結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
乃木屋敷での宿泊の翌日、須美と園子の様子がおかしく、怪訝に思う銀。彼女はその後、須美の頼みにより、歴史の授業中にいくつかの質問を教師安芸に投げかける。須美は授業後にも直接質問を投げかけるが、疑問は残ったままだった。その後、何やら伝えたいことがあるらしい須美は、銀に対し、自分の家への訪問を約束させた。


第十話 綻び

 夕日の差す放課後の教室。少女は自席に腰掛けながら、葛藤に縛られている。

 

 彼女の三ノ輪銀との交友関係は、乃木若葉という両者の間で共有する一つの深淵なくしては有り得ないものだった。しかし、その縁を断ち切らなければならないとすれば。繋がりは、楔は保たれるのだろうか。

 

 “乃木さんは、神様って、いると思う?”

 

 ああ、そっちだったのか、と思った。黒髪の少女と鎬を削った後、大社本館の応接室で、それを聞いた時のこと。まるで偉大な幻想を奉らんとするかの如く、大山に広がる和の都、大社本部こと敬聖霊地神連宮(けいせいれいちしんれんぐう)。幼い頃から、その様式になんの疑問も抱くことは無かったけれど。思い返せば、ああ、そうだったのかと、腑に落ちざるを得なかった。

 

 大社の成り立ち、乃木若葉とは何者か、これからの自分の役目──待ち焦がれた何もかもは、きっと、信じられないくらい重たくなっていくのだろう。でも、それはそれで文句は無かった。今までが恵まれすぎていたのだということは、誰よりも自分が分かっている。

 

 でも、今はそんなことより、知りたい。

 自分が、彼女達と一緒にいられるか。何も語らない自分を、受け入れてくれるのか。乃木園子にとっては、それが全てなのだから。

 

「……アルルン、遅いな」

 

 焼けた空は、尚も彼女を黙って熱する。校庭ではしゃぐ低学年たちを一人で見下ろす、そんな自分に気付いて、嫌になって目を背けた。

 

「……あ」

 

 静かに開かれた扉。そこに立つは、園子の最も古い幼馴染、上里ひかげ。一瞬だけ驚いた顔をして、彼女は不機嫌そうに目を逸らした。

 

 彼女と共有した記憶は、既に随分と古めいて、陽炎みたいになってしまっている。けれど、きっと彼女も覚えているはず。大社のどこか、広い和室で、共に遊んだ仄かな一瞬を。

 

 それきりだった、あまり接点も無く、大社でお互いをたまに見かけるくらいしか無くなってしまった。ようやく同じクラスになれた今でも、どう接すればいいか分からない。それでも、生まれながらに大社の人間である者同士、分かり合えるのではないか。

 

「……ひーちゃん、私、昨日ね。安芸先生から、聞いたの。大社のこと、この国のこと、私が、しなくちゃいけないこと」

 

 一番後ろの右端の席、園子と丁度真向かいの席で、頬ずえをついて、そっぽを向くひかげ。彼女は黙ったまま。

 

「……ひーちゃんは、知ってたの?」

「……」

 

 彼女は頬ずえを解いて、まっさらな黒板を見る。

 

「ずっと前からね」

 

 抑揚のない声が返ってくる。どこか震えたような、抑え込んだ声だった。

 

「そっか……大変、だったよね」

 

 まるで溜息をつくように、応えた。

 

 ──最初に上里ひかげを見た時。ただただ、可愛らしい少女だなあと思ったのを覚えている。

 

 垂れ下がった目尻、細く透き通った黒髪。穏やかで、優しくて、柔和な女の子。雰囲気も立ち居振る舞いも、どこかシンパシーを感じて、打ち解けるのに時間は要らなかった。

 

 そんな彼女が、女番長と呼ばれるほど、強く鋭い存在になったのは、ずっと大荷物を背負ってきたからなのだろう。

 あの時と何も変わらない自分は、きっと。

 

「……あなたは、いいよね」

「え?」

 

 立ち上がるなり吐き捨てるように呟いて、ひかげは教室を出ていってしまった。

 でも、否が応でも理解してしまった。

 

 乃木若葉という存在、自分だけの世界のルーツを、知って欲しい、考えて欲しい、そんな悩みがちっぽけになるほど、上里ひかげは苦しんできただろう。

 

 閉鎖的な情報、開示できないタブー、説明し難い複雑な全てが己の欠片となった時、人は孤独という病魔を宿す。ひかげのそれを癒せるのは、同年代で生い立ちの似通った園子しかいない。それなのに、自分は。

 

 だから、ひかげは園子を拒絶した。受け入れなかった。何一つ背負わずして、全てを与えられたやつなんか、誰が共感できると言うのか。

 

「……私って、ひどいな」

 

 知らずと、目の前が湿って歪んだ。握り締めた拳に、温い水滴が溶けていく。

 空気が乾くまで、執事は扉を背に、窓に映る少女を見守り続けた。

 

 

 *

 

 

「しばらく一緒に帰れない……か」

「うん、ごめんね。大社の人厳しくて」

 

 落胆する銀。申し訳なさそうに園子は返す。

 

「え、今日だけって、朝、そのっちの家で……」

 

 須美に至っては、もはや世界の終わりのような顔をしている。園子は須美の頭を撫でて、ごめんね、と呟いた。

 

 

「それで、須美の家に行って何するんだっけ」

 

 放課後、教室で待機している園子に別れを告げてから、廊下で話し込む二人。

 

「何するとも言ってないわよ。話すだけ」

「話すってな!?」

 

 須美の顔ばかり見ていたせいだろう、目の前から近付いてくる他生徒に気付かなかった銀は、物の見事に激突、尻を強打した。

 

「ご、ごめん!? 余所見してた!」

「……!」

 

 尻もちをついたまま顔を上げて謝罪する銀。それに対し銀や須美よりやや背の高い、銀とぶつかった白髪の少女は、ふるふると首を振って、その後ペコペコ頭を下げると、逃げるように……というか、逃げていった。

 

「銀、大丈夫?」

「へーきへーき……あいつ、怪我してないかな……」

 

 振り返ってみても、もうあの白髪はない。何か急ぎの用事でもあったのだろう。

 

 

 *

 

 

 帰路につく二人。須美と園子とは少し離れた場所に実家を持つ銀は、登校も下校も、もう少し学校に近い地点で別れている。なんだか新鮮な感じがするのは、そのためだろうか。

 

「……」

「ど、どした」

「……あ!」

 

 じっと銀を見つめていた須美が、突如として声を上げる。怪訝な銀に対し、彼女の側頭部を指さした。

 

「なんじゃい……」

「もう、髪飾りよ、違和感の原因はそれだわ」

 

 そう、そうだった。三ノ輪銀は、いつも花の形をした髪飾りをしていた。今に限ってそれは外れてしまっている。

 

「え?」

 

 ばばっ、と右手で頭部をこする。

 

「あちゃー……落としたなこりゃ」

「学校、戻る?」

 

 銀は顔の前で手を振りつつ、

 

「いいよ、明日探すから」

「そう……あ、この家よ」

「はーっ、こりゃまた立派だなぁ」

 

 須美の家は、そこらの家々とは一線を画す、見事な洋館だ。庭は広く、優雅な風が庭の木々から吹き込んでくる。

 

「あっ、あっ、須美様、それ、お友達?」

「うん、そう」

「わっ、わっ、こんにちは」

 

 井戸の方から箒を持って顔を覗かせたメイドが、破顔して二人の方へと駆け寄り、握手を求めてくる。

 

「あっ、どうもどうも」

 

 長い握手だった。須美様と仲良くしてくれてありがとうだとか、須美様とこれからも仲良くしてねだとか、そんなことを延々延々──

 

 

「愛されてるな……須美」

 

 やっとこさ須美の部屋に辿り着いた銀は、そう言って苦笑する。庭のメイドは序の口で、屋敷の中に入ってからも他のメイドたちに揉まれるわ揉まれるわ。

 

「ごめん、今度からやめてもらうから……」

 

 両手で顔を隠しているが、お湯が炊けるほど真っ赤になっているのが指の隙間から見て取れる。これはもはや気の毒になってくるほどだ。銀はそれを見て笑いながら、メイドが淹れてくれた紅茶を少しだけすする。

 

「そういえば、須美んちって……」

 

 紅茶をちゃぶ台に置いて、須美の目を見る。

 

「なに?」

「あ、いや、ほら、その……ご両親とか」

「あぁ……覚えてたのね」

「忘れないよ、こんなこと」

 

 二人の馴れ初め、それは放課後の図書室の一角での出来事だった。緊張と弛緩の果てに、須美は己の過去を吐露した。自分の本当の親はもういないこと、園子が唯一の友達であること。彼女への感謝と罪悪感、自分自身に対するやるせなさ。銀が全てを受け入れたからこそ、二人は今こうして傍にいる。

 

「両親はね、共働きだから。平日は夕方まで帰ってこないの」

「そっか、なるほどね」

 

 頷いて、辺りを見回す。一見普通の部屋だが、本棚には歴史書がびっしり詰め込まれている。

 

「なんか、変?」

「いや、須美って歴史マニアなのかなって」

 

 それを聞いて、クスリと笑う。

 

「家の両親はね、どっちも大社に勤めているの。死んでしまった母親もそうだった。それでね、今の母も前の母も、どっちも歴史の研究や資料を扱うところにいたらしくて。母が亡くなったことを知った時、私を引き取ろうと言ってくれたのは、今の母と同僚同士だったからなんだって」

 

 紅茶に映る自分の顔と、立ち上る湯気を見つめながら、須美は語り続ける。

 

「二人とも、歴史が大好きだった。前の母は、私を連れ回して、お城とか、博物館とか、よく巡ったりした。今の母も、私が頼めば、色んなことを教えてくれる。分からない歴史も多くて、特に神世紀初期の歴史なんて、不自然なほどなんにも分からなくて──」

 

 銀は黙って聞き続けた。正直、歯止めが効かなかった。どこからかは、もう何を言ってるのかさっぱり。でも、そんな彼女の顔は、見たことないくらい楽しそうだったから、止めるなんて無粋なこと、しようとも思わなかった。

 

「それで、私も、将来は二人みたいに大社の歴史編纂局で……あ、ごめんなさい、長々と話しちゃって。本題を忘れるとこ──」

 

 須美が姿勢を直したところで、ガサっ、という音がした。拾い上げたそれは、大社の印を押印された、重要そうな茶封筒。

 

「それは?」

「ああ……これね。昨日、お母さんから渡された、改名の申し込み書類」

「え、名前変えんの?」

 

 少し目を逸らして、須美は笑って言う。

 

「私の本当の名前……というより、前の名前は、違うから。鷲尾でも、須美でも無いの。須美、って名前は、候補のうちから私が選んだ名前なんだけどね」

 

 鷲尾須美は、養子である。

 幼い頃に親に先立たれ、子供の恵まれない夫婦に引き取られた。名前を変え、第二の家庭のもとで育まれた。

 でも、養子って、苗字はともかく、下の名前まで変えるものなのだろうか。

 

「下の名前まで変えたのは、須美がそうしたかったから?」

「……ううん、その方が安全だから。私の親を殺した犯人が、私のことを狙っているかもしれないからって」

「ころ……」

 

 殺した? ころ、された? 

 

「え、須美の親って、事故か病気かなんかじゃ……」

「え、あ、そっか、死んだとしか、言ってなかったね」

 

 ごめん、と呟く須美。いや、違う、なんで須美が謝る? 悪いのは、犯人で、いや、そんな話でもなくて。なんだ、この感じ。なんだ、頭が、ぐるぐるして、おかしいな。なんか、冷水かなんか浴びせられたみたいな、あれ、なんだこれ、汗かな、汗が止まらない。冷たいな、からだの、いたるところが──

 

「須美の、本当の名前って」

「──東郷(とうごう)美森(みもり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “といっても、変えるつもりなんてないんだけどね。お母さん、気遣い屋さんだから”

 

 

 

 

 “そうだ、さっきの続きだけど、銀の将来の夢ってなんなの? 聞いてみたい”

 

 

 

 ──アタシの、夢? 

 

 アタシの、夢は──

 

 

「違う……!」

 

 アタシは、大声を出して立ち上がっていた。

 凍り付いた脊髄に促され、俯いた顔を上げる。彼女は怯えた表情のアタシを、ただ心配そうに見つめていた。

 

 瞬間、自分が何をしてしまったのか理解して、自らの精神を、存在を、認めることが出来なくなって。自殺衝動に、自己破壊欲に苛まれて、大脳新皮質が悲鳴を上げて、眼球がドロドロに溶けてしまったかのように視界の全てがぐらついて──

 

 

 

 

 いつからだったろう。私が、勇者になろうと思ったのは。

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