「須美様は、先ほど息を引き取りました」
地神会。
別称大巫女派と呼ばれる、大社の派閥の名称である。
大社には大きく分けて二つの勢力があり、大巫女派に対し、親月派──月光の福音との融和を目指す者達がいた。月光の福音に対する圧力を強めるべきであると主張してきた地神会は、親月派と対立関係にある。月光の福音が日輪宗へと姿を変えた今、親月派は親日派と呼称されている。
そして今、地神会内で緊急会議が行われていた。
「先ほど、大巫女より終占を賜った。時は5月6日。猶予は半年もない。はっきり言って、大社は創設以来、最も存続が危うい状況に陥っていると言ってもいい」
語るのは、安芸家の当主──教師安芸の母であり、地神会の重鎮。安芸家は初代大巫女上里ひなたの片腕として活躍した、大社において絶大な影響力を持つ立場にある名家である。
「5月6日……やはりひかげ様との呪詛分散が祟ったのでは」
「……否定は出来ん。しかしやむを得ぬことだ。ひなよ様とひかげ様、どちらかが完全に呪い尽くされてしまえば、楔の凍結をこじあけ、縁を通して神樹様も穢されてしまうのだから」
構成員の一人に、そう答える安芸家当主。続いて口を開いたのは、乃木家次代当主、園子。
「クーデターでいいでしょ。ね、柚希さん」
「え!? え~っとまあ、うちの概念兵装なら……制圧力に……問題は……ない……かと……」
ぎょっとしてしどろもどろに答える伊予島柚希。会議室内にはいやな沈黙が充満する。
「幽世遠洋の際に異界化を一度突破されている。アマクダリ作戦はともすれば天地開戦の引き金になりかねない。神託が受けられぬ今、こちらから仕掛けるのは……」
「そうは言ってもさ、ひなみさんが大巫女になっちゃったらそれこそ終わりだよ。時間が無いんだよ。それに、いつまでもひーちゃんを苦しめたままにするのってどうなの」
「……」
隣に座る園子母と執事アルフレッドが、聞きながら苦い顔で口を結んでいる。
園子が地神会会議に出席するのはこれが初めてだったのだが、最年少ながらの飛ばしぶりにやきもきし、しかしその言い分は正しくもあり。
「その様子じゃ、終占の日まで何もしないんだろうね。なら私から言うことはもうないよ。方針が固まったらまた呼んで」
「「そ、園子(さま)!?」」
園子は立ち上がり、さっさと会議室を出ていった。
園子不在のまま、しかし会議は続く。監視の目を逃れた園子は、隣にある資料室に立ち寄った後、霊的医療局の24病室に向かった。受付で刻印を見せ、廊下を進んでいく。
扉の前に立ち、ノックを二回。返事はなく、開いたそこには、未だ親友が眠っていた。
「……やっほー、ミノさん」
小声で呟き、ベッドの横にあるスツールのいすに腰掛ける。
寝顔をしばらく見つめた後、園子は手に持った手提げから複数のファイルと冊子を取り出した。それらは地神会が独自に収集しているもので、冊子は検閲を免れた乃木若葉の伝記──三人組の出会いのきっかけとなった、あの本そのものである。
乃木若葉の伝記、“乃木若葉本”なんて呼ばれているこの本は、乃木若葉の生い立ち、古事記、そして乃木若葉の活躍の順で話が進んでいく。しかし第二章である古事記にあたる部分では、古事記とはあまりにも逸脱した内容の記述があった。
──国譲り。地上を治める国津神が、天津神にその支配を譲り渡すという、古事記における最重要フェーズ。しかし、乃木若葉本においては、国譲りなどというものは行われていない。
だが、それはある意味当然ともいえる。人類は国津神の生まれ変わりともいえる神樹の庇護の下、天津神の侵攻から逃れ、今も地上に暮らしているのだから。
国譲りという偽りの歴史は、西暦における日本の皇帝、および象徴とされた存在を天の神の子孫とし、故にその支配は正当であるとするプロパガンダの為に作られた偽りのものにすぎないと、乃木若葉本では語られている。大社という神主体の組織が人間に世の運営を託し、表世界から身を引く際に、天皇という装置の用意、そして神話の再編は必要な手順だったという。そもそも、もし彼らがまこと天降った純粋な天の神であるとするのなら、彼らが寿命によってその生を終えるはずがない、と。
そう、天津神には寿命が無く、大地によって生まれた国津神には、寿命が存在する。国津神であるはずの素戔嗚だけが、神樹の一部となる西暦の終わりまで肉体を留め置けたのは、彼が、天によって生み出された、“元”天津神だったから。
「コノハナサクヤヒメ。第二の大国主……」
呟く。
彼女は父であるオオヤマツミの管理する大山で暮らしていたが、ある日人間の村に興味を持ち、山を下りた。そこでタケミカヅチと、オオクニヌシの息子であるコトシロヌシの戦いを目にする。彼女はコトシロヌシから、彼の呪いを具現化した天の逆手を託され──その後のタケミカヅチ、タケミナカタ間の決闘の隙に、素戔嗚、ヤチホコもといオオクニヌシと共に、アメノトリフネを復元して天に攻め入った。
この戦いでヤチホコは命を落としてしまったが、高天原の中心、天上界に踏み入ったサクヤヒメは、天照大御神と初めて対面する神となった。サクヤヒメは天照大御神に草薙の剣を献上し、引き換えに出雲大社を建てさせた。しかしその地には生大刀を用いた大結界の術式が展開されていた。天上神自らの手でそれを発動させるという条件が満たされたことで、結界が弱まるまで、天津神は地上に降りることが出来なくなった。そして死の間際のヤチホコより三種の神器を託されたコノハナサクヤヒメは、大国主の名を受け継ぎ、その命尽きるまで、地上を治める大地の女王となった──
「なるほど……でも、別に今知りたいことは載ってないかな」
園子は本を手提げに戻し、ホッチキスで止められた書類の束に手を伸ばす。
“未申請施設調査表”
表紙にはそう書かれている。
一枚目を捲り、そして園子は目を細めた。
「これだ……」
「園子様?」
扉の向こうから、ノックと共に聞き慣れた声が。
園子はファイルを手提げに全て突っ込み、扉を開いた。
「見つかっちゃった~」
「……はあ」
アルフレッドは何やら疲れている。園子の態度についてあれこれ指摘され、揉まれていたらしい。
「ごめんごめん。次はちゃんとするから」
「……訓練に行きましょう、園子様。銀様。お大事に」
アルフレッドは肩を落としながら呟き、園子は彼と共に病室を出た。
「お、園子! やっと来たわね」
地下訓練場でそう声をかけてくるのは、衛士二番隊隊長にして総副隊長、三好夏凜。いつも煮干しを咥えている、アグレッシブな少女である。
衛士。その御役目は多岐に渡るが、実際に任務が降ってくることはごくまれである。衛士というシステムの最大の目的は、天の襲来から神樹を御守りすること。故に、衛士、と名付けられている。
衛士は、勇者計画によって選ばれた勇者と訓練を行い、有事の際には手を取り合って戦うことになる。より強力な概念武装を身に纏う勇者は、大型の敵をメインとして相手取り、衛士は本丸を固めつつ討ち漏らしを掃討する。それが衛士と勇者の基本戦術である。
衛士と勇者になれるのは、満15歳までの少女のみ。神の力を用いて戦うことが許されるのは、穢れ無き少女に限定されてしまう。衛士も勇者も入れ替わりが激しく、ほとんどが実践を経験することなく役目を終える。人的資本が蓄積しづらいのがこのシステムの大きな欠陥であり、如何に優れた戦士がいたとしても、その才能はほぼ活かされないまま。それ自体は、望ましいことなのかもしれないが。
──閑話休題。
園子は夏凜に笑いかける。
「にぼっしーはいつも元気だね」
「にぼっしー言うな。さて、今日は殆ど揃ってるし、実践訓練やれそうじゃない? 芽吹」
「……」
衛士一番隊隊長にして総隊長、楠芽吹が、園子をじっと見つめている。表情を見るに怒っているわけではないようだが、どんなメッセージがあるのかはさっぱり分からない。視線を返していると、彼女は近付いてきて、園子の肩に手を載せた。
「無理しなくていいのよ」
「へ?」
園子は困惑して目を丸くした。
芽吹とは数カ月共に訓練をしてきた仲だったが、彼女は園子にはいつも不愛想で、その緊張感の無さを少し軽蔑していたことも知っている。何より、初日から喧嘩、もといほぼ決闘をふっかけられているのだ。
「な、何よその顔」
「い、いや……その……あ、そういえば、ハンマー叩きのことだけどさ、あれ、私の執事の仕業だったらしいよ」
「え、あの執事が……? ……いやいや、別にもうそんなことどうでもいいのよ」
芽吹は何やら頬を赤くして汗を流している。それを見てにやつく三好夏凜と、その後ろに立つ一番護盾隊の加賀城雀。
「あのね園子様、メブがスコア1000にこだわってたのは、あのゲームで夏凜さんに負けたからなんだよ。都市伝説と言われていたスコア1000は夏凜さんでも出せなかったから、それで意地になっ、むぐ」
「黙りなさい。舌切り雀になりたくなかったらね」
芽吹が雀の頬を押さえつけて唸る。それをほっといて、夏凜は園子に向き直った。
「あの子もね、心配してるのよ。あの日、衛士も何人か現場に行ったからさ」
「うん。分かってる。みんな優しいね」
園子は静かに微笑む。夏凜はそれを見て、少し視線を落として呟いた。
「別に……相談してくれても、いいんだからね」
「……うん。ありがとう」
だけど、そんな日は来ないだろう。
園子は胸の内でごめん、と呟いた。
「五番銃剣隊、四番隊のサポートに移れ! 一番銃剣隊、乙女型に構え!」
「二番隊、七番以降は他部隊の援護、その他銃剣隊は乙女型に構え!」
芽吹と夏凜をはじめとした隊長らの指示が地下訓練場に響く。
少女たちの眼前に広がるは白き大量の化物の群れと巨大な白桃の浮遊体。初代勇者乃木若葉と伊予島杏の戦闘データ、そして半実体技術により投影したバーテックス、天の尖兵の再現。神樹の幻影の壁となるよう横並びに広がった護盾隊と、その近くで奮闘する銃剣隊、そして縦横無尽に動き、白桃の巨体に接近する勇者、乃木園子。
「「「撃ぇーっ!」」」
放たれる銃撃。衝撃によろめく白桃。その仮面の眼前に飛び上がった一人の槍兵。
「潰れて」
伸びた白槍が深く深く突き刺さる。押さえつけるように捻じれ穿ち、倒れこむ白桃を踏みつけながら両腕に万力を込める。幻の砂塵と共に乙女型は光の礫となり、やがて消え失せた。
園子は槍を持ち直し、再び立ち上がって天を仰いだ。
右腕に巻き付いた白き布──蛇の比礼が茶褐色に濁っていく。
「……足りない。そうだよね、創世」
変色部位を引きちぎり、再び戦場を走り抜ける。その目に映るのは、彼女が見据える仮想敵の姿。
その日乃木園子は、体力の続く限り、ただ無心で戦い続けた。