上里家の令嬢である上里ひかげは、巫女という、神の声を聞く能力の覚醒を望まれている。しかし中々その兆しは見えず、苦しい日々を送っていた。祖母である大巫女が住まう大巫女の間に立ち入ることを唯一の希望として、彼女は眠りにつくのだった。
繰り返される日常に飽きる、なんてことを彼女が感じたことは生来一度も無く、むしろこれまでは迎えてしまったこの一日をどう乗り切るか……そんなことばかり意識して、躍起になって、無我夢中でいた毎日だった。けれど、最近はなんだか、明日に期待して、夢見る少女のようにベッドに横になって、約七時間後にはカーテン越しに差し込む間射日光を祝福か何かであるかのように感じてしまうほどに、彼女──鷲尾須美は今をあるがまま許容し、多幸感に包まれて日々を過ごしていた。
何故か、なんて言うまでもなく、憧れの三ノ輪銀と仲睦まじすぎるほど睦まじい関係を築けたこと、更には最近になってクラスメートとまともにコミュニケーションをとれるようになってきたことが、彼女の生へのモチベーションを爆上げしていたからだ。
「なにかしら、これ……?」
そんなある朝、母親に頼まれてポストを確認しに来た須美は、光沢紙で作られた薄いチラシを見て、小さく首を傾げて呟く。
“日輪宗から貴方に、聖なる天のさきわいを”
*
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
「気を付けてな」
庭で落葉を掃いているメイドは、いつものやり取りを聞いて、ああそうか、お嬢様の登校時間になったのか、と、一つの時間の目安にしている節がある。それは同時に、押し寄せるストレスが須美の胃に圧をかけ、食べたばかりの朝食がこいのぼりの如くせり上がってくる直前のタイミングでもある為、すぐに彼女を介抱せねばなるまいと気を張る必要があるのだ。
「おはようございます」
「おはようございます……?」
しかし、何か変だ。元々彼女の肌は雪のように白いから、多くの人は違いが分からないだろうが、このメイドにはわかる。顔色がいい。頬に血の気がある。誰だ、この真っ直ぐな目をした大和美人は。この威勢のいい挨拶は何だ。
「お嬢様……あの、大丈夫ですか?」
「ええ、心配しないでください」
そう言って、微笑まれる。
「お嬢様……頑張って!」
「あはは、なんですか急に。いってきます」
ああ、お嬢様、私は少し寂しいです。正直毎日吐瀉物を片付けるの、ウンザリしてたのも事実です。でも、辛い時は、これからもゲロって構いませんからね。
なんて考えながら、メイドは敬礼した。
*
須美の現在の学校生活は大体こんな感じである。
その一、園子と登校する。
その二、赤面して若干口角を上げるように意識し、モジモジしながら上目遣いでクラスメートに挨拶。
その三、銀、園子と話す。
その四、真面目に授業を受ける。
その五、銀、園子と下校する。
中でも重要なのがその三、その五である。ご存知の通り、三ノ輪銀とかいうやつはクラスの中心、太陽系にして太陽、ザ・サンである。対して、須美や園子は互いが運命共同体にしてべったりワンセット、言わばちょっと異質で、若干得体の知れない奴らと言って差し支えない。ところが、そんな彼女らが三ノ輪銀と突然三人組を形成し始めたというのは、ややクラスメートにとっては不可解と言わざるを得ない事実のはず。
しかし、ここにはちょっとした仕掛けがある。
乃木若葉という、歴史の闇に葬られた謎の偉人、乃木園子の先祖についてのミステリーを、我らこそ少女探偵団と言わんばかりに紐解いてやろうではないかという、そんな結び付きがあったのだ。
乃木若葉に興味がある三ノ輪銀、乃木若葉の子孫乃木園子、その親友鷲尾須美。こういった関係が、不可思議な三人組を形成していたというわけだ。
「最近あいつら仲良いよなー」
「なんか休み時間も話し込んでたりするよね」
「まあ銀ちゃん誰とでも仲良くなれるしね」
とまあ、育ちよく気立てのいいクラスメートらはそんな変化をそこまで不審に思ったりはせず、過度な干渉はしないようにしている。実際そんなものだったりするのである。
「……なんなの」
*
初冬に入り始めたものの、まだ日の高い青空の下、少し早い放課後の帰り道。今日も何事も無く授業を終え、須美、園子、銀の三人は横一列に並んで歩く下校中である。
「なあ二人とも、そろそろあれ、済んだか?」
「う、うん」
「ばっちりだよ!」
「今日は母ちゃんが家にいるから、弟達の世話は大丈夫らしくてさ、今その本持ってるんだけど、イネスとか寄ってかない?」
「わーお、放課後にイネス〜? なんだか大人になった気分だよ〜」
イネスというのは、所謂ショッピングモールという、一つの巨大な土地と建物に様々な小売店や飲食店が乱立、詰め込まれている先進的な商業施設のうちの一つであり、ここ大橋市においては知らぬ者、利用しない者はいないと言われているほどポピュラーな場所なのである。
須美も無論その内の一人ではあったが、園子や家族以外と、かつ放課後制服のまま訪れることはなかった。
「第一小って制服でお店入っても大丈夫だったかしら」
ふと思い、何気なく尋ねる。
「え、ダメなの? もしそうならアタシ常習犯だぞ」
「大丈夫だよ〜、その辺に関しては緩いみたいだから」
「よーし、決まり!」
そう言って、朗らかに進んでいく銀。その振る舞いが妙に子どもっぽく見えた須美がクスリと笑い、それを見て園子がはにかむ。いつしか、こんな穏やかな風が吹くようになったのだなと、感慨深く思う二人。怯えて脅えて拒絶して、己を責めて塞ぎ込む俯いた少女の影はもはや無かった。
*
地上一階、現地民にとっては見慣れた景色と言えど、やはりその要塞の如き内装の広さ。どこを見ても店、店、店。これぞイネス、大橋市の第二の象徴たる威厳に充ちている。
「私家族以外と一緒にイネスに来たの初めてだ〜」
呟く園子。そういえば、と思い出した須美。格式高い高貴な生まれである乃木園子は、箱入りと言って差し支えないほど厚く守られ育まれている。その為、一人でイネスに行くなど以ての外であり、友達(須美)となら行っても良しとされたのは、六年生になってからのことだった。
「みてわっしー、マッサージ椅子10分200円」
「座ってみたら?」
「こらこら、今日の趣旨は園子のご先祖さまについての調査報告だぞ」
実はそうなのである。ここ最近、休み時間も三人でこそこそと話し込んでいたのは、およそ、大体、ほとんど乃木若葉についてであり、そろそろ各々の考えをきちんと纏めてみてはどうかということになったのだ。
「でも、フードコート空くまで時間あるよ? ほら」
そう言って、園子は張り紙を指さす。
実は、今日の学校は他クラスの研究授業によって午前授業となっていた。平日の昼間にあまりにも早く来すぎた為か、椅子とテーブルがあるフードコートは清掃時間真っ只中らしく。期せずして暇な時間ができてしまったらしい。
「あーそっか……じゃ、寄り道するか」
「おすすめとかはあるの?」
「時間潰すんならあそこしかないっしょ!」
こういう時、大型施設に訪れた人はどこに行くのだろう。本屋か、服屋か、雑貨屋か。須らく否である。時間を潰すことに特化した場所がわざわざ用意されているというのに、そこを利用しないというのは邪道だ。
すなわち。須美と園子が先導する銀に着いて行き、いざたどり着いたその場所は。
「ゲームセンターか〜、いいねぇジャンクだねぇアンダーグラウンドだねぇ」
「ふ、不良の溜まり場……」
優等生らしさ抜群の先入観と恐怖心が染み出す須美の顔。それを見て銀は苦笑する。
「まあそう言わず……ほれ、須美これ持てよ」
そう言って手渡されたのは。
「つ、槌!?」
「そら、ここをぶっ叩くんだ」
驚く須美も意に介さず、すかさず銀はCRASH! と印刷された張りのある布を手のひらでポンポン叩く。
「い、いいのかしら……」
「遠慮すんなって、さあさあ景気よくいっちゃえ」
「頑張れ〜わっし〜」
こうも背中を押されては、後には引けぬが鷲尾須美。慣れないながらも狙いを定め、改めて柄を握り直す。
「で、では……」
大上段に振りかぶり、せい! と一声──
ぽか。
そんな擬音が似合いそうな。
「648……乙女だな。そういうとこずるいよな」
「なによもう……でもこれ、結構楽しいかも」
これを聞いて満足そうに頷きながら、
「そんじゃ、次はアタシな」
そう言って須美から槌を受け取り、よしと一声気合を入れる銀。間もなく、慣れた動作で、右肩から斜め下に振り下ろした。
「せいっ!」
ぼん。須美のそれと比べれば、鼓膜を重く響かせるような。
「869……うむうむ、悪くないだろ!」
「すごーいミノさん!」
「ま、多少は鍛えてるからな! じゃあ次園子」
受け取る園子。こちらも気合十分。
「よーし……いくぞ〜……せーのっ!」
掛け声と共に、思いっきり振りかぶったと思えば、瞬間、残像が見守る二人の視界に曲線を描く。同時にひゅっ、と風を切る音がして──
「ズガー────ン!!!」
効果音は口から出た。
これはと思った三人は、すぐに画面を覗き込む。
「901……ふっふっふ。どや」
「すげえ! 怪力お嬢様だ!」
「あ、案外二人とも力持ちなのね……」
驚き、やがて目を伏せる須美。銀は慌てて口を開いた。
「名前は園子が入れなよ、折角だし」
「えーっとじゃあ……の、ぎ、の、ぎ、ベジタブル……っと」
「あはは、なんじゃそりゃ……って」
表示されるランキング。のぎのぎベジタブルは大体50位くらいで、唯一無二のスコアの下、頂点として名を残していたのは──
「お、おい二人とも、今の見たか?」
[スコア1000 乃木若葉]
確かにそう表示されていたのだった。