そろそろ上りのエスカレーターが七階に着く。客を呼び込む声が聞こえてきた。一緒にエスカレーターを降りた二人がフロアに踏み入れる。寒くなってきた外とは裏腹に、どっと熱気が押し寄せてきた。
「来たね……りみ!」
「うん……! ひまりちゃん」
牛込りみと上原ひまりは、百貨店の大催事場に来ていた。日曜日のお昼前とあってかなりの人出で、このフロアの四方八方で人垣ができている。それぞれの人垣の奥に見えるのは、出店。意識をしなくても漂ってくる食べ物のいい匂い。このフロアでは今、秋の味覚フェアを開催していた。栗に秋刀魚に梨、かぼちゃ、柿にきのこにさつまいも! それらをふんだんに使った秋の料理が勢揃いだ。いるだけでお腹が減ってきてしまうような空間。今すぐ、眼の前の店で出ている大きな栗がゴロゴロしている栗ご飯を買いに行ってしまいたい……。ひまりとりみは口の端から出そうになった涎と一緒に欲求の発露を堪える。しかし今回のお目当ては、眼の前の店で出されている大栗ゴロゴロホカホカ栗ご飯でもないし、その隣の店で出されている脂が乗って身がパンパンに張り詰めたムッチムチの秋刀魚の塩焼きでもないのだ。
二人は目的の店を探す。このフロアに入ってから、二人の間に会話が無くなった。会話なんてしている場合ではないのだ。早く件の店を見つけて並んでしまわないと、他の店のものに目移りして脱線してしまい、あまつさえ目的のものが買えなかったなんてことになったら目も当てられない。人をかき分けかき分け、はぐれないようにもしながら二人はフロアの奥の方へと進んでいく。
「ひまりちゃん! あれ!」
店の並んでいる列を一列二列と進んだところでりみの声が。ひまりはりみが指差す方を見て目を輝かせた。目立つ赤に白抜きの三桁の数字。関西圏にしか店舗を持たないチェーン店の出張販売。昔、関西に住んでいたりみにとっては、お久しぶり。ずっと東京に住んでいるひまりにとっては、初めまして。関東圏では物珍しいからか、はたまた人気があるからなのか。いや、その両方かもしれない。もうすでに店の前には多くの人が列をなしている。列の先頭、カウンターの横にはガラスで仕切られ、客から見えるようになっている厨房があり、そこには四角いせいろが何段も積み上げられていた。そこから流れてくる美味しそうな匂いに心躍らせながら、二人はササッと最後尾に並びようやく一息つく。そう、今日の二人の目当ては、あのせいろの中身であろう「豚まん」だった。
きっかけは塾で模試を受けた日、お昼休憩中のことだった。
「ひまりちゃん。これ、一緒に行ってみない?」
開いている席を使い二人で向かい合ってお昼を食べていたら、りみがスマホの画面を差し出してきた。ひまりが覗き見ると画面には、件の店が百貨店の催し物で出店するという情報が出ていた。ひまりは二つ返事でオッケーを出す。件の店のことはりみ伝いに聞いたことはあるけれど、関東圏に住んでいる以上口にする機会は無かったから気になるし。ちょうど次の日曜日はどちらも予定が空いているということは分かっていたし。秋は食べ物が美味しいし。……体重計の針が頭を一瞬よぎっていった気がした。
少し前、一緒にコンビニのあんまんを食べながらりみが言っていたことをひまりは思い出していた。曰く、コンビニや普通の中華料理店であるような中華まんとは一線を画す美味しさなんだ、と。曰く、「肉まん」ではなく、「豚まん」なんだ、と。そのほか、「大阪土産といえば」、「大阪のソウルフード」、「あるときとないときでテンションが段違い」、エトセトラエトセトラ。甘党のりみがこれほど言うなんてと意外に思いつつ、いつか機会があれば……と心に決めていたひまりにとって、思ってもみない幸運が舞い込んでいた。
来たとき長かったと思った列も、並んでみると意外と早く進むもので。二人でおしゃべりをしている間に、あと二組で順番が来るところにいた。さっきは遠くから見ていた厨房も、ガラスを一枚挟んだ向こう側にある。中にいるお店の人がせいろを開けると、白い蒸気がもくもくと上がって豚まんが顔を出した。豚まんが手早く箱詰めされていくのを眺めていると、もう次はりみとひまりの番だった。注文カウンターは二つ横並び。左側にりみ、右側にひまりが入って注文する。
「ご注文をどうぞ」
店員さんに促されてひまりが注文したのは、豚まん二個入り。りみ曰く、二個でもお昼ご飯になってしまうくらいの満足感があるらしい。代金を支払うと、店員さん豚まんが二個入った赤い箱を紙袋に入れて手渡してくれる。受け取ると、たった二個にしてはズシッとした重みを感じた。注文カウンターを後にして、人通りの少ないところでりみと合流する。
「あれ? りみ、私のより紙袋大きいね」
「これ、家族の分も入ってるんだ。頼まれちゃって……」
「私も家族とか皆の分、買っておけばよかったかも……」
そう後悔していると、りみからフォローが入る。
「うーん……。でも日持ちしないし、持って帰るの大変になっちゃうから仕方ないと思うよ」
「そっか……」
ひまりがふとさっきまで並んでいた列を見ると、来た時より人が増えて伸びていた。他の店の邪魔にならないよう、係員が忙しそうに列の整理をしている。家族や皆の分を買い足すのは無理そうだ。目線をりみの方に戻すと、りみが困り顔でひまりに言った。
「これ、どこで食べよう……」
とりあえずお目当てのものはちゃんと買えて二人ともホクホク気分だったものの、次の問題はどこで食べようかということだった。ここは人が多くて落ち着いて食べられそうな場所が無い。ただ、ひまりにはそういうところに心当たりがあった。
「ここ、たしか階段の辺りにベンチがあったよね?」
「そういえば……うん、行ってみよう!」
二人はまるでスキップをするような足取りで階段へ向かう。この百貨店には建物の中央を通るエスカレーターと、東側と南側に二基ずつエレベーターがある。一番多くの人が使うところだ。対して階段は使う人が少なく、各階の空きスペースに置いてあるベンチも空いていることが多い。行ってみると二人の思った通り、階段近くのベンチが空いている。よしっ、二人はお互いの顔を見合って喜ぶ。二人はベンチに腰掛けると、互いに紙袋から赤い箱を取り出した。蓋を開けるとまだ温かい豚まんが二個入っている。
「「いただきます!」」
二人とも手を合わせそう言うと、豚まんを一個取り出す。熱すぎず冷たすぎない、食べるのにちょうどいいくらいの温度。ひまりは生まれて初めて食べるもの。SNSに投稿するための写真をパシャリと撮ってから、豚まんを改めてじっくり見てみる。第一に思ったのは、意外と大きいこと。コンビニの肉まんより縦に長いというか、大きく膨らんでいる感じ。一口かぶりついてみると、暴力的な旨みが脳を突き抜けてきた。ジューシーな豚肉の脂と甘い刻み玉ねぎが塩味をより引き立ててくる。そして、ほんのり甘いまんの生地が強めの塩味とマッチするのも最高だ。ひと口ひと口が至高。気がつけば、もう一個食べ終わってしまった。
「りみ、これ、すごく美味しいよ!」
「せやろ〜! これ、私もめ〜っちゃ大好き!」
りみが関西弁になってしまっている。故郷の味を思い出したからだろうか。ひまりは続いて二個目にかぶりつく。美味しい。いくらでも食べられてしまいそうな、病みつきになる味。もう少し買っておけばよかったかも。またもや後悔。だからこそ最後の一つ、ゆっくり、ゆっくりと味わう。
「ご馳走様でした……」
圧倒的な満足感と、また食べたいなという気持ちが浮かんでくる。またいつか絶対に食べよう。今度は四個入りを食べよう。ひまりはそう心に決める。気にしている体重のことは、すっかり頭の中から抜け落ちていた。