結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
神樹へと辿り着いた三人。そこで姿を現した大鎌を携えた黒髪の少女。剣戟を経て、彼女は若葉を雲の世界へと引きずり込む。若葉は攻撃をいなし、そのまま「殺神器」を両断するが……


第二十六話 落花・曲筆

 忘れることは無い。薄れることも無い。

 

 なぜなら、母の死は、もはや私そのものとなっているから。

 

 けれど、その中に、泥で覆い尽くされた私の内に、僅かに残ったそれ以外の何か。それが、土居球子──タマっちという一筋の希望だった。

 

 私だけの為に泣いてくれた。私だけの為に戦ってくれた。失ったものと引き換えに、そんな嘘みたいな光がこの世にあるということも、知ることが出来たのだ。

 

 もとより身体が弱く、病気がちで、微かな善意さえも遠ざけてしまう私に、学校なんて行けるはずもなかった。それでも、その日。私は、誰の手も借りず、ただ衝動のままに外に出た。小さな財布を握り締めて、よろめく身体に鞭を打った。

 

 脳裏に反響する呼び声、そこに行かなければならないという使命感、そして、私を現世に留め続けた全ての意味、私が私である理由がそこに居るという確信に、背中を押されて。

 

 

 ─────────────────────

 

 

「うわっ」「なに……!?」

 

 眼前で突如解き放たれた深紅の輝き。タマも杏も、思わず顔を覆ってしまう。幻惑から回復した時には、そこには若葉も黒髪も既に消えていて、代わりに空間に貼り付けられた雲のゲートが置かれていた。

 

 タマは杏を再び背負い、一緒にそのゲートの目の前まで近付いた。世界そのものに穿たれた孔は、180度を境に見えなくなるほど、完全に平面で出来ている。

 

「二人は、この中に居るのかな……」

「たぶんな……」

 

 背後で呟くあんずに答えつつ、目を凝らして中を見る。

 ダメだ。何が起こってるのか、雲が邪魔で分かりゃしない。

 

「……?」

 

 急に肩からじくりとした痛みが奔る。杏を降ろしつつ視線をやると、あの刻印が紅くこちらを照らしていた。その色は、今まさに眼球の奥でチラついている、黒髪が放ったものと同じもの。なら、もしかしたら。

 

「なあ、あんず。タマ、こん中入ってみる。入れると思うからさ」

「だったら、私も」

「いや。多分そいつは無理だ。第一お前怪我してるしな」

「そんな……私、一人なんて嫌だよ……」

「……」

 

 金色の瞳が揺らいでいる。あの時の表情が重なる。思い出される。あんずと初めて出会った時のこと。

 

 秋の夕暮れ、街中ですれ違った一人の女性。その胸に宿る紅の靄。人混みで彼女を見失ったタマは、街ゆく人に声を掛けては、月が昇るまで探し続けた。

 

 ようやく彼女の家に辿り着き、玄関に立ち入ると、見知らぬ男の背中と、頭から血を流している女の姿があった。靄はもう見えなかった。女が生命を持っていないことの証明だった。

 

 驚愕よりも、恐怖よりも、間に合わなかった自分への怒りが己を支配した。常備していた鉄バットで男を背後から昏倒させた直後、その存在に初めて気付いた。

 

 女には娘がいた。娘は手足を縛られ、瞳は既に絶望で乾ききっていた。その少女こそが、伊予島杏だった。

 

 タマはあんずを抱き締めて泣いた。ごめんな、ごめんなと喘ぎながら、その悲運を嘆いた。

 

 タマが間に合っていれば、ありえなかったはずの、避けられたはずの運命。肉体は救えても、あんずの魂は一度殺されてしまった。

 

 母を目の前で殺されたあんずの魂は、未だ癒えていない。永遠に元に戻ることは無い。それはタマのせいだ。だから、あんずがタマにここにいて欲しいと言うのなら、タマにはそれを聞き入れる責任がある。

 

 それでも──

 

「なあ、あんず。タマ、やっぱり若葉を助けに行くよ。あいつは確かに無茶苦茶強いし、タマの助けなんていらないかもしれない。でも、あいつはもう、これ以上背負っちゃダメな奴だと思うんだ」

 

 あんずの涙を指先で拭いながら、タマは杏に笑いかける。紅の閃光が広がったその瞬間、脳裏に回帰していた若葉の過去──それはまるで、やはり自分こそが、彼女の救い手であるのだという運命を示しているようで。

 

「確かにさ、まだあいつとは会ったばっかだ。でも、タマ、あいつのことほんとは知ってんだよ。こいつが……じいちゃんのこの楯が、教えてくれた。あいつは人なんて殺しちゃいない。あいつを……ほっとけないよ」

 

 タマは立ち上がり、雲のゲートに右手を突っ込む。肩の刻印が一際強く発光し始めた。

 

「また後でな」

 

 左手で手を振り、にしっ、と、歯を見せた。

 

 

 ────

 ────────

 ────────────

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 ────

 

 

「……!」

 

 着いた。やはりというか、どこもかしこも雲まみれ。雲しかない世界。根しかないってのも奇妙だけど、雲しかないってのもおかしな話だ。

 

「くふふふ……あーあ、やっちゃった」

「! この声……」

 

 雲の上を走る。視界を遮るものを掻き分け、そして広がる雲の盆地。黄みがかっていた雲海は、ここに限っては黒く濁り切っている。それになんだか、すごく……不快な感じがする。

 

「うわっ、なんだありゃ……」

 

 黒雲の世界に、さらにどす黒い、大陸並みに巨大なラフレシアが咲いている。それは桔梗の形になり、やがて百合となって落ち着いた。この原因はきっとあれだ。……まて、あれは……花のすぐ近くに落ちてるのは、若葉の……刀じゃねえか。

 

 焦燥の中、タマは刀の傍に立っている黒髪に近付き、乾いた声で叫んだ。

 

「若葉は……? 若葉はどこだ!?」

「あら、あなたも来れたの?」

「答えろよ!」

「くふふ。お友達の姿も分からないの?」

「……まさか……これが……?」

 

 黒雲の空間の中心に鎮座する、巨大な黒百合の花。違う、花の形をした最悪の何かだ。あれが……あれが若葉だっていうのか。

 

「若葉は殺神器たる曼荼羅を斬った。けれどその御霊は、穢れきった人間の魂によって満たされていた。あなたたちがこれまで戦ってきた星屑も、十二宮も、御霊は全て人間の魂が詰まっていたのよ。でなければ、私の意のままに操ることなんてできやしないもの」

「人間の魂……? あ、あれがそうだってのか」

 

 黒百合の花は、一定のカタチを保っているように見えて、所々マグマのように蠢いている。あれは生きた何かが寄り集まったものだ。そして、その正体が、人間? 

 

 タマの中にあるものも、あんずの中にあるものも、あんなどす黒いモノだっていうのか……? 

 

「私の本来の役割は、殺人器に対抗できる、神の力を宿らせた少女を叩くこと。そうすれば、人類は勝手に殺人器が滅ぼしてくれるから。けれど、空っぽだった御霊には、人間の黒ずんだ魂が宿っていた。そこで私は殺人器を掃除器じゃなく、兵士として利用することにしたの……でもなんでだと思う? ……くふふ。簡単なことよ。成仏出来ない魂。悪霊と呼ばれる物の怪たちは、この世を滅ぼす力を求めていた。人として生まれながら、この世全てを憎んでいた。なぜこんな狂った世界に生まれ落ちなければならなかったのか。苦しみ、辛い思いをしてまで、なぜ生きなければならなかったのか」

 

 語る黒髪の口角が、一節ごとに吊り上がる。

 

「そう、これは世界への復讐という大量の私怨、悪霊による天の神の代理戦争。生ける人類と死せる人類の対立が、この戦の真実よ」

「……じゃ、じゃあ、あれは、化物共のあの妙な殺意は、人間の……もの……?」

 

 うどん屋の髭のおやじは、そんなこと一言も言ってなかった。敵は天津神、そしてそいつが化物を寄越してきてるんだって、それしか。

 

「なに、そんなに驚くことじゃないわ。戦争とは意思と意志の潰し合い。生きているか死んでいるかなんて些細なことよ。今までだってそうだったでしょう?」

 

 黒髪が大鎌をこちらに向ける。タマは困惑を拭えぬまま、楯を構える。

 

「……さて、魔王と勇者の一騎打ち、始めましょうか。最後に立つのが、こんなチビだとは思わなかったけれど」

 

 頬にぬるりと汗が滲む。ちらりと黒百合に視線を投げると、その中心付近に、淡く淡く、紅の靄が光っている。

 若葉は今危ない状態みたいだ。でも、あれが見えるってことは、あいつはまだ戦い続けている。だったら。

 

「……へっ、馬鹿言うな、若葉はまだ負けてねぇ。ちょっと休憩してるだけだ。だから……」

 

 雲を踏みしめ、突貫する。

 

「二対一だぜ、コンチクショウ!」

 

 勢いそのまま、あらゆる躊躇いをかなぐり捨てて振るう楯。しかし黒髪は片手で鎌を持ち上げ、その衝撃を無造作に受け止めた。

 

 渾身の一撃だってのに、こいつは少しも狼狽えちゃいない。

 

「あら、寝てるだけの人にも誉はあるのね」

「……舐めんなッ!」

 

 不意を突かんと、楯を握らぬ空いた左手、その拳で、黒髪の脇腹狙って殴りつける。

 硬い。信じられないくらい薄着だってのに、人間の身体じゃねえ。殴ったこっちの方が、反動で痺れそうだ。

 

「!」

 

 間を置かず振りかざされる一薙ぎを紙一重で回避し、上体をひねり、すかさず楯で頭を狙う。

 しかし今度は鎌を使わず、掌で掴まれ──

 

「やべ──」

 

 竜巻を孕んだ拳が、鳩尾に突き刺さる。

 

「──が」

 

 全身というジグソーパズルが、一挙に砕かれ、散っていく感覚。蠍型なんて非にならない、ただの一撃で人体を崩壊させる絶対的な一打。

 

 肉体が雲の上を転げまわる。その間、呼吸を放棄するほどに、脳はその意義を忘れて呆けている。

 

「──ぅ、あ」

 

 だが、精神はまだ戦いを覚えている。立ち向かう気概を手放していない。少しづつ、少しづつ上体を持ち上げていく。消えかかった神経に、恐れず通電を行う。

 

 痛みは生きている証だ。生きているのなら、まだ、諦める選択肢は選べない。

 

 ──肩の刻印の疼き。それが首筋まで伸びていく。得体の知れないその力が、戦士を支える。

 

「……しぶといわね。意地?」

 

 霞む視界、その先で響く少女の声。

 そいつがどんな顔をしているのかも分からない。けど、タマはにやりと笑ってやった。

 

「違うね……確信だよ、あいつが来るってことの」

「あら、健気ねぇ。でも無理なものは無理なのよ。まあ、ああなった人間がどうなるか知らないのだから、仕方ないかしら」

「……どうなるってんだよ」

 

 少しの発声による振動さえ、身体の節々が拒絶する。だが、気合と意地が、強気な仮面を外させない。

 

「魂っていうのはね。深ければ深い場所ほど、シンプルなものしか発しなくなっていくのよ。例えば、そう……」

 

 朧気だった視界が徐々に鮮明さを増し、それを知ってか知らずか、黒髪は首をかしげて目を見開いた。

 

「“恐怖”とか」

 

 乱れた呼吸が落ち着きを取り戻していく。だが、入れ替わるように、頭蓋の内で、見知らぬ誰かの声が響き始めた。

 

 かぶりを振る。無視だ。無視しろ。そんなやつ構うな。

 

「……っ、それがどうした、あいつなら、きっと」

「ちがう、ちがうのよ。言ったでしょ。シンプルなの。『殺されそうで怖い』『得体が知れなくて怖い』『大切な人が消えてしまいそうで怖い』──恐怖には必ず、なにかしら理由があるでしょう? でもあそこには理由が無いの。ただ、魂の中の、“恐怖”を発するスイッチが、入れられているだけなの。そうなると人はまず暴れる。悶える。叫ぶ。助けを求める。けれど何をしても“恐怖”は決して消えない。だって自分自身で怖がっているだけなんだから」

 

 黒髪の声と、見知らぬ声が、交互にタマの意識を揺さぶる。

 気持ち悪い。なんだよ。なんなんだよ。離れろよ。だから、やめろって──

 

「まあ、一つだけ、逃れる方法はあるんだけどね……知りたい?」

 

 考えるな。考えるな。考えるな。考えるな。

 無視しろ。想像するな。感じるな。

 同情、するな。

 

「……!」

 

 ──耐えられない。精神を蝕まれていく感覚だけが、今の自分の真実となっている。

 

 訳も分からず、目の前の生き物に殴り掛かる。しかし当たることは無く、勢いのまま倒れこむ。

 

「ふふ。ま、死んだ後は怖がりようが無いわよね」

「はぁっ、はあっ……!」

 

 知らない、知らない、知らない、知らない。

 聞こえない、聞こえない、聞こえない、聞こえない。

 

「ああ……ああ──!」

「何を今更怯えてるの。あなたなにか勘違いしてない? あなた達が振り払ってきた怨念(にんげん)は、死ぬ前も死んだ後も、そんな場所に居続けているのよ。こんな世界が存在しているせいでね」

「うっ……うあぇ」

 

 あたまが、とける。

 びしゃびしゃと、いうおとがする。

 みひらく。ひとのかお。おこってる。ないてる。さけんでる。こわがってる。

 

 なぜ? つらいおもいをしたから。

 なぜ? むくわれないまましんだから。

 

 ……ああ。

 ……かわいそう。

 ……かわいそう、だけどな──! 

 

「へえ、優しいのね。ならもう戦うのはよしなさい。みんな平等に、滅びればそれでいいのよ。誰にとっても」

 

 ……それがどうした。

 タマは、自らの吐瀉物を踏みつけ、怒りのまま、神とやらに拳を突き出した。

 

 お前たちは間違ってる。

 例え、世界に裏切られようと、抑えきれぬ絶望に吞まれようと。最後に打ち克った者は、絶対にいたはずだ。

 

 その悲しみは、怒りは、本物だ。

 この現実は、真実は、いつだって狂ってるさ。

 でも、お前たちは忘れてるよ。本当に求めていたモノを──

 

「……なに? それ」

 

 タマの拳を握り締めながら、黒髪は冷徹なまなざしをこちらに向ける。なめてんじゃねーぞ。タマはそうやって睨み返して、こう言ってやった。

 

「黙らせて、やろうと思ってさ」

「──!」

 

 黒髪は唇を歪ませ、タマの首を締め上げた。

 

 そして、呪詛が、その渦が、どこからかタマの身体を取り囲む。憎しみの声。その数は、先ほどの数倍の振幅を帯びている。

 

 

 人間としての精神、その限界。

 

 反抗する自我がどれだけ強固なものであったとしても、その奥底にある小さな塊は、誰しも似通ったカタチをしている。土居球子は、結局のところ数多の人間の、その内の一人でしかない。

 

 遥か悠久の過去から、怨嗟は連なり続けてきた。人は時に世界を愛し、時に世界を拒絶する。その不安定な営みこそが、人を人足らしめている。

 

 ──人は悪意に落ちやすい。幸福も平和も、強ささえ、枯れ葉のように脆く刹那的である。

 

 人の根底は欲であり、欲であるから歪みゆく。そんな人が形作る世界の在り方の限界。

 

 そう、人は滅びてこそ、漸く安寧を得る。

 

 そうだろう? そうでしょう? だから。だから。おいで。おいで。“一緒に世界を救いましょう”──

 

 

「ほら、可哀想でしょう? 怖いでしょう? そんな世界──」

 

 眼を見開く。

 いい加減に、しやがれ──! 

 

「知るかって、言ってんだ──っ?」

 

 鈍い音と共に、身体が少し揺れた。何が起こったのか分からず、ただ、辺りを見回した。

 足元の雲が、不自然に赤く染まっている。

 

 ──そうか。変だと思ったんだ。

 

 タマの左胸に、紅の大鎌が突き刺さっていた。

 頭の中が、急速に冷やされていく。氷点下に達した辺りで、指先の感覚が消えた。

 

 

「ごぽ」

 

 開いた口から、吹き上がった血潮が垂れ流しになる。黒髪はタマを無造作に放り投げ、肩をすくめた。

 

「驚いた。あなた、恐怖心ってものがないのね。気持ち悪い」

 

 消えゆく五感が、意識の刹那に呼びかける。

 最後の言葉はあるか。と。

 だからタマは言ってやったんだ。

 

 にんげんのたましいをなめるな、ってな。

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