結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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第一章 歪曲の果て
第一話 須美と園子


「9月27日、本日から週末にかけて、晴れの日が続く模様です──」

 

 足の高いテーブルから六尺余り離れた場所に設置された薄型テレビの音声が、窓から入り込む小鳥の挨拶とセッションを組む。

 

 どこか気品を感じさせる豪邸のリビングルームで朝食をとるは鷲尾一家。それは栄えある名家の一つで、広大な庭とこの辺りでは珍しい洋風建築が、道行く人々の目を奪う、そんな日常がそこにはあった。

 

「ごちそうさまでした」

 

 幼くも凛とした声。落ち着いた佇まいと雪のような白い肌に、黒い長髪を後ろで短く結い、両手を合わせる少女の名は、鷲尾須美。彼女は小学六年生、かつ鷲尾家の一人娘でもある。

 

 須美はそのまま食器を流しへと運び、自ら洗い始める。

 実は彼女、朝食は毎朝一人で作っている。

 生粋の大和撫子としての誇りとやらがあるらしく、朝はパン派と宣う母親の暴挙を阻止する手段であるとか。

 

「須美、朝ごはんまで作ってくれてるんだから、食器くらい母さんに任せていいのよ?」

「いいえ、構いません。一度手を抜くとなし崩しに楽な方へと逃げていってしまいます。誉あるこの国に生まれた一人の日本女児として、腑抜けた生活は送れません」

「そ、そうね、うん、須美の言う通り……」

 

 言いながら、母は隣に座る父親と顔を見合せ、消化しきれぬ思いをなんとか苦笑に変える。立派すぎる、出来すぎる娘である、といって良いのだろうが、なんとも、成長の方向も、素行も、思想も、普通では考えられない方向に突き進んでいっているように、両親には見えた。

 

 しかしまあ、健やかであるのなら、それ以上親心として何を望むものがあろうか。

 

 二人も娘に遅れて食器を片し、洗い始める。あの子がああ言うのなら、自分たちも腑抜けになってしまわぬようにと。とはいえ、吐く息はそれなりに長々しくなる。

 そんな二人をよそに、一足先に須美は玄関に立った。

 

「いってきます」

「今日も早いわねー、いってらっしゃい」

 

 敬礼して、扉を閉める。それを見届けた両親は、再度顔を見合わせる。

 

「まあ、なんだ」

「まっすぐ育ってくれて、良かった」

 

 そう言って、また笑った。

 

 

「……」

 

 ドアノブから手を離し、ランドセルを背負い直す。

 その表情は勇ましく、眼光は力強い。

 大和撫子として、日本女児として、誇りを胸に生きる右翼系女子に相応しい姿であった。

 

「おえっ……」

 

 ところが、突如その口元は揺らぎ、燃えたぎっていた眼差しは束の間にぐるぐると焦点を歪ませる。

 その様子を形容するならば、まさに催した少女。

 そそくさと井戸へ駆け寄り、冷水を口に含む。

 

「お嬢様……」

 

 箒を持ったメイドが須美の背を優しく摩る。その顔は「またか」と言わんばかりの呆れと、切実な心配を半々に含んでいるものだった。

 

 鷲尾須美の吐き気はどこから来たのか。答えはひとつ、いわゆるスクールデイズに起因する。

 

 これほど振り切った性質を持っている彼女のことなので、他の一般的な女子小学生とは中々分かり合うのが困難であるというのは想像に難くない。孤立することになっても何らおかしくはないだろう。しかし、彼女の悩みはそこまで単純で可愛らしいものでも無かった。

 

 鷲尾須美は養子なのだ。

 

 実の両親は彼女が片手で数えられる年齢の頃に既にこの世を去っていた。父親は物心ついた頃には若くして病死し、母親は五年前、何者かに殺されていたという。

 

 精神的に、幼い子供が親というものに縋れないというのは、余りにも苦しいことである。それは、どれだけ泣こうが、どれだけ叫ぼうが、抱き締めてくれる腕は何処にもなく、不安と孤独が心に塞ぐことの出来ぬ傷を深く深く刻み付ける──理性と経験を持って深淵に一筋の光を見出すことすら叶わない、幼さゆえにその恐怖から僅かでも逃れる術を知ることも出来ない、無垢なる嬰児のみが感じる、非常に純度の高い混じり気のない恐怖そのもの。

 

 その境遇は、ある意味で死よりも恐ろしいといえる。

 

 そして両親がいない子供は、例外なく両親の亡霊を追い続けることになる。それこそ、自分を受け入れてくれる存在に、その影を重ねて。

 

 何故なら例え虚構であっても、本能が求め続けるからだ。本物には遠く及ばぬ魂の救済を。故にいつまでも数少ない味方にしがみついて離さなくなる。

 

 それらの内の一人が、歩き出した須美の視線の先、門の前で欠伸をしながら佇む金髪の少女。

 一見彫刻のように端正な顔立ちではあるが、柔和な目尻に、彼女の温厚な性質が顕れていた。

 

「あ、おはよーわっしー……うーん今日も顔色悪いね」

「うん、元々白い方だけれど……」

 

 乃木園子。彼女もまた乃木という名家の一人娘であり、そして、須美の“唯一の”友人である。

 

 そう、ただ一人、たった一人。

 

 須美は、二年前、小学四年生の時に初めて対面通学をするようになった。現在通っている大社館第一小学校の知り合いは、幼馴染である園子のみ。既に出来上がっているクラス内の雰囲気にも馴染めず、新たに友達を作ることが出来ずにいる。園子自身もそんな須美を放っておけないと、二人は常に行動を共にする。

 

 それはある意味で、ありふれた友情と比べれば、何よりも深い絆であるとも言える。しかし、依存とも呼べるその関係は、健全なつながりとは言い難くもあった。

 

 

 *

 

 

「おはよ〜」

「……」

 

 園子の背中に隠れ、俯きながら教室に入る須美。他人に対する極度の恐れと警戒は、両親との死別という、青天の霹靂とも言える出来事が、無垢なる幼年時代に彼女の性質を捻じ曲げてしまったことによるものだ。

 

 そんな弱々しい須美を支える、たった一人の友人、園子。彼女を依代と呼ぶならばまだ聞こえは悪く無いが、言い方を変えれば、過去のトラウマに精神を蝕まれぬための薬のような役割ともいえる。

 

 果たしてこれは、本来あるべき交友関係の在り方と呼んでも良いものか。

 もしこれからもずっとこの関係のままでいるというのならば、鷲尾須美は、乃木園子ナシではなにも出来ない人間になってしまう。

 

 彼女の安全と安心を保証される場所は、園子という存在そのものだ。そのためそれ以外は全てが危険区域であり、心が外界に対して剥き出しとなり、無防備となり、やがて彼女はその場から逃げ出してしまうようになるかもしれない──それは彼女の脆さを目にした者なら、なるほど確かにと迷わず言えるはずだ。

 

「あ、乃木さんおはよう」

「おはよう」

「おはよ〜」

 

 他愛のないやり取りを交わす、ただのちょっとしたコミュニケーション。しかし、そんな短い会話でも、そのハードルは人によってそれぞれだ。特に須美にとっては、非常に困難な行為の一つでもある。

 

 園子以外の人間は、自分を傷つけかねない。だから近づかない。もし近づいてきても、こちらは決して寄り添うことはないし、必ず一歩引いて対応するだろう。

 

 それが、彼女の処世術だ。

 どこが処世術だ、と言われても仕方ないだろうが。

 

「鷲尾さん、顔色悪いよ、大丈夫?」

「あ……あのその、うん、問題ありません」

 

 その為、善意で声をかけたクラスメートさえも、彼女にとっては恐れの対象。

 須美は親切なクラスメートに対し、反射的に目の前の園子にしがみつきそうになってしまう。しかしそんな最悪のリアクションをする訳にはいかない。どんな過去があろうと無為に人を傷つけていい理由にはならない、その一心で、須美は震える声で、ぎこちない笑顔を浮かべた。

 

「そっか、無理しないで、なんかあったら言ってね」

「あ……あり、ありがとう」

 

 顔を真っ赤にして俯く須美を眺めつつ、園子は微笑んで席に着く。

 

「わっしー、やったね、今日はお話出来たね」

「でも……」

「いいんだよ。焦らなくても。“ちょっと前のあれ”に比べれば、凄い進歩だと思うよー」

「あれ?」

「ほらー、わっしーが私に熱烈なハグを……あれは良かったよー、定期的にして欲しいくら」

「ああああああああそのことは思い出させないで……ああ、私はなんて酷いことを……」

「あ、ごめんごめん、冗談だよー」

 

 穏やかな声で、ごめんよー、と俯いた須美の頭を撫でる園子。慈しむような笑顔をたたえつつも、胸の内はいつも影が差している。

 

 朝、落ち込んで溜息をつく須美。これは日常茶飯事、毎日必ず一度は目にする光景。酷い時(“ちょっと前のあれ”)は、声をかけられた須美が飛び上がるほど震えて抱きついてきたこともあった。その度に須美は自己嫌悪を繰り返し、己への呪詛を連ね、そして園子に「そんなことないよ、わっしーは頑張ってる」と慰められる。この一連の流れを、毎日、延々と繰り返してきた。普通ならそろそろ何も感じなくなってもおかしくはない頃合でもある。

 

 しかし園子は須美が誰よりも大切な存在だからこそ、毎朝絶望一色なオーラを発せられては、同期した機械のように同じく負のうねりが胸に渦巻いてしまう。

 

 だが、落ち込んだ顔は須美の前では見せられない。そう思い、園子はいつもかりそめの笑顔を浮かべるのだ。

 ただ、ずっと須美を甘やかすだけでは、須美にとっても、園子とっても、成長の兆しは見られないだろう。それは既に、園子自身も危惧していた。

 

「よっしゃみんなー! 学活まで時間あるしサッカーしようぜー!」

 

 朝からどんよりと重苦しい二人に対し、余りにも明るく快活な声が教室に響く。

 

「あ、三ノ輪さん、今日は遅刻しなかったねー」

「……」

「わっしー?」

 

 返事が無い。

 園子は目を点にして、ぱたぱたと須美の視線を手のひらで遮ると、須美はハッとしてかぶりを振った。

 

「ごめんなさい、睡眠が足りてなかったかしら……」

「……これがきなくさいというやつかー」

「え?」

「いやいや、なんでもないんよ〜あはは」

 

 誤魔化すようにとりあえず笑いながら、即座に園子は須美の視線の先に居た人物を特定した。

 

 

 *

 

 

「やっぱり……このままじゃダメだよね」

 

 放課後、図書室にて、読み終えた分厚い恋愛小説を棚に戻しながら、己にしか聞こえないくらいの声で園子は呟く。

 

 二人には、夕方まで図書質で過ごすという習慣があった。好みは違えど、須美と園子は非常に熱心な読書家なのだ。

 

 同じクラスだとしても、校内にいる間常に一緒にいられるとは限らない。体育や美術などが重なった時などは、離れ離れになることもしばしば。そういった時も、少しでも長く隣にいたいという寂しがり屋な須美の願いもあり、自然と二人の間の暗黙のルールとして、図書館通いをするようになったという経緯がある。

 

「ふむふむ……」

 

 須美は姿勢正しく、擦り切れた歴史小説を熟読している。恋愛小説、ミステリー、SFと乱読家である園子に対し、須美は歴史、和製文学への偏りが非常に強い。

 

「今日も凝ったの読んでるね〜」

「そ、そうかしら……で、でもとても面白いわよ!」

「うん、今度それ読もうかなー」

「……! それはいい心がけね!」

 

 園子は教室で見せない須美の笑顔を見て、失神しかけるほど悶えそうになる。かわいいぜマイハニー、愛してるぜオレのスミちゃん……そんなことを胸の中で反芻しては、どんどん口元がだらし無くなっていく。

 

 しかし、この笑顔が、このひと時限定というのはやはり残念なことである。園子は、いついかなる時も須美にこんな風に笑っていて欲しいのだ。

 

「……あ、そういえば、わっしーさ、朝三ノ輪さんに熱い視線を送ってなかったかい?」

 

 ふと思い出した園子は、何気なく須美に訊ねる。前々から誰かをぼーっと見つめる癖があったようだが、その相手が誰なのか分かったのは、今日がはじめてだったのだ。

 

「……え? いや、違う違う! いや、違くはないけれど、決して邪な理由ではなくて」

 

 ふむ、これは、と園子は須美のそれに、確信めいた何かを感じた。須美、そして園子とは真逆の立ち位置に属する三ノ輪銀。何故種族の異なる彼女に、須美がここまでの興味を示すのか、大体察しがついたのだ。

 

「なるほど、わっしーは三ノ輪さんに憧れてるのかー」

「……憧れ……なのかな。でも……私には持ってないもの、いっぱい持ってるから、羨ましいのかも」

「……そっか、仲良くなれたらいいね」

「……うん」

 

 その相槌に、濁りは無かった。

 

 

 *

 

 

 午後八時、園子は自宅の広大な露天風呂で、未だに須美の笑顔を思い出して、甘い溜息を湯気と共に吐き出していた。今日は朧月夜。優しい月明かりの下、少女の絹のような小麦色の髪が、月光を反射して煌めいている。

 

「どうしたら、わっしーは笑ってくれるのかな。ねえワトソンくん、何かいいアイデアはないかな」

 

 ワトソンと名付けられたリーゼントヘアのアヒルのおもちゃを両手の上に持ち上げて、首を傾げる。

 

「そうですなぁ、やはり、三ノ輪さんが、鍵でしょう」

 

 園子の喉から無理やり絞り出したような低音が漏れる。

 

「そっかあ、うんうん、そうだよね」

 

 厳かに頷いて、少しの間静止したかと思えば、園子は突然頭まで湯船に沈んでいく。

 一分と少し経過した辺りで、水しぶきとともに勢いよく飛び出した園子は、何かを決意した表情で入浴場を後にした。

 

 

「園子お嬢様、入浴の方はお済みですか?」

「うん、気持ちよかったよー」

 

 鏡台の前の白いスツールの椅子に座った、パジャマ姿の園子の湿った髪を、いかにも執事らしい燕尾服を身にまとった白髪の紳士がドライヤーと櫛で乾かし、梳いていく。

 乃木家にとっては、これは当たり前の慣習である。

 

「今日はいつもより少し長くお入りになっていたようですね」

「そう、ちょっと考え事してたの」

「考え事、ですか」

 

 鏡に映る、いつも飄々としている園子が、今日に限ってなにやら難しい表情を浮かばせている。執事はそれを察してはいたが、何も尋ねることはしなかった。その必要も無さそうだったからだ。

 

「うん、アルルン、私頑張る」

「……園子お嬢様なら、なんだってお出来になります」

「……うん」

 

 相槌と共に、自分自身に笑ってみせた。

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