結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
根の世界にて、祖母の記憶に触れ、母の愛を思い出したひかげ。しかし、舞い降りたカラスは彼女を嘲笑する。
ひかげはそれを受け、新たな選択肢に目を向けたのだった。


第四十一話 園子としズク

 徳島県、成海公園。

 瀬戸の海を見渡せるかつての展望施設は、今は崩れかけの廃墟そのもの。屋外のベンチに腰を据えた一人の黒いフードから、副流煙が暗雲へと立ち上っている。

 

 そして、彼以外、誰もいないはずのその場所に、足音が確かに近付いている。男は顔を上げ、慌てて死角の壁に背中を合わせ、息を潜めた。

 

「隠れる必要はないよ」

 

 入り口から現れた、これまた黒いフードが、男の方へと顔を向け、告げる。男は恐る恐る壁から離れ、もう一人の、フードを外したその顔を見る。

 

「久しぶりだね。弥勒……いや、山伏さん」

 

 乃木園子──男からすれば木野菜乃華という少女が、そこにいた。

 

「君はあの時の……!? ……僕に何の用なんだ」

「別に私は日輪宗の人間ではないんよ。ただ、貴方の娘さんに会いたくて、貴方を探していたの」

「僕は……あの子が今何をしているかなんて……君がどこまで僕達のことを知っているのかは分からないが……」

「構わないよ。必要だからここに来たの。それに、会いたいんじゃないの? 貴方も」

「……」

 

 男は苦々しく少女を見る。その左手には、布で何重にも巻き付けられた槍のようなものが握られていた。男はしばらくして頷き、黙って少女の後をついていくのだった。

 

 

 徳島の街を進んでいく。やがてひびだらけの道路は舗装されたものに変わっていき、同様に周囲の建物も小奇麗になっている。徳島の中心地に近付いているのだ。やがて耐えきれなくなったように男は立ち止まり、園子は振り向いた。

 

「双星協会に向かっているんじゃないよね」

「向かってるよ」

「……僕は協会から追放された人間だ。だからあんなところで身を潜めていたんだぞ」

「知ってるよ」

「どこまで」

「大体は」

 

 園子は再度歩き出す。男は肩を落としてまたそれを追う。

 

「さっきいた成海公園の辺りから黒衣の少女が現れて、彼女に月光の福音は作り替えられた。その際、特に有力だった双星協会の幹部は大体追放された。でも貴方の娘である山伏しずくはその少女に気に入られ、貴方は徳島には居られなくなった。合ってる?」

「……」

「双星協会って、子供は親を尊敬し、言いつけに背いてはならないっていう、結構古臭い方針があったみたいだよね。孔子の儒教に影響を受けた、西暦から続く一派の総本山だって。そういうのが、その娘は気に入らなかったのかもね」

 

 男はそれきり喋らなかった。

 

 

 ─────────────

 

 

 双星協会、裏手小扉。周囲に人影は無し。園子は前触れもなく長物を突き出し、錠前ごと門を破壊する。何食わぬ顔で倒れこんだ門を踏みつけ、困惑した男と共に階段を下っていく。やがて、洞窟のような球状の空間にて、小さな鳥居の下にある、小さい扉の前に辿り着いた。

 

「わざわざ懺悔室を地下に置いて。おまけに入口には結界まで……これじゃ、神様も許す以前に、話自体聞けないよ。まあ、聞かれたら困るよね。誰を殺したとか、誰を殺そうとか、そんな血生臭い話、神様にだって」

「……」

「山伏さんには何のことか分からないか。巫女狩りって言ってね。あなたの娘さんは女の子を殺しまわるグループの一員なんだよ」

「……噂には聞いてる。こもれびも一応は日輪宗だ。あの子が双星協会の頭になった以上、覚悟はしていたさ」

 

 園子は男を前に立たせ、進むように促す。

 

「しずくちゃんを表まで連れてきて。その結界は私には通れない。破壊することも出来るけど、その間に逃げられちゃうかもだからね。それじゃあ、頑張って」

 

 園子は退路を塞ぐように、壁に片手をついてそう言う。

 男は無言でドアノブを握り、鳥居を跨ぎ……小さな部屋、安置されている小さな木の椅子に腰掛けた。

 

「……誰?」

 

 布で遮られた小窓から、か細く震える少女の声がする。

 

 男は汗を滲ませ、口を何度も開閉する。しかし、なにも出ては来ず。唇を噛み、拳を握る。何を言ったらいいのか。なにせ六年ぶりだ。円満な関係とは程遠かった。何もかも自分のせいだ。だが、だから、この機会は、二度と来ないということも、分かっている。

 

「……し、しししずくか?」

「……」

 

 返答はない。違うのか。もう声なんて覚えてない。そもそも六年も経ってあの頃と同じままなわけがない。しかし違うなら違うと答えるはずだ。とにかく、何か、何か言うべきだ。男は震える声を押さえつけるように喉を掌で締め付け、胸を爪で搔きむしりながらなんとか口を開き続ける。

 

「お、おお父さんな、ほ、本当に、お前に、会いたくてな。っここに、がんばって来たんだ。……元気に、してるか? ごはんとか食ってるか? 必要なものとかないか? 困ってることとか」

「やめて」

 

 静かに、しかしぴしゃりと響く。

 虚をつかれた男は、真っ白に俯く。

 

「私に……お父さんは、いない……。それに、もう、家族……居るんでしょ。……バレてないと思った?」

「……それは」

「弥勒さん……だっけ。弱い女の人……好きだもんね。今度は逃げられないといいね……。戸籍も無いから、奥さんがいないと住宅契約も出来ないし……どこも雇ってくれないもんね」

「し、しずく、俺はな……」

「なに……? 許して欲しいの……? 気付くの……遅すぎるよ。あなたに怯えて……まともに会話も出来なくした……痣だらけの娘に……心を入れ替えたんだって……だからごめんなさいって?」

「……」

「いいよ。でも……弥勒さんとは別れてね。それで……私と一緒に死んでくれるんだよね」

「……なんだって?」

「もう遅いよ。お父さんは私のもの。もう……離さない」

 

 横の扉から、目の覚めるような白髪が這い出てくる。スカラプリオを纏ったその貌はひどく窪んで、眼窩は青黒く染まっていた。ぐにゃりとした笑顔が男を縛り、一瞬で背後に回り、即座に手錠をガチャリと嵌めた。金属音が生々しく、男は情けなく悲鳴を上げて尻餅をついた。

 

「どんなふうにしのっか……。海がいいかな……。落ちるのも……いいかも。まあ……歩きながら、考えようね……お父さん……」

 

 しずくは男の首を片手で掴み、引きずりながらドアノブを開く。その瞳は、最果てで見つけた希望のような色に染まっていた。旅の終わりにある閃光に思いを馳せ、それだけが映っていた。

 

 瞬間。

 視界がぐるんと宙返り。

 

 落とし穴にでも落とされたような錯覚の後、腹のあたりにある燃えるような熱さに気付いた。

 

「はじめまして。しずくちゃんだよね。私、乃木園子。急所は外してるから、お話できるよね?」

 

 ぼやけた視界に、金髪の女の子。

 降ろした視線に、突き刺さった灰色の槍。黒い布から、紅い液体が滲み出ていた。

 

 再び顔を上げる。……ああ、この子知ってる。しずくはまばたきして、間もなく涙を流し始めた。

 

「……ごめん、なさい」

 

 園子は目を見開く。脳髄からマグマのようなものが染み渡っていくようだった。

 

「それは、どういう意味で言ってるのかな?」

 

 発される声は、なぜか落ち着いていた。どうでも良かった。

 

「私は……いつからか、長時間肉体を制御出来なくなった。魂っていうのが……分裂しているらしくて。私は、もう一人の私の……言いなりで、ずっと……人殺しに加担してきた」

 

 語り続ける。園子は何も言わなかった。

 

「私は長い間、それに……疑問を抱かなかった。徳島(ここ)の外は、何もかも、違っていて……あなた達が……私達とは、別の世界に住んでいる……全然別の生き物だと……思ってた……あなた達が通っていた、第一小でもそう……みんな笑顔で、幸せそうで……仲が良くて。特にあなたたちふたり……でもそれを羨ましいとも、思わなかった……私には、想像も出来なかった、から……」

 

 しずくは顔を上げて、涙と血でぐちゃぐちゃになった顔を、更に歪ませて笑う。少女でありながら、さながら死に際の老婆のようだった。

 

「でも、鷲尾須美は、私に、友達になってくれって……そう言って。それで……私は、変な気持ちになった……身体が熱くなった……汗が出た……冷たくなった……苦しくなった……胸の辺りが、凄く、嫌になった……その後……何もする気が、起きなくなった……死にたいと思った。生きていたくないと思った……鷲尾須美のことを考えると、涙が止まらなくて……息をするのも、物を食べるのも、凄く、めんどくさくなった……でも、あの子はそれを許してくれなかった……」

 

 しずくは笑顔を萎ませ、空気の抜けたように俯いて呟く。

 

「……ごめんなさい。私は……生きていては……いけない人」

 

 懺悔を聞き届け、園子は槍を抜き──突き刺した。

 

「……ふざけないでよッ!」

 

 槍を捻る。目の前の顔が歪む。抜く。突き刺す。繰り返し、繰り返し。響く悲鳴、震える男、舞う血飛沫。それでも、それでも──胸に沸く漆黒が、溢れて溢れて、止まらない。

 

「私はッ、あなたをッ、殺しにッ、来たんだよ! あなたはッ!? わっしーを殺したんでしょッ!? わっしーはッ……! 殺されたくッ、なかったんだよ! 生きていなきゃいけなかったんだよッ! 怖かったんだよ。苦しかったんだよ。だったら! あなたもわっしーと、同じ顔をしなよォッ!!!」

 

 そして槍が止まる。握られた刃先。見開かれた金色の瞳。

 

「……てめえ」

 

 低い声。交わる視線。引き出された牙が殺意に光る。

 

「しずくに……触んじゃねぇ!!!」

 

 何かが破裂したような異音と共に、煙に包まれ奪われる視界。少しして辺りを見回すと、頭上に嘘のような大穴が開いている。園子は男をその場に放置して地を蹴り、その先へと上昇し、光と共に飛び出した。そこは協会の大広間。食事会でも開いていたのか、煌びやかな装飾と共に巨大なテーブルを囲む人々の姿が。

 

「どこ……!?」

 

 踊り場に突如現れた謎の少女である園子を、人々は呆気に取られて見つめている。直後その中でどよめき始めたグループがあり、そこにだらりと垂れていく紅い雫。シャンデリアの上でこちらを見下ろす黄金色から、一際激しい輝きが放たれる。

 

「……!?」

 

 幻惑の後、多くの人間がいたはずのその場に代わりに在った、赤黒い人型の化物の群れ。歯のような仮面を身に着けたその姿は、まるで西暦に暴れた星屑がヒトの身体を得たかのようで──

 

「園子ちゃん!」

「……!? あやや!?」

 

 化物と果てた群衆の中に、唯一存在する少女の姿。違えようもない、巫女の生き残りである国土亜弥だ。

 

「はーん。巫女がいたかあ。こんな場所でよく生きてたな」

「……! あややッ!」

 

 化物に囲まれる亜弥。躊躇いも無く突進していく園子の前に、飛び降りた山伏シズクが行く手を阻む。その身体は、既に傷が塞がっているようだった。

 

「園子ちゃん、来ちゃダメ!」

 

 化物の隙間から響く声。園子は破裂しそうに震える全身を押さえつけながら叫ぶ。

 

「ふざけたこと言わないでッ! 私はもう、これ以上誰かに助けられて生きたくないの!」

 

 槍を持ち直す。感情で昂ぶる呼気を鎮めながら、目の前の標的の死だけを睨む。

 

「……安心して。あややを傷つけさせはしないから」

「ふはっ、かっこいいセリフだが、それ以上自分の価値を落としたくないだけだろ? とんだヒーローだぜ」

 

 吐き捨て、顔を歪ませながら、唸り、猛り、姿を変えていく少女のはずの山伏シズク。等身は先ほどの倍になり、気付けばそこにいた異形を纏った異形が、力を示さんとこちらを見下ろしていた。

 

徳島(ここ)にいる奴ラは貧乏で馬鹿で屑だからここにイる。だガあんた達に居場所を奪わレた奴らの最後の島でもある。世界を変える発明をしたいくツもの企業が、投資源を乃木大国公社(あんたら)に囲われて沈ンでいっタ。その結果出来たノが徳島さ。元を辿ればナあ、アンタらの糞便なんだよォ……!」

「……」

 

 その異形の姿は、よく知るものに近しい。

 ジェミニ・バーテックス。双子座の名を冠する……ただの殺人器だ。ヒトを纏ったところで、神を殺す器足りえる道理など、あるはずはない。

 

「百花斉放」

 

 落胆と共に唱える。

 衝撃波と共に地が大きく震え、足下から無数の太い太い根が生え広がっていく。纏わりつく神威は化物を次々と締め付け、貫き殺し、潰し、切り裂き、地面を覆う紅い絨毯を舐めとっていく。亜弥はヒトだったはずの全てを無慈悲に破壊していくその様に、ただ打ちのめされることしかできず。

 

 呆気にとられる目の前の異形もまた躱すこともできず根に弾き飛ばされ、目前に飛び上がった金髪の槍が無慈悲に照明を反射した。

 

「狂咲・破開」

 

 槍先から波動を放つ。眩い極光は弾丸となり、塊は瞬きする間に地に叩きつけられ……異形の鎧は焼け落ち、崩れ、煤塗れになった白髪の少女だけがそこに打ち捨てられていた。

 

「で……デタラメだ……」

「それで。山伏シズク。結局あなたは何がしたいの?」

 

 シズクの下へ着地し、喉元に槍先を突き付けて問う。シズクは諦めるように力を抜き、ただ笑って言う。

 

「……へへ……自分以外を、自分よりほんの少し不幸にしたいんだよ」

「ほんとにそんなコテコテの悪役みたいな理由なの?」

 

 シズクはつまらなそうに園子の目を見て、また吐き捨てるように笑う。

 

「自分以外が自分より幸福だと、まるで自分が不幸みたいに見えてくるだろ? 自分がどんなに幸せだと言い聞かせても、他の奴らが自分より楽しそうだったらクソ惨めだ! この世には“恵まれない可哀想な奴ら”がいっぱい居るってのに、そんな風にへらへら笑っていられる奴らが気に食わねえ……! だから、だからそんな奴らはなぁ、俺らがなぁ、はは、地獄に落としてやらなきゃ、おい、いけねえんだ! はは、ハハハ!」

「……最低だね」

「そうか! あっはは! “最低”か! “高”くて“貴”い乃木様から見たら、俺達はそりゃ“低”いよなぁ!」

「……」

 

 唇を噛む。いともたやすく肉が千切れた。

 

「お前らの笑顔も幸福も、全ては持って生まれた“力”の恩恵。お前らが偉いわけでも凄いわけでもねえ。偉くてすげーのは全部“力”。チカラチカラチカラチカラ! 力があるから余裕がある。力があるから幸福になれる。力があるから正論が吐けるし、力があるからまともでいられる。だから俺はここにいるんだ。人間よりもずっと強い、天の神の膝元にな」

「……力ね。そんなものに縋ってるから、変なのに騙されるんだよ」

「はっ、力以外にも大事なものがある、ってか? ふざけんな! こんな世界を作ったのはてめーらだろうが! クソ大国公社のクソ御令嬢がよ!」

「……ふーん? でも、その程度なら、あなたの神って弱そうだね」

 

 もういい。槍を握り直し、振りかぶる。

 

「やめて! 園子ちゃん!」

「……」

 

 何も聞こえない。死ねばいいんだ。こんなやつ。

 

「……クソっ……クソっクソっクソっ!!!」

 

 叫び、園子の虚をつき、飛び掛かるシズク。倒される身体。目を開くと、その少女の顔は悔しそうで悔しそうで、おもちゃをとられた子供のようで。

 

「お前には分かんねぇよな! 金持ちで幸せに生きてきたお前には! やりたくねぇ事も、見たくなかった事も、仕方ねえの一言で誤魔化して、誤魔化して誤魔化して誤魔化して生きる気持ちが! こうやって! 殴られたこともなかったんだろ!」

 

 頬に響く鈍音。千切れた唇から紅が漏れ出でる。ぼうっと視界の端に映る血の池に、去っていく友の姿が見える。

 

『また逃げるの!?』

 

 聞き、俯き、寂しそうに走り去っていくあの背中。

 ──ああ、私、本当にあんなこと言っちゃったんだ。

 

「園子ちゃん!」

「邪魔すんなクソガキが!」

 

 駆け寄った亜弥を片足を突き出し蹴り飛ばし、また血走った眼がこちらを覗き込む。

 

「痛てぇだろ!? ああ!? 箱入りのなんも知らねえお嬢さんが、訳知り顔で割り込んでくるのが一番ムカつくんだよ!」

「……だったら」

「んだよ!」

「だったら……! もっと殴ればいい……! こんなの、他のみんなに比べたら痛くもなんともない……!」

 

 シズクの顔が困惑に歪む。握る拳が緩んでいく。

 

「……あんだと?」

「もっと殴ってって言ってるんだよ! 殴りなよ! ほら! もっと私を痛めつけてよ! わっしーも、ミノさんも、あややも……ひーちゃんも……大変な思いで生きてきて、それでも苦しんでしんどいままで……でも! 私は、綺麗なままなの! 嫌なの! こんな自分が大嫌い! 大好きな人の気持ちを分かってあげられない自分が! 私だけ、何も知らない役立たずで、辛い気持ちも半分こできない……私だけ、私だけ、みんなと……違う……だから……傷つけてよ……あなたと……同じくらい……」

「……お前」

 

 静寂だった。

 血の匂いが充満する広すぎる協会に遺されたものだ。

 

 求めるものなんて、ここには無かった。ただ、手放してしまったものを悔やむことしか、最初から出来やしなかったのに。

 

 やがて窓の外から届く雨音。その全てが、怨恨を虚へと変えてゆくようだった。

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