結城友奈・曲筆【本編完結】   作:おーたまー

57 / 62
あらすじ
火を司る神。其を殺しうる剣を携えた、神と繋がりし少女。
果てに彼女は全てを得物ごと放り投げ、慈しむように笑った。


第五十二話 銀色の世界─朽─

「なあ……会えると……いいな……」

 

 天敵、だったはずの少女は、最期にそう微笑んで。炎に呑まれ、溶けてしまった。

 

 だけどその言葉の意味が、よく分からなくて。

 その表情の理由も、判然としない。

 

 だって、そんなもの、今まで一度も、見たことなかった。

 だから、この……今自分の中にある、この気持ちなんて。

 

 かなしい、なのか。

 うれしい、なのか。

 どれでも、ないような気もして。

 

「あ……ああ……」

 

 消えてしまったその微笑みに、気付けば、手を伸ばしていた。

 

 届くはずのないもの。ここには存在しないもの。

 さっきまでそこにあったはずなのに、もう二度と手に入らないとようやく知って。

 

 耐えきれず胸を押さえつけ、唇を嚙んだ。

 

 剣を交わした天敵が、最期に天神に見せたもの。その名を知ることはなくとも、彼女が今まで求め続けていたものだということに、気付き始めていた。

 

 それは、まさに──人間達が『愛』と呼ぶものだった。

 

 

 ──産まれてから今まで、母に会うことが叶わなかった。孤独と激しい憎悪の渦の中、父に首を叩き切られた。なにせ、母を焼き殺したのは、彼女自身だったのだから。

 

 それでも、彼女は母に会いたかった。その理由も、何を得たいのかも考えぬまま。とにかく、ただ、今すぐに母に会いたくて。第二の生を得て、第二の母である天照大御神と対面しても。一目で、代わりになどならないと絶望して。その欲求は、ますます膨らむばかりだった。

 

 天照大御神は、確かに彼女の目的のために死んだ。けれど、彼女は子供の為に生きてはくれなかった。穢れを吐き出した天の女王の魂には、自身より湧き出る意思が、何一つ無かったのだから。

 

 故に、天神は知らなかった。知ることができなかった。愛も、心も、優しさも。けれどその形だけは、魂が捉えていて。だからこそ、欲しくて欲しくて、掴み取ろうともがいて。

 

 それが今、たった今、目の前で消えてしまったものなのだと、思い知った。

 

 天神の涙が頬に溶けていく。脳裏に焼き付いて離れない、死に際の瞳の輝き。頬に触れた、あたたかな掌。

 

 機械でしか無かった天照大御神が与えられなかった、愛。それが何なのか、今まで彼女自身も分からなかったけれど。地獄さえも楽園に思えるような、燃え盛る混沌の世界で、少女三ノ輪銀は、彼女の為だけに全てを投げ出した。欲求。人生。時間。魂。存在さえ放棄して、なお、彼女は微笑んだ。

 それが、求めていた全てだった。

 

 愛とは、犠牲だ。

 

 天照大御神は空っぽの電子計算機だったから、何も求めなかったし、何も失うものがなかった。だから己の内の何かを、自分以外の為に捨てることが出来なかったし、それ故に、天照大御神は自らの子を愛することが出来なかった。

 

 だが、三ノ輪銀は、天神の存在を間接的に、それでも、全面的に理解していた。

 

 寄り添ってくれていた。抱き締めてくれていた。受け入れてくれていた。憐れんでくれていた。一緒に痛がってくれていた。一緒に苦しんでくれていた。心を、繋げてくれていた。

 

 それは、きっと奇跡と呼ぶべきことだ。

 

「……」

 

 目前に、槍が降ってくる。

 まだ大地(神樹)は完全に燃え尽きたわけではないが、それも限界。槍が姿を見せたことが、その証。

 

 ──母に会う。その為には手段を選ぶ考えすらなかった。少なくとも、母は黄泉の国にいる。それは分かっていた。しかし、その世界にはもはやなんの機能もなく、生者はおろか、死者でさえ、その門の先に進むことは出来なかった。

 

 だから、境界を消すことに決めた。

 

 この世の全てを燃やし尽くし。生ある世界を、全て死で塗りつぶしてしまえば、きっと、黄泉の国と、それ以外の差異は消失する。そうなればようやく母に会えると。そう信じて、ここまで戦火を広げてきた。

 

 けれど。

 

「……ごめんなさい」

 

 槍を握り、そう呟く。

 きっと、(伊弉冉)なんて、要らなかったんだ。

 もう、要らない。

 

 会いたくないわけじゃない。いや。本当は、すごく、すごく会いたい。

 

 だから──

 

「──告げる」

 

──別天神々(ことあまつかみがみに)(かわりて)高天原之主(たかあまはらのぬし)太陽心天照大御神之(たいようのこころあまてらすおおみかみの)嫡子天暗燈毘墜果(ちゃくしあまくらすひびついのはつ)之名於(のなにおいて)天沼矛(あめのぬぼこ)是用赦候(これをもちいんとするをゆるしそうらへ)──

 

 言霊に応え、輝き始める一振りの槍、天沼矛。

 瞼を閉じ、ただ一心に祈り──それは世界に突き刺さる。

 一人の少女の笑顔、それだけを願って。

 

 

 ───────────────────────

 

 

 とある昼下がり。三ノ輪銀は、テレビのニュースで、若い女性が亡くなったことを知った。殺人によるものだった。東郷美梁。それが被害者の名前。報道される事件現場には、見覚えがあった。

 

 それもそのはず。三ノ輪銀は当事者だった。

 通り魔である郡千景と遭遇したのは、六年前。鉄男が産まれて間もなくのこと。報道で流れる写真は、まさしく、その場で自らを救った女性そのもので。

 

 吐き気がした。

 自分の中の、一番奥にあったものが、根本から捻じれ狂うような感覚だった。

 

 それまで、その記憶は自分にとって誇りのようなもので。明確な悪に対峙し、弱きものを救う──分かりやすく、自らを英雄として担ぎ上げて、悦に浸っていた。

 

 だが、実際はこう。

 老婆を守るために、三ノ輪銀は挑発した。殺人鬼は三ノ輪銀に反応して、動きを止めた。嘲笑した。つまり三ノ輪銀は、あの場に殺人鬼を留め置いてしまった。

 

 老婆と、少女と、血塗れた大鎌を持つ者。その場に出くわしたあの人は、責任という鎖に囚われ、逃避という手段を失った。幽鬼に立ち向かい、三ノ輪銀と老婆にその権利を譲り渡した。

 

 そしてその鎖は、三ノ輪銀が設置したものだ。責任感と勇気を兼ね備えた者にだけ、その四肢を絡め取り自由を奪う魔の鎖。殺人鬼を留めるという行為に付随する、法を超越した侵害行為。三ノ輪銀は、三ノ輪銀だから分かっていた。自分なら、彼女と同じことをせずにはいられなかったであろうということを。

 

 同時に、断言出来る。それは悪であると。何より三ノ輪銀は少女で、なんの力もなく──責任が、無かったのだから。

 

 だから、三ノ輪銀は認められてはならない。許されてはならない。それでは失われた命をも、認めることになってしまう。ああ、確かに、三ノ輪銀のこの怒りは、救った老婆の命を否定しているということにもなるのかもしれない。けれど、死んだ人間を、文句も言えない人間の尊厳を奪うことは、あまりにも憐れで。そう、だからこれは三ノ輪銀の我儘でしかない。そもそも三ノ輪銀は死んだあの人が須美の母であると知るまでは、時の流れに身を任せ、何とか折り合いをつけて処理することが出来ていた。それは、失われた命が「ただの命」だったから可能だったこと。三ノ輪銀も、命に優劣をつけてしまっていた。友人の母の命を奪ってしまった、誰かの大切な人の命を奪ってしまった、それを自覚して、ようやく三ノ輪銀は真実と向き合った。だから、そこに正解は存在しない。三ノ輪銀の意を汲むのなら、そこには沈黙だけしか存在を許されることは無い。無意味だ。何もかも無意味。それが嫌で、それでも、それだけしか、最後には残らない。

 

 そして……三ノ輪銀の虚しさの根源に、「勇者」への憧れがあるということについて、それはどうしようもなく真実だった。

 

 三ノ輪銀は悪を為した。一人の命と未来を奪った。その原因を担った。弟の手本。目指して欲しい理想。どうやっても、人殺しとなってしまった三ノ輪銀にとっては、月に手を伸ばすようなもので。

 

 それを自覚して、蠢く虚が、いつも、結局自分の夢を諦めたことへの嘆きという、歪んだ自己愛の成れ果てであると思い出す。

 

 ああ、そう。結局、三ノ輪銀は自分のことしか考えていないのだ。どんなに理屈を捏ねても、正しさの所在を探してみても、その最奥には、「勇者へのあこがれ」が鎮座して、動かずにいる。

 

 じゃあ、どうしたらいい? 三ノ輪銀はどうしたらいい? そうして考えて取り掛かった贖い、贖罪、償い──どれもこれもただの自己満足。罪人という肩書きは、勇者というシンボルの代替でしかない。善は全て偽りのベールを纏っていて、悪はいつも剥き出しで形を変えることは無い。「誰かのため」が善であり、「誰かのため」は「自分のため」。そして、「自分のため」は悪である。

 

 善という概念、それは三ノ輪銀だけが用いることのできる専売特許ではなく、人間という存在が今まで積み上げてきた文明と知恵が織り成す、大衆のみを救う為の倫理・道徳という名のハリボテのレガシーである。道理は、そこには一欠片も存在しない。

 

 ──振り出しに戻る。

 無意味。人間は、三ノ輪銀は、「自分ため」=悪を為さずに、生きることはできない。

 

 この結論に辿り着く度に、必ず浮かぶモノがある。

 

「死」。

 

 罪を濯ぎ、生に終止符を打つ。「自分ため」の連鎖を断ち切る唯一の手段。

 

 人々は、罪を償うのなら、生きて悔やみ、残りの人生を正しく使うべき、というロジックをしばしば展開する。

 

 だが、結局──全て「自分のため」になってしまう。

 

 それは断じて、贖罪などでは無い。

 けれど、そこまで考えておきながら、なぜ三ノ輪銀は死を選ばず、こうしてのうのうと生を謳歌し続けているのか。

 

 それは三ノ輪銀が、「姉」だからだ。

 

 姉は、親が何かの拍子に死んでしまっても、絶対に弟を守り続けなければならない。だから、三ノ輪銀は死ぬことは出来ない。それが「三ノ輪銀のため」であったとしても、三ノ輪銀は、生きることをやめるわけにはいかなかった。

 

 そうして選んだ苦肉の策が、親友との絶縁であった。

 

「自分のため」を極力最小限に抑えるために、三ノ輪銀は親友との交流という幸福と居場所を切り捨てた。自分の命を、嘘と偽りのみに捧げていくしかないと思った。苦しかった。だからこれでいいと思った。三ノ輪銀は、ようやく生き方を見つけられたのだと思った。

 

 ああ、気付いた。三ノ輪銀はこの生き方に安心してしまっている。これではダメだ。「これでいい」なんて、いいわけがない。

 

 ──振り出しに戻る。

 ──振り出しに戻る。

 ──振り出し。

 ──振り出し。

 ──ふりだし。

 ──ふりだ

 ……「死」。

 

 やっぱ、そうか。

 

 

 ─────────────────────

 

 

 樹海に浮かぶ、三体の星座。

 傷付き立ち上がれぬ二人の少女達には最早興味を示さず、終末をもたらさんと、それらは世界の中心を目指す。

 

 その先に立ち塞がる、小さな小さな赤壁。

 守るべきもののために、紅き少女は叫び、猛り、跳んだ。

 精神を燃やし、限界に抗い、肉体を捧げた。

 

 戦えるのは、この場に彼女ただ一人。世界と人類の命運を背負いながら、少女は戦い続けた。

 

 決して折れず、決して諦めず、何度も何度も恐怖を目の当たりにしても、そのまま勇気と使命を張り続けた。

 

 戦うために叫ぶ。守るために吼える。それは決して「勇者になるため」でも、「罪を償うため」でもなく。

 

「生きるため」に。最期までそれを諦めないまま、少女は──

 

 “これこそが、人間様の気合と、根性と!!!”

 

「「たましい──」」

 

 呟いたのは、三ノ輪銀、だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。