結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

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あらすじ
作戦は無事成功し、須美、園子、銀の三人は仲良くなった。めでたしめでたし。


第四話 上里ひかげ

「ただいま戻りました。お母様」

「おかえりなさい。今日も禊、頑張ってね」

「あの……」

「なに?」

「いえ……すぐに支度を済ませます」

「ええ」

 

 厳かで絢爛で、静謐で豪奢な襖と畳の和室は、吐き気がするほど奇怪で、悪趣味な魔窟のように思える。

 

 蝋燭の焔さえ止まって見え、生者の空気の全てが失われているような、そんな気がするほど無感情で冷徹で、甘い香りがする蒸し暑い空間。ほんの数分ここにいるだけで気が狂いそうになるのに、視線の先にいる、表情を変えず私をじっと色のない瞳で見つめているあの女が、一日の大半をああやって過ごしているのだと思うと、胸の奥から変色した膿が湧き出てくる気がした。

 

 正座から立ち上がる時、制服が擦れる音が煩く耳に届いてくる。そのままいつものように踵を返して、私は襖をそっと開く。

 

「失礼します」

 

 同じようにそっと閉じて、誰にも聞こえないくらいの溜息を、長く細く吐き続けた。

 

 私は、頑張り屋だと思う。

 テストはいつも満点を取っている。

 運動だってちゃんと出来る。

 生け花も裁縫もピアノもちゃんとやれる。

 でも、どうして。

 どうして、私は、巫女になれないのだろう。

 

 

 *

 

 

「……ーい、ひかげー、起きろー、ひっかちゃーん」

「……寝てないわよ」

「なんだよ、だったら返事すればいいのに」

 

 また悪い癖が出てしまった。学校にいる時まで、家の事なんか考えてちゃ潰れてしまう。

 

「サッカー、いくっしょ?」

「……ええ。今日はぶっぱなしたい気分なの」

「ひゅー! 期待してんぞ女番長(スケバン)!」

 

 にし、と歯を見せて銀が笑う。

 ああ、この笑顔。

 この笑顔があるから、私は生きていける。

 

 ──端的に言って、三ノ輪銀は私の心の支えである。

 ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれないが、それはきっと周りから見て、私がそこまで弱っている人間に見えないからに過ぎない。

 

 五年前までは、私は誰よりも幸せだったと思っている。

 なぜなら、習い事とか、家の慣わしとか、巫女の修行とか……まあ色々、同年代の子に比べれば忙しい日々だったけれど、私の頑張りを認めてくれる存在が、“あの頃は”いたから。それは私が優秀だったからではなく、何度失敗しても、自分のことを信じて見捨てないでいてくれる──“ズッ友”と“母”がいたから。

 

 それなのに。

 それなのに、それなのに。

 それなのに、あまりにも突然、二人は消えてしまった。

 

 もともと私が物心ついた時には父親は既にいなかった。仕事の途中で事故にあってしまい、それ以来行方知れずで、既に亡くなっていると考えられていた。理解する情緒も常識も知らない、幼かった私には、悲しみも無ければ思い出も無く。でも、愛してくれる母がいてくれれば、片親であることなんて、なんの障害にも問題にもならなかった。

 

 しかし、突然母の瞳から光が消えた。

 唯一の友も、姿を見せなくなった。

 それからだった、全ておかしくなったのは。

 

「銀、毎日サッカーで飽きないの?」

「飽きるもんか! 須美もやる?」

「ううん、私はここから応援に徹するわ」

「おぉ〜ミノさんかっこ悪いとこ見せられないね〜」

「ふふん、三ノ輪の右足を舐めんなよー!」

 

 そう、全て。

 

 

「銀ちゃん、最近鷲尾さんたちと仲良いね」

「まあな〜アタシらマブだから」

「流石三ノ輪だなぁ、あいつ近寄り難いんだよ、声掛けるだけで短く悲鳴あげるし」

「でもあれは小学生にあるまじきサイズだよなぁ……眺めるだけじゃ勿体無いとは思わんかね」

「ちょっと男子、やめなよほんとに嫌われるよ」

「ふふん、実はアタシは登頂済み」

「「な、なんだってー!?」」

 

 ……気に入らない。けど、そんなつまらない話しないでよ。なんて言ったら私は空気読めなさすぎだし。

 

 こんなことでイラついてるなんて、子供っぽいって自分でも分かってる。でも、どうしてかこんな些細な事が、私にとっては無視出来ない、途方もなく許し難い。

 

 私は勉強もスポーツも頑張って、出来るようになって上手くなって、そうやって認められようと頑張っているのに、あの鷲尾須美は何もしていなくて、臆病者で、震えて縮こまってるだけで、こうやってみんなから嫌われることも無く、あまつさえ人気を集めている。その上私の銀とちゃっかり友達になったりして。

 

 私のこと、飛び上がって突き放したくせに。

 私だってちっちゃい頃から片親だし、母親はもういないようなものなのに。

 私だって可哀想なのに。

 そんなの狡いじゃない。不公平じゃない。

 

「おーい」

「……なによ」

「眉間にシワ寄ってんぞー」

「上里は胸無いから嫉妬してんだろ」

 

 

 

 嫉妬。

 

 

 

 気づけば、私は歩みを止めていた。

 

「……ちょっと! ほんとデリカシーなさすぎ!」

「な、なんだよ、ただの冗談じゃんか」

 

 何か。何か言わないと。

 でも、右手が震えて止められない。

 とにかく、笑え。笑って済ませればいい。

 けれど、怒りの種が分からない。制御出来ない。

 

 男子の言葉か? 実際に私に胸が無いからか? 

 

 確かに腹が立った。それだけで横っ面振り抜ける程度には。

 でも、違う。いや、それも違う。きっと一部。

 怒りという感情が、まるで宙ぶらりんになって行き場を失っているような。

 

「あれれ、揉め事?」

 

 また別の声が聞こえてくる。

 鷲尾須美の隣に佇むその主は、乃木園子。

 

 ……どうして。

 どうして、こういう時に、こんな時に、今、ここで、あなたが、ここに来てしまうのか。

 

「ひーちゃん、どうしたの?」

 

 なんだその顔は。なんなんだその声は。

 私とあなたは友人でもなんでもないのに、そんなふうに関わろうとしないで欲しいのに。

 

 頭が、つぶれる。

 妬く。妬ける。妬ましい。嫉む。嫉める。嫉ましい。

 ──羨ましい。

 違う。そんなんじゃない。そんなんじゃ、ない……! 

 

「……あの、大、丈夫?」

 

 鷲尾須美の声。気付けば私は自分で自分をぶん殴っていた。

 唖然とするみんなの前で、私は言った。

 

「ごめん、虫がいた」

 

 そのまま私はずんずんと先陣を切って校庭に向かった。周りは慌てて追いかけてきて、それで、ようやく、鼓動が落ち着いていくのが分かった。

 馬鹿だと思う。でも、私以外はもっと馬鹿だ。

 

 

「ひかげ、決めろ!」

「ッ──!」

 

 自分に湧いて増えて浮き上がってくる全ての悪性を断ち切るつもりで、走って蹴って叫んで走った。渾身のシュートが私の胸を馬鹿にした男子の顔面と熱烈なキスをして、直角にゴールネットの上端に突き刺さった時は、冷えた炭酸水が脳に流れ込む感じがした。

 

 ふと横を見ると、あの子と鷲尾須美が並んで座って手を叩いている。いつもは教室からだが、直接観戦したいとわざわざここまでやってきたらしい。完全に銀目当て。たった二、三週間の知り合いの癖に、随分と馴れ馴れしく図々しい奴らだと思う。

 

 ……考えると腹が立ってくる。むしゃくしゃしてキーパーの顔面に何度も弾丸を放った。

 

「気合い入ってんなぁ、カッコイイぞ女番長」

「……女番長はよして、銀」

「えーかっこいいと思うけどなあ」

 

 シュートを決めると、こうやって、にし、と笑いかけてくれる。

 だから私は、誰よりも走ってパスを要求し続けた。

 馬鹿だ。

 

 

 *

 

 

「みなさん、さようなら」

「「「さようなら」」」

「……」

 

 走り去っていくクラスメートたち。それを横目に、私は、じっと机に張り付いたまま。そもそも私に、放課後なんてない。

 

 ……最悪な一日だった。

 私にとって、学校は息抜きの場所に過ぎない。勉強もスポーツも、何もかも些事でしかない。それなのに、こんなにもストレスを感じているのでは、本末転倒も甚だしい。私はこれから、息なんて抜きようもない場所に帰らなければならないのに。

 

 でも、まだ、だったらせめて、彼女の笑顔を一目見ておきたかった。ちょっとでもいい。会話して、ばいばい、を言い合いたかった。

 

「え……?」

 

 けれど、彼女は、三ノ輪銀は既に廊下に出るところだった。あの子と、鷲尾須美に挟まれて。

 

 今まで気づかなかったわけじゃない。最近は毎日目にしていた光景のはずなんだ。

 

 二、三週間前は、銀は誰とも一緒に帰ったりせず、一目散に教室を後にしていた。彼女の溺愛する弟たちの世話をするためだと。けれど、私が声をかければ銀は止まって話をしてくれたし、笑顔をくれた。

 

 ああ、誰と帰ろうと彼女の自由だと思う。でも、どうして、よりにもよってその子たちなのか。

 

 目につく。目に焼き付く。目に刻まれる。今の私には、見ないようにする余裕すらもない。このままじゃ、あの子たちを、私は傷つけてしまう──

 

 

 ……気付けば、私は職員室のドアを勢いよく開けていて。

 

「あ、ひかげさん、ごめんなさいね、あと少しだけ待って、今終わらせるから……っ?」

「……安芸ねえ」

 

 はしたないって分かってる。幼稚だって分かってる。でも、しょうがないじゃない。いきなり抱きついたって、たまにはいいじゃない。だって私は頑張ってる。いつも……いつも頑張ってるんだから……。

 

「もう、女番長ひかげが赤ちゃん返りなんて、クラスメートが見たら度肝抜くわよ」

「女番長はやめて……」

 

 

 校舎裏の駐車場に、異質な黒いリムジンが一台。安芸ねえに続いて私も助手席に座る。

 後部座席なんて、ありえない。

 

「シートベルト、お付けになってくださいね」

「その口調やだ」

「これは大社の人間としての務めですから」

「……」

 

 私は俯いて、拳をぐっと握りながら目を伏せる。安芸ねえは短く溜息をついて、私のシートベルトを体を寄せて付けてくれた。

 

「……ありがと」

「今日はいつにも増して甘えん坊ですね」

 

 考えないようにはしていた。けれど銀に見られたところを想像して、思わず赤面する頬。

 ……サイアク。

 

「今日はゆっくり走りましょうか」

 

 そう言って、安芸ねえは私の頭を、こちらを見ずに優しく撫でてくれた。

 

 

 安芸ねえ──学校では安芸先生だが──は、大社館第一小学校の教師であり、同時に「大社」という、この国を動かしている巨大組織の官僚を兼ねている。

 

 私の家は大社の本部と呼ばれる場所にあり、そこで私は食事、入浴、睡眠に至るまで息のかかった人間に世話をされている。その過程での私的な会話や過度の接触は暗黙的にタブーとされており、周りの人間はどれもロボットのようだった。

 

 しかし、安芸ねえは自分のクラスの担任と、送迎を一任されており、その性質上こうやってこっそり親しく絆を結ぶことが出来た。

 

 彼女がいなかったら、きっと私は潰れていると思う。

 なぜなら、私がまともに息を吸えるのは、ここまでだから。

 

 

 *

 

 

(はら)給へ(たま)、清め給へ、神ながら、守り給へ、(さきわ)い給へ)

 

 頭が痺れるほど冷たい滝に打たれながら、短く小さく、それでいて通るように気を付けて、独特な節の詩を読み、繰り返し続ける。黒い長髪は濡れに濡れ、細い睫毛が水滴を舐める。

 

 禊。神に付き従う者、侍る者、赦しを乞う者、縋る者、崇める者──それら全てが、神とたとえ僅かであっても繋がりを持とうとする者が、傅く前に行う清めの儀式。

 

 上里ひかげは、これを毎日二時間は行っている。

 はっきり言って、異常だ。

 小学六年生とはいえ、まだ身体が完璧に出来上がっていない未熟な子供を、儀式と称して水責めにしているというのが事実。しかしこれを命じたのは、彼女の母、上里ひなみであった。

 

 土地神の集合体として、現世に“存在”として顕現した御神体、「神樹」。彼らが人と意思を通わせる唯一の手段が、神と繋がる資格を持った特殊な人間、「巫女」が、「神託」という啓示を受けること。

 

 上里の祖たる「上里ひなた」は、初代巫女兼大社の創設者であり、その子孫は、漏れなく神託を受ける素質を受け継いでいた。

 

 通常、巫女の受信能力に目覚めるのは十五歳に達するまでであり、以降は命が尽きるまで定期的に神託を受けることが出来るようになる。

 

 そしてひかげは現在十二歳、まだ巫女の能力が発現しないのは全くおかしなことでは無いのだが、上里ひなみの「祖母と私はあなたの頃には既に神樹様のお声を聞くことができていました」という言の葉により、こうして延々と心身を清める羽目になってしまったのだ。

 

 はじめのうちは地獄だったが、慣れてしまった今では詞を唱えているだけでいいのだからと彼女は相対的にマシに感じ始めていた。彼女にとって苦痛なのは、「今日も神託は聞けませんでした」という報告と、その先にあるものなのだから。

 

「では、参りましょう」

 

 滝行の後、神官の一人に添い、ひかげは神樹の祀ってある場所へと向かう。

 その道中の木々にも神官が配置されており、一人一人が全く同時に乱れることなく祝詞を唱えている。

 

 ──いにしへこのくにあらびたるの……かきはもよくあしかる……つくりおさめ……くにつくりおほあなむち……ましませばあしはらの──

 

 ほんの小さな子供の頃からいつも歩いてきた道。絶えず聞いてきた異質な歌。人々の暮らす街々とは完全に隔絶された『異界』も、上里ひかげにとっては目新しくもない日常に等しい。

 

 ──すまはせたまへる……ちひろのたくなはを……ももあまりやそむすび……いたはひろくあつく……やそぬひのしらだて……──

 

 ただ、慣れないものが──

 いや、人の身である以上、決して“慣れてはならないもの”が、一つだけあった。

 

 ──とまほす……あやしきひかり……さちたまくしきみたまを……しづてたまへば……くにたまのかみとまをし……──

 

 神官たちの作る道を、たった一人で静かに歩いていく。

 

 ──あまひつぎあめつち……なくおほんたからやすく……なにがしらの……もろもろさいなんなく……よのまもりひのまもり──

 

 見据える先には、神樹。

 一見巨大ではあるが、それは姿見だけでは神そのものであるとは言えないかもしれない。だが、魂が直接膝を折れ、頭を下げろと訴えてくる。

 

 圧倒的な存在感。矮小な人類が謙らずにはいられない、理性を超えた真なる上下関係、新なる感情。

 

 存在しているということが、すなわち奇跡であるのだと、そこにいる全てが理解し、納得し、得心し、涙を流す、その境地。

 懸けまくも畏き大地の神、その化身。

 

 ──かしこみまをす……おちんことかんかをび……みなをしたひらけく……さをしかのおんみみを……きこしめせとまをす──

 

 魂の扉を叩く許しを得たひかげは、少しだけ緊張を解き、そっと御神体に触れる。

 

 形容し難い感覚。

 

 触れているのは紛れもなく樹木そのものである。しかし、神経の、さらに深いところに染み渡るような仄かな熱が、目の前のそれが生きているということを、本能的に理解するに至らせるのだ。

 

 だが──

 結局ひかげは、今日もその声を聞くことができなかった。

 

 

 

 

「どうだった?」

 

 ──鼓動が、全身を通して頭蓋を叩く。

 

「ひかげ」

「……だめ、でした」

「あら、そう」

 

 母の声が鼓膜を震わせたその瞬間を引き金として、脈動が一際激しさを増し、心臓が肋骨に何度も何度も圧迫を繰り返す。

 

 叫びたい衝動。しかし陸に打ち上げられた魚のようにぱくぱくと口を開くだけで、まるで息が出来ない。

 

 大粒の汗が顎から滴り落ち、握り締めた拳から細く赤い雫を覗かせる。

 

 見てはいけない。見てはいけない、見てはいけない、見てはいけない──

 

 しかし、己の意思とは裏腹に、視線は下へ下へとベクトルが変わっていく。

 

「ああ……」

 

 咲いている。

 ひかげの大動脈に根を絡みつかせ、傍から見ればまるで一刺しに貫いているように。

 黒い花が、夢を見せる。

 

 

(私は、頑張っている)

 

 そう呟いて、また諦めて瞼を閉じる。

 一筋の光さえも入らない、暗闇。

 己の息遣いと、地と服の擦れる音が響いている。

 小さな身体を抱え込んで、耳を塞いだ。

 

 

 *

 

 

 気付けば、私は寝室にいた。ちらりと時計を見ると、既に八時を回ったところ。

 

「いけない、宿題……やらないと……」

 

 自分に言い聞かせるようにそう呟くが、体が起き上がろうとしてくれない。

 

 目覚めの直後は上手く頭が働かない。あの罰のせいだということは、いい加減分かりきっている。気を抜くと先程の光景と、淀んだ魂に引き摺り落とされそうになる。

 

 だめだめ、と頬を叩いて立ち上がる。私は少しだけ散歩をしようと決め込んだ。宿題をやる時間はまだ残っているし、それに、椅子に座ってじっとしていると、背後や死角から、無数の手足を持った暗闇に取り込まれてしまうような気がして。

 

 そうして自部屋を後にして、仄暗い屋敷の中を、静かに摺り足で進んでいく。大社のいくつもの屋敷は神樹を祀る神殿としての役割も担っており、それによってか、生活の場とはいえ厳粛に、失礼の無いように過ごさなければならない。その一例が、屋敷内での摺り足。平安時代の日本では、屋敷を足を上げて移動することはなく、物音を立てることはマナー違反とされていたためだ。

 

「……」

 

 気付けば、私の足は“大巫女の間”に向かっていた。

 

 この屋敷は、上里の人間と限られた人間以外は立ち入ることを許されていない。しかし、中には一部屋だけ、「上里であっても入室を許されない」場所があった。それが“大巫女の間”。

 この部屋には、私が一度も会ったことのない、顔も知らない、しかし確かな血の繋がりをもつ祖母がいるのだ。

 

 祖母が他人との接触の殆どを絶っているのは神託による神樹からの勅命のせいだそうだが、私には、なぜそんなことをする必要があるのか全く理解できなかった。

 

 もう、私は数百回、数百日もここに通い続けている。私にとって最大にして最後の希望が、この扉の向こうにはあるのだから。しかし、扉が少しでも隙間を見せたことは無い。私はそんな現状を、祖母を、そして神樹様さえ恨んだこともあった。けれど、願い続けても届かなくて、そうやって絶望を重ね続けても、もう、こんな今を変えてくれる存在は、ここにしか無かった。縋る以外に、何処にも選択肢は無かった。

 

「もし……もし、あなたがここから出てくれたなら」

 

 人間が使うにしては大きく、高く、長く、頑丈すぎる扉に、そっと私は触れた。

 

 祖母……いや、おばあちゃん。あなたは、私のおばあちゃんなんでしょ。大社で、一番、偉いんじゃないの。……だったら、どうにかしてよ。無理でも、せめて、どうしたらいいのか教えてよ。目につく全てを敵にして、大切なものを手離していく前に、何か、なんでも、いいからさ……。

 

「ねえ、ねえ、あなたは、私のおばあちゃんなんでしょ……?」

 

 だったら、助けて──

 

「ねえ……顔を見せてよ……会いたいよ……」

 

 でも、聞こえるはずがない。きっとこの扉は鳥居と同じ。だって、こうやって耳を当てても、叩いても、引いても押しても、何も聞こえないし、なにも返ってはこない。本質的に異なった領域に、隔たりの向こうからの呼び掛けは、届かない。

 

 聞こえていないのなら。届いていないのなら。こちらから、この扉をこじ開けるしかない。

 

 そこに何も無くて、おばあちゃんなんか最初からいなくて、私の味方なんて、どこにも居ないのだと知ることが出来れば、もう、全部諦められる。

 

 誰も何も教えてくれない。誰も道を示してくれない。誰も私を抱き締めてくれない。誰も私の話を聞いてくれない。

 それが真実なのか。そうじゃないのか。この扉が開いた時、全てはっきりする。

 

「決めた……扉……ここ開けられたら……死のう……」

 

 それまでは、生きよう。

 死ぬ為にだったら、もう少し、頑張れる気がする。

 ……眠い。ふふ。

 ああ……ほんと。

 馬鹿。

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