結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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分岐点/プロローグ

「本当の事を言ってよ、怖いなら怖いって私には言ってよ……友達だって言うなら……! 助けてって言ってよ!」

「……!」

 

 御役目だから仕方ないなんて嘘だよ。

 ずっとみんなと一緒にいたいよ。

 ……でも。

 

「ごめんね」

 

 私は、勇者だから。

 

 

 ───────────────────

 

 

 “そういえば、──の将来の夢ってなんなの?”

 

 目の前の少女は、混じり気のない興味だけを抱いて、アタシにそう尋ねてきている。

 

 将来の、夢。

 その言葉を聞いた瞬間、記憶が濁流となって溢れていく。

 

 五年前。猛暑が勢いを失った、初秋の夜。親に断りもなく、隣町の花火を見に行こうとした。

 人通りの少ない住宅街。まばらな街灯よりも、上空で弾ける花火のほうが、きっと明るかった。

 

 鎖のように重たかったそれまでの夏の空気が、既に絹のように軽くなっていて。でもそれは季節のおかげではなく、自分が幼い子供だったからでしかないのだと、後になって思い知る。

 

 ──あの日。アタシは殺人鬼に遭遇した。

 

 襲われていたのはアタシじゃない。今まさに命を刈り取らんとする光景を、たまたま目の当たりにしたのがアタシだった。

 そして、その場にいたのは、他に自分だけで。

 今すぐ何かしなければ、手遅れになると分かっていた。

 

 だから、アタシは身を乗り出した。

 恐怖が無かったわけじゃない。迷いが無かっただけ。それ自体が過ちだったのかは今でも分からない。

 ただ。またあの日に戻れるのだとしたら、同じことは出来ないと思う。出来るはずがない。

 

 それはアタシが捻じ曲がってしまったからじゃない。

 見ない振りをしてきた結果、大切なものを裏切ったからだ。

 

 後悔……してるんだ。もちろん、それを口に出すことすらも過ちだと分かっている。

 最低だ。今アタシは何もかもを蔑ろにしている。

 

 分かってる。分かってる。でも辛いんだ。間違いだったと言い切れないことも分かっている。でもアタシがそれを認めていいはずがないんだ。だって、だってそうだろ。

 

 ……ああ。そんなこと、今まで考えなかったんだ。

 蓋をしていたわけじゃない。

 ただ、忘れていただけ。

 そして、それがどれだけ残酷な行為なのか。

 アタシは、それに気付いて……耐えられなくなった。

 

 

 

 

「違う……!」

 

 気付けば、大声を出して立ち上がっていた。

 凍り付いた脊髄に促され、俯いた顔を上げる。彼女は怯えた表情のアタシを、ただ心配そうに見つめていた。

 

 瞬間、自分が何をしてしまったのか理解して、自らの精神を、存在を、認めることが出来なくなって。自殺衝動に、自己破壊欲に苛まれて、大脳新皮質が悲鳴を上げて、眼球がドロドロに溶けてしまったかのように視界の全てがぐらついて──

 

 

 

 

 いつからだったろう。

 アタシが、勇者になろうと思ったのは。

 

 ちょうど五年前、アタシに弟が出来た。

 恐らくアタシのそれまでが、それからに、その出来事によって、全く別のものに移り変わったのだろうと思う。

 両親はお互い共働きだった事もあって、次第に、というか、自然と弟の面倒を見るようになった。

 

 そりゃあ、色々と面倒なこともあった。なんでこんなことを自分が、と思ったことも、正直に言ってしまえば、全く無かったと言うことは出来ないけれど、それ以上に、世界にたった一人の自分の弟が、自分にとって何よりも大切で暖かくて、大きな存在になっていった。率直に言うと、アタシは弟が大好きだった。

 

 その三年後。そんな大切な存在が、もうひとり増えた。

 最初の弟の時は、自分自身が幼くて、自我すら曖昧だった事もあって、いざ大きくなってから病院で母に抱かれるそいつを見た時、叫び出しそうなほど胸が締め付けられて、自分でも驚いてしまえるほど、ぼろぼろ泣いてしまったことを覚えている。

 なんて可愛いのだろう。なんてか弱いのだろう。なんて小さいんだろう。なんて、なんて──

 

 ──だから、守らなくちゃ、と思った。

 例え何かを犠牲にしてでも、アタシが絶対に守り抜いてやるんだって。

 

「いい、銀。弟ってのはね、親以上に年上の子供を見て育つの。だからね、銀は、鉄男や金太郎のお手本。銀が今みたいにいい子でいてくれれば、きっと二人もいい子になってくれる」

「うん。アタシ、かっこいい姉ちゃんになるよ」

 

 いつまでも泣いてちゃいけない、と思って、アタシは袖でゴシゴシ拭いてから、母の優しい瞳に、力強く頷いた。

 

 

 鉄男の姉となったその時から、金太郎が産まれてからはより一層。アタシは、誰彼構わず、目につく度に困っている人に手を差し伸べ、人助けをするようになった。

 

 弟のお手本になる。その一念で今も続けている訳だけど、まあ要するに、弟にもそうあって欲しいと願ったからだ。

 

 家事の手伝いも、これまで以上に率先して取り組むようにした。サボりたくなることもしばしばあったけれど、弟の視線はいつどんな時でも感じていたから、アタシのそんな習慣は、いつしか日常になっていった。

 

 

「ん、何見てんの、鉄男」

「勇者仮面」

 

 日曜日の朝に毎週放送していた特撮もの。タイトルは「勇者仮面」。仮面を被った勇者が、蔓延る悪を退治していき、ちょくちょく人質にされるヒロインを救い出す……とまあ、大体そんなパターンのシナリオを繰り返している子供向け番組。

 そうか、我が弟もこういうのを見るようになったかと、なんだか感慨深く感じていた。

 

「姉ちゃんとどっちが好き?」

「ん〜……ちょっとだけ姉ちゃん」

「な……」

 

 ちょっとだけ、だと。

 アタシは黒縁の中の液晶でポーズを決める勇者の仮面を思わずぶち割りたくなった。このまま視聴回数を重ねていけば、姉と勇者仮面の好感度の差はゼロになり、やがて追い抜かされてしまう。それだけはいけない。そんなことがあってはならない。

 爆発するジェラシー、湧き上がる焦燥。

 思わず、

 

「勇敢なる勇者の勇気が、悪を滅ぼす!」

 

 突然立ち上がって、ビシッとポーズを決めた。

 

「姉ちゃん……かっこいい」

「はは、だろ。アタシも勇者だから。どんな悪いやつが来ても、アタシが鉄男と金太郎を守るぞ!」

「……おれも勇者になれる?」

「なれる! だってアタシの弟だからー!」

 

 そう言って、弟を抱きしめる。

 

 そう、そうだった。

 アタシが勇者になろうと思ったのは、弟の憧れになりたかったからだった。

 まあ、そんなことどうでもいい。動機がどうあれ、たったひとつの真実が、全てを無意味にしてしまうのだから。

 

 

 

 アタシが勇者になんてなろうと思っちゃいけなかった。

 アタシが勇者になんてなろうとしちゃいけなかった。

 

 

 

 だってアタシは人殺し。

 三ノ輪銀というエゴイストが、一人の人生を終わらせた。

 自分にとって大切な人が誰かに殺されたとして。そいつが清廉潔白な存在を目指そうとしていたのなら、アタシはそれを容認できるだろうか。

 

 もし、殺されたのが自分の弟だったら。それだけでも許せないのに、あろうことかその非道極まりない罪を背負いながら、私は清く正しい存在、弱きを助ける正義のヒーロー、羨望を集める光の象徴であると喚き出したなら──

 

 ああ、ああ、それはアタシなんだ。それこそがアタシなんだ。そんなやつに生きてる価値はない。生かしておく意味もない。

 

 だから、アタシは勇者になろうと思うのはやめた。

 罪を犯したなら、するべきことはただ一つ。

 

 贖罪。

 

 一生を持って、この矮小で愚かな自分が背負うことになった十字架を、大きすぎる罪を、贖い続けよう。

 

 三ノ輪銀は罪人である。

 これまでも。これからも。

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