天照大御神。その正体は、「世界の軸」となったある一人の人間の成れの果て。そして、倒すべき最後の敵は、彼女ではなく。
火。
それは希望であり、生を育む光であり、同時に、果てなき死を呼ぶ災いでもある。
余りにも純粋で、どうしようもなく美しく。そんな概念を司る役割を与えられた彼女にもまた、燃え尽きることなき焦がれるほどの思いがあった。
思い──まさしく、原初の熱、と呼ぶべきもの。その為に、彼女はただ、燃やして、燃やして、燃やし続けた。
天を贄とし、月をも滅ぼし、大地を薪に世界は溶け合う。果てに、地獄の門を開くが為。
その、最後の障壁を、彼女は間もなく迎え撃つ。
「──」
ぶつかり合う視線。
その空間には、もはや炎、ただそれしかない。
気体、液体、固体、その全てが、火炎という概念に塗りつぶされ、世界は一色を除いてすべてを忘れ始めている。
だが。その絶対なる理から、ただ一つの生物だけが、独立して目前に立っていた。それの周囲の炎は乱れ、風に揉まれる様は、まさに紅蓮の竜巻のようで。
「お前が、天の神ってやつで……お前を倒せば、世界は、救われるってことだよな」
嵐の目。炎のヴェールを寄せ付けぬそれは、そう、語りかけている。
視線を下す。その片手に握られた、揺らめく剣。骨子である神器の銘は、天之尾羽張と呼ばれている。
火は、母の命と引き換えに誕生し──そして、間も無く父によって殺された。死と共に産まれ、生と共に死に果てた、それが火であり。その在り方を宿命付けたのが、天之尾羽張だった。
「うれしい……こわい……かなしい……ゆるさない……」
仮面を被った最後の天神は、吐息交じりにそう呟いて駆け出した。
火の化身である彼女の限界は、その剣を打ち倒して、その時初めて消失する。
辿り着いた喜び。恐怖との再会。絶望の到来。運命への怒り。今ある全ての感情を胸に、彼女はただ、真っ直ぐに燃え続ける。目前の天敵は回避を選ばず、歯を食いしばって、それを受け止めようと剣を構えた。
衝撃。重なる神器。吹き抜けた鎌鼬が、空間を支配していた炎の全てに、あり得ざる切れ込みを生じさせる。
天照大御神より譲り受けた天叢雲剣は、紛れもなく最強の剣である。災害の化身を切り刻んだ布都斯魂剣をも欠けさせた、大蛇の生き血を吸いし鋼の究極。神殺剣である天之尾羽張であっても、敵うはずのない到達点。
「こわい……こわい……こわい……こわい……」
それを天之尾羽張は押し切り、縮こまった天神に、次々と叩きこんでいく。天叢雲剣はそれをなんとか捌いていくが、主である天神の首元から、届いていないはずの斬撃によって紅が噴き出し始める。
「こわい……こわい……」
「……ッ」
天敵の振り上げた両腕が揺らぐ。それに気付いた天神は、躊躇なく神剣を振り上げた。
「……え」
呆けた声。
視線の先で回転する、腕。
じゅっ、という音と共にそれは一瞬にして消滅し、残ったのは痛みとだらしなく流れる血液だけ。その血液さえも一瞬で蒸発し、傷口が焼けて塞がった。神剣の加護が途切れた一瞬、地神と接続されたその身体は、失ってはならない当たり前をあっという間にこぼれ落とし。
意識がトンだ。
許容量を超えた痛みは、無という救いに押し込まれる。何か問題があったのなら、やり直さなければならない。
再起動。
それは必要なもの。
優先度の高いもの。
それを踏まえて。
この身体はなんだった。
この身体はどうなった。
この身体はどうなるべきか。
──この身体は必要か。
「うれしい……こわい……うれしい……うれしい……」
脳に届かぬただの振動。記録しただけの物理情報。時間軸をずらして、修正される生命。
再構築。
決定的な何かが変わってしまったような、小指の先ほどの喪失感だけを残して、それは再び立ち上がる。
「こわい……かなしい……ゆるさない」
その怒りは何故か。
簡単なこと。切り落とした成果は置換された。
木のような、肉のような、その中間のような。それでも、その腕は、確かにそこに付いている。
燃やしてしまえ。そんなもの、燃えて消えてしまえばいい。
だから、彼女はその腕を斬りつけた。しかし呆気なく天敵はそれを躱し、剣を目前の腹に突き立てた。
「……! かな……しい……かなしい……こわい……こわい……ゆるさない……ゆるさない……」
天神は自らの身体に突き刺さった天之尾羽張を握り固め、そのまま天叢雲剣を低く薙ぎ払う。天敵の片脚はスッパリ切り落とされ、バランスを崩して炎の海に沈んでいく。それを見届け、天神は顔を歪めながら小さな腹に刺さった剣を抜き、指が通せそうなほど開いてしまった首の傷を押さえて膝をつく。
直後、喪われたはずの蝋人形が二秒と経たず立ち上がる。焼け焦げた顔はもはや飾り物。見下ろす天敵は己が得物を拾い上げ、まともな予備動作も無しに振り落とす。
決着はその一振りだった。刀身が天神の仮面を両断し、涙でびしょびしょになった顔が露になり。剣を捨て、耐え切れず両手で首を庇いながら、嗚咽を漏らして地に伏した。
間もなく、勝者が剣を両手に構え、その首にあてがう。
だって、この剣は、この身体は、そのためにあるものだ。
だからそうするんだ。
うん。
殺す。
殺す。
殺す。
……なぜ?
それは必要か?
必要ない。
だから。
「……?」
この情報は何だろう。
この目に映るこの顔は何だ?
……ああ。そうか。
「お前……アタシとそっくりだな」
呟く。
この身体と、同じ顔。同じ体躯。同じ髪色。
なんでだ?
さあ。
でも、なんだか、この感じ。この涙。この泣き声は、どこかで。
──お……かあ……さん──
「……ああ、そうか」
──アタシがついてるぞ、須美──
「……お前、母ちゃんを、探してたのか」
呟き、剣を放り投げる。
目前の少女は泣きながら、困惑し、アタシを怯えながら見つめている。
「……ごめんな。痛かったよな」
膝をつき、その頬に触れる。ああ、妹が居たら、こんな感じだったのかなあ。
なんて考えてたら。
剣を捨てたアタシの身体に火がついて。動かない身体は、目前の少女に覆いかぶさるように沈んでいく。
「結局……アタシは……」
姉にも。勇者にも。救世主にもなれなかった。
罪を贖うことも出来ず。
あまつさえ罪を重ねるばかりで。
託された世界さえも放り投げて。
ただの一つも、うまくなんていかなくて。
産まれてきちゃいけなかった。
生きていてはいけなかった。
ああ……だけど。
「なあ……会えると……いいな……」
アタシは、その泣き顔に微笑んで、燃え尽きた。