最後の天津神、天暗燈毘墜果。
彼女は少女の笑顔を夢見て、槍を大地に突き刺した。
「「たましい……」」
呟いたのは、アタシだけではなかった。
大の字になって寝そべったまま、二重に響いた己の声に怪訝に顔をしかめ。恐る恐る、そちらに顔を向けた。
「「ど、ども……」」
目を丸くしたまま、条件反射でそう言うと、また見事にはもり、同じ顔がそこに。今日はそっくりさんとよく会う日だな、なんて思いつつ。しかし、向こうは真っ赤な、随分と裾の長い服を身に纏っており。
「そう……いえば……」
さっき、脳裏によぎったワンシーン。
確か、酷い傷を負いながら、この服でバーテックスと戦っていた。
たった一人で、三体。概念武装よりもずっと非力な、あの装備で。
あれは恐らく、この子の記憶。
ということは……この子もまた、アタシを、知っている。
ひとまず身体を起こし、周囲を見渡す。
無い。
まず色がない。
物がない。
壁がない。
空がない。
光がない。
闇がない。
あるのは、ただ、二人の三ノ輪銀だけ。
「なーんもないっすね。ここ」
「……うん。いや、あそこ」
指さす先に、一本の槍が浮かんでいる。
二人でそこに近付いて、そして、分かったことがある。
なんで急に理解できたのかは分からない。ただ、それは、きっと。
「構えて貰えますか」
「……!」
赤い服のアタシは、映像の中にあった二本の斧を両手に握り、こちらを見ている。すぐにアタシも、いつの間にか腕の中にあった現世を中段に構えた。
そう。
アタシたちは戦わなければならない。
あの槍は、この世全ての可能性を持った、無限だ。あの力があれば、きっと、どんな願いだって叶う。
ただ、人間であるアタシ達では、使いみちも、引き出せる能力も限られているだろう。
「はあっ!」
「……ぐ」
大斧が、受け止めるアタシの両腕両足を、ぎりぎりと軋ませる。
武器の性能は、この世界では何の意味もない。だって、ここはアタシ達だけの世界だ。用意した武器はただの飾り物で、命運を分かつのは、ただ、勝ちたい、という気持ちだけ。
その点において、アタシは、この子に明確に劣っているという自覚があった。
目前で振るわれる斬撃は豪快で、それでいてよく洗練されていた。神という補助装置に頼りきりだったアタシとは違う。この子は、自分自身で積み上げてきた努力によって、そこに行きついたのだ。
アタシにできるのは、嵐のようなその攻撃を、ただ必死に受け止めるだけ。そして──一撃を防ぐたびに、共鳴する三ノ輪銀という存在があり得ざる縁を繋げ、互いの過去が行き来する。
これは決闘であり、同時に、何よりも深い対話でもあった。
閃く。友の笑顔。弟の声。既知でありながら、全く違うそこにいる誰か。
そう。
この子は、ずっと、自分じゃなくて、誰かの為に戦っていた。
この子はそれを、それも自分の為なのだと笑うだろう。
アタシとは違う。
アタシは、それになれなかった。
自分の求めるもの。他者の助けになること。それらをちゃんと直線に載せることが、アタシには、出来なくて。
ひん曲がった線路に、どう置けばいいのか、もう、分からない。
「……!」
打ち払われた現世。絶対的な隙。そこに差し込まれる一撃。それを、アタシは、がむしゃらに身体を転げて、どうにか躱していた。
どうして。
自分の中で湧き上がる疑問。
なぜアタシは戦うのか。
なぜ、アタシは剣を離さないのか。
分からないのに。
どうして、アタシは、立ち上がる。
「迷ってますね」
「……うん」
ぜえはあと息を吐きながら、剣を構えなおす。だが、整える暇を与えてくれはしない。即座に、大斧はアタシの全身を破壊しに迫ってくる。
この子が戦う理由は、やっぱり、奇麗で美しい。
アタシが生きていた世界の、その一つ前の世界。その結末は、一人の少女を犠牲にして、他の全てを、人を辞めてでも生きながらえさせるという、歪なものだった。
この子は、それに納得していない。だから、その結末を変えるために戦うのだ。この子はあの戦いで既に命を落としていて。あの槍で世界を巻き戻しても、あの子が生きていた地点まで遡ることは、きっともうできない。
ただ、友の頑張りが、全ての勇者の思いが報われるように。
そんなの、かっこよすぎるじゃないか。
「ぐっ……はあ、はあ……ああ……アタシは……」
「せえっ!」
「ぐむっ! ……アタシは、どうして……!」
お前みたいに、なれなかったのかなあ。
「……はあ、はあ」
吹き飛ばされた身体。それでも、心臓はまだ動いている。だから、無理やり立ち上がる。
両脚はみっともなく震えて、同じところに立っていることも出来やしないのに。
「こわい……こわい……か」
結局、それを乗り越えることができなかった。
今戦っている理由なんて、そんなの。答えを決めるのが怖いからだ。
もう分かっている。この世界は、あいつが、アタシに槍を使わせるために用意したものだ。
あいつはきっと、諦めてくれたんだ。見ず知らずの、アタシの為に。
それを裏切るなんてできない。だから、アタシは、あの世界に帰って、須美を弔って、園子に土下座して、弟たちを力いっぱい抱きしめてやらなきゃいけないんだ。
……でも。
歪んだアタシでは、その選択の理由が、今以上に自分を嫌いになりたくないから、なんて、ふざけたものになってしまう。
それが本音なんだ。
もう間違えたくない。
正解だってわからない以上、何もしたくないんだ。
きっと、アタシは、この世界から出たくないんだ。
こわい。
怖いんだ。
怖くて、怖くて、仕方ないんだよ……!
「でも……ッ!?」
受け止める一撃。限界だった。アタシの内に響いた、背筋の凍るような高い異音。
今ので確実に片腕が逝った。
……でも。
その本音を優先する勇気すら、アタシにはないんだ。
だから、きっと、勝つべきはアタシじゃない。
あの槍は、お前が使うべきなんだろう。
「はああああああっ!」
「……!」
ああ。
これで、終わるのか。
そう思って、瞼を閉じたのに。
「……時間切れみたいだ」
爽やかに呟いて、いつの間にか霧のように薄くなっていた自身の身体を、勇者は見下ろしていた。
この世界は、三ノ輪銀だけの世界。だが、その対象は、アタシだ。
赤い服のほうは、予期せぬ不具合のようなもの。だから、修正されてしまったんだろう。そんな身体でアタシを圧倒していたこの子は、全く、鋼の如き勇者だった。
「……なあ、アタシ」
「……うん」
「いや。年下のアタシが、上から目線で言うことじゃないんすけど。なんというか……うん。とりあえず、生きてみなよ。アタシにはもう出来ないからさ。だから……」
「……そう、だな。うん」
アタシは、頷いていた。
臆病な自分一人では、決められなかった選択。朽ち果てた心に、勇気を分けてくれるもう一人のアタシ。きっと生涯、アタシはこの言葉を忘れられないだろう。
ああ、全く。アタシはなんて情けなくて、この子はなんて──
「またね」
「ああ……また」
アタシ達は握手して、そして、彼女は消えた。
きっとこれは、アタシの最大の罪になる。
それでもこの呪いのような、魂のやくそくを、守る。破ろうとしても、もう、そう簡単にはいかないと決まってしまった。
何が正しいのかは分からなくても。
『正しさよりも大事なもんってのがあんのよ』
それを、あいつはアタシにくれた。
でもそれは添え木のようなもので、いつかは、手放さなければならないものだけれど。
アタシは、勇者なんかじゃないから。しばらくは、それを借りてでも。
生きて、みせるよ。
瀬戸の燈籠・焼 終幕