後輩である土居環に、デートに誘われた伊予島柚希。その夜、白鳥歌野という少女と、夢の中で対面する。
彼女曰く、月は天の神の侵攻を受けており、もう限界が近いらしい。それでも地上の人間達には、まだ望みが残されているとのことだが……
4月15日
土居環:こんばんは。あの、デート……のことなんですけど、明日ってどうでしょう? 21:40
伊予島柚希:うん。空いてる。 既読 21:42
伊予島柚希:行きたいところとかある? 車、出せるよ 既読 21:43
土居環:ほんとですか! じゃあ──
*
「……はっ」
手のひらからスマホが零れ落ちる。視界の縁に届く光。端末に示される、延々と見返した“おやすみなさい”のメッセージ。それをぼうっと眺めながら、されど現実味は薄く、実感とやらを宙に浮かせたまま。
もう、朝が来てしまっていた。
と、いうことは?
そうか。私、これから土居ちゃんとデートに行くのか。
「……どう?」
「よく似合ってますよ」
鏡の前で尋ね、それに優しく微笑む使用人。私は難しい顔のまま、押し込むように無理やり頷いた。
大学生の頃、母にプレゼントされた白いカーディガン。自分には少しお洒落すぎると、箪笥の奥に眠らせていたものだ。
今にして思えば、自意識過剰。それを自覚していながら、今でもこれを着ている自分というものが、なんだか上手く嚙み合わない。
でも、デートって、多分相手の為にするものなんだろうし。土居ちゃんだって、いつもの白衣姿で来られるよりはこっちの方がうれしい……はず。そうだと……思うんだけど。
「……」
鏡から自分を引き離し、覚悟を決めて玄関に向かう。このままじゃ、いつまで経っても家を出られなくなってしまいそうな気がした。
車に乗る。土居ちゃんにメッセージを送信。見送る使用人にぎこちなく笑いかけて、公道に出た。
走り出す。世間は平日。ホリデーシーズンでもないわけで、交通量はさほど多くない。
……車内、臭くないよな。なんだか、急に色々気になってきたぞ。
汚れとか……ないか。……財布、少しは入ってるよな。
……。
もう少し、しっかり準備してくるべきだっただろうか……。
「あ」
土居ちゃんの家は、歩いて行ける距離にある。家の前で佇むミディアムカットを見て、スピードを落とす。
「えーと……お、オハヨー……」
「あっ、柚希先輩、おはようございます! ……えへへ」
ふにゃり、と笑う。
……昔のままだ。うんと小さい頃から、こんな風に笑う子だった。
私に促され、助手席側のドアを開けつつ、乗車する土居ちゃん。ふいに鼻腔をくすぐる甘い香りは、昔にはなかったものだったけれど。
「……いこっか」
頷く二人。
ぎこちないのはお互い様で、だけど、私の頭の中は、既に少し色が変わっていた。ちらり、と顔を見ると、未だ紅潮させた頬を隠せぬまま、ショルダーバッグを抱えて俯いている。春らしいベージュ色のブラウスがよく似合っていた。
はっきり言って、可愛かった。それはもう、この街いちの美人だという確信がある。
……ただ。
向けていた感情は、昔のまま──というより、今日を機に変わる兆しは、自分にはひとかけらもないのだと分かってしまった。
「わあ……」
瀬戸大橋記念公園、瀬戸大橋記念館展望台から瀬戸内海を望む。晴れた天光を弾き、穏やかな潮風が二人の髪を揺らした。笑いかけてくる瞳はそれに負けないほど美しく、けれど、私にとってそれは唯一無二で無いのだと、心臓が告げている。私は、この時点で既に耐えきれないほど苦しかった。背を向けて逃げ出したいくらいだった。でも、それを表情に出せるほど私は不器用じゃなかった。それは絶対に幸いだったと思うけれど、迫りくる秒針が少し遅くなるだけのことだという事実が、あまりにも重かった。
「どこまでも続いてるように見えるのに……」
「……あの先には幽世しかない」
水平線は永遠の証では無い。少なくともこの世界においては、虚を覆い隠すただのハリボテだ。私たちが立っているこの場所さえ、時間軸という崖の縁にかろうじて根を生やしているだけかもしれない。背後から迫りくる過去は、既にほとんどを埋め尽くしているのだと。
当然、土居ちゃんもそれを分かっている。だから、今になって私に声を掛けてくれたんだ。
……苦しいな。
もし未来があると知っていれば、私にも変わる余地はあったかもしれないのに。私以外を促す選択肢もあったのに。
でも、そんなの、もう遅い。
終占は既に出ている。来月だ。大巫女は間もなく死ぬのだ。権威は新たな止まり木を求め彷徨い、大社はそれを巡り分裂し、二度と元には戻らない。
恐らく、この世界ごと。
いつか来ると誰もが分かっていた。分かっていたから、私は概念武装に固執していた。
……それが間違いだとは、思っていない。
瀬戸大橋記念公園を後にして、昼食は骨付き鳥を二人で食べた。家族同士で付き合いがあって、時折一緒に食べに行くこともあった思い出の店。デートで食べるにしては少しわんぱくだったかもしれないけれど、土居ちゃんは嬉しそうだった。
「これから、どうしようか」
「丸亀城、行きましょう」
店を出て、車に乗り、カーナビに目的地を設定し。私は車を走らせた。
到着と共に、少し苦笑する。相変わらず小さな天守。対して石垣が高いのなんの。ここに来たということは、いざ登らん、ということであって。
「さあのぼりましょう、先輩!」
「お手柔らかに……」
手を取られ、そのまま進んでいく。まあ、別に山に登るというわけでもなし。いくらデスクワークの虫たる私といえども、その傾斜に音をあげたりはせず、あっという間に頂上まで。そこには桜の木が植えられており、小さな天守を彩っている。
二人でベンチに座り、街を見下ろしつつ深呼吸した。丸亀城の見所といえば、周辺を一望できる高さにある。
「いやあ、いーい眺めだね」
そう言って土居ちゃんの顔を見ると、どこか怯えているように見えた。さっきまでは元気だったのに。
「……この世界、ほんとに無くなっちゃうんでしょうか」
土居ちゃんの、私の手を握る腕は震えていた。
まあ、そりゃ、そうか。
今までそんな素振りは見せなかったけど、この子も怖いに決まってる。
「土居ちゃんがここに来たかったのって、まだ世界があるんだって、確かめたかったから?」
「……」
傍らの後輩からぽろぽろと涙が零れ始めた。
私は、少し迷って、結局肩に手を置いた。情けない話だ。でも、これ以上は間違いになる。
「今日柚希先輩と遊んだことも、この街で育ったことも、全部、全部、無くなるなんて……」
「……でもさ、世界が終わるって、どういう感じなんだろうね」
背後で、少女と少年が駆けまわっている。その朗らかな音色を聞き、巡る街の人々を眺めながら、私は続ける。
「魂は、記憶そのもの。だけど魂は零れ、分御霊として少しづつ散り散りになっていく。その隙間を誤魔化し補完していきながら、私たちは私たちとして生きているふりをしてる。でも、こぼれた“私”は、もう私では無くて。そういう意味では、私たちは最初からいないのと同じような気もしてさ」
「……でも、事実そのものは、喪われない」
「うん、さすが。頭いいなあ土居ちゃんは」
土居ちゃんは涙を拭って、またふにゃ、と笑う。
「柚希ちゃんは昔から、慰めるのが下手ですね」
私は苦笑しつつ、がっくりと項垂れる。でも、笑ってくれてほっとした。
……それで、私、どうしたらいいのかなあ。
もしこのまま世界が終わるんだったら、私は嘘をつき続けるべきなんだろう。もうこの子の涙は見たくない。それは紛れもない本心だ。でも、それは“昔から親しかった近所の女の子”へのありふれた好意でしかない。土居ちゃんから向けられているものとは全く別物だ。
私が嘘をついて、土居ちゃんがそれに気づいてしまったら。そんなのは想像だってしたくない。でも、気付かれなければ全てが丸く収まるのも事実。
でも、それは今の私の言葉を、まるっきり否定するのとおんなじだ。……でもそれで……本当に……
「柚希先輩。私、柚希先輩のこと、大好きです」
「あ、お、おう……」
「でも、柚希先輩にとって、私はまだ、“土居ちゃん”なんですよね」
「……」
さすが私の後輩。
嘘なんて最初からつけやしなかったな。
「……多分ね。私、そもそも恋愛とか出来ないように作られてるんだよ。夕海子ちゃんと両親を死なせてしまったあの日から、良いとか悪いとかじゃなくて、そういう風に歪んじゃったというか」
半ば言い訳のように続ける。まあ、これも本音だ。告白されたあの夜の私は、まだ私に対する理解度が浅かった。だって、土居ちゃんはあまりにも魅力的だった。あの日始まった贖罪の追走、そのベクトルを反転させるには余りあるほどだと思う。
でも、私は頑固だった。もうどうしようもないくらいに。自分ってやつは、余りにも制御が難しい。
私はベンチに手をついて、青空を仰いで続けた。
「私はさあ、幸福ってのがいまいちよく分からんのさ。いつからか全部がマイナスになって、そのマイナスをゼロにしようと必死こいて車輪を回して回して。それで気付いたら、幸せってものの色も匂いも手触りも形も、さっぱりどこかへ行っちゃって。……だから、誰かを幸せにすることなんてできないや」
「……それは、ちょっと見解の相違ですね」
土居ちゃんはベンチから立ち上がって、私の顔をじっと見つめる。私は少し照れながら、何もできずとりあえず見つめ返す。
「柚希先輩の良いところは、誰よりも優しいのにそれに気付いていないことです。概念兵装の研究も、両親やチームメンバーの無念を引き受けただけ。昔からそうです。自己評価は低いくせに、誰よりも自分をこきつかって。まるで道具みたいに」
……なんか、少し怒ってる。
でも、言い返せなかった。私は、自分のことを自分で定めて、他人から見た自分とやらを、全く知らずに生きてきた。でも、土居ちゃんの指摘は多分当たっていて、それに気付いて欲しいと、私は、どこかで……望んで……いて……
「我慢ばっかりで、それを教えてくれなくて。悪役になろうとするくせに、自分がヒーローだと思われていることに気付いていない……そんな柚希ちゃんを、一人にしたくないって、ずっとずっと……」
土居ちゃんは私の右手を取って、頬に当てた。
その柔らかで確かなぬくもりが、否が応でも心の臓を溶かしてしまう──
「私は、そんな優しい柚希ちゃんの隣にいられる自分でいることが、幸せなんです」
あっけなく、ちょろく、呆れるほど一瞬に。潤む瞳の輝きが、紡がれる言葉が、頬を流れる血脈が、その全てが。
私を壊して、殺して、引き上げ、過つ。
忘れていた、麻痺していた神経に、何かが流れ込んでいって。その満たされる、という大罪は、余りにも甘美で。
結局月並みで愚かな人間へ、私は逆戻りするのだった。