結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
愛媛県の中学生、土居球子。彼女に宿る能力は、「死の可能性を視る」というもの。人を救い続ける彼女は、その生き方に疑問を抱いてはいなかった。
そして、修学旅行当日。出雲大社にて、大量の「死の可能性」を目の当たりにした彼女の前に、一人の老人が現れた。


第十九話 簒奪の味

 秋の夕暮れ。まだ日の出ている時間のはずが、いつの間にか既に真夜中と見紛うほど真っ暗になっていた。センサーに反応した街灯に体内時計を狂わされつつ、背後へと奔る排気音を聴きながら、少女と女は道を往く。どこかで響いた悲鳴。何か大きなものの崩壊の振動。揺らりと昇る紅く燃えるカーテン、空を侵す黒煙。その全てを横切って、ただ先に進み続けた。

 

 向こうで、後ろで、その先で響く叫び声は、化物から逃れようとするものなのかもしれないし、まさに襲われている最後の断末魔なのかもしれない。いずれにせよ。すぐ側で、手の届く場所で、必死に助けを求めている人がいた。それでも、何も出来ないということだけが分かっていた。それが何より重要だということも、理解していた。その時、上里ひなたは、ただ目の前の女に安全な道を示す、カーナビでしかなく。

 

 助けたいと思う気持ちは、決して小さなものでは無かった。それでも、自分の都合で女を危険に晒すことは出来ない。それにバイクとその運転手がいなければ、ひなたの移動手段は徒歩に限定されてしまう。だからどうしようも無いのだと割り切って、戒めた。それがただの見殺しであるという事実を、捨て去れないまま。それは、もしここにいるのが自分ではなく若葉だったら、絶対に見逃したりしないということが、分かっていたからで。

 

 自分は間違っていない。けれど、全て知っていて、それで何もせず諦めて、自分だけ生き延びて……そんなものが、本当に正しいと言えるのだろうか。

 

 唇を噛む。私は、無力だと。

 

「気分が悪そうだな。少し休むか」

「い、いえ……私は、大丈夫です……」

 

 バイクを止めて、女が振り向く。けれどひなたは静かに笑った。ひなたにとって女は命の恩人であって、この地獄で生き抜くための命綱でもある。些細な都合に巻き込んだりは出来ないのだから。

 

「どのみち休息が取れるのはこの辺りまでだろうからな。瀬戸大橋に入ったらもう進むしかなくなる。そこのコンビニに入ろう」

「……は、はい」

 

 答えながらも、ひなたに疑問符が湧き上がる。瀬戸大橋? 今、瀬戸大橋と言ったのだろうか。ここまでまだ20分も走っていないはず。出雲大社から瀬戸大橋まで200キロ以上は離れているというのに、そんなことは絶対に不可能だ。つまりあの神社は岡山県内にあるもので、島根からその神社まで、ひなたが一瞬にして移動したということになる。尚更不可能……なはずなのだ。

 

 分からないまま、コンビニに入る。店員はいない。入口は破壊され、品物が床を覆い、棚が酷くひしゃげていた。

 

「実は……化物が、少し離れたいくつかの地点にいる気がするんです」

 

 商品を踏まないように気を付けながら、女にそう伝える。女は瀬戸大橋から四国に渡るつもりなのだ。であれば、もし瀬戸大橋に化物がいたとすれば、もうどうしようもない。

 

「瀬戸大橋はこの方角だ。どうだ?」

 

 女は片腕を巫女装束に備えられたポケットにつっこみながら、空に向けて指をさす。そちらは、間違いなくひなたの“感覚”が指し示す場所と直線を結んでいた。

 

「残念ながら……接敵は免れないでしょう」

「……そら」

 

 数回頷いた後、かがんだ姿勢を戻しつつ、女の放り投げたペットボトルが弧を描き、ひなたの両手に収まった。

 

「自己紹介がまだだったな。烏丸久美子(からすまくみこ)だ」

「上里ひなたです」

「そうか。よろしくな、上里ひなた。水くらい飲んでおけよ」

「……はい」

 

 ミネラルウォーター。値段は120円辺りだろう。少しの逡巡の後、ポケットから財布を取りだし、その分の硬貨をレジに置いた。

 

「律儀な奴だな」

 

 烏丸はそれを眺めながら、缶ビールの蓋を開け、喉を鳴らして飲み始める。バイクを運転するというのに、その度数は9%ととても高かった。

 

「久美子さん、それ飲んで大丈夫ですか」

「半端な理性はかえって重荷になるんでな。どのみちこの程度じゃ私は酔えん」

 

 半端な理性。それは、この期に及んで金を払う、上里ひなたの行いを皮肉っているのだろうか。

 ……だが、ひなたが金を払ったのは、高尚な道徳心故のものでは無い。

 

 認めたくなかったのだ。世界が変わってしまったこと。元の日常が失われてしまったこと。金を払わず商品を手にしても、誰一人として責めることなく、誰もが己自身の一秒先の安全を求める、そんな世界が訪れてしまったことを。金を払おうが払うまいが、もう決して元に戻ることは無いと知っているのに。

 

 

 *

 

 

「行くぞ」

「はい」

 

 白線を越え、瀬戸大橋に乗り込む。暗く沈んだ瀬戸の海に、昇り始めた月の影がゆらゆらと輝く。問題がなければ、20分と経たず香川に到着出来るはずだ。だが、そううまくはいかないだろう。化物は間違いなく大橋にいる。それはすでに分かっているのだから。

 それでも、二人は瀬戸大橋を渡ると決めていた。

 

 

 ──────────────────

 

 

 少し前、瀬戸大橋へと向かう途中。二人は外気に逆らって声を張る。

 

「四国に渡る手段は三通りだ。瀬戸大橋を渡るか、明石海峡大橋を渡るか、しまなみ海道を渡るか。もしかしたら瀬戸大橋を除く二つのルートには、化物が現れないかもしれない。それでも瀬戸大橋を渡るぞ」

「……何か、急ぐ理由があるんですか」

「そういうことだ」

「……私は案内者(レーダー)です。四国が安全だと言うのなら、もう私を連れていく理由は、久美子さんにはありませんよね」

「私にはないな。だが世界にはあるらしい。まあ私の憶測も含むが」

「それを、今説明しないんですか」

「私は口下手でな。時間と安全があればできるかもしれん」

「……分かりました。あなたに命を預けます」

 

 ──────────────────

 

 ひなたの目的はひとつ。もう一度若葉に会うことだ。四国が安全だというのなら、若葉も四国に辿り着いているかもしれない。例え彼女があのバスとともに川底に沈んでいたとしても、一縷の望みが潰えるまでは、諦めるつもりは微塵もなかった。必ずしもこの女性の持っている情報が、二人の再開に繋がるとは限らない。それでも、これが最善の選択だと、今は信じることにした。

 

 ここに辿り着くまで、多くの救えたはずの命を切り捨ててきた。けれど若葉だけは、絶対に取り戻してみせる。そう決めたのだ。

 

「ちっ、こうなるか」

 

 決意を阻むように、進む先に映る、七色の光の束。あれは紛れもなく車のライトの群集だ。思えば、「四国が安全である」という情報が久美子だけのものとは限らない。それが知れ渡れば、誰もがそこに移動しようと考えるのは当然のこと。

 

 すぐに最後尾の車が見えてきた。これでは一向に辿り着けやしない。もし背後から化物がやってきたら、その時点でここ周辺の人間は食い尽くされる。

 

「久美子さん、人が向かってきてます」

「……なるほどな」

 

 恐怖に顔をひきつらせた者達が、つまづきながら己の手足を揺らして、来た道を戻っていく。彼らは四国が安全だということは知っていても、その道のりが安全かどうかは確かめられなかったのだ。そして自家用車を手放してもなお、ここを離れなければならないのだと、必死に逃げ惑う姿が訴えている。それを目にし、精神を、「今すぐ一緒に逃げたほうが良い」という集合意識が強く揺さぶっているのが分かった。

 

「なあ。上里ひなた。私は『その他大勢』と同じことをするのが大嫌いなんだが、お前はどうだ」

「……特に考えたことはないです」

「はは。安心しろ。お前はどちらかといえば『その他大勢(向こう側)』だ」

 

 点火されるエンジン。前触れのない急発進。排気音が悲鳴に混じ、弾けている。存在を示さん、我こそは、我こそは。それは遠吠えか、唸り声か。

 

 ひなたからは背中しか見えないが、この人が笑っているということだけは、はっきりと伝わった。

 

「聞け!」

 

 疾走に次ぐ疾走。人の波を掻き分け、いや、海を割るように、壱台のバイクが渋滞の隙間を突き進んでいく。

 

「このバイクは四国まで止まらん! 安全地帯など、どこにもないがな!」

「え……!?」

 

 安全地帯などない。そう言ったのか、この人は。

 

「なにやってんだ!」

「化物が来てるんだぞ!」

「きゃ!」

「キチガイがいる!」

 

 車と車の隙間に入り込み、バイクを避けながら野次を飛ばす人々。知ったことか。そう唱えるようにアクセルスロットルを一気に絞る。風圧が巨大な質量を帯び、強烈なGが全身を襲う。ああ、これが「余計な理性」を捨てた運転なのかと、ひなたは女にしがみつきながら思ったものだった。

 

「あはははははははははははははは!!! 楽しいなあ上里ひなたぁ!!! こんな時間が永遠に続けばいいのになあ!?」

「……っ、死んでしまったら終わりですよ!」

「そんなつまらんことを言うなよ。元々命は命で買うものさ」

 

 生きた人の波、そのピークを過ぎると、進むべき道には踏みつけられた人の身体が転がっている。その先に見える黒く大きなカタマリ。生と死の境い目が、こんなにも分かりやすい。

 

「どうするつもりですか!?」

 

 返答は無い。バイクは一切減速しない。化物との距離も、瞬きする度に近付いていく。

 間も無くして、バイクの前輪が倒れる肉体の脇腹に食い付いたかと思えば──ホイールが跳ね上がり、闘牛の如くそれを打ち上げた。その時、バイクの時速は、100を優に超えていた。

 

 宙を舞うヒト。その刹那、視線が交錯した。助けを求めていた。縋る目をしていた。

 化物は吊るされたパンの糸を千切るように、それに齧り付いた。

 

 そして降り注ぐ紅の呪詛が、少女の額を罪で染め──そのまま、狂い走る一台のバイクは、大橋の向こうへと消えていった。

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