結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
復讐の時来たれり。
園子は白髪の少女、山伏しずくを追い詰める。
しかし最後に残ったものは、虚だけだった。


第四十二話 それでも

「それで、時間は稼げたか?」

 

 仁王立ちのまま問う。打ち払われた骸の上で、目前の女は物言わず若葉を見据える。若葉はその死霊の如き眼光に、疑念を抱かずにはいられない。

 

 ひなみの狙い。というより、ひなみの内にある呪詛の原理、それは上里を呪い尽くすというただ一つ。単純故に強力、シンプルなアルゴリズム。そしてひかげという“上里”を毎日ひなみの前に差し出していたのは、この仕掛けを逆手に取ったもの。呪詛分散を為し得、これまで神樹を呪いから守ることが出来た所以である。

 

 そう。上里ひなみという呪いは、文字通り上里を呪うだけのものであるはずなのだ。大社の解析に狂いは無い。ならこのくだらない時間稼ぎはどういうカラクリなのか。

 

 無論、その企てに道理はある。呪いの成就は、それが上里であるのなら、誰が被ろうと神樹は侵される。最期に立つのがひなよでも、ひなみでも、ひかげでも、世界はそれで終わりだ。だから、ひなよが死ぬまで時を待てば、ひかげかひなみ、どちらかが生き延びるだけでいい。それで全てに片が付く。だが、そんなまわりくどい行動は“上里を呪うだけのモノ”のそれではない。

 

「……いずれにせよ、私はお前を斬るのみだ」

 

 それは変わらない。それ以外に、選択肢は残されていない。

 この作戦は、上里ひかげの自死を前提としている。大社はひかげがそれを遂行することを信じているが、天の陣営はそうではないのだろう。

 

 若葉が携えてくるのが、ヒトの肉を斬るのみの無霊刀だから、という愚かな侮りはあったかもしれない。“時間稼ぎ”が雑兵の無駄遣いとなったことに間違いは無い。だが、失敗しようが、確率は二分の一。ひかげが死を選ばなければ、それでゲームセットだ。

 

 万全を期すのなら、ひかげ諸共、同時に刀で切り伏せるべきだった。だが、大社というのは、罪の意識か、今際の情けか、そこまで非情になることも出来ない、若葉同様、中途半端な組織である。向こうからすれば、ただの自滅だ。

 

 だが、それもまた運命。一人の少女に多くを押し付けてきた報いである。頷き、再度刀を抜く。これは若葉なりのけじめなのだ。今更後戻りなどしない。

 

「──許せ」

 

 そう刀を振り上げた時。

 ズバッ、と障子が開いた。

 勢いよく振り返る。そこに居たのは、新手の刺客などでは無かった。

 

「ひかげ……!? な、なぜ……」

「娘が母親に会いに来るのがそんなにおかしい?」

 

 若葉は刀を納め、近付き、不安定に揺らぐ少女の上体を支える。熱い。これではまるで熱した金属だ。

 

「なんてね……。子供は親に似るものでしょ。大人が無責任だから、子供も無責任に、育ったってこと。……まあ、反抗期ピークの中一の少女に……ッ、世界の命運なんて、託すのが悪いのよ……!」

 

 そう言って、顔を歪ませ、頭を抱え悶える。片眼はひなみ同様、呪詛に侵され青く染まっている。どうやらひなよは逝ったらしく、急速に呪いが魂を侵しつつあるのだ。

 

「……だから、私は悪くない。誰にも……文句なんて、言わせない! 今も昔も、世界の為に戦い続けてる貴方以外にはッ……ね!」

「……!」

 

 意味ありげな視線から、若葉は得心する。呪い破り。彼女の狙いはそれだ。そして、それが難しそうなら、その刀で母諸共斬ってくれと、そう、頼んでいるのだ。

 

 呪い破り。解呪ではない。上里にのみ限定した天神の呪詛などというものは、それこそ数百の人間を生贄にしても解くことは出来ない。だから破る。被呪者本人が、呪いを真っ向から打ち破るというのだ。

 

 はっきり言って不可能だ。それは彼女とて分かり切っているはず。だから、これは立ち向かって死んでやるという、一人の人間の意地そのものといえる。

 

 しかし──

 

 

 ──若葉ちゃん──

 

 

 重なる、その瞳。

 本当にこの子を斬れるのか。

 

「……!」

 

 瞬間、若葉の目前に閃く黒い稲妻。その直線上に、両手を開いてひかげが立ち塞がる。直後、その胸で、いつの間にか黒い花が花弁を揺らしていた。稲妻は呪いのパスであり、ひなみが咄嗟に放った弾丸とも言うべきものだった。

 

 向こうからすれば、生き残った全ての上里の目と鼻の先に、乃木若葉という処刑人が立っているというこの状況。ならば乃木若葉を倒さねばならないのは自明であった。

 

「ひ……ひかげ? 大丈夫……? ひかげ……お母さんが……ついてるよ……泣かないで……ひかげ……」

 

 そしてひなみは定まらぬ焦点で尻餅をつき、うなだれて呟く。

 

「なに……?」

「……恐らく魂の残滓だ。なるほど、上里を呪う以外の行動をさせる余地を残しておいたのだろう」

「……だったら……やっぱり、どうにかしない……とっ」

 

 膝をつき、崩れ落ちるひかげ。そのまま仰向けになり、胸に刺さった花を更に押し込んだ。

 見開かれる両眼。静止した呼吸。伸びる影から無数の花が咲き、棺の如く少女を覆い包んでいく。

 

 ここからはもう手出しは出来ない。見守る以外に術はない。

 

「……がんばれ、ひかげ」

 

 若葉は刀を抜き、その胸に刃先をあてがう。その鋼が、鉄の味を知らずに済む奇跡を願いながら。

 

 

 ────────────────────────

 

 

「……」

 

 目を開き、身体を起こす。

 闇だ。僅かな光さえここにはない。それでも、向かうべき方向だけは、なんとなく分かっていた。

 

 一歩踏み出すたびに、何かが足首へと纏わりついてくる。寒気がして、気持ち悪くて。でも、進んだ。

 

 ──そもそもの話。

 上里ひかげの寿命は、あと一年ほどで、結局、尽きる。

 

 上里の呪い。初代大巫女上里ひなたが受けた、一子相伝の天の呪い。一定の年齢になると発症し、それについて口外すると、見境なく伝播していくという、滅びの印。

 

 “終占”と称し、その兆しを最後の神託として伝えて後、大巫女の間にて他人との接触を断ち、呪いに完全に侵される前に神樹に魂と肉体を分離してもらう。それが、上里の宿命だった。

 

 だが、“上里を呪う呪い”によって、“上里の呪い”は急速に肥大化した。命のリミットは、既に示されている。

 

 ひかげも、それをどこかで感じていた。分かっていた。

 

 それでも。

 生きたい。

 最後の、最後まで。

 

 確かに、死にたいと願う人生だった。辛いことばかりだった。

 でも、悲しいことも、苦しいことも、悔しいことも。どうしてかここに来て、生きたいという渇望を刺激して、強く、強く、求めてしまう。

 

 私はまだ何もしちゃいない。

 生きてない。

 生ききってないよ。

 

 産まれたんだ。

 生きてきたんだ。

 だから。負けない。負けてたまるか。

 

「はぁっ、はあっ……」

 

 全身を覆う泥の塊。重く、どろりと、絡みついて離れない。踏み出す一歩はだんだんと軋み、鈍くなり、躓き、潰れ、泣きながら、顔を上げて、這って、呻いて、ただ、前を見た。 

 

 私は、弱い。本当に弱くて、駄目なやつだ。

 女番長なんて、あんなのは、自分という弱点を隠す口実なんだ。すぐ弱音吐くし、泣き虫だし、性格も悪い。一貫性なんかありはしない。だけどもう、こいつらに泣かされたまんまで終わるのは、嫌なんだ。

 

 屍のフリは、もうしない。それじゃあ、こいつらと一緒じゃないか。『世界を消してやる』と叫んでは、結局、一人の少女を苦しめることしか出来ない、こんな矛盾だらけの悪霊どもと、私は、違う。

 

 死人なんてのは言い訳だ。生を否定しているつもりでも、やっていることは生者の真似事。こんな中途半端な奴らに、絶対、負けて、やるものか。

 

「私は……変えて、やるんだ。私にばかり……惨めな思いを……させてきた、この世界を、ぐちゃぐちゃに……捻じ曲げてやる……消すなんて……まわりくどい、やり方じゃ、ない。生きて、この世を、見返してやるんだ。だから、いつまでも、うじうじ人の足引っ張って、もたついてる、あんたらの相手してる、暇なんか──!」

 

 触れる。この指。この掌、その熱……生きる者の魄。

 

 ──ひかげ──

 

 魂に飛来する情報の塊。それは、上里ひなみが、まだ人間であった時の最後の記憶。

 

 

 *

 

 

 降り頻る雨が視界の全てを覆い尽くす、冷たい秋の夜だった。

 巫女社の庭から空を見上げる彼女は、切なげに両手を握り合わせ、ひたすらに祈り続けている。

 

 四国外の調査に動員した、ひなみの夫である上里御影。彼の乗った霊舟アメノイハクスフネが、幽世にてその反応を消失させてから、九ヶ月が経とうとしていた。

 

「──は」

 

 ひなみは雷に撃たれたように眼を見開き、両手を降ろし、そして、勢いよく巫女社を飛び出していく。

 

 重くなっていく髪も、巫女服も、何もかもを感じぬままに、走り続けて。鳥居の外で立ち尽くすその姿を捉え、近付き、濡れた身体を抱き締めた。

 

「良かった……」

 

 枯れ木のように痩せ細った身体。けれど、確かに彼は生きている。それ以上に、何を望むものがあろうか。

 

 ──だが、何かがおかしい。ひなみはすぐに異変に気付いた。

 

 神託。『お前の夫がすぐそこに来ているようだ』と。それを聞き、その後のカラスの静止も耳に入れずここまで駆けてきた。そして神託の通り、彼はここにいたけれど。

 

 脳裏に打ち付けるような、この高波のような圧は、一体。

 

「……この符は……っ!?」

 

 夫の身体を突き放して叫ぶ。首元に刻まれていたそれは、赤黒い異様な紋様だった。

 ニタリと軋む夫のはずの顔。そして響く夫のはずの笑い声。

 

「この時をどれほど待ったことか……!」

 

 夫では無かった。夫の肉体は、既に容れ物だった。

 

「誰よあなた……夫の身体で勝手なことしないで……」

 

 震える声。侵略者はこれに首を傾げるのみ。

 

「何言ってるの……? これは私の身体。あなた達がくれたんじゃない。わざわざ幽世に人間を寄越すなんて」

「何を……言って……」

「分からないでしょうね。分からないように言ってるもの。あなたがなーんにも知らない事も、今ぜーんぶ分かっちゃったもの」

 

 直後、一瞬で距離を詰めたそれに片手で首を絞められ、ひなみは苦しげに顔を歪める。万力を込めようと、その指が剥がれることは無く。

 

「や……め……」

「あはははははははは!!! やめるわけないじゃない!!! 私の300年、あんたの魂とじゃ秤にかけるまでもない!!!」

 

 もう、やるしかない。ひなみは、青い顔のまま、巫女服に仕込んでいた護身用の短刀に手を伸ばす。途端に握られた手は緩み、ひなみは地に崩れ落ちる。

 

「ひなみ……ここは一体……私は……何をして……」

「……!」

 

 幾万と聞いたその響き。声にならない叫びが、閉められた口蓋の内で跳ね回る。途端に溢れ始める涙が視界を奪う。ああ、それでも──

 

「!? 凄い雨じゃないか。とにかく、中へ入ろう」

 

 そう言って差し伸べられる無骨な掌。ひなみから見ても、そこに立っているのは上里御影で間違いはなかった。

 立ち上がる。迷いを雨で洗い流して、穏やかに笑いかける。

 

 それでも。

 

「が……」 

 

 ひなみは、その喉に、両手で刃を突き刺した。

 脱力する全身。流水が紅を薄く広げていく。

 それでも、ひなみの首元は、既に赤黒く染っていた。

 

 

 ───────────────────────

 

 

「……はは。上里って、みんな……こんな、感じなんだ」

 

 ひかげは、母の頭を両腕で覆いながら、呟く。

 

「あんた、たちは、今の……見て……それ、でも、私達、に……執着、する……のね……」

 

 悲劇の一族、上里。さしずめそんなところか。

 

 こんな惨めな人生だったとしても。今この時、この世界を生きているのなら、この悪霊たちはそれを許すことが出来ないらしい。

 

 ようやく分かった。この人達は、羨ましくて仕方がないのだ。“生きている”というただそれだけが、死にたいくらいに。

 

 産まれて、苦しんで、惨たらしく死んだ可哀想な人間達。本当は、もっと楽しく生きたかったはずだ。でも、生きられなかった。だからこそ、もう一度生きるのは、きっと凄く怖いだろう。でも、本当は生きたくて。生きてみたくて。それが出来なくて。だから、生きている奴が、どうしても許せなくて。

 

 ああ、もう。とにもかくにも。身体の内に巡る電気が、次々とどこかへ消えていくみたいだ。終わる。私が。

 

 ──しにたく、ないよ。

 

「それでも、貴方は生きたいんですよね」

「……?」

 

 声がする。もう目なんて見えやしない。耳だってもうイカれてて、遠く何かが響いてるみたいで。

 

 でも、私を知ってる誰かが、確かに私に語り掛けている。

 なら、返事、しないとかな。

 

「……ぃ……き……た……い」

「はい。精一杯生きてね。ひかげちゃん」

 

 ああ──

 暖かい。




第三章 瀬戸の燈籠・燃 暗転
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