結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
銀の家に到着するも、泣き続ける赤ん坊の声に異変を感じ、須美は無断で中に立ち入る。そこで、白髪の少女と、意識を失った銀の母を発見した。その後病院にてスマホで筆談をする白髪と須美の二人。しかし、突如様子を急変させた白髪は、須美を昏倒させ……


第十四話 帳が下りる(第一章最終話)

 夜、九時。美森くらいの年齢の子は、眠気に耐えられなくなる時間帯。美森は作り置きしてあった夕飯を食べ終え、その食器を洗ってから、ラップの上に乗っていた紙切れを見つめる。

 

『いつも遅くてごめんね』

 

 母親の字。無論それは母ではない。しかし彼女の存在を確かにする物ではあった。例え間接的なものであったとしても、少しでも感じていられるのなら、と、美森はそれを、小さな箱の中にそっと入れる。その箱を大層大事そうに抱えながら、母親の寝室へと足を運ぶ。そこでは、己を愛する者の匂いがした。少女はベッドに乗り、毛布で身を包みながら、呟く。

 

「はやくかえってこないかな」

 

 静かな部屋に響く。微かな独り言が、虚しく空間を彷徨っている。壁の秒針が、淡々と時を刻み続けている。

 

 少女は身をよじり、耳をふさぎ、きつくきつく瞼を閉ざす。

 

 己自身の呼吸音だけがその世界の唯一の生命で、例え寝室を出たとしても、そこで待ってくれている人がいないということは、嫌というほどわかっている。だから、この底知れぬ孤独も、得体の知れない恐怖も、己を苛む暗闇も、ただ、耐え続けるしかなくて。

 

 ──くるしい、くるしいよ──

 

 心の中の母に縋りつく。いつもいつも、母が隣にいるのは目覚めたとき。傍らの体熱を感じ、呼吸を聞き、心臓の音を確かめる。そうしないと、なんだか、不安でしょうがなくて。

 

 わたしだけじゃだめで、おかあさんもそばにいて、そうしないと、こわいよ、こわいよ。

 

 枕が冷たくなっていく。泣いたって、誰も聞いてくれやしない。でも、止まらない。啜り泣きは嗚咽に代わり、寂しさの湖沼は枯れぬまま。美森はうずくまって、小さな体を一人ぼっちで守り続けるしかなかった。

 

 

「──あ」

 

 瞼が開く。脳が覚醒し、感覚が背を伸ばす。真っ暗で何も見えやしない、ここは一体どこなのか。

 寒い。首筋を夜風が擦る。

 おかしい、立てない。腕が固まっている。なんでだろう、あれ……? 

 

「こんばんは、はじめまして鷲尾須美さん」

 

 聞き覚えのない少女の声。響くや否や、一気に視界が閃光に染まる。

 

 “英霊之碑”

 

 そう刻まれた石碑の前で、黒髪の少女が立っていた。

 

「ここは大社内で殉職した者の為に作られた国営墓地……そんな肩書になっているお偉いさん専用の霊廟よ」

 

 両手を広げ、少女はこちらに語り掛けてくる。ここはどこなのか、そんな質問を見越していたかのように。

 

 見覚えのある場所だった。なによりここには、須美の母が眠っている。

 

「あなたにここに来てもらったのはね、大事な大事なオファーをさせてほしかったからなの」

「お……オファー……?」

 

 呆気にとられる須美。今になって気づいた。両手両足が縛られている。ここに来るまでの記憶もまるでない。ということは、つまり。

 

「そう、あなたは神に選ばれた運命の少女。世界に定められた真なる巫女。至上の声を聴く資格を持った特別な存在なの」

 

 

 *

 

 

「母ちゃん……?」

 

 三階の病室、扉を開けたアタシは、点滴と母の顔を見るや否や、小走りで傍に寄る。

 

「あら、銀、先生まで、わざわざ送ってくださったんですか」

「私にできるのはこれくらいですから。学校の方には欠席扱いにならないように掛け合っておきますので、ごゆっくりどうぞ」

 

 一礼して、安芸先生は病室を出る。母ちゃんは扉が閉じるまで長々と頭を下げ、改めてアタシに笑いかける。

 

「ごめんね、心配かけて」

「無理もないよ。金太郎を産んでから一年しか経ってないんだから。貧血って聞いたし」

 

 母の手を握る。よかった、思ったより元気そうだ。

 

「見ての通り、ほんとに大したことないの。だから金太郎を連れて先に戻っていて。お父さんもすぐに来てくれるから」

「でも……」

「もう、銀ったら、貧血で倒れてそんな心配されたら恥ずかしいじゃない。銀は自分と弟のことだけ考えなさい」

 

 そう言うと、母ちゃんはアタシを優しく撫でた。顔が火照る。こんな風に撫でられたの、多分もうずっと前になるだろう。なんだかむずむずして仕方ない。

 

「わ……わかったよ、子分どもはお任せあれ」

 

 頭上の腕を払いのけて、むすっと宣言。

 

「あ、その前に、これ。白い髪の子が届けてくれたの」

「あ、ああ、探してたんだ。お礼言っとく」

 

 髪飾りを受け取る。それからじゃあね、と手を振って、アタシは病室を後にした。

 金太郎はナースステーションに預けられていると聞いている。その前に、父親に連絡を。髪飾りを付けてから、携帯を開く。

 

「……」

 

 メッセージが届いている。差出人は、鷲尾須美。

 

 倒れて、早退した須美。心配だし、話したい。でも、あの時結局自分は動かなかったし、なによりどの面下げてなにを語ればいい? 

 

 迷う。分からない。何が正解なのか。いや、でも、確認するだけなら、いい、よな。

 

 指が震える。葛藤がうるさい。しかし、もう見ると決めたんだから……。

 

『鷲尾須美 さんの携帯の位置情報が遮断されました。 最終履歴:四国第三病院』

 

「はっ……?」

 

 そういえば、位置情報を共有するアプリを随分前に入れた気がする。確か、乃木邸で迷子になった翌日、散々叱られながら、インストールしたような。位置情報が遮断されたってことは、設定を変えたか、アプリをアンインストールしたか、電源が切れたのか。それに、最終履歴は銀が今いるここ。母が倒れたことにいち早く気付いて、わざわざ見舞いに来たとでもいうのか。

 

「須美……」

 

 アタシには、お前にそこまでしてもらえる資格なんてないのに。廊下に立ち尽くし、俯き、そして……また、顔を上げた。

 

 正直に話そう。自分が何をしてしまったのか。それで、もうきっぱり終わりにしよう。あいつにとっては、きっとその方がいい。

 

「あれ、もう一通来てる」

 

 開く。こっちはいつも使っていたSNSだ。

 

「鷲尾須美 危険 大社墓地 誘拐」

「……!?」

 

 なんだこれ、なんだこれ。

 はっ? 

 えっ、なんだ、つまりどういうことだ?

 どう考えても、これは須美が自分で入力したものではない。誰かが須美の携帯を持っていて、それで……

 

 ダメだ、迷ってちゃダメだ。これが送られたのは三十分前。行かないとダメなんだ。アタシが、すぐに! 

 

 駆け出す。連れて帰らないと。お前までいなくなっちまったら、アタシが生きてる意味がないっ──! 

 

 

 *

 

 

「あなたは神に選ばれた運命の少女。この世界で唯一にして真なる巫女。至上の声を聴く資格を持った特別な存在なの」

 

 劇団員のような大袈裟なパフォーマンス。悦に入った様子で、こちらに手を伸ばしてくる。

 

「……な、何を言ってるのか……わかりません。家に……帰りたいです」

 

 呼吸が乱れる。魔の気配が充満し始めた。

 

 誘拐されたんだ、私。

 

 全身に力が入らない。体の奥から氷水が精製され、激しい震えとともに頭痛がせり上がる。汗が頬を伝い、視界が歪みゆく。

 

「自己紹介がまだだったわね。私はアマツミカ。日輪宗の教祖、一番偉い人よ」

 

 日輪宗、あの時、アルフレッドに忠告された、神樹を象った得体の知れない宗教組織。

 

 ──流血殺人や行方不明など暗い噂が表面化しています……近づかない方がよろしいかと──

 

 本当だった。あの警告は。今の自分自身の状況が、何より明確な証明。

 

 ああ、それじゃあ、私、これから……?

 

 心臓が焦燥を報せ、小刻みな呼吸が生を渇望する。思考が巡り、安全を願う末に脳がスパークした。

 

「ひっ……はぁっ……ひっ……」

「あら、何を怖がっているの? 私はあなたを迎えに来たの。日輪宗の偉大なる巫女として、私を支えて貰うためにね」

 

 黒髪がこちらに近づいてくる。身をよじり、後退を試み、制服が地に擦れる。人差し指で顎を持ち上げられ、涙が滑り落ちた。

 

 赤と焦げ茶のオッドアイ、黒く長い髪、傷だらけの外套。

 

 違う、この女は、アマツなんて名前じゃない。

 

「なーんてね。いらないよあんたなんか」

 

 弾けた。脳内でありったけの火薬が化学反応を起こす。蛆虫がひしめくパイナップルの外皮が散らばって、全身を食いちぎり、助けを求めて両手を伸ばすと、そこには湿った謎の壁。叩く、叩く。お願い出して。差し込む光は細く、細く。

 花が開いて、また閉じて。

 

 “ねんねん ころりよ おころりよ”

 

 間際に響く、母の優しい子守歌。それが閉じれば、聞くこと能わず。独り静かな己が心の、深い深い奥底の、光届かぬ奥底の、誰も侍りぬその影で、幼き者は、帳を下す。

 

「おやすみ、親指姫」

 

 

 *

 

 

 病院を出る。凍てつくような寒さ。知らぬ間に雪が強く降り始めていた。道路に立ち、方角を確認。四国第三病院から大社墓地まで約五キロ弱。走ってちゃ時間がかかりすぎだ。かといって、父親やアルフレッド、先生の車で迎えに来てもらうにしても、その時間が勿体ない。何かないか、何か──! 

 

「あれだっ!」

 

 銀はすぐ傍の紅のEV車両に全速で走り、その屋根によじ登る。エンジンがかかり、振動と夜風でポニーテールがたなびく。縁に掌を引っ掛けると、それは走り始め、加速していく。

 

 大社墓地のすぐ傍には、西暦から続く郵便局がある。この車に乗っていくのが、思いつく限り最速の手段……! 

 

「間に合えっ、間に合えっ……!」

 

 

 *

 

 

 暗い車道、物憂げに夜の市内を見つめる。窓の縁に、雪の粉が身を寄せ合っている。目的地は大社本部、訓練はここの所ほぼ毎日で休みなし。しかし、文句なんて言えようもない。自分より、ずっと大変な思いをしている人が、すぐ傍にいたと知ってしまったからには。それでも……やっぱり、少しだけ憂鬱で。

 

「アルルン、あのさ、おんなじ夢を続けて見たことって、ある?」

「……ありませんな。それがなにか?」

「いや、さ。わっしーがさ、見るんだって。今日なんかあの子、体育の途中で気失っちゃってさ。そしたらその間、夢がはっきり見えたんだって」

「……須美様は、どんな夢を?」

「え? ああ、うん。確か、隕石がどうとか……」

 

 突然、車が停止する。

 

「あれ、どしたの?」

「園子様、須美様に連絡していただけますか。今すぐに」

「えっ? う、うん」

 

 こちらに振り返る執事。目つきがいつもと違う。動揺を隠せぬまま、園子は携帯を開き、コールする。

 

「……出ないね。お風呂かな」

 

 翻り、執事も携帯を取り出す。

 

「……もしもし。緊急だ。巫女が見つかった。名は鷲尾須美。早急に保護出来るよう手配を」

「えっ……?」

「園子様。本日の訓練は中止です。これから須美様のお家へ向かいます」

「え、あ、ええ?」

 

 エンジン再点火。悲鳴のような摩擦とともに凶器の如きUターン。適正速度もお構いなしに、四国の夜道をリムジンが駆ける。

 

 

 *

 

 

「みえたっ!」

 

 大社墓地、普段は点灯されていないライトが必要以上に展開されている。躊躇うことなく、車の屋根を離れ、歩道の脇の草のクッションに横向きに突っ込む。勢いは直ぐには死なず、勢い余って小さな体が土に転がる。

 

「あぐっ……」

 

 背中を強打し、痛みに喘ぐ。それでも、あそこにたどり着けるのなら、どれだけ傷付いたって構うものか。アタシなんかどうなったっていい。ただ、須美だけは、あの子だけは──! 

 

「はあっ、はあっ、須美っ、須美っ!」

 

 立ち上がり、走り出す。さっき切ったのか、額から鮮血が垂れる。瞼を舐め、制服を染める。思ったより傷は深く、足跡のように地に垂れていく。しかし銀自身はそれに気付かぬまま、大社墓地へと乗り込んでいく。

 

「須美!?」

 

 階段を駆け下りる。視界の先には巨大な黒い菊、そしてボロボロの外套に身を包んだ黒髪の女。

 

「あら、何しに来たの? こんな時間にこんなところに。肝試しかしら」

「っ……お前は!」

 

 対峙する。紛れもない。あの日あの場所で、須美の母を手にかけた殺人鬼。記憶の波が脳内を飲み込み、大型スクリーンにフラッシュバックする。

 

「っ……す、須美をどこへやった!?」

「あら、お友達の姿も分からないの? 可哀そうに」

 

 くつくつと笑う。紅い視線の先にあるのは、蠢く巨大な一輪の花。まさか、須美がこの中にいるとでも言うのか。

 黒髪を睨みつけ、それに触れて叫ぶ。

 

「おい須美! いるのか、そこに!?」

 

 返事はない。叩いても殴っても、何の反応も返っては来ず。

 

「それはね、死した人間たちの恨みの塊。この世に生れ落ち、後に自身の誕生を嘆き、そして世界を憎んだ……そういった悪霊が具現化したものよ。鷲尾須美はその在り様に引き付けられて、自身の闇を肥大化させながら魂を淀ませていく。どんな人間も自分という存在を容認できず、精神と魂の楔を自ら引き裂いてしまう……そういった呪いよ」

 

 花から手を放し、振り向いて黒髪を睨む。怒りで瞳孔が絞られ、アタシの中の、怨念に呑まれた悪鬼のようなものが震え始める。

 

「この呪いを解きたいんなら、私を殺してみなさい」

「……!!!」

 

 食い縛るあまり、奥歯が欠けた。もはや一抹の迷いもなく、目の前の悪魔だけを映す。

 

 アタシは勇者なんかじゃない。罪人なんて肩書さえも生温いクズかもしれない……それで……だから……自分が死なせてしまった命、と……それを繋ぐ、唯一の生き残り、を、ここで……また、アタシのせいで、二人も、そんな、ことが、あって、いい、はずが──

 

ころす

 

 何かが切り替わった。違う。なにかに引き寄せられた。自分の中にあるもの。その膨らみが黒と混ざって。ああ。それがなんだ。やらなきゃ。あいつを。許さない。武器なんかない。あるのは、この細腕と両足だけ。だからなんだ。構うものか。選択肢が視界から吹き飛ぶ。脳内に黒いカーテンが覆いかぶさっていく。それでもいい。どうだっていい。走れ。速く。今。ああ。殺す。コロしてやる。殺す、殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すころ──

 

「ふふ。貴方素質あるわよ。悪霊の」

「……!」

 

 黒髪が、指鉄砲をこちらに向けて口角を吊り上げた。直後、怒りで燃え上がっていたはずの背筋が瞬きを待たず凍りつき、両足も氷漬けになった。視線を落とすと、いつの間にか胸に黒い花が突き刺さっている。

 

「なるほどね。あの時の勇者ちゃんか。へーえ、あの人鷲尾須美の母親だったんだ。確かにあなたが来なければ、あのおばあさんサクッと殺して帰ってただろうね」

「や……やめ……」

 

 脳内のシアターに、複数の記憶が映写される。その記憶に結び付く喜びも、悲しみも、滅茶滅茶に切り替えられていく。もはや自分が誰で、何がしたくて、何のためにここに来たのかも分からず、どんどん精神のカタチが人のそれから離れていく。

 

 

「あのおばあさん私のこと知ってたんだもん。まあ結局貴方たちのせいで大社にバレちゃったけどね……それで? 貴方は他の友達を蔑ろにしてまで、鷲尾須美と接し続けた。それを貴方は、鷲尾須美に、人を惹きつける魅力があるからだと思っているみたいだけど……はは、全然違うわね。鷲尾須美が精神的に脆弱で、ヒーローとしての貴方が必要とされていたから……つまりね。助けが必要な弱虫なら、誰だって良かったのよ。貴方は正義の味方になりたいという欲求を捨てきれていないの。それが貴方の全てなの。それなのに、貴方はそれを認めようとしない。我儘で自分勝手で、極端な思考回路と行動原理しかない醜い生き物、それが貴方なのに、貴方はいつまでもその事実に対して目を逸らし続けている。自分は罪人だ、勇者じゃない、贖罪のみを許された最低のクズだって……そうすることが正しいことなんだって、本気で思い込んで……ふふ。そんな貴方の下らない自己愛と憐憫に塗れた事情に、振り回されたのは一体誰でしょうね? ね、鷲尾須美さん」

 

 開花する。黒い花弁は煙を上げ、大気中に霧散する。そこにいたのは、虚ろに翳る瞳を閉じずに、ぼうっと口を開けたままの、人を象った抜け殻だった。

 ──タイヤが擦れる音が聞こえる。

 

「……もうバレたか。ま、仕事は終わり。お暇させてもらうわね」

 

 ライトが一斉に消灯し、ようやく夜が訪れる。決して明くることのない、長い長い闇夜が──




第一章 歪曲の果て 終幕
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