プレイスピリット〜精霊がいるカードゲーム世界で普通のバトルがしたかった男〜 作:匿名S
朝起きたら耳が聞こえなくなっていた。
なんだよもう……またかよ……
「まぁまた突発性難聴だろうね、今はどのくらい聞こえてる?」
「…………あー、右耳がちょっとだけ聞こえるので、左向いて話していいですか?」
声がかなりくぐもって聞こえてあんまり聞き取れなかったのでそう言うと、最寄りの耳鼻科の先生が頷いてくれたから左を向き、右耳を先生の方に向けて話す。改めて聞くとなんか偶然話が噛み合ったらしい。うける。
「これから検査はするけど、また突発性難聴だと思うよ。これ、ストレスで再発しやすいから。二年くらい前にも同じ症状でうち来たもんね」
朝起きた瞬間に全てを察した俺は制服とカバンで学校に行くふりをして、外に出たらかろうじて聞こえる右耳に全神経を集中させて電話で学校とバイト先に休む連絡を入れて耳鼻科に来ていた。
もし学校から親に連絡がいったらその時はその時だけど、あの学校はザルだから大丈夫だろう。
ちなみに既にお察しの通り、親には内緒で実費で来ている。どうせ両親ともに余計な心配して健康食品だのサプリメントだのを押しつけてくるに決まってるからね。
昔俺が腹を下してトイレにこもってた時、母が錠剤をくれたから下痢止めか胃腸薬かと思ってありがたいと思いながら飲んだらただの健康サプリメントだった時からもう信用してないんだ。人の不調に乗じて自分の健康趣味を押しつけてきやがって……
父は父で健康法の本を読ませてくるし、なんなら俺が病院に行った時は医者の処方薬を疑って俺の
バイト先にはシンプルに申し訳ないけど、この前の休日に俺に代わってもらった人が今度は俺の代わりに出てくれるらしい。『情けは人の為ならず』とはまさにこのことだ。人生全体で見れば還元率なんてたかが知れてるかもしれないけど、こういう時に助けてもらえるのは本当にありがたい。
「うん、やっぱり見た感じ中耳炎とかじゃなさそう。ここからひとまず聴こえ方の検査ね」
不幸中の幸いとして今日は金曜日だから病院もやってたし、早い段階で薬を飲めば明日と明後日の休みで持ち直せるだろう。
結局突発性難聴らしい。まあ知ってた。
「確か前回は薬で胃が荒れちゃったんだっけ、胃腸薬も一緒に出しておくから今回は大丈夫だと思うよ。あ、そうそう、耳かきは月イチが限度だから気をつけてね」
静かな病院という環境と右耳に話しかけてくれる先生のおかげでなんとか聞き取れた。あ、お気づかいありがとうございます。
さて、ここからしばらくは金曜日とはいえ平日の
「珍しいね、サボりかい?」
さあいま俺に話しかけてきた帽子とサングラスで変装したボーイッシュ不審者は伏見メイカさんです。なんて言ったんでしょうかね。静かな病院と違って雑音の多い外にいる上に左側に立たれているので全然なんて言ってるのかわかりませんが、まあ適当に返事をしておきましょう。
「やぁ不審者さん」
「だから不審者じゃないって!?」
まずはツッコまざるを得ないセリフで会話の主導権を握ります。リアクションからして間違いなくツッこんでくれたでしょう。
なんなら伏見さんが少し大きな声を出したからそんな感じのこと言ってるのがちょっとだけ聞こえた。
「たしか大学生じゃなかったっけ?サボり?」
「いや、サボりは君じゃないかい?……まあ今は講義の間がひとコマあいてるから暇つぶしに外に出ただけさ。普段は暇な時間だけど……今日は、君に会えたから嬉しい日になったよ。な、なんてね……」
さて、ここで多分伏見さんは適当な理由を並べてサボりを正当化したと思うので俺もそんなもんだよと同意しておきます。
最後の方で少し恥じらうような表情をしていたので、きっとサボってるところを見られて恥ずかしいのでしょう。そこで同意することでさらに緊張をほぐす効果も期待できます。
「うん、俺もだよ」
「えっ……えっ?あっ……そ、そうなんだ……」
なんか驚いてる感じがしますが、俺のことを真面目なタイプだと思っていたんでしょうかね。俺はそんなにいい人じゃないので、その勘違いは今のうちに
そしてここで念には念を、また変なストーカーにならないように少し釘を刺しておきます。もちろん冗談めかした言い方にして言葉のトゲを和らげておくのも忘れずに。
「俺は多分きみが思ってるより悪い子だよ?あんまり近づいたらやけどしちゃうかも」
「わ、悪い子……やけど……」
ちょっとキザったらしい言い方になるくらいでいいんです。これで引かれたらそれはそれで関わらなくて済むので楽になります。
さて、伏見さんはなんか顔を真っ赤にしていますが、熱でもあるんでしょうか?……え、大丈夫かな、めっちゃ赤いけど。
「大丈夫?なんか顔赤いけど」
「…………だ、大丈夫……です」
口は動いてたのでおそらく蚊の鳴くような声で返事をしたっぽいですね。まーじでなに言ってるかわかんないのでちょっと失礼。
「熱はないみたいだね」
「!?!?!?!?」
とりあえずおでこに手を当てて雑に熱をはかってみたのですが、多分熱はないです。じゃあなんなんだ?まあいいや。
それからなんかすっごく大人しくなった伏見さんと道ばたを歩いていたのですが、ぼそぼそとなにか言ってるのでもしかしたら話しかけてきているのかもしれません。ごめん、ぜんっぜん聞こえないんだ。
あ、右耳ならちょっとだけ聞こえるから右側に立ってくれれば聞き取れるかな?
「伏見さん、右側に来てもらっていい?」
「えっ……ああ、わかった」
さて、これで伏見さんが右耳の方に来てくれたわけですが……
「わざわざ車道側に立ってくれるなんて……」
うん、やっぱり全然聞き取れないや。
いくらギリギリ聞こえてる右耳くんといえど車が走ってる中で小さな声を聞き取ることはできなかったようです。仕方ないですね。
「もう時間か……僕は戻るよ」
そんなこんなで誤魔化しているうちにどうやら伏見さんは帰るっぽいですね。なんか口を動かしたあと俺と逆方向に歩き出して、控えめに手を振っています。
「……こ、今度一緒に出かけないかい?連絡するからさ」
伏見さんがなにかを言ってきましたが、少し距離があいたのもあって案の定なんて言ったのかわかりませんでした。こういう時は誤魔化すに限りますね。営業スマイルの応用で
伏見さんは顔をぱあっと
……それにしても、あの人大学サボってなにしてたんだろう?
もう少ししたらバイトからあがってるくらいの時間になるころ、つまりもう夜までその辺で暇を潰していたけど、さすがにまだ耳は聞こえない。
でもそれはそれで案外悪くないもので、少し離れた場所にある大きなショッピングモールで本を買い、中にあるカフェでコーヒーを飲みながら読んだりして思ったより充実した時間を過ごせた。
たまにはこういう日も悪くないなと思いながら夜道を歩いていると、後ろから俺を捕らえた腕の服装と、その両手に持っているストローが突っ込まれたエナドリと缶チューハイで全てを察した。
「えへへぇ……しんいちつかまえたぁ……」
はい、また酔っ払ってる
「きょうはたいへんらったのよぉ……おにいちゃんがかいしゃによんれきてー……てすとぷれいとかれぇ……」
お願いだから左耳のすぐそばで喋らないでほしい。なに言ってるのか全然わかんないし、吐息がかかって生あたたかい。
それにしても、今の俺って左耳だとほぼゼロ距離で話しかけられても聞こえないんだね。え、鼓膜破れてないよね?
突発性難聴は再発しやすいと聞いたけど、一度壊れるとまた壊れるのが簡単なだけじゃなくて二度目以降は悪化しやすいのかな?いや、俺だけかも……
「そもそも
あの、だれかテュール連れてきてもらえないですか?歩きにくくて邪魔なんですけどこの人。
「黒崎さん、俺もう帰らなきゃいけないから離して」
「えー?ろーせあした
「わかったわかった、わかったから離して」
「ほんとぉ!?じゃあいこー!!!」
え?なに?雑に話を切り上げてあしらおうとしてたらなんか承諾したことになったっぽいんだけど。ちょっと、手掴まないで。
なに?俺はなにを承諾したことにされたの?めっちゃ嬉しそうに『ほんと!?』とか『いこー!』とか言ってたのは聞こえたからどっか行くっぽいんだけど、俺はどこに連れて行かれるの?
結局黒崎さんは一度も手を離してくれず、あれよあれよという間に気づけばマンションの一室、地雷系カラーの装飾が目立つ部屋に連れ込まれていた。
……いやここ黒崎さんの家だよね!?!?!?
俺黒崎さんの家に行くことを承諾したことになってたの!?!?どうしてそうなった!?
「
くっそ……入れ込みコマンドで行動してないでちゃんと耳聞こえないって伝えればよかった……!いや、よく考えたらこの酔っ払いに言っても伝わってた気がしない。
とりあえず今後はこういう時に『わかった』って言うのはもうやめよう。肯定ととられる。
さて、お茶みたいなノリでふらふらとエナドリを出してきた
と、いうわけでミッション開始。
「ちょっとトイレ行ってくる」
まず適当に理由をつけて違う部屋に行きます。トイレが最も効率がよく、鍵もかけられるのでおすすめです。
そしてこれをこうして……こう!
「もしもしマシロちゃん、ちょっといまから送る位置情報の場所にテュールをすぐ行かせてくださいお願いします助けてください」
そして位置情報と部屋番号までしっかり送り、トイレに
「こちらテュール。泥酔している黒崎アカネを気絶させました」
くぐもった聴覚にわずかにメカメカしい男声が届いたのですぐに扉を開けた。
「本当にありがとうテュール……」
「……事情の説明を所望」
「あー、ごめん。いまちょっと耳がほとんど聞こえてなくて……」
「…………」
テュールはそれを聞くと少し黙り込んで、なにかに集中しだした。
……ん?
『現在貴官の聴覚を介さず、脳内に電気信号として声を届けています。聞こえていたら返事を』
「テュールすげー!!!」
こいつ直接脳内に…!
ほんとなんでもできるなこのハイスペック機械天使!!!ありがとう!!!
「ってことがあったんだ」
「た、大変でしたね……」
翌日、処方薬を飲んで少しは声が聞こえるようになった俺はマシロちゃんにプレスピを教える前に救援要請をするにいたった事情を説明していた。
あれからテュールに黒崎さんをベッドに寝かせておいてもらって、さらに鍵まで閉めておいてもらった。そして念の為ということで家のすぐそばまでテュールに送ってもらって無事帰ることができたというわけだ。
いやほんと、テュールいつもありがとうとしか言えないよ。なにかほしいものとかあるか聞いたら『
まあ、なんかちょっと疲れたし、しかもまだ聴力がそんなに戻ってないから……
「今日はまだあんまり耳聞こえないから、一緒に軽く遊ぶのをメインにしようか」
「……はい!」
嬉しそうに返事をしたマシロちゃんを、人払いと暖房を兼任しているテュールが優しく見守っていた。