霊的医療局、12病室。
その扉の隙間から、こちらを見てくる灰色の宝石。
「……何やってるの」
努めて冷静に、そう呟く。
恐る恐る開かれたそこには、幼馴染の垂れた眉。
「……えーっと……めいあいかむいん?」
「……yes, u may」
答えると、にへら、と笑って、花束を両手に近付いてくる。
スツールの椅子に腰掛けた彼女は、ベッドの上の私を見つめた。
私は、何か言うべきかと悩んで、結局何も言えなかった。それで結局、先に口を開いたのは彼女の方で。
「……ひーちゃんさ……私のこと、嫌い……だよね」
「……」
一気に踏み込まれ、私の脳は熱暴走をおこす。CPUがイカれた以上、もう正解の答えなんて辿り着けようがない。
でも、黙ってしまえば、それはイエスになってしまう。そのくらいの事は分かっていた。
だから、とにかく何かを言おうとして。
「……嫌いだった……のかも」
「……」
それで、彼女は俯いた。その様子を見て、私は焦った。焦って、自分でもよく分からなくなって。
「でも、でもね。本当に嫌いだったのは私自身で。それを……なんというか……無視する? ために……貴方が、きっと都合が良かったんだと……思う。だから今まで……ごめんなさい。だって、だってね……考えれば考えるほど……貴方、何も悪いことしてないじゃない」
「……何もしてないのが、ダメだったと思って」
……私は、それを聞いて少し笑ってしまった。
もうなんというか、この子は、昔から変わっていなかったのだと。
母親といい、私ってやつは、なんて忘れっぽいのか。
「ひーちゃん、なんか、憑き物が落ちたみたいだね」
「それって比喩?」
「うーん……ダイレクト比喩」
「あっはは」
*
「300メートル先の角を右」
「ああ」
肩に乗ったカラスに短く答え、腰の剣に手を添えつつ、指定された場所に走り込む。曲がり角で止まり、首を伸ばして様子を伺う。
いた。人型バーテックス……の成れ果て。天の神の影響を喪いつつも、人の魂と癒着し消え損なった哀れな怪物。頭を抱えて呻きながら、買い物かごを下げた老婆ににじり寄っている。
「行かないのか?」
「……ちょっとまってくれ。少し様子を見たい」
というのも……すぐに、もう一人そこに現れ。彼女は瞬きする間もなく、成れ果てに突貫する。
「ふふ。やはり君はそうだろうな」
若葉は微笑み、一瞬で距離を詰め、成れ果ての首を手刀で軽く叩く。見下ろすそこにいたのは、老婆と、三ノ輪銀。
「迷わなかったな。銀」
「若葉さんっ!? え、ああ、そう……すね……」
銀は我に返り、思い出したかのように目を細める。若葉は成れ果てを抱え上げ、続けて言う。
「君にはもう力がある。だからそれでいいと私は思うよ。私も……もうあれこれ考えず、やれることをやるつもりさ」
銀は若葉を見上げ、見知らぬ料理を初めて食べた時のような、言いようのない顔を浮かべている。若葉はそれを見て、片眉を下げ、肩を竦めつつ笑った。
「……おい、決め台詞忘れてるぞ。グッズ化してんだからちゃんとやれよ。英雄神さま」
「……はあ……お前もう樹海に帰ったらどうだ」
「もうあそこ飽きた」
「お前ってやつは……」
*
週末、夜更け前。
snsのトーク画面を見つめ続けて、いよいよ10分の大台に乗った。
メッセージ欄に書いては消し、書いては消し、しかしいつまでも定まらず。
来週、予定空いていたら、話したい。
いや……いきなりそれはないな。
今までのこと色々謝りたい。出来れば、会って話したい。
うーん。
あー。
謝らせてほしい、のほうがいいかな。
話したいんだけど、いいかな。とか?
……。
「あー!!! もういったれ!!!」
思考をぶん投げて指を下げる。
あ───────────あ。送っちゃった。
……既読早すぎだろ。
返信……は。
……。
……。
……。
こ、来ない……。
「うん、まあ、それは仕方ない」
ぐさりと傷付く心。しかして安心している自分もいて。
まあ、やるだけのことはやったさ。
うん。
そうだよ。
「……寝よ」
湧き上がってくる鬱々としたもの。アタシはもうそれをなるだけ見ないことにしている。
だから寝るのだ。
だって、アタシの心は硝子よりも脆い。それを更に追い詰めてどうなるかは、もう身に染みて分かっている。
まあ。なんというか。
アタシは、随分と適当で自堕落な人間になってしまったわけだ。
それはきっと成長とは真逆のそれで、だけど、これで丁度いい。明日の自分を信じるってのも、悪くないものだ。
そりゃ、かっこ悪いことこの上ないけどな。
んで。
それから何日か経った頃。周囲で噂というか、プチトレンドのようなものが発生していた。
「ねえ銀ちゃん! 国防仮面知ってる!?」
「へ……国防? なんか随分と思想の強そうな」
「かーっこいいんだよ! 二人組でね、こないだひったくりを縄でぴゃーって捕まえてさ!」
「……うーん」
なんだろう。
この違和感というか。気付いてはいけないものに気付きかけているような。
まあ。なんだ。
アタシには、関係ない……よな。そう、アタシは思考のベクトルを無理やりねじった。
放課後になった。
友奈が差し出してくるポテチを、そのまま犬のように頬張り、友奈は笑う。
最近、友奈がよく家に遊びに来る。
何をするでもない。お菓子を食べたり、テレビ見たり、漫画読んだり。
以前のアタシが見たら、きっと愕然とするだろうな。でもまあ、もうあれこれ考えるのは辞めた。一度辞めてしまったら、また元に戻せるような器用さもない。アタシの世界なんて、最初からその程度のものだったらしい。
「……大変そうだね、大社」
友奈はテレビを見ながら、そう呟く。
今この世界は、数百年ぶりの混沌を目の当たりにしている。それを説明するには、まず、アタシが槍を使った後のあたりから始めないとだな。
槍を使ったアタシは、小さな島にポツンと立っていて、周囲の海上は泥で真っ黒。何年も放置した下水みたいになっていた。その後アタシはヘリに回収され、そこで聞いた話では、あれは天の神の肉体の成れの果てだそうで。あの炎は、それを燃料にしていたということらしいのだ。
そう。世界は、確かに火に包まれた。だが、四国本土はそこまでのダメージを負っていなかった。神樹の御神体そのものが、火の手を遮るバリアになってくれていたのだ。しかし、そのせいで神樹に残された寿命はごくわずかになってしまい。向こう数年の間に、アタシ達はエネルギーや食糧といった生活基盤を、神の力に頼らずに築き上げていかなければならなくなってしまった。
天の神も、地の神も、しばしの眠りにつく。人は再び、神のいない世界に放り出されたってわけだ。
神樹という存在は今まで一般市民には秘匿されてきたものだ。そのつけが周ってきている。上がり始めた物価、大量に踊り食いされた罪なき人々、破壊された建造物。それを神のせいだと今更言ったところで、みんなの心はすぐには追いつかないだろう。
「そうだ。銀ちゃん、部活入らないの?」
「あー。友奈もまだ入ってないんだっけ。うーん」
すると、ふいに着信が。
風先輩だ。
「どしたんすか」
「ちょっと明日の放課後、家庭科準備室に来てくれない?」
「いっすけど。急すね」
「まーまー。んじゃ、明日頼むわよん」
切れた。
相変わらず名を体現したようなお方よ。
「風先輩?」
「うん。まあどうせまた他の部活の手伝いさせられるんだろ。友奈も来る?」
「うんいく! でもなんか、これはこれで部活やってるような感じだよね」
「ふむ。言われてみれば」
んじゃあ、改めて部活を探すこともないか。
そう思って、パリッとポテチを噛み割った。
その翌日のことだ。
「転校生を紹介します。入ってきて」
「……?」
いかん。朝からうとうとと。
垂れそうになったよだれを啜り、はて、なんだか教室の雰囲気が妙だ。
……転校生? また変な時期に来たものだ。入学式が終わって半年も経ってないってのに。
「鷲尾須美です」
「乃木園子でーっす」
「……はえ」
顎が外れた。
アタシは血の気の引いた顔を窓に向け、小さな身体を更に縮こめる。
だが。
「シクヨロなぁ、銀三ノ輪ぁ」
耳元で囁かれる、コミカルすぎるデスボイス。
ぎしり、ぎしりと軋む首をゆっくりと傾け、そこには無言で微笑する須美。何故かラップ風のポーズでこちらを見下ろしている園子。
ああ。
なんでこうなるの。
てなわけで。
アタシは逃げた。
ノウハウは分かっている。授業後、真っ先に教室を出て、方向を見られる前に視界から脱するのみ。
だって心の準備ってのがあるだろ。
だからこれは戦略的撤退なんだ。
うん。
自分のペースは大事にしなきゃ。
「風先輩、お待たせっす!」
放課後、二人のハンターの魔の手から逃げ込むように入り込んだ家庭科準備室。
「ああ、遅かったわね。いやあ、アンタかわいい知り合い多いのねえ」
タライが頭に落ちてくるような錯覚。
やられた。
須美、園子。友奈もいた。
完全に詰みだ。
アタシは冷や汗を流しつつ、刺すような視線を避け、恐る恐る口を開く。
「……えっと、それで、先輩、用ってのは」
「あーうん。部活作るから入んなさい。勇者部。この子達も入るって」
「勇者……部……?」
勇者って──
──そもそも、あんたにとって勇者ってなんなの?──
──辛いことや悲しいことがあっても、恐怖に負けずに頑張る人、誰かを笑顔にする人──
「うん。勇者部。勇者って、ゲームとかでの魔王を倒すつわものってイメージじゃない? でも、それぞれ訪れる村で、そこの人々の悩みを解決して、日常を支える縁の下の力持ちってのが、アタシは勇者の本懐だと思うのよ。そこに割くプレイ時間がほとんどだったりするし。アンタもそう思うでしょ?」
「……風先輩」
風先輩は歯を見せて笑った。
不意打ちだった。
アタシは……なんとまあ、情けないことに泣き崩れてしまった。須美も園子も友奈もいるってのに、一度決壊したら止まらなかった。
後で分かったことだが、通学中にトラブルに巻き込まれ、遅刻ばかりになっていたアタシを、部活動という名目で学校側に配慮させる狙いもあったらしい。
アタシの話を覚えていてくれたこと。アタシのことを見ていてくれたこと。
アタシはこうまで恵まれているのに、どうしてあんなに塞ぎ込んでいたんだろうかと。
自分の馬鹿さ加減に腹が立って、同時に、嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
「……いい先輩だね」
「うん」
帰り道。別方向の先輩に手を振りつつ、園子の言葉に、アタシは神妙に頷く。
夕暮れ。鬼灯色の空が暖かい。
四人で並ぶ帰り道。流れる全ては、どこまでも穏やかで。
「二人とも、今までごめん」
呟く。
「須美。アタシのこと恨んでないのか」
須美の顔を見る。
正直怖かった。
この子が失ったもの。この子から奪ったもの。その大きさは、傍で同じ時間を共有したからこそ、痛いほど分かっていたことで。
だから、アタシを嫌うのは仕方のないことだと思う。でも、それを決めるのはアタシじゃなかった。そのことだけは、今なら分かる。
「……確かに。お母さんが死んでなかったら、こんなに苦しむことはなかったかもしれない」
「……」
「でもね。私はあなたが好きなの。だから私が銀を嫌っているなんて、銀自身に思われたくない。それが、私の為だったとしてもね」
須美はそう言って、恥ずかしそうに笑う。
正直、余りにも可愛すぎて、まいった。それを見た園子の顔がとんでもなくだらしなくて、おまけに何故か友奈がわんわん泣き始めたもんだから、色々と引っ込んでしまったけど。
まあ。そうだな。
自分で作った世界ってのより、現実が意外と優しかったってのは、なんというか。
運がよかっただけなのかもしれないけれど。
この幸せを自分で切り捨てるのも、きっとすごく罰当たりで。
正しいという自信は持てないままだけど。
やっぱり、生きててよかったと、そう思った。
「その時は、そう思ったんだけどさ」
その日の夜、アタシは病院の一室でそう呟く。
指先で、小さな額にかかる前髪にそっと触れた。
「どうして……お前は……起きて……くれないんだ……?」
頬に寄せた掌が、ひどく震えはじめる。
どれだけ幸せでも。
どれだけ恵まれていても。
弟だけが、この世界で笑っていない。
たとえ何を失っても。それでも、それでも大切な弟だけは失いたくないと。もう、何度叫んだか分からない。
この幸福も、満たされる青春も。全部、全部、この子に与えたかったものなのに。
「生きるって……そう決めたけど……」
耐え切れず、小さな胸に突っ伏した。
目元に広がる冷温が、どうしようもなく、寂しくて。
この先、お前がずっと目覚めなくても、アタシは、アタシを許したままでいられるのだろうかと。
「でも……お前が起きるまで……ちゃんと」
言いながら、滑り落ちる涙を無視して、無理矢理顔を上げて笑ってみせる。
そんな風にして、既にぼろぼろになったやくそくを、それでも、強く、強く、握り締めていた。
結城友奈・曲筆 果