結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
何やら俯きがちの少女乃木若葉は、修学旅行先の出雲大社にて、剣の化石を手に入れた。その後、突如上空の竜巻から現れた「黒い化物」から逃れる為、彼女はバスのハンドルを握る。


第十六話 出雲発つ

「ちっ」

 

 三枝はもう助からない。とにかくこれ以上の犠牲を出す前に、一刻も早くこの周辺から離れなければならない。瞬きほどの迷いさえもふるい落とそうと、アクセルに全体重を乗せ、最大加速を狙う。がたがた震える車体。悲鳴を気にも留めず、出口から国道431号に滑り込んだ。広々とした車道は起伏が少なく、バスは徐々に速度を増していく。境内を囲うように並び生えている植木に沿って、しっかりと前方に注視しながらハンドルを切る。どうやら怪物が現れたのはつい先ほどのようで、進行方向には黒い影はなかった。

 

 バックミラーを注視する。問題は後ろから家屋をなぎ倒しながら猛追する、三枝を食った個体である。奴はまだ食い足らぬとばかりにこの動くパントリーを標的に定め、真っすぐにこちらに向かってきているのだ。だが、バスの速度が上がるにつれ、化物との距離はやや離れていっているようにも見える。このまま逃げ切れるかもしれない。

 

 やがてバスは南北に広がる出雲大社、その南端の鳥居を横切った。

 

「撒いたか……!?」

「若葉ちゃん!」

 

 ひなたが叫び、その視線の先に飛び込む黒い影。

 

「くっ!」

 

 思いっきりハンドルを右に切り、その衝突を免れるも、その慣性を軽減するまでにまた数回車体が左右に振れ、バス内に響く悲鳴が鼓膜をつんざく。化物は勢いそのまま鳥居を破壊し、衝撃を殺した後、再びこちらに再接近しはじめた。

 

「若葉ちゃん、あの化物私たちを狙っていませんか!? 道路を通らず、建物をなぎ倒しながら最短ルートでバスに追いついたとしか!」

「ああ、明らかに知能がある。バスの中に多くの人間がいることが分かっているんだ」

 

 先ほどの蛇行でスピードが落ちた。このままでは十分な加速がなされる前に化物に追いつかれてしまうだろう。そこまでわかっているのなら、なんとか別のアプローチを考えなければならないが──

 

「ひなた。交代だ」

「え? わ、私が運転を!?」

「ああ」

 

 言いながら、右横に貼られたガラスを、座席に置いておいた錆びた刀の鞘で粉砕する。外気が顔の皮膚を振るわせ、風の音がバス内に入り込んだ。

 

「何をする気ですか!?」

「迎え撃つ」

 

 若葉は力ずくで開いた窓のフレームを掴み、宙返りをするようにバスの上に飛び乗った。ひなたは慌てて運転席に座り、すぐさまアクセルを踏みなおす。この先の道が直進であったのは幸いだった。

 

「なんて馬鹿な事を! 若葉ちゃん、戻ってきてください!」

 

 しかし、法定速度を大きく超えて進行するバスの上には猛烈な風が吹いていて、とても内部からの声は若葉の耳に届かない。今や交代によるロスで、黒い化物は最後尾座席の窓にほとんど張り付いている。

 

 若葉は強烈な追い風に背を向け、飛ばされぬように低姿勢のまま、一歩一歩バスの中央あたりをめざして進む。

 

 若葉はさきほど、化物はバスの中に多くの人間がいるからこそ、こちらを狙ってきているのだと言った。であるならば、たとえバスの上部に躍り出て挑発をしたとしても、メインターゲットはバスそのもののままのはず。デコイとしての機能は発揮されない。

 

 ではなぜこんな愚行に出たのか。とても説明がつかない、全く根拠の無い思い込み。しかし若葉は感じていたのだ。

 

 バスの後部から浮遊し、顔を覗かせた黒い貌無き貌。

 この化物には、確かな“殺意”があると──

 

「私のクラスメートを喰ったな。彼女は成績優秀でな。テストの時期になると、よく私に頑張ろう、と声をかけてくれたんだ。いいやつだった。ああ、確かに私は彼女を切り捨てようとした。だが」

 

 ブレザーを脱ぎ捨てる。はためいて化物をかすめていった。そのまま刀を腰に据え、闘気を練り上げる。懐かしい、この感覚。ずっとこれを求めていた。得物と一体化し、全身が鋭い鋼と成るような。そしてそのまま、精神の切っ先を迫りくる“魔”に向ける。それは己の弱さであり、人の悪意であり、この世の不条理であり。

 

 そして今は、このふざけた化物である。

 

「だからこそ、お前は私が下さなければならない」

 

 瞬間、化物は一気に加速し、その本当の大きさが分かった。

 

 ああ、こいつは、「人間を丸のみにできる丁度いいサイズ」なんだと、そう思った。

 

 衝突。

 

 刃は抜けなかった。当然だ。ここまで錆びつくしているのなら。例え刀身を使ったとしても、質量が落ちて威力が半減するだけだろう。

 

 これは刀ではない。鉄でできた棒だ。だが、それ以上の武器なんてない。

 

「ぐ──ぅあ」

 

 伸ばした腕は化物に押され、徐々に関節が曲がっていく。腕・鞘と顔の間には数ミリ程度の空間しかなく、あまりの重さに車体上部に足がめり込む。若葉には追い風が吹いていて、バスは移動し続けている。それなのに、バスと同方向に浮遊したまま進んでいるこの化物が、どうしてここまで若葉を圧倒できるのか。いくら向こうの体重が重かったとしても、バスとのスピード差を考えて、こんな芸当ができるなんてのは異常だ。

 

 そう、つまり──この化物は、世界の理に、背いている。

 

 ギシィィッ、と嫌な音が鼓膜を揺さぶる。強風に煽られてなお届くこの怪音は、若葉の足元からのもの。若葉の両足の骨組織は全く無傷のまま圧力に抗っているが、そのフィードバックにいよいよ耐えかねたのは。

 

「く──そぉぉおっ!」

 

 ガカッ、と奇妙な音が鳴り、若葉の片足が天井を突き破る。化物は標的の体幹を奪い、のしかかり、押し潰さんとさらに圧力を高め──

 

「「「きゃああああああああああああ!!!」」」」

 

 それは今までで最大の悲鳴だった。

 

 大穴が空き、若葉はバス内部に叩きつけられる。丁度座席と座席の隙間、通り道に押し込まれた形になり、それでも背中の痛みに耐え、刀を両手で支えたまま歯を食いしばる。化物の牙のような組織と擦れあい、火花が散った。

 

 マウントポジションを取られてしまったが、今はバスの地面がある。肘を接地し、背筋と腕の力でなんとか押し戻そうと試みる。

 

「ぅ……ぁぁあ……!」

 

 そこは阿鼻叫喚、走行音も息遣いも、何もかもが慄く旋律により掻き消されていく。周囲の誰もが、己が未来に、脳神経に刻まれた学友の肉塊を視る。拒む本能が叫びさえ枯らし、現実と認識が繋がっては途切れて。

 

 それでも、乃木若葉はただひとつの純粋な闘志だけを凝視し、握り続けた。その甲斐あってか、やがて力の均衡が少しずつ反転する。彼女の曲がり切った腕は徐々に引き延ばされ、上体は角度を変えていく。とうとう膝立ちの体勢まで立て直し、化物を抑え込み始めた。

 

 だが──空いた穴から見えていたはずの薄暗い暗雲を上書きするように、そこに真っ黒な絶望が貌を覗かせる。

 

「な──」

 

 視界が一瞬で漂白され、意識が文字通り吹き飛ばされた。反射的に開かれた瞼の先には、ぐちゃぐちゃに破られて肉が露出した己の掌と、おそらく額から流れ落ちる深紅の液体が、古びた刀を染めている光景が映っている。今の一瞬でバスの最前列まで吹き飛ばされ、後頭部を激しく打ち付けたらしい。

 

 いけない。そう、すぐに意識を取り戻したところで、何かに急かされるように頭を上げる。

 

 ──顔がない。

 

 座席に座っているクラスメートたちの、首から上が、消えている。

 

 窓には紅いペンキが塗りたくられて、外の景色なんて見えやしない。喧しかった悲鳴が嘘のように、駆動音と入り込む強風だけが、この小さな箱に流れている。

 

 いや、違った。明らかに妙な異音がひとつ。これは、そう。

 人の肉が千切れる音。人の骨が砕かれる音。さっき聞いたから、分かる。

 

「──」

 

 運転席に座る親友の表情は凍り付いていた。今にも失神してしまいそうなほど血が通っていない。なにかうわごとのように口を開閉しているが、まるで声になっていなかった。

 

 に げ て

 

 彼女はそう若葉に伝えている。蛇口の壊れた水道のように涙をとめどなくこぼしながら、しかし瞬きをすることはなく、瞳孔は死後硬直をしている者のように開かれている。

 

「くっ──ああああああああああああああああああ!!!」

 

 燃え、弾けた。

 

 抑制されていた何かが解放されるような、怨嗟の込められた叫びだった。

 

 化物共は二人に気付き、こちらに一直線に近付いてくる。

 

 若葉は立ち上がり刀を中段に構えるが、そのあまりの速度に対応できず、全身ごとフロントガラスに叩きつけられた。

 

「──わか」

 

 衝撃でバスがスリップし──その前方には、かなりの幅のある堀川があった。橋に設けられた柵とねじれるようにバスは進行し、そのまま前輪が地上から乗り出した。

 

「うっ……ひなたぁぁぁぁああああ!」

 

 揺れる車体、点滅する視界。何もかもが朧げな世界で、若葉は親友が伸ばす手を取った。

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