと空気が爆発する。

 度重なる回避のせいで上空からの加速はだいぶ削減されてしまった。これでは強化されたマーブル・ゴーレムのゲージを削りきれる保証はない。しかし、蹴りを躱されたマーブル・ゴーレム本体も大きな隙を晒している。進むべきが引くべきか。ハルユキは決断を迫られた。

 

 ――これで決める気で来たんだろう? 迷うな、いけっ!

 

 停滞は思考の中で一瞬。肉体はほぼ間を置かず、大きく翼をはためかせる。回避時の動きを利用して、ドリルのように回転しながらハルユキは突っ込んだ。

 そして――

 

「『自己犠牲的弾頭(サクリファイス・ボム)』」

 

 マーブル・ゴーレムの必殺技ゲージがゼロになり、世界は白い無音に包まれた。

 右も左もわからない世界の中、ただライハの声だけが聞こえる。

 

「きっとハル坊なら突っ込んできてくれると思うておったよ。これが儂の最後の初期習得必殺技、『自己犠牲的弾頭(サクリファイス・ボム)』じゃ」

 

 そういえば、マーブル・ゴーレム本体が超ハイジャンプで屋上まで跳んできたとき、その直前に爆発音が聞こえたな、なんてハルユキは思い出す。

 あれはこれだったのか。

 幻影を利用したカタパルト+爆風の推進力があの動きを可能にしたのだろう。

 

「効果は見ての通り、自爆じゃ。威力は例によって数と質に比例する」

 

 自分を撃った銃声は聞こえないとどこかで聞いたことがあるが、自分を巻き込んだ爆発音もやはり聞こえないらしい。

 ハルユキが感じられたのは、白い闇の中で自分とマーブル・ゴーレムの体力ゲージが一気にゼロになる視覚情報。

 そして『YOU WIN!!』とも『YOU LOSS』とも『DRAWN』とも違う、初めて見る幕引きの表示だけだった。

 

 ――GOOD LOSER――

 

 




本当はすべて書き上げてから投稿しようと思っていたのですが……。
書いても書いても終わらず、前と同等の文量までいったのに脳内プロットではまだ半分という事実に絶望し、堪え切れずに今ある三分の二を分割投下することにしました。
大丈夫、きっと後半も書き上げられる……はず。

それにしてもあまり原作を増やしすぎると作者にも、そして読者にも負担が増えると頭では分かっているのですけどね……。
すみません。思いついたら実行せずにはいられませんでした(;´・ω・)

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