結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
上里ひかげ。クラスメートが死に、彼女の支えであった三ノ輪銀は転校し、「罰」に耐え続ける心は限界に近い。
そんな中、視界に映るただ一人の味方、安芸。彼女の言う選択とは、一体何なのか。


第三十三話 理由

 敬聖霊地神連宮、神力研究省研究棟実験ホールにて。柱状の特殊強化ガラスの内側で漂う光の玉を、白衣の研究者達は固唾を飲んで見守っていた。ブーンという何かの異音と、細切れになった粉のようなものが、球の周囲を取り囲んでいる。

 

「七十三回目の調整……もういじりたくない……もうやり直したくない……頼む……」

 

 両手を擦り合わせ、それこそ神に祈りながらその時を待つ伊予島柚希。ややぼうっと光量が増したところで、異音は消え、一人の研究者はしきりにキーボードを叩き始める。今度こそ上手くいったんじゃないか、十分だろう、と、その様子を見て多くは笑顔をこぼしている。

 

「漏霊量推移データ、送信しました。博士、ご確認を」

「よし……」

 

 そう伝えてきた研究者に頷きながらスマホを取り出し、スワイプタップ。鮮やかな碧眼に映る折れ線グラフ。ふと、一人の女研究者がその背後から画面を覗き見た。

 

「おお、今までで一番安定してますよ。多少基準を超えてるとこはありますけど、役回り的にも……」

「……ダメ。ダメダメだーめ! ダメったらダメ! はい、また私がいじっとくのでみんなは隠世の構築作業に戻って戻って、土居ちゃんもほら。はい、解散!」

 

 そう大声を張りつつ、柚希はさっさとホールを出ていく。それを見届けて、研究者たちは肩をすくめた。

 

「頑固だな、柚希先輩。特に霊量シミュレーションの時は」

「ね。クマすんごかったよ。まあでも、ああ見えて責任感の人だからね」

「……大丈夫かな」

 

 心配そうに声を落とす土居と呼ばれた女研究者。ミディアムカットの茶髪、毛先を寂しくつまむその様子を見て、傍らの女性はニヤリと笑う。

 

「まだ告ってないの?」

「はっ、はあっ!? な、何言ってるし! 馬鹿ですか、馬鹿でしょ!」

「いやいや、みんなもう分かってるから。この先どうなるか分かんないし、早めに手は打っときな」

 

 頬を真っ赤に上気させて肩を上下させながら、けたけた笑う同僚を睨む土居。しかし、彼女は立ち尽くしてぼうっと考え込んでしまった。

 

「この先……どうなるか分からない……か」

 

 

 *

 

 

 銀の容体が安定してきて、もうすぐ目覚めるだろうと園子は執事から聞いた。牡丹の花を買った。それが、なんとなく彼女に似合うと思ったから。

 

 だけど園子は少し恐れてもいた。

 銀と顔を合わせることそれ自体じゃなくて、銀に何を言うのか、何を思うのか。それが、全く想像できなかったから。

 

 銀の過去を知ったこと。一度郡千景と遭遇していたこと。その時、須美のお母さんが死んでしまったこと。そして須美の死。話すことで、自分が何を得ようとしているのか。それについて、彼女が何を感じているのか。何も想像できぬままで、本当に面会してもいいのだろうか。花束を片手に、それでも、病棟の白い廊下を進む両足は動き続けていた。

 

 ──ふと視界に映る小さな患者服。目を凝らすまでもない。

 だらりとおろした髪を揺らしながら、もたつく足を引きずるその姿は、紛れもなく三ノ輪銀その人だった。

 

「ミノさん! もう大丈夫なの……!?」

 

 思わず声を掛ける。先ほどまでの逡巡は脳裏へと追いやられ、懐かしいような安心感と喜びが胸を満たした。ずっと彼女と会いたくて、話したかった。辛いこと、悲しいことを伝えて、聞きたかった。そんな大事なことを忘れていた。

 

 恐らく、園子は、銀と話してから決めたかったのだろう。この先、自分が何をして、何のために生きていくのか。既に進み始めたその道を、引き返すべきなのかどうか。

 

 けれど、銀はまるで世界から締め出すように、背を向けて離れていく。

 

 どうして。

 

 心臓をその四文字が繰り返し締め付ける。想起されるは、須美が亡くなるその前の記憶。友を拒み、善意を拒み、人を拒み始めたその時の姿。

 

 なんで。

 なんで。

 なんで。

 なんで。

 

 分からなくなった。銀の気持ちじゃなくて、その意図でもなくて。自分自身が、目の前からふっと消えた。

 

「また逃げるの!?」

 

 何かが口を突いて出た。自分が何を放り投げたのか、もう確かめる余裕なんてなかった。

 

「そんなつもりじゃ……」

「逃げてるよ! そうやってだんまりで! 全部ひとりでしょい込んで! ミノさんにとって私たちって何なの!?」

 

 後にして彼女が思ったこと。

 園子にとって、きっとこの言葉は本心だった。

 けれど、一番に伝えたいのはそんなことじゃなかった。

 

 “元気になって良かった”

 そう言って、笑って欲しかった。

 

 本当であっても理解されない。真実であっても届かない。だから目を見て、あなたを信じる、と思い思われるまで、話してけなして褒めて否定して認めたかった。

 

「……分かってるんだよ。アタシが謝れば、お前は……分かってくれるって。分かってしまうって。アタシのことを、簡単に……許してしまうって。だから、もう、ダメなんだ……!」

「ダメってどういうこと! わっしーが……わっしーがもういないのに、ミノさんは何も話してくれない!」

「大社から大体のことは聞いてるだろ……」

「話がしたいの!」

「……アタシだって……話したいよ……」

 

 だから、上手くいかなかった。

 銀は最初から園子のことを疑ってなどいなくて、疑いようがないから話す余地もなかった。

 

 放っておいて欲しいんだ。理解なんてしないでくれ。アタシの心を見ないでくれ。頼むから優しくしないでくれ。味方になんてならないでくれ。お願いだから、もう、何も、しないでくれ。

 

 そうやって打ち付けられた釘。彼女はただ立ち尽くす。

 

 どうしたら良かった。

 何を間違った。

 もう分かってるのに。

 それはあなたのせいじゃない。それはあなたの罪じゃない。

 あなたが抱え込む必要なんてない。あなたが苦しむことはない。

 

 これじゃ、無かったの。

 だったら教えてよ。誰か。

 友達の救い方なんて、私には分からない。

 

 

 ──その翌日。

 

 バツ。バツ。バツバツバツ。

 手帳に刻まれる交差する斜線は夥しく数を増し、乃木園子はそれを忌々しく見つめる。

 

「まだ……まだ残ってるんだから」

 

 自分の声と気付かぬほど、低いうめく様な声が漏れる。ゆらりと椅子から立ち上がり、手提げにあれやこれやと放り投げて部屋を出る。ポケットの中で携帯が震えるが、もはや気付くことさえなく。

 

 絶対逃がさない。絶対逃がさない。絶対逃がさない。胸の内で唱える文言。進む両足は意思を越え、駆動を止めずただ回る。

 

「園子」

 

 ふと己の名前が呼ばれた気がして、その先に視線を投げる。そこには、自分の父がいた。

 

「どうしたの、お父さん」

「どうしたのって、園子、アルフレッドの電話に出ないのはどうしてなんだ。衛士のみんなとの訓練も最近無断で休んでいると聞いたが、一体何をしているんだい? いや、それを言いに来たわけじゃないんだ」

 

 そう語る父の後ろから、もう一人見慣れた男性が顔を出す。

 

「園子様」

 

 アルフレッド。園子のたった一人の執事。ここ最近は意図的に避けてきたということもあり、なんだか顔を合わせづらかった。

 

「……ごめんね、アルルン。無視してたわけじゃないんだ。どうしても、やりたいことがあって」

「……」

 

 アルフレッドは腰を曲げ、園子と目線を合わせて、小さな肩にそっと右手を置いた。

 

「……実は私は、もうあなたの傍にはいられないのです」

「……どういうこと?」

 

 はっとして目を見開く。彼は真剣だった。それに気付き、何かを予感する。覚悟なんて、これっぽっちも無かったのに。

 

「私にも、やらなければならないことが出来まして……だからこれで本当にお別れなのです。あなたと過ごした日々は、まさしく夢そのものでした。園子様。あなたは私の誇りです……お達者で」

 

 アルフレッドはしわしわの目尻をくしゃくしゃにして微笑んだ。そして振り返り、ゆっくりとすぐそばに駐車していた車へ向かう長身。それに乗り込んだところで、園子の足がようやく動いた。

 

「待って! アルルン!」

 

 駆け出し、助手席の窓に手をついた。長い白髭の裏で、彼は困ったように笑っていた。窓が開き、執事はこちらに顔を向ける。けれど、言うべきこと、聞きたいこと、何もかもが、宙に浮いて輪郭がぶれてしまう。執事は何も言わず小さな頭にポン、と手を乗せて、それを最後に、車は走り去っていく。

 

 呆然とした少女を現実に引き戻すように、ポケットの中でスマートフォンが振動していた。

 

 

「……園子ちゃん?」

「え?」

「だいじょうぶですか……?」

「あ……うん。ごめんね、何でもないんよ」

 

 傍らに座る幼女。それは、『ひだまり』という日輪宗の末端宗教団体の集会所で出会った、巫女である。

 

 彼女が巫女であると断定できる所以は、園子が手に入れた大社内資料にあった。連絡先を手に入れた園子は二人で対面する機会を待ち続けており、今日初めて、彼女から呼び出しを受けていた。

 

 場所は、彼女が住まうマンションのロビー。ほとんど人はいなかった。

 

「えっと、あややはさ、弥勒さんのところで、嫌な思いとかしてない?」

「……毎日おいしいご飯をつくってくれます。いちども怒られたこともないです。けど……」

「けど?」

「……わたしが夕海子さんじゃないっていったら、ぜんぶ、おかしくなっちゃいそうで……こわい」

「……」

 

 その幼い表情があまりにも生々しくて、脳そのものが掻き混ぜられるような感覚がした。同時に自己という箱の形が、捻れていくのが分かった。

 

「……えっと、園子ちゃん、わたしの……おかあさんは……」

「……ごめんね」

「……そう……ですよね」

 

 両手を握り合わせて、小さな唇が歪む。それを目にする園子の中で、箱の中身が腐り始めた。もう気付き始めていた。乃木園子という人間に欠けているものが何だったのか。

 

 幼女亜耶の過去は既に知っている。ただ、文字で見るのとはとても比較にならない。

 

 大社霊的医療局に夫婦で所属していた、国土夫妻。幼い亜弥を大社内の託児所に預け、家族一緒に家に帰る生活。

 

 しかしある日起きた郡千景出没事件、その十数分前に起きた国道上の悲惨な事故。一家の乗っていた人気の少ない路上から転げ落ちた普通車は、何かにぶつかった痕跡があった。しかし、そこに車を弾き飛ばすような質量をもつものは存在しなかったのである。それに対し移動中の「郡千景」と衝突したのではないかという大社の憶測は、たった今、国土亜弥の証言によって現実となる。

 

「わたしがぶじだったのは、お母さんが守ってくれたからで……お母さんはあの時、逃げてってわたしに言ったんです。だから……きっと車はその人にぶつかったんだと……思います……」

 

 全身を強張らせてまで、亜弥は涙を止めようと堪えている。この幼女は、目の前にいる乃木園子に心配をかけまいと、それだけの為に己を律していた。

 

 園子は動けなかった。その肩を抱くことも、優しく言葉をかけることも、一緒に泣くことも出来なかった。

 

 何故、自分が何年も傍らで歩んでいても、鷲尾須美は暗く悲観的なままだったのか。

 何故、三ノ輪銀は自分を拒み、離れていったのか。

 何故、自分には誰一人救うことが出来ないのか。

 

 蘇る記憶。独り公園で泣いていた黒髪の女の子。

 片隅で俯くこの子を見る。

 お母さんに会いたい。眠るのが怖い。泣きたくないのに涙が止まらない。

 そう嘆く悲惨な魂。

 

 鏡を見る。その頃を見る。

 優しい両親がいて、大きな家があって、莫大な資産があって、支えてくれる沢山の人がいて、毎日美味しいご飯が食べられて、我儘が言えて、その気になれば自由だってあった。

 

 鏡を見る。自分を見る。

 “あなたは、いいよね”

 

 ……そうだ。もう既に分かっていたじゃないか。

 何一つ、変わってやしないんだ。

 

 両親が死んで、それでも御役目に殉じ続ける上里ひかげ。罪を自覚して、それを見つめ続ける三ノ輪銀。幼くして両親が亡くなり、自分という存在を認められずとも、他者の為に心を抑え込む国土亜弥。そして、既に手の届かない所へ消えてしまった、最愛の親友、鷲尾須美。

 

 私は、みんなと違う。だって最初から何もかも持っていた。持ちすぎるほどに持っていた。

 

 分かっていても、分かったふりになってしまう。優しくしたくても、それはただの同情になってしまう。

 

 そうか。そうだったのか。だから──だから乃木園子は、鷲尾須美と、三ノ輪銀と、友達になる資格なんて、最初から無かったのか。

 

「園子ちゃん……?」

 

 立ち上がる。見上げてくる大きな瞳。

 それに映るのは、ひどく濁った鉄の塊だった。

 

「私が仇、取るからね」

 

 そう言って笑った。

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