結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
須美の家を訪れた銀。そこで、鷲尾須美という名は、養子に入った後に付けたもので、元々は「東郷美森」であったことが判明。その事実を受け、銀は──


第十一話 転換

 この世界には、支配者がいる。

 

 親という存在、大人と呼ばれる人々、自分を見下ろす大きいもの全て。それらが、この世界にとってどれだけか弱く、ちっぽけであるのか、幼い自分たちには、そんな当たり前のこともかつては理解できなかった。

 

 だから、この広大な世界を治める者たちでさえ到底及ばぬ、“真の強者”がこの世界に存在することを知ったオレは、考えるまでもなくその背中を追った。

 

 人は、ひどく脆弱で、だからこそ手を取り合い、文明、社会という城を築き、自然界の脅威を克服するに至った。しかし、蓋を開ければそれは、数多の死という石垣と、犠牲という柱によって、辛うじて成り立っている欠陥建築に過ぎなかった。

 

 人と人とが協力して、力を合わせて、そうやってこの世界が成り立っているのは事実だ。しかし、元々この世界は強弱という概念なくして語ることはできない。そんな世界から生まれた人も、人が作り出した社会も、結局は自然界の根本的な掟の内にあるただの複製。強者が弱者を喰らう、単純明快なシステムの上に成り立っている。

 

 なればこそ、人は強者に焦がれ、強者を目指し、より安息に近い城の最上階を目指す。時に蹴落とし、同胞の骨を砕いた漆喰を外壁に塗りたくっては、我こそは我こそはと確実なる生に求愛する。

 

 だから、人たるオレは、弱い私は、強者に従い、強者を疑うことはなく、ただただ、絶対なる力の庇護のもとに。

 それだけが、正義で……この目に届く光なんだから。

 

 

 *

 

 

 11月21日

 

 

 鷲尾須美:銀、どうしたの? 既読 16:42

 

 鷲尾須美:ごめんなさい、私、何かしちゃったかな、本当にごめんなさい、もうしないから 既読 17:17

 

 三ノ輪銀:須美は悪くない 17:17

 

 三ノ輪銀:ごめん 17:20

 

 三ノ輪銀:何も言えない 17:22

 

 鷲尾須美:学校、来るよね 既読 17:31

 

 鷲尾須美:明日、ちゃんと話そう? 17:31

 

 鷲尾須美:そのっちと、待ってる 17:35

 

 

「学校……」

 

 呟く。

 

 正直、合わせる顔が無い。それに、登校して、自分がどういう状態になってしまうのか、見当もつかなかった。

 

 怖い。ただ、怖い。

 

 どんな態度をとったとしても、フィードバックは必ず己の精神を深く抉るだろう。それが、考えるまでもなく分かってしまうのは、あるいは、救いなのかもしれない。

 

「……金太郎」

 

 すやすやと眠る弟を見つめる。それは三ノ輪銀に残された、最後の命綱。

 

 自己を修復不可能なまでに切り裂いてしまわぬよう、最後に縋るものが守るべき弟だと言うのが、なんとも情けない話だった。

 

「……うぐっ」

 

 堰を切るように嗚咽と共に溢れ出す涙は、傷口を塞ぐ血小板になってくれるのだろうか。例えそうだとしても、深すぎる傷は跡を残す。埋めても埋めても、傷は傷のまま。ふとした時にぱっくり開いて、また魂のジュースを垂れ流していく。

 

 結局、焼け石に水なのだ。

 本来、三ノ輪銀の中には、弟と罪の二文字しかない。そんな当たり前を忘れていた。どちらかを否定することは、すなわち、その存在の消滅を意味する。

 

 傷を治せば、主は死ぬ。傷と共に生きることが、彼女に許された唯一の道であるならば、この涙も、痛みも、決して避けては通れない。

 

「弟の前で……泣くもんか」

 

 ゴシゴシ袖で拭いきって、頬を叩く。

 

「姉が、ズルなんか、するもんか」

 

 銀は立ち上がって、洗濯物を取り込みに行く。けれど、須美のメッセージに対して、既読を付けることは無かった。

 

 

 *

 

 

「鷲尾さん、おは……」

「……」

 

 まるで何も聞こえていないかのように、クラスメートの挨拶を意に介さず、無言で通り過ぎていく。俯いた顔は前髪に隠れ、表情は伺い知れない。

 

「鷲尾さん、どうしたの? 最近は挨拶返してくれてたのに」

「あはは……まあ、うん、そっとしておいてあげて~」

 

 後続の園子も、なんだか歯切れが悪い。そそくさと自席につき、恐る恐る隣の須美の顔を覗き見る。

 ランドセルを抱き抱えながら、うつ伏せになっている。隙間から見える閉じられた瞼は、今日も朱く腫れているようだ。

 

 

 今から、数週間前のこと。

 

 自席についたまま、悶々と壁に貼り付けられた秒針、空席、そして閉じられた扉を見つめる。園子は具合でも悪かったのだろうと彼女を慰めたが、その不安は膨らんでいくばかり。もしかして、本当に来ないのか──

 

 始業のチャイムが鳴る。教師の入室とともに目を伏せたところで、静かに後ろの引き戸が開いた。

 

 須美は安堵し、園子は頷いた。学活を終え、いつものように合流を図る。しかし、銀はこちらに一瞥も与えず、音もなく教室を後にした。

 

 トイレにでも行ったのだろうと園子は言う。須美は頷きつつも、その心の臓には深い切れ込みが生まれた。

 

 大丈夫、きっといつもの調子で、笑いかけてくれる。大丈夫、心配ない、大丈夫、大丈夫。自身の内から湧いてくる暗いなにかから必死に目を背けて、風にさらわれそうなほど軽く薄い希望を握りしめる。

 

 一時間目の終わり、彼女は教室から消えた。

 二時間目の終わり、彼女は教室から消えた。

 休み時間、彼女は教室から消えた。

 三時間目、四時間目、五時間目、須らく彼女は人目を避けた。

 

「銀!」

 

 放課後、たったひとりで廊下を渡る銀の背中を、二人で追った。呼びかけに応じて歩みは止まったが、決してこちらの顔を見ようとはしない。

 

「銀、どうして私たちを避けるの、どうして何も言ってくれないの」

「ミノさん、言わないとわかんないよ、わたしたち、仲良し、でしょ」

 

 銀は少しだけ息を吸い、

 

 “ごめん、もう、一緒にいられない”

 

 そう言ったきり、ただの一度も振り返ることはなく、完全に二人を遮断した。

 拒絶の波は次第に広がり、義務的な事柄以外、彼女は誰一人としてプライベートな関係を持たなくなった。

 

 

 ──そう、あれから、数週間。

 三人で園子の家に泊まった翌日から、園子は放課後、大社に通うために二人と下校することができなくなった。その報告をした後、須美は銀を自宅に招き、自分の以前の名前を明かす。そして、須美が銀に対し将来の夢を訊ねたところで、銀は須美の家を飛び出していったそうだ。

 

 正直、どうしてこうなったのか、園子には見当もつかなかった。

 

 須美がもし万が一何か失言をするなりして銀を傷つけたとしても、それは学校内全ての縁を断ち切る理由になるのだろうか。そもそも、須美がそんなことをするとは到底考えられないし、そこまで他人を傷つけるような生徒はこのクラスには一人もいないだろう。

 

「……」

 

 視線を、右斜め前方の空席へと飛ばす。どうして彼女は頻繁に遅刻をするのか、そんなことは、もうとっくに知っている。目につく全ての困りごとを、我が身を顧みず共有してしまうその性も。あの空席は、彼女が人並外れたお人好しであり、それが不変のものである裏付けに他ならない。

 

「ねえわっしー、ミノさん、今日もがんばってるみたいだね」

「……」

 

 須美は無言で頷く。言われなくても分かっている、といった調子で。

 

 三ノ輪銀という人間の根本は、きっと変わっていない。だれかが困っていれば手を差し伸べるし、助けを求められれば必ず応える。ノートや文房具を貸し、当番でもないのに掃除を請け負い、怪我人を真っ先に介抱し──ありとあらゆる面倒ごとを引き受ける。しかし、今の銀はただの便利屋に成り下がっている。すべての人と対等に接し、他人を受け入れることを厭わず、太陽のように「勇気を与える」かつての銀の姿は、もはやどこにもありはしなかった。

 

 厄介なのは、そんな機械のような己の在り方を、むしろ望んでいるように見えること。過剰な介入を許さず、度を越えた深入りを拒み、ただ、都合の良い道具として使われ、望まれることをのみ欲する、そんな風に彼女は歪んでしまった。

 

 度を超えた彼女の優しさは枷でもあるものの、好意というカタチで彼女を支える恩恵を与える力でもあった。なのに銀はそのリターンを自ら廃し、一方的な善行にのみ執心する。まるで、そうでなくてはならないという、確たる信念に基づいているかの如く。

 

「ミノさんは、天国に行きたいのかな……将来の夢は天国に行くことで、わっしーに言われてそれを思い出したのかもね……なんて」

 

 どう考えても、この冗談は空砲だった。

 

 

「やっぱり、このままじゃダメだと思う」

 

 三時間目、体育の時間の少し前、制服と体操服とを着替えながら園子は須美にそう呼びかける。

 

「やっぱりさ、諦めちゃダメだと思うんだよね、うん。次の時間はマット運動で、柔軟があるからさ、ペアになって、もう一回話してみよ」

「でも……銀、きっとまた“ごめん”しか言ってくれない……」

「まあまあ、ダメだったらその時はその時。とにかくアタックだよ、アタック」

「……はぁ」

 

 ジャージを羽織りつつ、ため息をこぼす須美。今の頑なな銀を動かすイメージは湧かないが、だからといってこちらから距離をとってしまっては何も始まらない。園子は須美の肩をぽんぽんと叩く。

 

 *

 

 

「わっしー、大丈夫? 真っ青だよ」

「そ、そうかな。平気だよ。あ、ノート机の上に出したままだったかも」

 

 ラジオ体操をしながら、須美を気遣う園子。やれやれ大丈夫だろうか。いざ誘おうと決め込んだはいいものの、かなりハードルの高い計らいである。九割九分断られることは分かっているし、万が一ペアを組めても大した話も引き出せないだろうし、そんなダメ元の突撃は、須美には荷が重すぎるのかもしれない。

 

「やっぱり、私と組もうか?」

「ううん、やる。銀と話すことを恐れたくない」

「わっしー……」

 

 思わず涙ぐむ園子。彼女を信じよう、背中を押そう。もしだめでも、この子はきっと折れたりしない。もう前までの須美ではないのだ。

 

「応援してる、わっしー、ゴーだよ」

「うん」

 

 体育教師が両手をメガホンにして、二人一組で柔軟に入るようにと指示を出した。

 

「わっしー、行けそう?」

「う、うん、任せて……」

 

 弱々しく胸を叩き、どこか覇気のない笑顔を見せ、前方の銀のほうへと足を向ける。……向けたはいいのだが、ちょっと動きが遅めではないだろうか。

 

「わっしー、早くしないとミノさんペア作っちゃうよ」

 

 そう急かすも、足取りは鈍重なまま。園子の声もどうやら届いていないらしく、まるで墓から這い出た落ち武者か、あるいは深夜帰りの酔いどれの如く上体は不安定に揺らぐ。視線は向こうの三ノ輪銀を見据えているのか、あるいは何も見えていないのか。

 

「わっしー──」

 

 思わず呼び止めたその声を掻き消すように、鷲尾須美は突然、音もなく崩れ落ちた。それに気づいたのは、この場にたったふたりだけ。目いっぱい外気に晒された眼球には驚愕が反射し、瞳孔はきつく絞られていた。同じ顔をしていた。それでも、時が止まった世界から抜け出したのは、片方だけだった。

 

「先生、わっ……鷲尾さんが具合悪そうなので保健室連れていきます!」

 

 返答も待たず、親友を抱えて体育館を飛び出した。目は見開いたまま、濁った鏡には暗雲しか映っていない。四肢はだらんと垂れ下がり、人というよりも大きな人形のようだった。こんなこと、今まで一度もなかったのに。最悪が脳裏によぎる。原因を考える余裕もなく、ショートした回路を備えたまま、ただただ保健室を目指すという一念だけを全身に染み渡らせる。

 

 わっしー、わっしー、わっしー──

 

「あ……」

「わっしー!?」

 

 腕の中で、不思議そうに顔を出した小さな感嘆詞。

 結果としては、彼女はあっさり目を覚ました。

 保健室にて園子は先ほどの様子を説明する。しかし困り顔で瞬きを繰り返す須美を一瞥し、首を傾げた養護教諭は、病院の紹介状を書くからと、とりあえず寝かせておくことにしたらしい。

 

 

「本当に大丈夫?」

 

 ベッドに姿勢よく寝ている須美の横で、そう問いかける。

 

「平気。あ、そのっち、もしよかったら机の上にあるノート、持ってきてくれないかな」

「う、うん」

 

 園子がよっぽど不思議そうな顔をしていたのだろう、須美は苦笑して続ける。

 

「最近、変な夢を見るの。なにか、隕石のようなものが、空から降ってくる夢を」

「隕石……?」

 

 

 ──その下にはね、ぽつんと花が咲いているの。そんな夢を、最近、毎日。最初は靄がかかってて、なんだかよくわからなかったんだけどね、見るたびに、なんだかはっきり見えるようになってきて……さっきやっと、何の花か分かったの──

 

 須美の言葉を胸の中で反芻しながら、六年一組の教室へと向かう。机の上に置いてあるというノートには、そのイメージが須美自身の手によって描かれているらしい。おなじ夢を見続けるというのは、非常に稀有な体験であるはず。園子としても、その夢の形を確認したい。

 

 教室の扉を開く。

 

「あれ……?」

 

 須美の席のすぐそばで、食い入るようにノートを眺める少女が一人。目の覚めるようなショートの白髪、背丈は園子とほとんど変わらず、どこか気弱そうな。しかし、あんな子は、一組にはいなかったはず。

 

 ふと顔を上げた彼女と、流れるように視線が衝突する。

 

「……」

 

 ノートを置き、園子とは真逆の位置にある前方の扉にスタスタと進んでは、何も言わず彼女は退室した。

 

 はっとして、須美の座席に駆け寄る。

 まさか、どろぼー……!? 

 

 慌てて確認に入る。ランドセルに開かれた形跡はない。財布も無事だ。じゃあ、彼女はいったい何のために? 

 

 怪訝な顔をする園子の目に、ふと無造作に開かれたノートが映る。さっき彼女が見ていたのは、これだ。

 

「赤い隕石……二つある……花は……薄紫……」

 

 彼女は一体、何をここから読み取ったのだろう──? 

 

 

 *

 

 

 数週間前。

 

「今、平気?」

「ああ、またなにか?」

「鷲尾須美さん、そして三ノ輪銀さんのこと、ご存知よね」

「無論だ。しかし、二人が第二、第四プロジェクトの被選定者候補だったと聞かされたときは心底驚いたよ。もしかして、二人も現行の訓練に組み込むことになったのか?」

「いえ、その話は今のところ何も。三ノ輪さんの概念器は使い物にならないし、鷲尾さんには荷が重すぎるしね。今は他の適正者を探してるところ」

「じゃあ、一体何の要件なんだ?」

「……鷲尾さんが三ノ輪さんと一緒に尋ねてきたわ。『乃木大国公社のシステムには、AI以外の何かがあるのでは』ってね」

「聡明な彼女のことだ、そのくらい聞いてくることもあるだろう」

「その通りね。でもあの子、昨日乃木邸に泊まったんじゃなかったかしら」

「馬鹿な。あの結界を通れるのは乃木の血筋か、それこそ人間なら噂の救世主くらいなもんだろう。……まあ何かの手違いで入れたとしても、夢だとでも思ってすぐに忘れるさ、きっと」

「……」

 

 安芸は無言で通話を切った。

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