少女は悪だっただろう。
しかし、少女を悪たらしめたのも少女なのか?
もし彼女が悪でなく、優しく強い少女でいられる世界があったのだとしたら、それこそが奇跡だったのか。
「ここまで案内ありがとね、あやや」
「いえ……」
双星協会を離れ、降りしきる豪雨の下、園子と亜弥は、鳴海公園の展望台で空を見上げていた。
しずくの助言に加え、巫女である亜弥の感覚に従い、辿り着いたその場所。討つべき敵の居所は、その向こうにあるらしい。
わざわざ確かめに行くまでも無かった。濁ったどす黒い石油のようなものが、天空からどろりと、橋の先にある島の近くに流れ落ちている。
園子は想起する。あの日、イネスで須美が持ち出した日輪宗の営業チラシ。そこに示されていた、“黒い神樹”。目の前にある天と地を繋ぐ漆黒は、それとあまりにも酷似していた。
「約束したよね。仇とるって。多分、あそこにいると思うよ」
そう言って、園子は亜弥の目を覗く。亜弥は俯いたままだ。
「あややが望むなら、私行くよ。勝てる保証はできないけどね。ただ、あややを守り続けることも出来なくなるかな」
「……園子ちゃんは、それでいいんですか?」
亜弥は顔を上げ、拳を小さく握り締める。園子は、力無く笑い、続ける。
「私の復讐は終わった。もう終わったの。ずっとイライラして、ムカムカして、頭が熱くなってろくに眠れない日々も、多分これで終わる。それで私は空っぽだよ。今までは憎んで怒っているだけで良かったのに、もう寂しくて泣くことしか出来なくなっちゃった。わっしーの夢を見て、わっしーが居ないことに気付いて、わっしーを返してと駄々を捏ねて咽び泣いて。その繰り返し……そんなのは嫌だなあ。だからさあ。あやや。好きに選んでいいよ。私は従う。私はもう疲れちゃったからさ……まあ一応私、勇者らしいし。世界を救って死ぬってのも、悪くないかなって思うんだよね」
もはや園子に目的は無い。生きる理由も、矜恃も、全て朽ち果てたぼろ人形。そんな抜け殻に、選択の余地は無い。生きるも死ぬも、進むも退くも、全てはここまで運命を共にしてきた傍らの少女の一存に委ねるのみ。
だが、園子は最後の望みを隠すことは無かった。
私はもう死にたい。願わくばあなたの為に死なせて欲しい、と。
「……嫌です。……園子ちゃんが死ぬのなんて嫌だ」
亜弥はそう絞り出し。園子は目を伏せ、静かな絶望に笑う。
亜弥はその機微を感じ取りながらも、訴える。死にかけの老馬に鞭を打つように、涙を流しながら、言葉の暴力を振るい続けた。
「……私、嬉しかったんです。味方だって言ってくれたこと。私の名前を聞いてくれたこと。ずっと怖くて、自分の記憶まで信じられなくなっていく中で、本当の私を見つけてくれたこと。園子ちゃんは何でもない事だと思っているかもしれませんが、私は、本当に貴方に救われたんです。……私は、母に生きろと言われここにいます。弥勒さんに拾われて、園子さんに助けられて、今、ここに。だから、きっと生きるべきなんだと思います。きっと意味があるんです」
園子は疲れ果て、その場にしゃがみこむ。惰性で吸い込んだ息を吐き、足下の水溜まりに映る蒼白い自分の顔を見つめた。
「……意味……か」
それを指先で掻き回し、うねる波紋を掌で覆い隠して。園子は、溜息混じりに答える。
「わっしーが死んだこと。その世界で生きることにも、意味はあるかな? 納得出来る意味なんて、あるとは思えないけどな」
「だから探すんです。生きるから探せるんです。何も無いと言って死ぬのは何時でもできます。だから、もう少しだけ」
亜弥は園子の隣にしゃがんで、水溜まりに自分の顔を映す。亜弥はそれに映る園子を、園子はそれに映る亜弥を見つめる。
「……先延ばしかぁ」
「はい。ダラダラと先延ばして、なんとなく生きましょうよ。私も一緒に、一生懸命ぼうっと前を向いていきますから」
そう言って、亜弥は園子の手を握る。園子は諦めたように笑って、亜弥と一緒に立ち上がった。
「……帰ろっか」
「はい」
*
「……ぅあ」
「ひかげ!? お前……まさか、やったのか」
若葉は剣を放り投げ、その小さな頭を支える。僅かに開いた瞳は、もう蒼白では無くなっていた。
「いいや。残念ながら呪いは消えちゃいない」
襖から入り込んだ烏が大きめの木箱を両足に抱え、人語を話しながら若葉の目の前に着地した。
「どういうことだ」
「見かねた御先祖様が引き受けちまったのさ。お陰で呪いは神樹を侵しつつある。本末転倒だな。だがどっちみち時間かけたらこっちの負けなんだ。状況は変わらん。ほれ」
烏は木箱から降り、手羽で開けろと催促する。若葉はそれを開け、中身を取り出し、眺めた。
「布都斯魂剣だっけか? 素戔嗚の差し入れだ。生大刀は電池切れだろうからってな」
「……これで勇者達の加勢に?」
「さあ? ただ乃木園子がついさっき天の本拠地を探り当てたらしい。奴は大人達に任せるってここに戻ってくるそうだ。となると、行けるのはアンタだけになるなあ」
「……ひなたは私を信じてひかげを救ったのだろう。ならば」
若葉は顔を上げ、受け取った剣を腰に携える。
「二人は任せる」
「はいはい。せいぜい頑張んな」
*
「発射ペースを乱すな! 常に次の目標を見定めろ!」
楠隊長をはじめとした各部隊長の声が、発砲音と入り交じる。戦線は一定のラインで維持され、未だ状況は好ましくあった。
衛士の基本戦術、“長篠”。最低限の防壁のみを展開し、主要な護盾隊員も射撃による掃討に参戦する陣形。
攻撃力に特化したこの陣形を長く維持出来るかどうかが、この攻防の鍵になるのである。
『大型複数が精霊山中腹に到達! 小型の総数は第一陣の四倍ほどです!』
『芽吹、どうする?』
『……出陣要請。山頂に到達次第、大型の撃破を』
『あっ、待ってください、一体がもうそこまで来てます!』
『よーっし、じゃあもう出番ってことだね!』
通信と共に、神樹の林冠から一人の少女が戦場に舞い降りる。両腕両足に真っ白な包帯のようなものを巻き付けていて、残りが風にはためいて揺れている。
薄桃色の鎧に身を包み、ただ篭手のみを携えて、最前線にて勝ち気に笑うは、まさしく勇者。
『友奈、無茶はしないで、消耗は抑えて、大型だけ狙うこと!』
『はいはーい! 訓練通りってことだね!』
結城友奈、跳躍。
一際素早い準大型バーテックス、ジェミニ。その猛襲に、斜め四十五度、鋭角に座標を合わせてこう叫ぶ。
「必殺! 勇者ぁ、パ──────ンチ!!!」
直後、爆散する神造の肉体。粉々となり空間に吹き飛ぶその様を確認もせずに、彼女は次の標的の元へと駆けてゆく。
彼女に宛てがわれた概念武装の名は、“絶世”。
一打一殺。故に必殺。衛士の装備では貫けぬ星座を滅するべく与えられた、勇者に相応しい力である。
『勇者になりませんか』
ある晴れた休日の午後、一人の女性が訪ねてきた。聞けば、あの大社の本部に勤める職員さんだそうで。
両親は困惑していたけれど、なんだかその響きがかっこいいと思って、私は二つ返事で勇者やりたい、と答えた。
勇者とは。
人を守り、世界を守り、未来を守る戦士の名。
そんな凄いものに、私がなれるなんて。私はそれが嬉しくて、なんだか、凄くやる気が出て、いっぱい訓練を頑張った。
そんな日々を過ごす中で、私は職員さんに、他の勇者って居ないんですか、と尋ねてみたことがある。それで私は、勇者の装備を開発している研究員さんに話を聞くことになった。
勇者は、私以外に四人候補がいたらしい。
一人目は、事故で死んでしまい。二人目は、装備が未完成だった。三人目は、都合が合えば訓練を共にすることがあるかもしれないが、四人目は……色々あって断念したと。
それから少し経った後、私は、最初に家に尋ねてきた職員さんから話があると、食堂に誘われた。話によると、私の家のお隣に、勇者候補の一人が越してくるのだという。更にその職員さんは、その勇者候補生の担任の先生だったらしく、その子について色々と教えてくれた。そして、心配だから、その子を気にかけてあげて欲しい。でも、ここで話を聞いたことは言わないでおいて欲しいと。
私はそれを了承して、それで……はじめてその子を見た時、どこか自分に似ているなと思った。
その子は優しくて、少し元気が無くて、だけど、ずっと誰かを気にかけていた。
だからかな。銀ちゃんは私を遠ざけようとした。
私はもどかしかった。
その子の苦しみも、悩みも、本当は全部知っているのに、それを言えないことが、どうしようもなく切なくて。
銀ちゃん。今、銀ちゃんは何を考えているのかな。きっとまだ悩んでるよね。優しくて、優しすぎて、潰れてしまいそうで。
でもね。私は銀ちゃんのことが好きだよ。
銀ちゃんが自分を嫌いでも、私は。
もっと銀ちゃんと話したい。
だから、今はもう一度、銀ちゃんと会うために。
そして、友達や家族を守る為に。
「全力! 勇者ぁ、キ────────ーック!!!」
中心を貫かれ、崩壊するレオ・バーテックス。着地し、友奈は天を睨んでこう吼える。
「讃州中学一年、結城友奈! 私は、勇者になる!」