結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
乃木家の執事から、上里ひかげは真実を語られる。世界を守る為に、お前は死ななければならないのだと。


第四十話 上里の樹

 穏やかで暖かな、ありふれた昼下がり。

 そんな外界から隔絶されたかのような、大社最奥の一室に。次代大巫女上里ひなみは、微動だにせずただ蝋燭の揺らめきを眺めている。

 

「あら、執事ごっこはおやめになったんですね」

 

 音も無く、しかし焔はその姿に動じ揺らめく。

 黒髪の横にあてがわれた鋼、それをちらりと見やるひなみの瞳に、反射する小麦色の髪の少女。

 

 待つこともない。躊躇うこともない。間際の言の葉もない。

 変化した刃の角度が静かに殺意を示す。

 無慈悲に、無遠慮に、無感動に。

 彼女はただ、その生を断ち切らんと一刀を放った。

 

 

 *

 

 

「乃木大国公社というのは、破壊的イノベーションを予防し、摘み取り、産業構造を固定化する為に生まれた組織だ。事実、数百年もの間技術革新は起きていないし、大幅な物価変動もない。賃金水準さえもほとんど変化してこなかったし、させなかった。それは神樹によるリソース供給がある以上、そうすることが世の安定をもたらす最大の手段だったからだ」

 

 男は、神宿る大樹の根元に、小麦色の髪の少女──乃木若葉の身体をそっと下ろし、続ける。

 

「この身体は、二つの目的を果たす為に乃木の屋敷に安置されていた。一つは、神樹と霊的な繋がりを持つ性質を利用し、リソースの推移を数値として観測する為のモニターとして。二つ目は、上里が統率者としての責務を果たさなくなった時に、その権威を奪い取る根拠として……」

 

 男は向き直り、上里ひかげに手を掴むよう促す。ひかげは眉間にしわを寄せながら、それを掴んで男の顔を見上げた。

 

「私は霊との対話を終えた時、この世界に再び吐き出された。それを発見したのが、そこに居る安芸だった。私はそれ以来、乃木の執事として素性を隠しながら生活してきた。だが、それも終わりだ。他人の鎧を着たままでは、剣は振るえない」

 

 語り、神樹に触れる掌。やがて、足下で眠る少女の肩の辺りから、衣越しに紅の光が目を覚ます。

 

「この儀式は、人類が勝利した時、誰も責任を取らずに済むようにする為のただの保険だ。だが、私は保険や口実じゃなく、人類の剣として君に頼みたい。かつて少女だった、乃木若葉として」

 

 

 *

 

 

「……な」

 

 必中と定めた一振りを阻むは、異形の仮面の赤黒い腕。間髪入れずそれは掌から無骨な柱のようなものを隆起させ、若葉はそれを後退して躱し、迫り来る肢体に痛烈な肘打ちを浴びせ、吹き飛ばす。

 

「なるほど。楔の縁を一時的に回帰させ、魂を操作させたのですね。ご先祖さまがあなたに一度やったように」

「……呪いを撒き散らすウイルスが、やけにお喋りだな」

「あら。神樹の内に残り続けた異物に住んでいた方が、それをおっしゃいますか」

 

 くすくすと笑いながら、こちらに向き直る。

 瞳は青黒い。上里ひなみとしての魂が、ほぼ消失していることの証だった。

 

「親日派の構成員だな、今のは。兵の集め方に芸がないな」

「ふふ。集まればなんでもいいのです。お母様が眠りにつくまで、あなたを足止め出来るくらいには」

 

 天井から、床から、襖から、あらゆる境界を突き破り、瞬く間に包囲するヒトの形をした仮面の群れ。四面楚歌の和室で、若葉は表情を変えず剣を構え直した。

 

 

 *

 

 

「……」

 

 焦がれ続けた大扉、その先に広がっていた七色の樹海。もはや驚くことも無く、漏れ出でる憤怒と諦念が、他のあらゆる感受性を締め出しているようで。

 

 何も教えられず、何も知り得ず、何も与えられず、何も報われず、何も評価されず、何も認められず、最後に面と向かって請われたその願いは、「死んでくれ」だった。

 

 この世界のことも、これまで苦しみの意味も、この運命も。みんな知っていて、みんな黙っていて、みんな変えようともせず、みんな疑問を抱かず、みんな、みんな、どこまでも卑怯で、汚くて……冷たかった。

 

 この世界は、今まさに自分に伝えている。

 私は道具だと。

 お前は、まだこの世界の、大人達の頭の中の、小指の先ほどの思惑も理解していないと。

 

 哀れな駒。未熟な雛。なぜならお前は分からないだろう。この景色の意味。この空間の理。

 

「……知ってる。はいはい、分かってる。だから死ぬって。死ぬわよ。死ぬ。死ねばいいんでしょ。死にます、死にますよ」

 

 細々と吹き出る掠れ声。

 誰が聞いている訳でも無く。

 誰かが聞いてくれていると思い込むための。

 孤独を受け入れられない私の。

 この呻きが、最後の、人間性。

 

「……!」

 

 そう思っていた。

 気配。そこには、“生物の残滓”があったのだ。

 

 顔を上げる。光り輝く巨大樹を囲うようにもたれ掛かる、固まった木製の人形たち。

 長い髪に、見慣れた巫女服。老いきって乾いた皮膚。どこかの記録で見たいくつかの姿。

 

 そして、その右奥の一角に、まだ、半身だけヒトの機能を残している、くたびれた誰かが、確かに、私を、見ていた。

 

 私は、全てを忘れてそこに走った。その間も、老いた瞳は私だけを見つめていた。

 目の前に立った私は、跪いてその死んでいない片腕を持ち上げる。瞳はまだ私だけを映していた。

 

 やがて、私に握られた弱々しいその掌は、何か大事なものを託すように微かに震え、そして、固まった。

 瞳は、木彫りの玉となった。

 

 私は、それを呆然と見ることしかできず、その意表を突くように、握っていた掌から何か蛇のようなものが勢い良くせり上ってくる。私は悲鳴を上げて倒れ込んだ。

 

 そして私はようやく思い出した。この感覚は、神樹と、楔の一時再契約を施したあの日の夜と、全く同じものだということを。

 

 

 ───────────────────

 

 

「大巫女様……いえ、お母様、お願いがあるんです」

 

 私はひなみの顔を横目で見やる。これでもう六度目だ。我が娘ながら、余りにも聞き分けの無い。

 

「私は……やはりひかげが巫女の修行までする必要は無いと思うんです。そもそも上里の人間でなくとも、巫女の素養を持つ者は幾らでも四国に居るのでしょう。なら」

 

 私は有り得ないと一蹴する。言わずとも分かっているだろう、と。神との繋がりを持つ一族である上里が大社の頭であるからこそ、来る天の襲撃に備え、いち早く迎え撃つことが出来るのだと。上里が力を失えば月光の福音に大社は呑まれ、ただ肥太った巨大な腐敗組織が鎮座するのみとなってしまうのだと。

 

「お母様は頭が硬いんです! いくら歴代の巫女が行った儀式だと言っても、上里である以上巫女の能力は必ず目覚めます! そんなのは、無意味な虐待でしかありません!」

 

 私はひなみを睨んだ。虐待とはなんだと。神樹様に選ばれ、世を担う無二の誉を、貴方は虐待と呼ぶのかと。

 

「私はいいんです! でもひかげには普通に幸せに生きて欲しいんです! 生まれた時から生き方を決められて、責任を押し付けられて、その上望まない修行と共に青春を終えて……そこまでしなくたっていいじゃないですか!」

 

 私は呆れた。甘やかしすぎたと後悔した。

 ひなみが何に影響されたのかは知らない。

 だが、この子は全くこの世界というものを理解していないのだ。

 

 人は生まれながらに平等で無く。

 人は生まれながらに同一で無い。

 そして、神の声を聞く上里も、そんなバラバラな、「人」としてのひとつの在り方だということを。

 

 平和とは、本来一本の絹糸の上に立つ岩の如く、瞬きの内に破綻する過ちであり、上里こそが、その有り得ざる奇跡をもたらす理想郷の礎であるということを。

 

 だから、私は、激しく唱えたものだ。

 あなたは、世界の破滅を軽んじていると。

 

「確かに私は上里の人間です。そのことに誇りを持っています。ですが……ひかげは、まだこんなにも小さい。約三百年、天が四国に攻め入る気配も痕跡も全くないというのに、それでも、ひかげは小さい頃から巫女として生きなければならないのですか。私は友達が欲しかった。同年代の子ともっと遊びたかった。遊びに誘われて、断るしかなくて、もう誘われなくなって、距離はどんどん空いていって……あんな寂しい思いを、ひかげにもして欲しくない。無責任なのは分かっています。でも、ひかげが、可哀想です……」

 

 食い下がるひなみに、私は段々熱くなった。そして捲し立てた。上里の祖たる上里ひなた様は、まだ10代半ばという時に、勇者の横に立っていたと。間もなくして、この大社を作り、纏めあげ、天と相対する覚悟を決めたのだと。以降全ての上里は大社の頭としてその責務を全うし、神樹様の元にお還りになったと。いずれも、人類の安寧を実現する為。その営みを、“上里”を、可哀想と呼ぶんじゃない、と。

 

 

 ───────

 

 

「……は」

 

 無意識に漏れる声。揺れる鼓膜には確かに実感があった。

 今のは、おばあちゃんの、昔の記憶だ。

 

 ……そうだ。お母さんは……お母さんは優しかった。お母さんは味方だった。お母さんは、ずっと、ずっと、私に、寄り添ってくれていたんだ……

 

「なんで……忘れてたんだろ……」

「くくっ。あっはははははははははは!!!」

 

 溢れ出る涙を拭う間もなく、頭上から響く下品な笑い声。驚いて見上げると、そこには真っ赤な羽の混じった一羽のカラスが、愉快そうに旋回していた。

 

「は……なにこいつ……」

「ん? なんだ。ここは神の世界だぞ。カラスは居るもんだろう」

「……そ、そう、なの?」

 

 即座に返ってきた声に、私は思わず縮こまってしまう。なんだか、このカラス、物凄く性格が悪そうで、苦手だ。

 そんなことお見通しとばかりに、カラスは嬉しそうにクチバシを開閉し始めた。

 

「というか、お前、それ見た感想が『お母さんは優しかったんだ』って嘘だろう。そんなんだからお前はお人形なんだよ」

「は……?」

「はじゃないが。ひなみとひなよはお前の“敵”だったろうが」

「……ちょっと待って、どういうことよ」

 

 カラスは瞳をぐるりと回して、呆れながら項垂れた。お前は本当に馬鹿だなあ、と余計な一言を添えて、また話し始める。

 

「ひなよは上里一強の伝統を変えられず、力の分散を恐れた。大社が今まで他の巫女を一人も抱え込まなかった原因はひなよだ。お前が無意味な修行漬けだったのも、今こうして人柱やる羽目になったのも、全部上里ひなよとかいう偏屈ババアのせいさ。……それで、ひなみはその問題を分かっていながら、下から頼むことしか結局しなかった無能。……くくっ、あまつさえ、それで、ひなよはその記憶をお前に見せることで、安心して死ににいくように仕向けたんだぞ。実際まんまと引っ掛かっただろうが。ポンコツ」

「……」

 

 ……なんというか。

 確かに、そうかもしれない。と、思いたくなかった。

 

 おばあちゃんが、本当にそういう意図であの記憶を見せたのかは分からないけれど。でも、カラスのいくつかの指摘は、あながち間違ってもいない。

 

 なんか。

 色々馬鹿らしくなっちゃったな。こいつのせいで。

 

「……で、結局あんたはなんなの。味方なの。敵なの」

「どっちでも無いさ。ただ、お前が死ぬのは個人的に面白くないから邪魔している」

「……はあ? あんた天の神の使い魔じゃないでしょうね」

「まあ、そんなに死にたいならその樹に向かって進めばいい。神樹がお前の肉体と魂を分離してくれる」

「……」

 

 改めて大樹へと視線をやる。

 周囲に佇む上里の祖たち。目の当たりにして、自分は一人じゃないと、この人達と同じ場所に行きたいと思っていたけれど。

 

 ──決めた……扉……ここ開けられたら……死のう……──

 

 どうして、今はこんなにも、退屈なんだろう。

 

「ねえ。カラス。なんで私が死ぬのを邪魔したの」

 

 視線を大樹へと向けたまま、静かに問う。

 カラスは少し首を傾げ、翼を広げて肩を竦めながら言う。

 

「この世には自分が幸せで当たり前だと思っている奴、自分がずっと恵まれたままでいられると勘違いしている奴がかなりいる。私は、昔からそいつらをどん底に落とすのが堪らなく快感でな。だがそれと同じくらい、自分から不幸になりにいこうとしている奴が、そのまま不幸で終わるのを見るのが死ぬほど嫌いなんだ。それじゃあ、なんのオチにもなっていないんだからな」

「……分かりにくいカラスね」

 

 私は吐き捨てるように笑った。

 そして、軽く息を吐き、死人の集る樹に背を向け、私は歩き始める。カラスの顔も、もう腹が立つから見てやるもんか。

 

「これで世界が終わったら、貴方のせいだからね」

「世界なんて、定期的に終わらせた方が世のためだろう。私に出来るのなら、とっくにやっているさ」

 

 その声の後、やや満足そうな羽ばたきが遠のいていく。そんなのも、もうどうだっていい。

 

 私は、最後まで操り人形だった。

 大社の、大人の、都合のいいイケニエ。

 今度は、あのふざけたカラスにってわけだけど。

 

 ……それでも、ようやく分かった。私は縛られていたわけじゃない。操られることを自ら選び、従ってきただけだということが。いかなる状況においても、私は“選ぶ”ことまでも奪われたことなんて無かった。世界も、未来も、全ては私の掌の上にあったのだ。

 

 ──そんな面白いことに、気付かなかったなんて。

 私は、本当に、馬鹿だ。

 

「……いいわ。そこで見てなさい。次代大巫女上里ひかげ、一世一代の悪足掻きってやつを」

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