結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
根の世界にて、化物の攻撃により意識を失った若葉。彼女を抱えて逃げる土居球子もまた突如として自身の異変を感じると共に、若葉の過去を視るのだった。


第二十三話 破綻者

 根の森を掻き分け、私、上里ひなたと久美子さんは光源へと歩きつづける。人の手は一切加えられていないようで、獣道さえそこにはない。深度が上がるほど光は減り、今は洞窟一歩手前並みに暗い。根の密度が小さそうなルートをその場その場で判断し、目的地から大きく外れることのないようにしなければ。しかしなぜだか、息が切れて仕方ない。まだそんなに長く歩いていないというのに。

 

「……っ、はあ、はあ」

「……」

「久美子さん……」

「……」

「く、久美子さんてば」

「……」

「……はあ、はあ」

「……」

 

 なんで、どうして止まってくれないのだろう。まるで見向きもしないし、もしや聞こえていないのか。この人の場合わざとなのかそうでないのか判断がつかない。

 

 そもそも私はこの人のこと、まだ全然知らない。私の命の恩人ではあるけれど、それは明確な目的に基づいた行動による結果でしかなく、この人にとって私は、ただの中学生でしかないのだろう。

 

 既に目的地が分かっている以上、この人と私が同行する理由もない。大社とかいう組織にとっては私が危険にさらされるのは都合が悪いのだろうし、普通に考えれば私をそばに置いておくべきだが、この人の行動原理は組織とは別にあるようにも思える。

 

「もう諦めたか」

「聞こえて、るんじゃないですか……」

「尋ねられたら答える。それじゃあ面白くないじゃないか」

「久美子さんは、そうなのかも、しれないですね……」

「……そうだな」

 

 少し視線を逸らして、久美子さんはそう答える。気にしているのだろうか。

 

「で、なんだ」

「あ、ええ、なんだか、やけに疲れるなって思って」

「運動不足か?」

「急いではいますけど、走ってるわけでもない、じゃないですか。そこまで体力無いわけじゃ、ふう、ないです。それになんだか、ここの景色も、きれいになってきてるような」

「気のせいじゃないのか」

「……そう、ですか」

 

 落胆を隠すこともせず、私は項垂れる。暗さで少し分かりづらいが、根の世界に、淡く淡く色彩が表れてきている。それは気のせいなんかじゃない。来てすぐの時はどの根も真っ白でまるで生気が無かったはずだ。だがこの人は“気のせいじゃないのか”と答えた。この変化に気付いているのなら、そんな答え方はしない。しかし、気付いていないというのはあまりにも不自然。つまりこの人は何か知っているのに、それについて私に教えるつもりがないのだ。

 

 でもそれに明確な意図があるのか、それとも気紛れなのか。この人に至っては判断が難しすぎる。

 

「……はあ、はあ」

 

 思わず膝を押さえて立ち止まってしまう。汗がスニーカーを濡らしていく。こんなペースで、若葉ちゃんに会えるのだろうか。

 

「少し休むか」

「え?」

「なんだその顔は。まだ歩けるのか?」

「歩きたい、ですけど……すいません、少しだけ」

 

 ゆっくりと息を吐き、まばたきを繰り返し、そのままそばにあった太い根にもたれかかる。前髪が重く感じて、右手で掻き分ける。

 

「あれ……色が……」

 

 葉のように深い緑に変色していた髪色が、黒く濁り始めている。身に纏う白い服も、いつの間にか袖や襟などが一部制服に戻っていた。

 

「久美子さん、私、これ……」

「落ち着いたか? 進むぞ」

「え……」

 

 翻り、久美子さんはまた歩き始める。何故答えようとしないのだろうか。面白くないから? その理屈を正面から受け止めるのは抵抗がある。私自身の身体のことだし、知っておきたい。だったら、引き出すしかない。でもどうやって? 何を聞けばいい? 分からない。ああもう。どうしてこんなに悩まなきゃいけないの。

 

「あ、あの、久美子さん」

「ん?」

「今度は普通に答えてくれるんですね」

「二度やったら飽きるだろう」

「はあ、芸人根性ってやつでしょうか」

「それはあるかもな。震災前は大阪に住んでいたし」

「へえ……その割には訛ってないんですね」

「ああ。標準語の方が少数派だったからな」

「……なるほど」

 

 久美子さんは、変な人だ。それは間違いない。でも、変だけど、その“変さ”がなんなのか、だんだんわかってきた気がする。

 

「久美子さん、瀬戸大橋で言ってましたよね。その他大勢と同じことをするのが嫌いって」

「ああ」

「それって、どうしてなんです?」

「……どうして、ね」

 

 久美子さんは歩きつつ胸ポケットから煙草とライターを取り出す。

 

「それが分かれば、私は普通になりたいと思えたのかなあ」

 

 そう言って巫女服のポケットに片腕を突っ込み、煙を吹かせた。森の出口が見え始め、根の隙間から差し込む光量も増えてくる。

 

「ま、生まれつきこうなんだよ」

 

 煙草を持つ右手をひらひらと振りながら、つまらなそうに答える。仕草も口調もどこか気だるげで、変で、秘密主義。本当に生まれた時からこんな人だったのだろうか。かく言う私はどうだっただろう。子供の頃、私はどんな人間だっただろう。

 

「久美子さん、私、どんな人間に見えますか」

「お人好し」

「即答ですね」

「少なくともあまり欲が無いタイプだというのは分かる。私には理解できんがね」

「……そんなこと、ないですよ」

 

 化物が空から降ってきたとき、私は若葉ちゃんのことしか考えなかった。そばのクラスメートを気遣って、置いていかないように一緒に逃げるふりをしていた。でも本当は、全てを投げ出して、若葉ちゃんを探したかった。久美子さんと夜道を走っていた時も、私は化物の存在を知りながら、近辺の住民に避難を呼びかけることなく、自分の命を優先した。瀬戸大橋で久美子さんが何をしようとしているのか気付いていたのに、私は止めようとすらしなかった。

 

 私には欲が無いんじゃない。欲の数が少ないだけだ。若葉ちゃんさえいればそれでいいという、自分本位な欲の塊があるだけだ。世界が滅びようというこの時に、大きな責任が課せられていると知りながら、それを後回しにして若葉ちゃんとの再会を目指している。今この瞬間に、命を落としている人がいるかもしれないのに。

 

「……今会いに行ってる、若葉ちゃんですけど。彼女とは、同じ病院で生まれて、それからずっと同じ町で、同じ時間を共有して育ってきたんです」

「ふうん。ソウルメイトってやつかね。友人のいない私には想像もつかん」

「友達、いないんですか?」

「昔はいたと思うんだがね。もう顔も思い出せん。同情するか?」

 

 久美子さんはにやりと笑った。くだらない、と肩をすくめながら。でも、なんだか私は、そんな彼女を少し羨ましくも感じていた。

 

 この人は、きっとどんな人も平等に捉えている。私とは違う。博愛の仮面を被りながら、独占的な愛を抱えている私とは。なぜこんな劣等感を抱くのか、自分でもよくわからない。ただ、なんとなく、自分の正しさがこの人に負けている気がしてしまっていた。その上、この人がどこかでそれをはっきりさせてくれるんじゃないかと、根拠のない期待を抱いている。

 

「私、両親の仲が悪かったんです。でも、二人は私には優しくて。でも、一緒にいると、必ず向こうの悪口を言うんですよ。伝書バトみたいに使われていたこともありました。けれど私、全然嫌な気持ちにならなかった。親の仲が悪いって、子供にとっては凄く惨いことだって、世間では言われてるらしいですけど、私は……親の関係に興味が無かったんです」

 

 なんでこんなことを、と思いながらも、その制御をすり抜けて零れていく独白。本当は、私から久美子さんに何かを聞きたかったはずだったのに。でも、もうどうでも良かった。今まで誰にも言えなかったこと。言わなかったこと。いつかどこかで外に出さなければならないものを、痺れを切らして放り投げるように。

 

「実は私の両親、随分前に二人で心中しまして。だけど私、そのことで涙を流せた事が一度もないんですよ。でもそんな子、どう考えても気持ち悪いじゃないですか。だから私は、若葉ちゃんの前でさえ、両親の話題が出ると悲しいふりをして。まるで人間の真似をするみたいに」

「……」

「若葉ちゃんと遊んでいる時間が、私の全てだった。両親の怒鳴り合いに、うるさいなあとしか感じなかった。一日のほとんどを若葉ちゃんと過ごした。私の中には、生まれた時から、若葉ちゃんしか、いなかった。久美子さんも変ですけど、私も多分変な人なんですよ。私も……」

「……なるほどな」

 

 久美子さんは意外にも真剣に耳を傾けてくれていた。それが、なんだかうれしくて、恥ずかしくもあって、思わず俯いてしまう。すると、ふいに久美子さんの歩幅が広がる。私はあわててそれを追う。

 

「だから、お前は自分の体が変質し続けているのにも気にせずにいられるんだな。自分にも興味が無いから」

「え、それは久美子さんが……」

 

 顔を上げた瞬間、逆光が視界を染め上げ、同時に木製の板か何かに亀裂が入ったような音がした。目が慣れていくうち、そこにはあの黒い怪物と、それに肩から大腿部にかけて噛みつかれている久美子さんの姿があった。

 

「楔の状態じゃ、化物の感知が出来なかったみたいだな」

「え……」

 

 暗がりを抜け、白日の下に晒されたその姿は、もはや人間とは明らかに乖離していた。

 

 巫女服の袖の下から伸びる両腕、両脚さえ茶褐色に染まり、異様にも木目が浮かんでいる。首筋から頬にかけて顔の下半分はほぼ木質と化し、マスクを被ったかのように表情筋が固まっている。

 

 化物自身も汚染されるように染め上げられ、やがて動きを停止した。

 

「中々面白い昔話だったよ。だから私にも少し語らせてくれ」

「え……その……」

 

 動揺してまともに唇が動かない。そんな様子を知ってか知らずか、久美子さんはこちらを見ずに話し始めた。

 

「今だから言うが、私の目的は、神になることだった」

 

 足元の根が、久美子さんの片足へと伸び、絡みついていく。仲間を見つけた生き物のように見えた。

 

「一度楔となった巫女は、その身体に巡る血脈そのものが神と霊的に接続される。そうすると未来永劫、お前の子々孫々へと巫女としての力は受け継がれていくことになる。あの時言った意味がわかるだろう? 江戸を築いた徳川のように、上里の名がこの世界を支配するようになる。絶対王政的な神権政治の時代だ。神がこの世界で絶対であれば、それはお前が絶対であるということだ」

 

 化物に噛みつかれていない左腕で、咥えていた煙草を離した。

 

「だが、楔となった人間がもう一人ここにいる。私は巫女ではないが、幼いころは巫女であったことになっている。神の声が聞こえると吹聴して回ったからな。つまりだ。お前さえいなければ、繰上り的に私がその座に就くことになるよな? ああ、要するに“神になる”ってことさ」

「ということは、私を最初から」

「ああ、死んでもらうつもりだった」

「……!」

 

 そうだったのか。いや、本当にそうなのだろうか? 動機は? なぜ? でも、実際に根に触れて楔になったこと、私が大社の思惑通りに使われることに反対していたこと、私とこの世界の変化に触れなかったこと、そして、私と二人で、この世界に立ち入ったこと……その全てが、自身の目的に基づいたことだったとしたら……? 

 

「……権力が、欲しかったんですか?」

「違う。楽しそうだと思っただけだ」

「楽しそう……?」

 

 世界を支配する力を手にしようとする者が、楽しそうという意欲で動いているなんてことがあり得るのだろうか。多くの命を背負わなければならない重圧、責任。そんな力を持つことに恐れを抱かず、享楽を覚えるのであれば、それは支配者ではなく魔王と呼ぶべきだ。その心理は、他者と世界を守護対象とみなしていない。この世全てを玩具と捉えるのと同義だ。それなのに、この人は根の森を抜ける直前、不自然に歩幅を広げた。下を向いていた私と違って、化物の接近に気付いていたはず。明らかに道理が通らない。私の命を二度も救うなんて、この人の行動原理には何一つ合致しない……そのはずなのに。

 

「まあ、きっとお前らには分からないよな。この世界に飽きた人間の気持ちなんて」

 

 久美子さんは煙草の吸殻を化物に擦り付け、無造作に放り投げた。

 

「私は20年前、この樹海に迷い込んだ。そして素戔嗚と出会い、神の世界を知った。ここに来るのが、長年の夢だった。この世界が欲しい。そう思った」

 

 生気を失っていく肉体と反比例して、久美子さんの声に熱が灯っていく。彼女の本心。嘘偽りの無い大きな夢。紛れもなく、それは一人の人間の願いだと叫んでいる。

 

「人間も動物も草木も、全ては一定の法則のもとに動いている。一見不可思議な出来事も、頭のおかしな人物も、所詮はありふれた現象の集積だ。みんな違ってみんないいとか、その人にしかない個性があるとか、そんなものはまやかしでしかない。同じさ。私もお前も。どんなに奇をてらってみても、他人と違うことをしようとしても。全部全部、すでに出来上がっているフォーマットの上だ。感情も、優しさも、涙も激情も。全部決まった入力と出力で紐づいてやがるのさ。気色悪い、吐き気がする。そんな自分も誰かの複製。飽き飽きだ、現実なんて。だが……この世界を見てみろ。これまでの現実には無かった。魔法の実現さ。私が神になれば、このおもちゃ箱を独り占めだ。寿命を取り払い、全て遊び尽くして、最後には己ごとこの世界を焼き払ってハッピーエンド。ほら、考えただけで楽しくなってきたぞ」

「なら、どうして私を……」

「ああ、そこが私自身もさっぱりわからなくてなあ。だからこそ……満たされてしまった。ふふ。愉快だなあ。今初めて、人間ってのが好きになれた気がするよ……」

「……久美子さん?」

 

 その身に触れる。ひんやりとした植物のそれだ。ざらりとした表層は、いままで人の身であったという事実さえも否定しているようで。……本当に? 本当にこれで終わりなのか? この人の旅路は、ここで途絶えるのか? 変じゃないか、おかしいじゃないか。この人は、こんな死に方をしたくはなかったはずじゃないのか。だって、こんな、取るに足らない一人の中学生の命を救って、それで最後だなんて、そんなの。この人らしくないんじゃないか。私はこの人のこと何も知らない。でも、この人が、ずっと迷子だったのは分かっていた。これじゃあ、この人は迷ったままだ。この人は……魔王になるはずの人だったんだ。それを、誰かが止める前に、一人で勝手に死んでしまうなんて、そんなの。

 

「どこが、面白いんですか……」

 

 全身から力が抜け、根の地面にへたりこむ。分からない。私はどこかで、この人のことを好きになり始めていたのだろうか。右も左も分からない新世界で、この人の力を借りて動いていこうと、無意識で考えていたのかもしれない。私にはないものをこの人は持っていて、思わずそれに縋っていたのかもしれない。

 

 いや……私は若葉ちゃんに会うんだ。久美子さんのことは残念だった。でも、若葉ちゃんには代えられない。それは変わらない。だったら、進むしかないじゃないか。

 

 未来のことも、世界のことも、この先の己の立場のことも、後回しって決めたはずだ。

 

 切り捨ててここに来ている。自分のことばかり考えていたら、私は本当にただの我儘な少女になってしまう。

 

 考えるのは終わり。悩むのは終わり。せめて、自分の意志くらい、通してみせないと。

 

 そうじゃないと、私は……

 

「……ごめんなさい」

 

 私は立ち上がり、幾万もの逡巡を超え、走り出そうと足を踏み出した。

 

「……!」

 

 足元に根が絡みついている。振り返ると、しかしそこには物言わぬ怪物と女の木像があるのみ。

 そこで私は、はじめて自分が泣いているのに気付いた。

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