世界が破れた。
静止した人々。蠢く化物達。血を流して息絶えた、弟の鉄男。
弟。それは銀の全てだった。故に、それを取り戻せる可能性が、僅かでも残っているのなら。
敬精霊地神連宮、巫女社よりも更に奥。
この世界の中枢にして、偉大なる大地の化身は、大山の頂上にて林冠を震わせる。
その周囲に張り巡らされた、分厚く聳える根の結界。それを更に取り囲むのは、兜を被った少女達だ。
神樹を護衛する士。すなわち衛士。彼女たちの初陣が、今まさに始まらんとしていた。
「私達が敗れれば、この世界は滅びる。それは中学生には重すぎる責任で、余りにも残酷な使命かもしれない。ふん。それがどうしたって話よ。だからこそ立ち向かう意味があるのよ。いい? 勝利によって得られるのは、この世で最も尊く、最も鮮烈な、最も偉大な生の証。この世界そのものが、私達が生きた証になる! やりがいなんて言葉じゃ表しきれないわ。この誉れ、この滾り! プレッシャーも責任も、この見返りに対しちゃ余りにも安い。そうでしょう、雀!」
「いやいや、私はただ、帰っておうちでちびちびお茶を飲んでいたいんだよ。この世界なんて正直どうでもいいよ」
「雀ェ! 空気を読みなさい!!!」
一番隊隊長にして総隊長である楠芽吹は、決戦に備えて激励を飛ばしていた。だが、長きに渡り訓練を続けてきた手練れ達であっても、やはり戦場に出る覚悟は十分ではない者が多い。なにせ、衛士という機関はこれまで一度も実戦を行った歴史が無いのだ。故にその甘さは必然でもあった。
二番隊隊長にして総副隊長である三好夏凜は、総隊長に代わり激励を続ける。
「まあ、総隊長みたいな豪胆さがなくたって別にいいわ。目的なんて、お金の為でも、将来の為でも、勿論誉の為でもいい。ただ、気を抜いたら死ぬと思いなさい。死んだら終わり。何もかもね。だから生きたいなら戦いなさい。生きたいなら訓練をなぞりなさい。生きたいなら上官の指令に魂を委ねなさい。それ以上に、アンタたちの命を保障しうるものなんて存在しない。いいわね!」
「「「はい!」」」
少し目つきが変わったか。
副隊長は翻り、総隊長の傍らに立つ。
「貴方の方が隊長向きかもね」
「何言ってんのよ。アンタはそれでいいの。こんな雑務は副隊長辺りに最初から任せとけばいいんだって。アンタの役目は、勇気と力はここにあり、と叫ぶだけ。それが一番大事なんだから」
「……ふふ。そうね」
互いに拳を突き合わせ、副隊長は二番隊の配置場所へと進んでいく。
向き直る前方。視界から白い塊がうっすらと顔を覗かせてきた。
『一より星屑確認。人型含む。総数十を超える。四より星屑確認。総数……』
「ようやくか……」
総隊長は銃剣を地に突き立て、唱える。
「承知の通り、勇者の力は無限ではない! 故に我ら衛士隊の奮闘が人類の活路となる! 勇者の出番を奪う気概で、バーテックスどもを滅尽せよ! 一番隊、銃撃用意!」
間もなく、総隊長の怒号、放たれた発砲音と共に、長い長い攻防が幕を開けるのだった。
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「だから……傷付けてよ……貴方と……同じくらい……」
「……お前」
振り上げた拳が固まる。頭が真っ白になって、自分が何をしていたのか、一瞬分からなくなった。
人間の社会における最有力者。この世の頂点に立つ少女の姿が、これだっていうのか?
オレは。弱者だった。弱くて、何も出来なくて、強い奴らの言いなりで。だから、誰よりも強くならなければならないと、ずっと信じてきた。だが、その先にあるものが、これか……?
オレ達の父親、そして父親の所属している組織はイカれていた。子供は、親の為に存在し、親を尊敬し、親に従い、親の言いつけを守り、親に尽くさなければならない。それが常識で、規範で、原則だった。双星協会は月光の福音における二大組織のひとつであり、会員にとって、そこは生きる世界の全てなのだから。
家では父親が絶対で、協会では宗主が絶対。どちらに居ても、親の意向に沿えなければ、オレ達子供は罰を受ける。罰はなんでもよかった。腹に画鋲を刺していくことでも、ひと握りの髪をぶち抜いていくことでも、飯を食わせないことでも。特に決まりは無く、親共はそれを宗主に提案し、確率的に採用されたどれかをひな壇に立たせ順に行っていく。逆立ちしろと命じれれば逆立ちをする、大声で叫べと命じられれば叫ぶ。とにかくそのお題をクリア出来るかどうかが、オレ達の最重要命題だった。
だが、そんな馬鹿げたしきたりにも意味はあった。
大人達は未来の自分の姿であり、子供達は過去の自分の姿。従い、侍り、平伏することで、子供達は将来の地位と享楽を約束される。オレ達には徳島から出ても居場所なんて無い。双星協会というテリトリーの中で、なんとかのし上がるしか無かった。
成長過程で“反逆”という概念を奪われた人間は、『上の者には必ず従わなければならない』という呪いを宿す。その呪いが克明である程に、未来の立場は磐石なものとなるのだ。従順さと奴隷根性という才能こそが、宗主の求める人物像というやつだったから。
家に帰ってもしつけは続く。親は愉悦に顔を歪ませながら、お前の為だと平手を打つ。子供を立派な奴隷にしてあげなくてはと。
母親はというと、生気を失い、しぼんでいくしずくの顔を一切見ようとはしなかった。母親とオレ達は他人同然で、言葉を交わすことも殆どなく、しつけの間もまるでオレ達に興味を示してはくれなかった。だからオレ達も母親に関わろうとはしなかったが、今にして思うと、彼女は父親を恐れていたんだと思う。父親の暴力は責務では無く憂さ晴らしだ。オレ達は過去の父親であり、殴られた分は殴るもの。それが父親に与えられた対価。そうやって自分も育ってきたのだから、その行いが悪であるはずはなく、あくまで必要な儀式なのだと本気で思い込んで。……その矛先が自分に向けられたらと思うと、それが一人娘といえど、介入する気は起きなかったのだろう。
けれど、たった一度だけ。彼女が蒸発する前日に響いた、極大の怒号があった。
「馬鹿にしないでよ!!!」
玄関で響いた、全く知らない金切り声。鼓膜を震わせ、脳を揺さぶるその感情が、しずくを決定的に変えた。
見開かれた両眼に、パチパチと火花のようなものが弾ける。疼く傷跡を指で押さえつけながら、心臓がドクドクと脈動する。
しずくはその日眠れなかった。瞬きもせず、暗闇の中に己の内の何かを映し、見つめ続ける。
しずくの中の揺らぎが、ゆっくりとゆっくりと形を為していく。父親の罵声、宗主の笑い声、泣き叫ぶ他の子の顔、安堵した子の顔、鏡に映った自分自身の姿。
「次はしずくちゃんねー。山伏さん、しずくちゃんはどうですか? 良い子にやってますかあ?」
「いやあ、なんとも融通が効かなくてですねえ、やれと言ってもまるで上手くやれないことばかりで。全く誰に似たんだか」
「うんうんそうかあ。じゃあ、愛の鞭だねえ。しずくちゃん、他の子の見てたと思うけどね、今日はホンモノの鞭使うからねえ。痛いと思うけど、それはお父さんの愛。痛くてもね、しずくちゃんが立派な会員になる為にって、愛してる証なんだよお」
顔を上げる。席に座る大人達の顔は、本当に楽しそうで。子供達は、誰も私の方を見ていない。
いつか自分も笑う側に立つまで、と。そんな風に思って、みんなこれに耐えているのだろうか。
違うだろ。
違う。そんなわけあるか。
私は、わたしは、おレは、オレは、この宗主が、この父親が、この大人達が、許せないんだろうが。
自分の子供とか、ただ殴れる奴を殴りたいんじゃない。
オレは、オレを虐げるこいつらを、今すぐにぶっ殺さなきゃならないんだった。
「じゃあしずくちゃん、準備はいいかなあ?」
そう言って近付けられるマイクを分捕り、オレはそれで宗主の顔面を殴りつけた。
ごっ。教会内に鈍く響く打音。静寂を切り裂き、オレは叫ぶ。
「バカにしてんじゃねえぞ!!!」
唖然とする大人達。子供達が顔を上げ、こちらを真っ直ぐに見てくるのが分かった。
「な……にを……」
立ち尽くす父親。オレはもう何も言わなかった。
「いーいわねぇ貴方!!!」
直後、拍手を響かせながらこちらに近付いてくる黒ずくめの女。だぼだぼのコートに無骨な鎌を携え、傍らの男はバケツをぶら下げていた。
女はひな壇に立ち、オレに手を差し伸べる。オレはその手にマイクを乗せ、ただ、見上げた。
「突然ですが。月光の福音は解体し、日輪宗と改名します。宗主は神である私、アマツミカが務めるということで、よろしく」
そして、入口から大量の人々が殺到し、協会内は拍手喝采。双星協会の会員達はもう何がなにやら分からないようだった。
「何だと……? そんな話聞いてないぞ」
「……」
アマツと名乗る女は、見向きもせず大鎌を振り、ぼやく宗主の首を断った。鎌を放り投げ、その首を片手に持つ。そしてもう片方の手を傍らの男が持つバケツに突っ込み、そこからまた別の男の首が顔を出してきた。
「あらら。二大組織の頭が死んじゃってる。このままじゃ徳島は戦国時代に逆戻りねえ。ならやっぱり神である私がリーダーにならなきゃ、駄目だと思うのよね」
拍手は止まらない。双星協会の大人達は、外部の人間達に囲まれてまるで身動きが取れずにいる。子供達は、夢中でアマツの声に耳を傾けていた。
「じゃ、次の双星協会の教祖は貴方ね。名前は?」
「山伏……シズク」
「シズクちゃん。双星協会って、どんな組織なのかな?」
その意図を理解した瞬間、自分の口角がぐにゃりと歪んだ。脳内に知らない薬がドバりと湧き出してきた。瞳孔がかっぴらいて、動脈が踊り出した。
オレは笑った。腹を抱えながら叫んだ。
「親は! 子供の為に存在する! 親は! 子供のしもべ! どれい! 子供は親よりえらい! 子供は親を好きにしていいし、親は子供に逆らえない! 親は決して、子供に逆らってはならない!!!」
オレは傍らに立ち尽くす父親をどつき、倒れ込んだ顔を踏みつけた。踵で鼻っ柱を抉り、つま先で後頭部を蹴り上げた。
オレは顔を上げた。子供達はもうオレを見てはいなかった。自分達の親に拳を叩き付けるのに夢中だった。
オレは笑った。オレは笑った。オレは笑った。オレは笑った。
これだと思った。
これだけが真実だと思った。
だからオレは。オレは、アマツ様に従って……オレは……
「父親と同じことしてんじゃねえか」
オレは乃木園子の横にごろんと倒れ込んだ。
日輪宗に所属していた人間は軒並み卵を植え付けられ、バーテックスに変えられた。オレには外殻を与えられたけど、結局大して変わらなかった。オレ達は使い捨ての駒だ。
オレは結局奴隷のまま。情けない歯車のまんま。
神なんて真実じゃなかった。しずく。お前が合ってたわ。
「……」
「どこ行くんだよ」
乃木園子は立ち上がり、放り出された槍を拾う。小さいガキの手を取り、振り向く。
「私はね。勇者らしいから。ほんとは神樹様を御守りしてなきゃいけないの。でも無理言って、理由付けてここに来た。大将の首を取る遊撃手になるって啖呵切ってね」
「……」
アマツ様を探しに行くってわけか。
それを知ってしまった以上、黙ってここを出してしまえば、オレは天に背を向けることになっちまう。
だが、どうせオレも駒のひとつだ。神の世界の一員になることは出来ない。
なあ。どうする? しずく。お前はどうしたい。
……そうかい。
「なあおい。お前はまだオレに聞くべきことがあるだろ」
「……何?」
「三ノ輪銀の携帯にメールを送ったのは
「……それは何でなのかな」
「……あいつなら、なんとか救い出せると思った……らしい。どう考えても無理筋なんだが……おれは馬鹿だからな」
直後、入口から、窓ガラスから、協会内に入り込んでくる人型のバーテックス。オレは煤汚れた外殻の破片を地面に叩きつけ、人型の動きを停止させた。乃木園子はそれを軽く確認して、オレを見る。
「……ッ……鳴海公園に……行ってみな」
「……」
聞き、乃木園子は何も言わず槍を天井に放り投げ、大穴を開く。ガキを抱え、そこから協会を飛び出して行った。
「……殺してけよ……クソ」
崩れた天井から流れる雨粒が、白髪を濡らす。
雷撃が全身を貫くのは、間もなくのことだった。