未だ眠ったままの若葉。そこを、七体の巨大な化物が一斉に襲い来る。蠍を模した化物から若葉を守る球子。それを見て激しく怒る杏。絶体絶命、しかし幸い若葉は目覚め、更に全ての化物を一瞬にして葬り去ってしまった。
「「「……」」」
移動する三人。立て続けの攻防により、肉体とは別に精神的な疲労がかなり蓄積されているように見える。ただ、先頭を行く一人の顔には、その色は浮かんでいない。
数分前──
「大丈夫か、球子」
手を差し伸べ、声を掛ける若葉。球子は顔を上げ、苦笑する。
「またお前が倒しちまったのか。若葉……」
球子は手を取り、ゆっくりと立ち上がる。そして、違和感に眉をひそめた。
蠍型の攻撃は、球子の肉体を内側から破壊していくほどの威力を十二分に持っていた。事実、球子は筋組織、内臓、両腕両足、拳までもが、砕けてぐちゃぐちゃになっていくような感覚を覚えている。
だが、球子の全身からはあらゆる痛みも外傷も、綺麗さっぱり消え去っていた。それ自体は多いに喜ぶべきことだろう。だが、球子自身は、このカラクリを理解していない。若葉が突然目覚め、あっという間に化物を破壊してしまったことも。
「あんず……あんずは!?」
振り返る。少し離れた場所に、杏の突っ伏している姿が。
「あんず、しっかりしろ!」
駆け寄り、肩を支える球子。杏は球子に体重を預けながら、なんとか立ち上がった。
「はあ、はあ、タマっち、良かった、無事で……」
「お、お前、足を……」
杏は右足を負傷していた。少しも体重をかけることが出来ない状態だった。いくら肉体を強化されていても、どんな衝撃にも耐えられる訳ではない。
「杏、腕に痛みはあるか」
「いえ、なので弓はまだ使えるかと……」
若葉に答えながら、杏は目の前の少女に宿る切り傷のようだった刻印が、墨で描いたように黒く変色しているのに気付いた。しかし、それについて言及することを躊躇い、すぐに目を逸らした。
「タマがおぶっていくよ。こいつデカいけど軽いしな」
球子の提案に若葉は頷き、振り返って光源を見やる。三人はもう道を阻む物が現れないことを祈りながら、目的地へと向かっていった。
幸い、三人を狙う化物はもう現れなかった。行く手を阻む物が無ければ、縦横無尽に高速移動する若葉たちが目的地にたどり着くまでに、大した時間はかからない。
「あれだな、神樹──私たちが目指していた場所」
呟く若葉。視線の先には、あの暖かな光の源。
「山だと思っていましたけど、これは……」
心臓と肋骨のように、大樹が数多の根に覆われている。根の鉄骨で出来たドームと言った方が近しい。光の殆どは林冠から発されていて、山頂から放たれているように見えていたのだ。
固唾を飲む。各々、自分たちに課せられた使命がなんであったのかを反芻する。
──四国に結界を貼る。それだけが人類が生き残る唯一の道──
あの男はそう言った。その為に、若葉が握る刀を、あの巨大な光る樹に突き刺す必要があるのだと。
だが、結界とは。その実態はなんなのか。なぜ四国に限定するのか。本当は何も知らない。球子は、おぶっている杏と互いに顔を見合わせた。
「なあ、若葉。タマたち、本当に正しいことしてるのかな」
「タマっちも、やっぱりそう思う……?」
「? 二人ともどうした急に」
二人に向き直る若葉。ただ一人、なんの疑念も露にしていない、純真無垢な顔をしていた。
「いや……だってさ、あれにその刀を刺したら何が起こんのか、実際に見たこともないだろ。あの髭の爺さんが言ってることが、本当に正しいことなのかもわかんねーし……」
「だとしても、あの化物に人類が勝てるとは私は思えない。他に何か手段があるのか」
球子は、若葉の透き通った瞳を覗き込む。……透き通りすぎている。瞬きの一つもせず、ガラス玉が埋め込まれたような無機質さ。違う。こんなの、生きた人間のする表情じゃない。
そう思った球子は、抑えていたものを吐き出すように口を開いた。
「だってよ! ……だって若葉、お前なんかおかしくなってるじゃねえか! あの蛇の怪物倒した時からさ、なんか……性格変わってるように……見えるんだよ」
若葉は首を傾げ、じっと球子を見つめながら言った。
「お前は私の何を知っているんだ。会って一日も経っていないというのに。私はお前のことをほとんど知らない。だったらお前もそうでなきゃおかしい」
「そ……それは……」
思わず目を逸らす球子。畳みかけるように若葉は唱える。
「私は人を殺しているんだ。未遂も一回。分かるか? 人殺しなんだ。だから私はもともと異常者なんだ。それでも世界を救わせてくれるとあの男は言った。だからここに来た。これ以上あの化物共に人間を喰わせてやるわけにはいかない。早く済ませないとな」
抑揚のない声でそう語りながら、若葉は鞘から刀身を抜き、光る大樹へと歩みを進める。絶句する二人。かぶりを振って球子は彼女に手を伸ばそうとするが、最後には口を噤んでしまう。
彼女は、間違っていない。それは事実で、止めるのは筋違いだ。第一、二人は、出会って半日さえ経っていない、赤の……他人、なのだから。
「あら? 仲間割れ? ここに来て? 変な人たちね」
「「え?」」
見知らぬ少女の声。その方向へと顔を向けると、遥か高く、大樹に絡む根の一本に誰かが腰掛けている。真っ黒のボロボロコートに身を包んだ黒髪の少女が、いつからかこちらを見ていた。
禍々しい大鎌を携えながら放つ妖艶な微笑が、私はあなたたちの敵です、と暗に伝えてきている。
「誰だ貴様は」
表情を変えぬまま、目前に美しく着地した黒髪へ剣先を向ける。黒髪はクスクス笑い、劇団員のように右手を宙に掲げながら喋り始める。
「私は地の神に敵対する天の神であり……正義の味方かな。ふふっ」
「……正義?」
眉を顰める若葉。黒髪はそれを嬉しそうに眺めている。
「幸せを貪り死した者。今も搾取を続ける者。苦労を知らずに嗤う者。喜びを知るため藻掻いた者。安らぎを求めて喘いだ者。簒奪者を呪い朽ちた者。平和とは? 幸福とは? 理想とは? 正しい世界とは?」
背中に両手を組み、若葉の周囲をゆっくりと周り、再度正面に立って向き直る。
「あなたにとって正しい世界って、何?」
「化物のいない世界だ」
即答。黒髪は目を細める。
「……つまらない答え。無知なる知ってのはこんなにも気持ち悪いのね」
「今度はこちらが質問させてもらおう。お前が天の神だと言うのなら、神樹を攻撃しなかったのはなぜだ。そうすればすべてに片が付いたはずだ」
「神樹という概念を消すことができても、樹を構成する神そのものを消すことはできない。私たちの目的は人類の盾を奪うことではなく、盾を盾のままにしておくこと。余計なことに気を回させないようにね」
「……なるほど」
「ま、もちろん人間は滅ぼすけどね」
そう言って、黒髪は根を蹴り、上へ上へと昇っていく。ついに林冠に到達した直後、黒髪の背後から大樹に迫ろうかというほどの巨大な何か──太陽が昇り始める。
そう、太陽。太陽を模した……殺人器。十二体目。中心から伸びた六本の針。そしてこれまでの全ての大型個体を凌駕する巨体。漆黒の光の化身の如きその姿は、まさしく、敵が天の神であるということの表れであった。
黒髪はそれに乗り、こちらを見下ろす。天の威光を示すが如く。
「でっけえ! って、お、おい」
「っ……!」
驚く球子の頭の上で、杏は弦を目一杯引き絞り──直後、光の柱は、もう一つの光線によって叩き折られた。
「ダメージ、入りますね!」
「何……!?」
目を見開き、損傷部位を見て唖然とする黒髪。若葉は間髪入れずに叫んだ。
「球子、楯を投げろ! 足場がいる!」
「お、応!」
杏を降ろし、助走とともに全力で楯を太陽へと投げつける。ある地点を境に楯は半径二メートルほどに面積を拡大し、若葉はそれに飛び乗った。
黒髪が右手を突き出し、それと同時に黒い小型の化物を滝のように吐き出す欠けた日輪。杏は複数の矢を番えて一斉射撃で援護する。もはや若葉にとって小型は埃のようなもの。討ち漏らしを剣風だけで次々塵へと変えていく。見かねた黒髪は飛び上がり、自ら若葉のいる楯の上に相乗りした。
すぐさま大鎌を器用に振り回し、若葉めがけて叩きつけ、若葉はそれを正面から受け止める。続く二撃目、三撃目、瞬く間に剣戟は音速を超える。
「あんたら、もう人間じゃないみたいね……!」
「あの二人は違う。手遅れなのは私だけだ」
「……」
鍔迫り合い。驚いた顔をしたと思えば、黒髪は不吉に笑う。
「へ~え、若葉だけが、こっちに来ちゃったのね」
「! 待て、私はまだ名乗っていないぞ」
「お互い様ね。でも知ってるのは私だけ……っ!」
鍔迫り合いの解除とともに、黒髪が後方へと退避する。直後、小惑星と見紛う獄炎の塊が、太陽フレアの如く殺人器から放たれる。触れただけで蒸発してしまいそうな高熱。周囲数キロにわたって火の海へと化すに足る、破壊的エネルギーの魔弾。
「八重垣・集」
それを、大樹を囲んでいた根の群れが、若葉の一声と共に途端に寄り集まり、巨大彗星を迎え撃つ。
しかし、若葉の狙いは防御ではなく──
「御免」
着弾に伴う爆発に乗じ、天空から流星を放つ。
直線を描いた刀身の反射。それは落日を呼ぶ鴉の嘆きとなり、まさしく決定打であった。
着地し、見えざる紅を払うように刀を振る。それは大きな勝利を得た者の残心。
「……勝負あったな」
海に沈み、黒紫色の礫をばら撒きながら消え去る凶星を眺めつつ、告げる。
十二体。若葉たちが屠ってきた殺人器の数である。
その全てが、人類を滅ぼすに足る力を持っていたのは事実。しかし、悉くをねじ伏せてきた彼女らに有効打を与えられる強力な伏兵が、果たしてまだ存在するのか。明らかに先ほどの超大型は虎の子であった。おそらく、もう黒髪に打つ手はない。
「……認めるわ。正直思ってた数倍は面倒なことになった。獅子座型殺人器の損失は痛手」
降伏を示すように、両手を上げる黒髪。しかし、その右腕は大鎌を握ったまま。
直後、黒髪の全身、破けたコートの隙間から、一際眩しい紅の閃光が放たれる。
「なっ……」
驚きと瞬きの後、若葉の目前に広がっていたのは、見慣れぬ雲の世界。地面は無く、それでも若葉は立っている。どこに両足が接地しているのか、彼女にはまるで分からない。しかし、そう狼狽えることもない。似たような現象を、彼女は一度体験している。
あの時。出雲大社からの逃走、その末に、若葉は根の世界へと瞬間的に移動した。神の世界。考えうる共通項。そして、大地に反転する世界があるとすれば、それは。
「高天原の雲海を少しだけ託されていたの。ここに立ち入れるのは刻印を持つ者だけ。時間制限はあるけれど、あなたを始末するには十分」
ただ一人、この世界における自分を除く唯一の存在、黒髪。球子と杏の姿は無い。であれば、こいつの狙いは一騎打ち。
「……なるほどな、数的不利を悟って一対一に持ち込んだというわけか。だが、例え神といえども貴様に後れを取る私ではない。私とお前に実力差はそうなかった」
「何を言ってるの? ここは切り離されているとはいえ高天原。あなたは敵陣の本拠地に単身で潜り込んでしまったのよ。そこに何があるとも知らずにね!」
見誤った。この世界には先客がいたのだ。
黒髪の後方から、雲を突き抜け──“十二体の殺人器”が、集結する。
若葉が屠ってきたはずの奴らとそっくり同じ個体が、全て、ここに揃っている。
「……なんだと」
「見覚えあるわよね? 殺人器の完成形。いわゆる十二宮の予備を置いておいたのよ。でもね、実はこれって全部『
「部品……?」
「殺人器は対人間用に殺神器を作り替えたもの。けれど厳密には、殺神器を分解して再構成しただけ……人間という個体の強度に合わせてね」
黒髪は続けて、高く腕を上げ指を鳴らした。合図によって十二体が、同時に水風船のように弾ける。放たれた飛沫、その一つ一つは、あの小型の黒い個体。そう、巨大な十二体の殺人器は、大蛇と同様、全て小型個体が寄り集まったモノだった。しかし、その小型個体が最小単位というわけではなく。それぞれが、更に粉雪のように細かくぱっと散っていく。
少しして、星空の如く宙に漂い。それらはやがて、再び繋がり、輝き、回転し──ああ、これが自分、自分のあるべき姿であったと、噛み締めるように甘い溜息が。雲を吹き飛ばす突風が巻き起こる。
まさしく再結合、そのプロセスを完了させ、満を持してこちらを見下ろす。それはあるいは満開の花のようでありながら、その実、真空の海に浮かぶ無数の星々の連なりで、生命を飲み込む大いなる何かであった。
「これが本物の『殺神器・曼荼羅』。神に祈って死になさい、戦神、乃木若葉!」
「……!」
宝石が散りばめられたようなまばらな輝きを煌めかせ、深い紺色の光線が、若葉向けて放たれる。全力で右前方に躱し、すかさずその光の行く末を確認する。それは雲海に巨大な穴を開け、その穴の先にもひたすらに雲海が広がっているのが分かった。吹き飛ばされた大気は唸り声をあげ、少し密度の高そうな明るい灰色の雲が黒い炎を上げて燃焼する。燃える黒雲は確かに肌を焼く高熱を持っていて、若葉の頬に少し汗が滲む。突如、天から降り注ぐどす黒い稲妻が雲に映った若葉の影を貫き、パリパリ、という音が鼓膜を揺らす。漆黒の炎雷。光線といかずちが刀を握る少女を取り囲んでいる。
若葉の肉体は人間のそれと機能的に大差はない。「神に付与される加護、呪術的な盾」が無ければ、この空間においてその存在というのは、矛盾そのものといえる。
しかし、既に若葉は理解していた。目の前の怪物はまさしく神を殺しうる兵器であること。そして、決して自分を殺すことは出来ないということ。この怪物を叩き切る力が、自分には、あるということを。
「……!?」
黒髪は不審に思っていた。太陽系を消し飛ばすほどのレーザーと、灰すら残さぬ雷。直撃せずとも、その神力の余波だけでも、即座に決着がつくはずなのだ。だが、効いていないし、“当たらない”。否、“何故か当たっていないことになっている”。若葉は最初の一発を除いて、大きな回避行動を取っていない。立っていた場所を、幾度も黒き刃が貫いているというのに、若葉にはその影響を受けている兆しが露ほども見られない。おかしい、不合理だ。しかしそこに若葉は確かに在る。
その因果の種は、若葉の握る剣にあった。
神剣・生大刀。それは生命を司る聖なる刃。主を守護し、邪を払う、「生かす刀」。霊力を宿しただけの紛い物ではなく、天に由来し法則を穿つ、まことの一振り。
スサノオが握り、オオクニヌシが譲り受け、乃木若葉が受け継いだこの神器。それを神樹に接続することで結界を貼ることができるというカラクリは、この剣だけが持つ代替できない祝福の効果によるもの。
それは、『敵対する何かが関与できない』理を付与するという、有り得ざる神秘。国生みの際に用いられた「
すなわち今、生大刀の力のほとんどを解放し、より純粋な神として魂を捧げている若葉は、誰にも干渉できない『別世界』という魔法の鎧を纏っている。それは今この時まで本人すらも気付いていなかった事実。今まで乃木若葉が無傷でいられたのは、若葉が神になったから、というのは誤りであり。正確には神に近付いたことで、生大刀を使いこなしていたから、であった。
要するに、乃木若葉を倒すことは、最初から不可能だったのだ。
「なんで……どうなってるの!?」
「……どうでもいいな」
どうでもいい。この戦いを、簡単に終わらせることができると知った今。迷いも、恐れも、何もかも。
「八千矛よ、契約に基づき、その魂を我が双腕に委ね給へ」
詠唱。
この生大刀は、ただ、若葉が出雲大社で拾っただけのもの。スサノオには持ち主としての資格はなく、所有者たるオオクニヌシに直接譲り受けたものではない。つまり、未だ借り物にすぎないのである。刻印だけでは、真の持ち主とは言えない。
「神剣・生大刀。その威を持って、理を断ち切らん」
故に本来の所有者、オオクニヌシに乞う。この刀を全力で振るうことをお許しください、と。
斬
一刀にて大雲を薙ぐ。世界は二つに分断。そしてピシッ、という間抜けな断末魔とともに、広大なる宇宙は、いとも簡単に事切れ──
「は──?」
ぶわあ。目の前に霧散する、黒い黒い、蛆虫の塊のように蠢くナニか。これはなんだ?
確か、樹海で化け物を斬った時も、黒い煙のようなものが出ていたが、もしやそれと同質の──ただ、とにかく、これは、「どうでもいい」で片付けていいものでは、ない……!
「『おやすみ、親指姫』」
最後に響いたのは、いつか聞いた少女の声だった。