苦闘の末、八岐大蛇を破った乃木若葉、伊予島杏、土居球子の三人だったが、最後に残った大蛇の心臓が激流に変貌し、絶体絶命に陥る。しかし、何かに目覚めた若葉が防波堤を作り出し、そのまま根の世界を脱出するのだった。
「降りてくれ、上里ひなた」
「……はい」
瀬戸大橋を渡り終えたところ、そのすぐ側にある「瀬戸大橋記念公園」。そこはライトアップされているようで、光が夜闇を突っ切って瞳に差し込んで来る。入口にバイクを駐車し、久美子は木箱を抱えて内部へと向かう。歩幅の広い久美子の後を、ひなたは少し早歩きで追っている。
「目的地は記念公園だったんですか?」
「ああ。さっき言っただろう? “安全地帯などない”。化物が四国に入れないなんてことは無いんだ。だからここで作るんだよ」
安全地帯を、作る。あの化物でも壊せないようなシェルターを、記念公園に建てる、ということだろうか。しかしこの真夜中に、突然まともな作業など出来るのか。例え人員と道具、材料が既に用意されていたとしても、化物のパワーに耐えられるほどの建物など、そう簡単に出来るとはひなたには到底思えなかった。
久美子は言った。ひなたを連れていく理由が、世界にはあるのだと。ひなたの様な非力な中学生に、大掛かりな工事の手伝いが務まるわけもない。であれば、シェルターを作るという訳では無いのだろう。とは言え、“安全地帯”を作るとはどういう意味で言っているのか。
「! 巫女さんがたくさん……」
瀬戸大橋のマリンドームには巫女服を身に付けた若い十人強の女性達と、その側で不安そうに辺りを見回す女子中学生や、小学生くらいの子まで集まっていた。
「そうじゃあないんだがな」
話しながら、階段を降りていく。久美子とひなたに気付いた巫女服の女性達は、こちらに拝をして頭を下げている。
「久美子さん、偉い人なんですか?」
「ああ。偉い人だ」
久美子は広場に降り、少し段差になっているステージに乗る。その中心に木箱から取り出した、苗木……? をそっと置いた後、その場にいる全員を見回す。
「よし。じゃあそこのガキ。この苗に触れてみろ」
「え……?」
久美子に指を差された、おそらく最年少の少女は、不安げに、そばに居た巫女服の女性に目を向ける。巫女服の女は、少女の目線に合わせて腰を下げ、大丈夫、怖くないからと、笑顔で少女を勇気づけている。少女はそれを見て、少し落ち着いた顔で頷き、苗へと近付いていく。
この先何が起こるのか、この儀式になんの意味があるのかは分からない。ただ、周りの少女達の表情を見る限り、彼女らが事前に何らかしらの説明を受けているということについて、きっと間違いないだろうと、ひなたは思った。
おそらく少女達はひなたのように、巫女服を着た女性達と出会い、ここに連れてこられたのだ。その際に何も伝えなかったのは、烏丸久美子ただ一人であろう。
それに気付いた瞬間、なんだか腹が立った。けれど、すぐに疲れて考えるのをやめた。烏丸久美子という女性がどんな性質を持っているのか二割ほどは分かっていたし、それに昔から、ひなたは怒るという行為がとても苦手だったし。
「……」
そして、幼き少女は苗に触れる。しかし苗にも少女にもその周りにも、なんの変化も起きはしなかった。
「はい不合格。ガキ、もう行っていいぞ」
「は、はい」
少女は慌ててステージを降り、担当の女の元へと駆けていく。女は久美子に頭を下げ、少女と手を繋いで石段を登り、マリンドームを出て行った。
「次。お前」
続いて指を差される、三つ編みをサイドに垂らした、ひなたと同い年くらいの少女。
結果は、こちらも無反応。
この儀式は何度も続き、やがてひなたと一人の巫女服の年配の女性、そして久美子以外、誰もいなくなってしまった。
「……久美子様。これは……非常に不味いのでは」
「はっはっは。ところで国造班は何段階まで進んでる」
「四でございます」
「流石。ま、それもここがダメなんじゃ水泡に帰すがな」
そう言いながら、久美子が指差す先には、上里ひなた。
どうやらなにか大きく重いものが、その肩に載せられているらしい。
無言でひなたはステージに上がり、久美子を見る。
「なぜ、何も説明しないんですか」
「それじゃあ面白くないだろう」
「それは久美子さんがですか?」
「……」
ひなたは思った。なるほどよく分かった。これなら怒ることが出来る、と。
「私はこの苗に触れません」
ひなたは久美子の眼を睨みつけて、断言した。文句があるなら言ってみろ。その意思が伝わるように。しかしそれを見て狼狽するのは、もう一人の巫女服の老婆の方だった。
「……久美子様、ご説明なさらなかったのですか」
「ああ。“説明”したら、こいつはなんの迷いもなく苗に触れるだろうからな」
「……? ならばなぜ」
「つまらないからだ!!!」
深夜のドームに響く、曇天を突き穿つ怒声。訳もわからず、老婆は口を開閉する。
「いいか。このガキはただのガキじゃない。新世界の統治者だ。まだ中学生だからと、“とにかく根を触らせる為の説明”をして、後は適当にだまくらかしてお人形遊びなんて、そんなつまらんことをさせる訳にはいかん」
何がなんだか分からない。そんな怪訝な顔をしたひなたを見て、久美子は笑った。
「よし。上里ひなた。時間も安全も無いが教えてやろう。お前は『巫女』だ。土地神の声を聞き化物の気配を探知し、そして土地神に新たな依代を献上する“楔”の素質を持っている」
言いながら、久美子は右手をひなたの頭に乗せ、続ける。
「土地神には身体が無い。故に本州の地底に張り巡らされている異界、『根之堅洲国』を四国に張り替え、それを土地神の依代とするというのが私達、「大社」の計画だ。土地神が身体を得ることが出来れば、四国の表面は一時的に根の世界に覆われ、人間達は化物に食われずに済むようになる。だが! その「張り替え」には、四国と根之堅洲国を繋ぐケーブル・アンカーが必要だ。それが楔であり、お前なんだ、上里ひなた」
──話のスケールが、あまりに大きすぎる。だが……何故かひなたには、そのほとんどを理解出来た。それが事実であるということを、認めるほか無かったからなのか。あるいは。
「楔としての役目は一時的なものだ。張り替えが終わるまでのな。だが今後、世界のルールは全て大社に由来する。お前自身さえも、神と繋がろうとなんだろうと、大社の操り人形として使うことを、老人共は想定していた。だがな。貴様には資格がある。この世界の生き死にを決める力を持つことになる。人間風情が超越者を制御するなんてこと、到底許す訳にはいかん」
久美子の瞳に、亀裂のように血流の筋が張る。彼女は怒りながら笑っているのだ。
「というわけで。上里ひなた、選べ。苗に触れず、世界の滅びを眺めるか。苗に触れ、大社に忠誠を誓うのか。それとも──」
「分かりました」
遮り、ひなたは即座に苗に触れた。
苗とひなたの膝から下が、少しだけ地の表層に飲まれ、少女を囲うように「根」がコンクリートを突き破って伸びていく。
髪は葉と同じく深く緑化し、瞳は黄みがかった薄い碧眼へと変色する。着ていた制服までも植物のように薄く白く伸びていき、僅か数秒の間にかつての少女は、完全に別の何かへと変貌した。
「私の未来は、これから考えますから」
立ち上がり、久美子にそう伝える。
「……よし。及第点だ」
久美子は満足気に頷いた。
「おい、もういいからお前は帰れ。仕事は済んだだろう」
「で、ですが、御楔の方を御守りせねば……」
「私が見ておく」
「……で、では」
老婆は縮こまりながら頭を下げ、ドームを立ち去る。それを眺めながら、ひなたは晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「……久美子さん。申し訳ありませんが、私はたった今、やらなければならないことが出来ました」
「世界を後回しにしてもか?」
「一番大切な人の命を感じるんです。もう一度会います。絶対に会います。未来の政治とかは、その後考えます」
「……なるほどなるほど……くっくっくっ」
それを聞きつつ久美子は口角を上げ、無造作に苗に触れた。瞬間、久美子の左腕から肩にかけて、一気に硬い樹木のそれへと性質が変換される。髪と瞳以外、人の機能を保っているひなたとは、見るからに異なる変化だった。
「久美子さん、なにを──!?」
「活性化した後なら私でも楔になれる。多少歪だがな。これで私も、樹海──根の異界に入ることが出来る」
ビキ、という異音とともに、久美子の首筋が硬質化する。意に介さず、久美子は続ける。
「おそらくお前の大切な人とやらは“勇者”だ。化物を四国から締め出す結界を貼るためのエンジニアに選ばれたんだ。お前が行くのなら、私も連れて行ってくれ。神の世界ってやつに」
風が止まる。音が消える。生物の気配が凍り、固まる。その場に佇む二人のみ、停止した大地で呼気を吐く。
地盤が唸り、花弁が舞い、やがて、世界が新たな理で覆われていく──
──────────────────
風の音、葉の擦れ、冷たい地面と触れ合う身体。感覚神経が運動神経を連れてきて、瞼を震わせる。
「……あ」
目を開くと、そこは広い芝生の上。土居球子は立ち上がり、辺りを見回す。同じように、目を覚ました杏が瞬きを繰り返している。
「気が付いたか」
若葉は既に意識があったらしく、こちらを見ていた。
「若葉……ここ、どこだ?」
「田土浦公園。岡山県倉敷市だ」
「田土浦公園、ということはあれは瀬戸大橋ですか」
見上げた先にある、白い長橋。
“四国に結界を貼る。それだけが人類が生き残る唯一の道”
根の世界にいた男の言葉が球子の脳裏によぎる。自分たちに課せられた御役目、その目的地、四国。当然、この橋を渡れ、ということなのだろう。
頷き、地を蹴り、橋に向け跳躍する若葉。それに続く二人。
「真夜中にしちゃ妙に明るいと思ったら、なんだありゃ」
着地し、橋の先を見やる。四国の大地と思しき場所から、巨大な謎の光源が輝いているのが見える。目を刺すような眩しさは無く、光そのものもどこか生き物のような温かさがあった。
「あれが“神樹”。私たちの目標だ」
「お前なんでそんなこと知ってんだよ」
「……」
返事は無く、若葉は物言わず走り出す。怪訝に思いつつも、二人はついていく。若葉の髪に結つけられていた御守りは、いつのまにか蒼い髪留めに変わっていた。
「……ひっでぇな」
橋の上には、一定の間隔を置いて人体のパーツが転がっていた。先にある無人の車両の行列を見れば、何があったのか大体察しがつく。
球子が心配して杏を見ると、やはり顔色が悪い。お淑やかな彼女のことだ、耐性なんてあったものじゃないだろう。対して、若葉は何を考えているか分からない。燃えるような怒りも、憐憫も、一切の感情が見えてこない。さっきまでとは明らかに雰囲気が別人のそれだ。根の世界で彼女に何かがあったのだろうが、聞いても答えてはくれなさそうだ。だが、今のところ心配はいらないだろう。今の若葉には、「靄」がついていないのだし──
「「「──!」」」
ぬっ、と足元に巨大な影が広がる。
「避けろッ!!!」
叫ぶ若葉。少し遅れて二人も地を蹴り、各々の肉体が地面と鋭角に直進する。目前に広がる大量の車両、その最後尾に着地し、背後を見やる。直後、激しい爆風と爆音が全身を吹き抜けた。巻き上がる砂塵。少しして、巨大な影絵が垣間見える。
黒と桃を基調とし、管のような器官と帯紐のようなものを漂わせている、明らかに異質な浮遊巨体。ともすれば人工物のような無機質さを持ち、しかしあれはどうやら生物でもあるようで。
管が赤く発行する。何かを産み落とさんとするかのように、何か丸い物が内側から器官を圧迫し、同時に押し出されているような。
「──」
若葉は咄嗟に二人の手を取り、再度前方へと跳躍する。車両を踏み分け、忍の如く跳ね回る。背後で吹き荒ぶ爆裂。そのエネルギーは四輪のオブジェクトを枯れ葉のように巻きあがらせ、その度にどばんと大海が吠えていく。
後ろを見る球子。卵型の物体がこちらに二機飛来してきている。ひとつはコンマ数秒前の三人の座標に正確に着弾し、同時に閃光と黒煙を撒き散らした。攻撃の正体はあの爆弾か。
もう片方、最後の一機はこちらに真っ直ぐ飛んできている。爆撃の度に軌道を修正し、最後の一機を確実に命中させる。中々に狡猾なやり口だ。
もはや回避は望み薄。ならば防ぐしかないだろう。
「タマにまかせタマえ!」
若葉の手を振りほどき、楯を構える土居球子。彼女が握る神器はこんな時の為にあるのだから。
「八重垣、
遮るように唱える若葉。目の前の車両が縦に引き伸ばされ、簡易的な防壁が構築される。着弾、爆風、その後それは用をなさなくなったが、三人は難を逃れ、再度走り出す。
「活躍のチャンスが……」
「しなくていいの!」
「待て、そこで止まれ!」
若葉が叫び、直後に、横切る形で視界を支配する影の急襲。大橋を食い破り、退路を断つかの如く海中から現れたのは二体目の敵。黒いクラゲのような頭部に、水色のヒレのような器官を持っている、魚を模した化物だ。
「! 伏せろッ!!!」
唱えるは土居球子。鬼気迫る声色に、反射的に身をかがめる二人。大砲の発射時のような破裂音がしたかと思えば、球子が黒い巨大な帯に弾き飛ばされる光景が視界に映る。
「「ば、バカッ!」」
頭を上げ、同時に叫ぶ二人。いち早く爆撃型の敵の攻撃に気付いた球子が、タンク役を引き受けて攻撃をまともにくらってしまった。きりもみ回転して飛んでいく小柄な体躯。二人からはまるで安否が分からない。
「……っ、うぉら!」
回転が止まらぬまま、橋に向かって楯を思いっきり投げ飛ばす。腕のアタッチメントに繋がれていたワイヤーが橋に巻き付き、土居球子の全身を繋ぎ止めた。やがてエネルギーのベクトルはまるっきり反対を向き始め、振り子のようにして身体が橋へと近づいて行く。十分接近したところで、巻尺のようにして絡まったワイヤーが解かれ、楯が球子の腕の中に再び返り咲く。解き放たれた運動エネルギーによって少女は天高く宙に舞い、黒桃の化物目がけて放物線を描き──
「おっかえしだぁあああああ!!!」
メリケンサックのようにして、楯で化物の頭部を殴りつける。こういう敵は大体頭が弱点、そんな根拠の無い思い込みで、球子は反撃に打って出たのだ。
しかし──鉄骨の中で暴れ回る金属音。まるで手応えの無い右腕。全身ごと弾かれ、土居球子は歯噛みする。
「くっそ、かってーな!!!」
黒桃の化物が、すかさず黒帯で球子を捕らえにかかる。小柄さが幸いし、寸前で逃れ着地する。
直後、再度橋を突き破って襲いかかる魚類型の化物。大慌てでその場を離れようとするが、ここにきてその猛襲は激しさを増していく。
「ああああ、くっそ! こっちくんなって!」
橋の上が穴ぼこに破壊されていき、球子の逃げ場を次々と奪っていく。鉄骨から鉄骨へと飛び回って回避しているが、このままでは橋そのものが崩れてしまいかねない。
「杏、構えろ。ここで一体撃墜する」
「え!? で、でもあんな距離、当てられっこないですよ! 私弓なんて使ったことないんですから! 大蛇の時だって、どうして当たったのか……」
「当てようなんて考える必要は無い。私の合図に合わせて放つ。それだけを意識しろ」
肩に手を乗せ、断言する若葉。その揺るぎない鋼鉄の自信は、まるで既に未来を知っているかのようで。
その瞳に促されるまま、杏は震える両手で弦を引き絞る。どこからとも無く現れた光の矢を握り、照準を慎重に定め、狙う。
黒と桃の浮遊する化物、その下腹部の管が、仄かに赤みを帯びていく。魚類型との合わせ技で、球子を確実に仕留めるつもりなのだ。
「今だ」
「ふっ!」
合図とともに、引き絞ったエネルギーを解放。撃鉄を落としたかのような衝撃と、ズバン、という破裂音。瀬戸の海を、金色の流星が鮮やかに彩る。文字通り光の速さで飛翔する一矢は、しかし化物から僅かに逸れ、その右横を通り過ぎていく。
杏が落胆しかけたその時、光線は雷と化し、瞬く間に方向を転換する。物理法則を無視した、およそ有り得ざる光景。そのまま雷撃は化物の管を貫き、膨れ上がるように爆発、化物の下腹部は砕け散る。そして爆発は誘爆を呼び、連鎖し、やがて黒雲と、そこから立ち上る黒紫色の輝く礫のようなものを残して、化物は完全に消失した。
「球子、こっちだ!」
大きく腕を上げて呼びかける。傍に着地し、口を開く。
「おいすげえな杏。もう一体もやれるか?」
「え、うーん……」
「いや、お前たちは先に行け。橋が崩れそうだ」
「若葉があぶねえだろ!?」
「いやタマっち、ここは若葉さんに任せよう。邪魔になっちゃうよ」
「杏お前何言って……」
……振り返って若葉を見ても、まだ靄が見えない。
「……分かった。無茶すんなよ」
球子と杏が背を向け、魚類型に断絶された橋を跳躍して飛び越していく。静かに鞘に触れる若葉。直後、仁王立ちの彼女に化物が正面から突進し──
瞬間、それは一呼吸の内に放たれた。光芒一閃、幼少期から練り上げられてきた居合の技巧は微塵も色褪せてはおらず、豆腐のように化物の頭を斬り飛ばす。
居合は一撃では終わらない。一刀にて捻った上体を回転、肘打ちを模した姿勢により、柄頭で首無しの腹を穿つように殴りつける。スパン、と鳴く衝撃。パチンコ玉の如く吹き飛ばされた身体は、レンコンになった橋と共に崩れながら落下し、直前に分かたれた頭部と仲良く水飛沫を撒き散らした。
「さて、ここからが本番だ」
いつの間に脱出していたのか、ほぼ桟橋になってしまった香川県坂出市との連結部、球子と杏のそばに着地しつつ、若葉はそう言った。その視線の先には、確かに見覚えのある、しかし別種の根に覆われた、四国だったはずものが広がっている。