戦線は崩壊。戦場は阿鼻叫喚。故に切り出す札は虎の子。
目覚めしその名は──
「解き放て──玉藻御前!」
血塗れの少女に応じ、九尾は叫ぶ。同時に、練り上げられた大宝石が甲高い怪音と共に砕け、大雑把に飛散する弾丸と化す。
貫く。抉る。叩き潰す。星屑の悉くを滅するその礫は、精霊弾による降霊が持続する限り止まることを知らない。
深紅の呪塊、殺生石。その内に込められた符が、主命により捻じ曲げられた。生あるすべてではなく、ただ、星屑のみを、殺すべし、と。
衛士たちの視界に映る景色は、まるで赤ペンキのバケツを世界に流し込んだようで、そこで何が起こっているのか、殆どの者には分からないほど。
そしてわずか数秒の後、山頂は平野に回帰する。弾速、密度、そして威力。戦況を覆すには十分だった。
「芽吹!」
総副隊長、三好夏凜は、役目を終えた総隊長に駆け寄り、即座に安否を確認する。脈はあるが、ほぼ虫の息といったところ。意識はとうに果てていた。
精霊弾は、使用者の生命力を消費する。当然、本当に死んでしまわぬよう調整はされているが、これでは安全性なんてものは無いようなものだ。
「医療班、今の内に怪我人を治療! それと総隊長の樹海化適応を解除! 急いで!」
夏凜は大声でそう命じ、詰まりきった息を吐く。芽吹の作ったこの時間を、無駄にするわけにはいかない。
『ま、まってください!!! 半径100メートル周辺、いやその先にも大量の星屑の気配があります!!!』
「い、いないわよ!? 第一今芽吹が倒したばかり──」
直後、視界を花弁の暴風が覆い隠す。反射的に閉じた瞼を開くと、そこは七色の神界、樹海だった。
「完了した──っ!?」
呟き、絶句する。
周囲に広がる根の隙間に、ぎちぎちに詰まっている白き蠢く異物。その全てが。
「夏凜ちゃん!」
友奈が、上空から夏凜のもとに着地。振り向き、その光景に眉をひそめる。
間もなく、周辺が振動する。足元の根にひびが入り、世界そのものが軋み、鼓膜を揺さぶる。断続的に何かが破壊される破裂音と共に、白い巨大な複数の滝が天高く伸びゆく。それらは一つの交点で重なり、集約し、何か大きな球体が膨らんでいく。
『ごめんなさい、どうしてか、反応が樹海化完了の直前に……』
「きっと、“張り替え”の合間に潜り込んだのよ。理屈は分からないけど、脆弱性を突かれたのね」
そう言って、見上げる。こうしている間にも、球体はその体積を倍加させている。
「……あの高さじゃ、銃剣程度じゃ届かないわ。友奈の拳だって」
「……」
「友奈?」
友奈は黙ったまま振り向き、ひと蹴りで神樹の周囲の外壁を飛び越えた。そのまま着地し、片手を伸ばし。通信機器を傍らに置いて椅子に座る黒髪に、こう言った。
「お願い。力を貸して。須美……鷲尾、須美ちゃん」
*
「また会えて嬉しいよ」
黒い泥で靴を汚しながら、乃木若葉はそう語り掛ける。振り向いた黒髪、郡千景もとい、アマツミカ。その片眼は紅に、もう一方は紺碧に輝いている。
「質疑があれば応じるわよ。今更意味ないしね」
「お互いにな。まずは、その傷。如何様にして塞いだ」
「この子達よ」
黒髪が開いた掌から、大量のヒルがぼたぼたと泥に埋もれていく。いずれも、太く長くよく肥えていた。
「私の車によく張り付いていたよ。迷惑なことだ」
「次は私……巫女なしでどうやって情報戦を出し抜いたの? 終占まではまだ時間があったでしょ」
「呪詛の強化による進行促進、バーテックスによる襲撃。それら全てを見越していたような衛士の配置。そちらからしたら不可解だろうな。しかし種はシンプルだ。鷲尾須美は辛うじて生きていた。それだけさ」
「……ありえないわ」
郡千景は目を細める。若葉は淡々と続けた。
「彼女はいわゆる“救世主”だった。巫女と勇者のハイブリッド。神樹と直接双方向のやり取りを行える唯一の存在。その力を使って、彼女は間際に願ったそうだ。母の子守唄をもう一度聞きたい、とな」
「何よそれ……」
「似たようなやつがここにいるじゃないか」
「……ええ、そうね……300年前のあなたも……鷲尾須美も……直接、斬り殺してやればよかった!!!」
刀を抜く。大鎌が舞う。刃は交差し、宿命の終わりが幕を開けた。
*
──美森、美森……もう朝よ──
「おか……さ……」
手を伸ばし、薄く開いた瞼から、光が差し込んで。
そこに母はいなくて、腕に、何本も管が刺さっていた。
少しして、安芸先生がやってきて、こう言った。
どこまで、おぼえてるの?
よく分からない。分からないけれど。私は、息が出来なくなった。
分からないのに、どろりとした涙が出てきて、頭の中に、黒く、赤く、ぐちゃぐちゃの何かが、湧いて溢れてきた。布団が崩れて、管がぶちぶちと外れていって、たくさんの人に押さえつけられた後に、また、眠くなった。
その後、だんだん、思い出してきた。
苦しくなるけど、分からなくなることは無くなっていった。
だけど、漠然とした不安が、どこまでも纏わりつくようになった。
影。音の無い部屋。自分の背後。お肉。血。暗い部屋。シャワー。お墓。夜。一人。
怖いものが増えた。
先生から、色々な話を聞かされた。
天の神。勇者。巫女。神樹。お婆さんから聞かされたように。
鷲尾さんは、どうしたい?
先生は、そう言った。
私は巫女でありながら、勇者でもある。世界を守る勇気を、問われていた。
大社館に対面通学を始める前にも、先生にこう尋ねられて。確か私は言った。
変わりたいと。
私は、そのっちと、銀と、お義母さんと、お義父さんと、お母さんを、思い浮かべて。
守りたいと、そう答えた。
だけど、だけど。私の概念武装、概念弓・隠世は、ただの一度も、その姿を見せてはくれなかった。
戦う覚悟。勇者の武器は、その闘志に呼応する。
私に、戦う強さは、終ぞ宿ることは無かった。
「お願い。力を貸して。須美……鷲尾、須美ちゃん」
「……そう、言われても」
「私、見てたよ。ずっと、ずっと、訓練頑張ってたでしょ。百発百中。私、見蕩れちゃったもん」
「だけど、隠世は、まだ……」
「だいじょ────────ーぶ!」
友奈さんは、そう叫んで、にしっ、と笑う。
似ている。
──銀。
「戦うのは怖いよね。私も正直、出陣前は震えてた」
「友奈さんが?」
「うん。でもね。そういう時は、思い出すんだ。大事な人のこと。大好きなみんなのこと。その人たちの笑顔の為なら、何倍でも、何十倍でも強くなれるって。見て、これ」
言いつつ、友奈さんはスマホを取り出し、その画面を見せる。
そこに映っていたのは、矢をつがえ、引き絞り、標的を睨み、放つ、私の動画。
「なんだか、必死ですね……」
「うん。かっこいいでしょ。怖いものを真正面から見て、辛くて、それでも歯を食いしばってる。そんなに頑張れたのは、きっと、須美ちゃんにもあるからだと思う。勇気の象徴、みたいなものが」
「……勇気の、象徴」
胸の内に、ぼうっと、暖かいものが集まっていく気がした。
銀みたいになりたい。そのっちみたいになりたい。友奈さんみたいになりたい。みんなみたいになりたい。
お母さんみたいに、なりたい。
でも、それは、どうして。
「わっ」
友奈さんは私を背負い、神樹様の外壁の上に着地する。上空の球体は、巨大な満開の花の姿に似たものになっていて、その大きさは、十二宮とはもはや比較にもならない域にあった。
「絶世の力を使えば、きっとかなりの高さを稼げると思う。須美ちゃんは、私の背中から、全開のやつであれを狙う。完璧な作戦!」
「でも、友奈さん、あと一回しか」
「大丈夫。世界とみんなの為だもん。何回だって飛ぶよ。神様になったっていい」
そう言って、友奈さんは笑った。
私は、どんな顔をすればいいのか分からなかった。そんなのは、ダメだ。でも。
こんな時なのに、まだ、自信が持てなくて。
そんな自分が、情けなくて。
でも、まだ、任せて、って、言えない。
だから。
「私の代わりに、私を、信じて、ください」
友奈さんは力強く頷き、正面に向き直り、そのまま片足に光を収束させ。
「勇者ああああああ、キ──────────ック!!!」
爆発する外壁上部。砕かれた根の砂塵から、一筋の白桃の光となって突き抜ける。
真っ白な、恒星のようなその標的を睨み、強烈な風圧を正面から受け止める。
隠世はまだ目覚めない。それでも、私は、ありもしない弓を構え、存在しない矢をそこにつがえる。
私は東郷美森、そして、鷲尾須美。
弱くて、ダメダメで、どうしようもないくらい、怖がりで。
でも。そんな私を、愛してくれたみんな。
友達になってくれたみんな。
守ってくれたみんなを。
私も、守れるくらいになりたいと、抱き続けたこの想いは。
嘘じゃない。
嘘じゃない。
嘘じゃない──ッ!!!
「私は、生きてる……生きてるって、ここにいるよって、伝えるまでは……!」
両手に、確かな感覚がある。
遅くなって、ごめんね。
「ああああああああああああっ!!!」
全てを込めて、私は放った。隠世は全てを燃やし尽くすように、虹色の光となって砕けた。
指先から離れていく、蒼く蒼く、眩く、疾く、その一矢は。時と共に大きく、熱く、鋭く。
まるで朝を告げる鳥のように。
天空に咲いた一凛の花を、中心から貫いたのだった。