乃木若葉は犠牲を払い、黒髪の少女を打ち破ったのだった。
第二十八話 果ての始まり
──時の流れの異なる天地の間に、共鳴が訪れる。
バニシングツイン。魂を宿らせたものの、生まれ落ちることのできなかった双子の片割れ。その穢れなき魂は天に召し上げられ、やがて形を変えて一つの肉体に定着した。
されど、その肉体もまたある魂の輪廻の果てであり。それゆえ、二つの魂は交じり合い、ひとつとなった。
そして、穢れより生まれ落ちた、とある女神に宿ったその生命は、またも、穢れより出でることとなる。
そも、その女神は無欠にして、不変の輝きを保つ存在であった。彼女が狂い乱心したそのきっかけこそ、物語の歪みの原初であり。本来存在し得なかったその神は、その終着点と呼ぶべきもの。
天が煤と灰に染まって後、目を覚ましたその意識は、母の瞳を見て、ひどく絶望した。それは何も映さず、何も残らず、何も見てはいなかった。
だから彼女は、絶えず手探りで暗闇を駆けた。魂の深淵に揺らめく記憶が、そこに求めるものがあるはずだと、ひどく不安そうに訴えていたから。
階段を登る。階段を走る。しかし雷神に行く手を阻まれ、彼女は声を上げて泣きだした。母のカタチをした抜け殻が、その八つの神々に刃を向ける。
怯えながら、彼らは言った。
“私たちは見張りだが、その意味こそもはや消え失せている。何人であろうと、この黄泉路の先の門は開かれない。生と死の天秤が作られた時に、この世界は意味を為さなくなった”と。
だが、一つだけ方法があると、彼らの一人が語る。
そうして、果てが始まった。
*
目が覚める。
天井を見て、呼吸をして、瞬間、自分が生きている、ということを実感する。
その不快感が全身に奔って、脳が捻じれて心臓が唸り始める。
何が起こったのか、どういう状況なのか。それを認識するより先に、絶望が目の前でこちらを見ていた。
「……須美が……うそ……うそだ……そんなはずはない……須美、須美、須美……」
安芸が視線を落とす。とても見てはいられない、そんな様子で。
「須美に! 須美に会わせてください、いるんでしょう、まだ会えるでしょう!?」
縋るような眼で安芸を見つめる。それに安芸は消え入るような声で答えた。
「……墓地への訪問には、申請で時間が」
「墓地……じゃあ、もう……」
安芸は唇を嚙み、ゆっくり休みなさい、とだけ言って病室を後にする。銀は呼吸もままならないまま、掌を見つめて呟く。
「なんで、アタシだけが……」
生き残ってしまったのか。こんなところで寝ていて、体を休めて、それがなんになるのか。力の入らない全身。ベッドから倒れ落ち、腰に痛みが走る。幽鬼の如くゆらりと立ち上がり、病室を抜け出したところで、ふと廊下に響く足音へと顔を向ける。そこには、見舞い用の花を持つ園子の姿。
「ミノさん! もう大丈夫なの……!?」
聞かず、よろめきながら銀は背を向けて走り出す。
「まって! ミノさん!」
園子は花を足元に置いてこちらを追う。銀は追いつかれまいとさらに速度を上げていく。
「また逃げるの!?」
叫ぶ声が廊下に響く。銀は心臓を掴まれた錯覚と共に足を止めてしまった。
「……そんなつもりじゃ」
「逃げてるよ! そうやってだんまりで! 全部ひとりでしょい込んで! ミノさんにとって私たちって何なの!?」
沸き立つ自己嫌悪で、左腕に爪を突き立てる。一声発するのにも、魂ごと世界に怯えてままならない。
「……分かってるんだよ。アタシが謝れば、お前は……分かってくれるって。分かってしまうって。アタシのことを、簡単に……許してしまうって。だから、もう、ダメなんだ……!」
「ダメってどういうこと! わっしーが……わっしーがもういないのに、ミノさんは何も話してくれない!」
「大社から大体のことは聞いてるだろ……」
「話がしたいの!」
「……アタシだって……話したいよ……」
園子が絶句して立ち尽くす。かけるべき言葉を見失い、少女は拳を握り締める。
「……さよなら、園子」
園子は消え入るような声を聞き、はっとして追おうとするも、しかし既に銀の姿は消えていた。
銀は病棟を抜け、地神連宮の敷地内をさまよい歩く。
広く、まさに小さな一つの国のようで、当然現在地なんて分かりはしない。しかし、今の彼女には目的地なんて存在しない。ただ、歩いて、歩くことしかできず、歩くことしか思い浮かばなかったという、それだけのこと。とはいえ、患者衣を身に着けてうろつく小学生というのは流石に目に余るだろうと、銀は人の少ない場所に絞って、ただ歩き続ける。
「……あんた、もしかして弐号か?」
そんな不審者のすぐ隣で、同行者然とした顔で、最初からいましたけど、といった調子で声を掛けてきた一人の白衣の女。長い金髪を束ねていて、やたら身長が高い。銀は驚きのあまり声も出せず、立ち止まった。
「つってもわからんか。あー、なんだ。勝手にうろつかれるとみんな心配するだろ」
そして訪れるしばしの沈黙。耐えきれず、女は右手をぶんぶん振った。
「……やめだやめ。説教なんてしたことねんだ。とりあえずついてきな」
そう言って、歩きながら携帯を取り出し、誰かに電話をかけ始めた。
「三ノ輪銀はこっちで保護したよ。ああ、こっちで預かっとく。ああ、はいはい、お疲れさん」
どうやら、捜索を依頼されていた大社の職員らしい。保護していた少女の行方が分からなくなったら騒ぎになる、という当たり前のことすら思い至らず、そんな自分に銀は呆れた。
「あの……」
「ん、ああ、私は伊予島柚希。大社の神力研究局ってとこの一番偉いやつさ」
謝罪の申し入れを、素性の借問と捉えたらしく、そう答える女。伊予島、という響きが銀の記憶を想起させ、続けて尋ねた。
「伊予島……さん、本、書いてますよね」
「ん? ああ、趣味でね。もしかしてファン?」
伊予島柚希。大社館の図書館で、鷲尾須美と初めて言葉を交わした日。園子が借りたという、須美の傍らに置いてあった一冊の本の作者の名。
「なんというか……」
掠れる声に、詰まる言葉。そんな様子を見て、柚希は銀の頭に手を置いた。
「……肆号のことは残念だったな。……じゃなくて鷲尾須美、か」
やがて立ち止まり、見上げるとそこは、白壁の巨大な建造物。
柚希は受付に刻印を見せ、二人は入館する。その後廊下に取り付けられた扉を開いて、個人用の研究室のようなところに入り、銀は促されるまま椅子に座った。
「……ところで、その、何号とかってのは」
「ああ、まだ知らないんだな。……あーっと? いや弐号は採用しないからそれでいいのか。……一応確認とるか」
ぶつくさ言いながら、柚希はドアノブに手をかける。
「ちょっと待ってな」
そう言って部屋を出ていく。手持ち無沙汰の銀は部屋を見渡し、そこにはパソコンと書類の部屋。ぎっしりと敷き詰められた書物におびただしいメモ、そしてお札。ぼうっとそれらを眺めていると、すぐに柚希が戻ってきた。
「……許可が下りた。さて、お迎えが来るまで話でもしようじゃないか」
言って、柚希は、パソコンの前のデスクチェアに座った。
「その前に、災難だったな。突然あんな目に合って」
あんな目。……そう。銀がここに来るまでの記憶は、ごっそり抜け落ちている。最後に覚えているのは、黒髪の女と、巨大な漆黒の花、そして、己自信を喪うような恐怖そのもの。
そして何故か、銀だけが、ここに存在している事実。
「いえ……アタシは別に……」
災難だなんて、自分で認められるはずがない。鷲尾須美という少女が、そこにいた以上は……。
そう、落ち込んで翳る銀を見て、柚希は空気を変えんと話し始める。
「……そう、鷲尾須美な。あの子とお前、そして園子様は、とあるプロジェクトの被選定者候補だった……名は『勇者計画』。勇者、すなわち最強の戦士を作る計画。乃木若葉のような」
「乃木、若葉……!」
その響きに反応し、俯いたまま呟く。
乃木若葉。三人の関係は、その名と共に始まった。その存在を知る者が今更現れるとは。本当に、なんで今更。乃木若葉について知りたかったのは、検閲された本が家にあって、同じ苗字と見た目の少女がクラスメートにいて……勇者と呼ばれた人がどういうものなのか、漠然と知りたくて。でも、何も守れなかった自分はもう、勇者になんかなれっこない。
だから、本当に今更だった。乃木若葉のことなんて、もう、どうだって良かったのに。
「ああ、そう、乃木若葉。よく知ってんな。国家機密なんだけど……ま、いいんだよ。大社がいないことにするのが重要なんだ。お前が知ってようが知るまいがさして変わらん」
柚希は意外そうな顔をしながら、すぐにあっけらかんと笑った。
「そんでどこまで話したか……ああ、その前に、何と戦うのかって話だよな」
リモコンを取り出し、モニターを開く柚希。
「お前、神様って信じてる?」
「え……えっと……」
神様? と、素直に困惑する銀。
「まあそんなこと言われてもって感じだわな。まあいるんだよ。それも派閥があってさ。ざっくり分けて人類の味方サイドと敵サイドで」
画面に映し出されたのは、全身真っ白い、大型の口と歯がついたクラゲのような生き物と、白と桃を基調とした、布のようなもののついた縦長の無機質な巨大な何か。
「これは……?」
「バーテックスっていってな。敵側の神様の兵士だよ。お前はこれと戦わされそうだったのさ」
待てよ。
あの検閲された本の内容は、確か。
“勇者乃木若葉は──天の遣わした邪神を打ち倒す”
「乃木若葉は、これと……」
「そう、逆に言えば乃木若葉はこいつらに勝てたわけだよ。さて……本題はここからさ」
モニターを閉じて、柚希は椅子から立ち上がる。
「おいで。社会科見学しよう」
研究室を出て、研究局の内部を進んでいく。やがて開いた扉から、嘘のように広大な部屋が目前に広がる。用途が謎の機械に、用途が謎の装置、そして用途が謎の物体。そしてもう一つガラス張りの筒抜けの部屋が見え、何かがカプセルの中に安置されている。
こちらに気付いた研究者の一人が、こちらに声を掛ける。
「お、伊予島博士。おはようございます。おっと、お子さん……じゃないですよね?」
「なわけ。見学者さ。ちなみにこいつ弐号」
「おお! 君が例の弐号か。よく来たね」
おもむろに握手を求められ、応じる。
「どうもっす……」
研究者はにっこり笑って、柚希に語り掛ける。
「弐号ってことは、現世のほうですか?」
「そうそう。で、その後の数値どうよ」
「相変わらず安定しないっすね。もったいない」
二人がガラス張りの部屋に視線をやる。すると、無色の炎のようなものに包まれた剣があった。
「あれこそ我らが研究局の英知の結晶、『概念剣』。名は現世という」
柚希が、続けて語り始める。
「乃木若葉が用いた『生大刀』は神代来の神剣そのもの。用いるには『神化』が必要……しかしそれには神話の再現が条件となる。だが、はっきり言おう。それは無理だった。技術と理論で太刀打ちできる領域ではないのだと思い知った」
「研究局では壱〇〇年単位の研究を続けてきたけれど、それがもたらしたのは『無理なものは無理』って結論だけだったわけだよね」
「そう言うな。おかげで方向転換ができたんだ。それで……私が『概念武装技術』というイノベーションを起こした」
耳慣れない用語ばかりでとてもついていけない。そんな銀の様子もお構いなく、助手らしき研究者の熱さは増していく。
「これはね、人の身を保ちながら、神の力を振るえるという優れモノなんだよ。武器としてではなく、その器に『神』を流し込み、単一でポテンシャルを引き出すという……天才的ですよ、博士」
「でも現世は失敗作だった」
興奮して目を輝かせる研究者と相反して、しかし柚希の声は苦々しかった。
「……まあ、概念武装には弱点があってな。直接触ると神になってしまう。それも独立したものじゃなく、神樹様……私たちの味方側の神様の一部になってしまうという。それを防ぐためにまた別の装備が必要なんだが、現世はちょっと規格外で、制御が全くできない。原因も不明。お手上げだ。だから現世の適格者たる君の出番はないってことよ。あ、ちなみに参号は園子様さ」
最後だけなんとか理解できた銀。要は、あの剣は銀が使うはずだったけれど、手に余るから、諸々無かったことになったってことだろう。
「……てことは、園子もその、概念武装ってやつで?」
「まあ出撃する機会があったらな。といっても、近頃の情勢を考えると可能性は極めて高いが」
そこで、柚希の携帯が鳴る。応答し、彼女は言った。
「お迎えが来たようだ。出口まで送ろう」
研究施設の外で待っていた人物。
「安芸先生……」
安芸は銀を一瞥し、表情を変えず口を開いた。
「三ノ輪さん、これからは勝手な行動は慎むように。伊予島博士、助かりました」
「いやあ礼には及ばんさ。こちらこそ話を聞いてくれてありがとう銀君。たまにこうして成果をみせびらかしたくなるもんでね」
そう言って握手を求める柚希。銀も右手を差し出した。
「いえ……アタシも、楽しかったので」
「そうかい。ならいつでも遊びに来たまえよ。忙しいけど」
「はい、是非」
夕刻。
その後、銀は黒塗りの車まで案内され、後部座席のドアに手をかける。ふと、こんなことを尋ねた。
「……先生、神樹様って、なんですか」
「伊予島博士から聞いたの?」
「えっと……そう言うのを聞いたというか」
安芸は振り向いて、斜め上空に指をさした。その先には、地神連宮のその向こうから、大樹の林冠が顔を覗かせている。
「あれが、神様なんですか」
「そう。正真正銘のね」
「……なら、神樹様にお願いすれば、須美は戻ってきますか」
安芸は沈黙し……ただ、静かに答える。
「……神様にもできないことはあるわ」
「……そうですか」
病室の時の銀の声の震えは、既にない。
安芸は人知れず迷いながら、続けて告げる。
「……三ノ輪さん、後で説明があるけど、事前に概要を知らせておくわね」
「はい」
「あなたにはこれから大社の護衛を受けながら、讃州市で暮らしてもらいます。親御さんには事前に話してあるけれど、改めて説明に伺うから」
銀は驚いて目を見開く。
「讃州? じゃあ、第一小は」
「卒業は出来るけど、卒業式には出られない。申し訳ないけど、あなたの安全を確保するにはそれが最善との判断からよ。家族とも一緒には暮らせなくなるけど、生活は大社ができる限りサポートしていくから、だから……」
「……そうですか、分かりました」
銀はそれ以上何も言わなかった。弟にも、両親にも、クラスメートにも、園子にも。もう、合わせる顔なんて自分にはない。だから、きっとこれでいいのだと、銀は既に納得していた。
安芸はその様子を見て、口を開いて、また噤んだ。
「……っ……寂しく、なるわね」
ひねり出した言葉は、どこまでも当たり障りが無い。揺れる唇はそれに苛立っていて、それを隠しきれない自分が情けなくて。それでも、銀は安芸の為に寂しそうな笑顔を貼り付けた。
「……そう、ですね」