最後の春、焦げ臭い校舎にて。   作:境 仁論(せきゆ)

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焦げ臭い喫茶店

 歩けど歩けど、灰の香りはあちこちから漂っていた。住宅街、一軒家が立ち並ぶ道路。以前ならこの時間帯、カレーとかシチューとかの匂いが家への足を速めたものだったけれど、今の僕たちではそんな穏やかな下校を楽しむことすらできない。全ての家から、焼香の匂いがする。まるで全ての家でお葬式を開いているようで、自然と足音も小さくなってしまう。

 

 西の空に落ちる夕陽って、こんなにも赤かったっけ————

 

 まだ終わらない冬。だけど、まるで溶鉱炉の中にいるような熱さで上着を脱ぎ捨てたくなる。気づけばマフラーを手に持って、かくはずのない汗を流していた。

 

「……ぐふっ」

 

「マフラー取ってくしゃみしてやーんの」

 

「そっちこそ鼻赤いよ」

 

「……寒暖差すごいからですよ」

 

 海未香の方もコートのボタンを全て外して制服を露見させていた。僕と同じ状況だろう。実際の気温と幻覚の熱気で体温がバグってる。果たして寒いのか熱いのか——夢の中みたいな状況で、散歩するだけでも息切れする。もちろん熱と匂いは自分たちしか感じてない幻で現実のものじゃない。そうとはわかっていても、五感は見事に幻に騙されて脳みそが暑苦しさを強いている。

 

「んーダメだ、集団幻覚ですよこれ。二人だけなのに」

 

 横でうつらうつらと揺れている海未香。この辺りは交通量も多いし、そんな風にされると危なっかしくてしょうがない。

 

「流石に休もう。確か喫茶店あったよね」

 

「あ……! 喫茶かがやき、ですね! 私よく行くんですよー」

 

 突如姿勢を正して目を輝かせる海未香なのだった。

 

「先輩も行くんですか?」

 

「いや、あるって聞いただけだよ」

 

「じゃー紹介のしようがあります。喫茶かがやきは別に光ってるわけじゃないですけど、特にカフェオレが美味しいお店ですよ! 雰囲気もクラシックでー、店長さんもいい人でー」

 

 ……うん。まだまだ元気が有り余ってるみたい。

 

 

 

 カランカラン。軽やかな鈴の音の次に、明るい色の木製家具で統一された内装が目に入ってくる。まばらに座る客の中にはうちの学校の制服を着た学生もいる。

 

「あら、久しぶりじゃなーい」

 

「言うほどですか? 先週来たっきりですよ」

 

 カウンター席の奥から、エプロン姿の男性が頭を出してくる。いや、顔じゃなくて頭って言ったのはその、それは見事なスポーツ刈りでザ・体育会系なビジュアルだったからで。

 

「ん? 一週間前……ああそうだったわ。家族で来てたわね。何言ってんのかしらアタシったらー! アハハー!」

 

「店長夜行性だからってテンション高すぎ―!」

 

 落ち着いた雰囲気のお店には似合わない高笑いだった。周りの客は大して気にしてはいないらしい。

 

「いつものとこ空いてるわよー」

 

「いぇーい特等席―。あ、カフェオレ二つあとチョコパフェも! 先輩もパフェ食べます?」

 

「貰おうかな」

 

「です!」

 

「かしこまり~」

 

 先に進んでいく海未香についていく。店長の方を見ると柔らかい表情で「ごゆっくりー」と奥の方へ引っ込んでいった。親しみやすそうな、遠い知人を思い出したような気分。

 

「ここですここ。私専用のⅤIP席」

 

 段差が少し高い階段を昇った先に、窓際に丸いテーブル席がドンと構えていた。椅子は三つ、窓からは沈んでいく太陽の姿がくっきり見えている。

 

「すごい頻度で家族で来るんですよ。割と休日はお出かけするので。帰りは大抵ここに寄るわけです」

 

「中々いい席貰ってるんだ」

 

「お得意様ですもんねー」

 

 陽気に話す海未香はバッグを余った椅子に放り投げ、落下するように椅子に座った。そして真っ先に、

 

「てかここめっっちゃ焦げ臭くないですか!?」

 

と、疲れが一気に押し寄せたような口調で言い放った。そのまま上半身をテーブルに預け、だらしなく呻き声をあげる。

 

「……うん。学校よりも濃いかも」

 

 休むつもりが休まりそうにない空間に来てしまった。こういうカフェは基本コーヒーの匂いで満たされているのが定石だけど、扉を開けた瞬間に嗅覚を襲ったのは今まで以上の炭の匂いだった。なんとか理性で幻覚を抑えつけてはいるものの、全体的に木製の家具が多すぎるのがよくない。火のイメージと結びついてしまって、すぐに逃げなきゃ焼かれる……って本能が訴えてる。でもすぐ退店するのは流石に印象に悪いので椅子に座ることにする。

 

「飲み終わったらすぐ出よう」

 

「でもパフェも来ますよ……?」

 

「パフェも超高速で食べる」

 

「めっちゃボリュームあってカロリー計算したくないレベルですよ」

 

「……それならなんで頼んだの」

 

「熱いし、冷たいもの食べたらいいかなーって……でも一階はそこまでやばくはなかったですよね? 二階来た瞬間に燃え広がったていうか!」

 

 確かにそうだ。入店時点でも既に匂いは強かったけど、それでも学校と同じぐらいだった。でも二階はそれ以上で、まさに火事が収まった後のような——むせかえるような煙を幻視するレベルで匂っていた。

 

「うーんここまで来たらちゃんと原因探らないと一生鼻づまりしないといけない人生になりますよー」

 

 そう言ってスマホを取り出す海未香は指を素早く動かしていく。すぐに「あ」と呟いて画面を見せてきた。

 

「……調べたら幻嗅、って出てきました。煙みたいな匂いがするーって。えーっと、原因はストレスとか精神病、神経の異常とか……私たち、もしかして同じ病気に……?」

 

「あり得ない線では……ないと思う。現実的に考えたら。でも病気というには、なんというか……」

 

 もし。幻嗅を起こす病に罹っていたのが僕一人、もしくは海未香一人だけだったなら、この話は病院に行って診てもらう、で一応の解決はするだろう。だけど、二人もいる。それが僕の中で、この幻は医学的に証明できるものではないと一割ぐらいの気持ちで思ってしまっている。

 

「僕たち二人が同じ病に罹っていたとして……症状というか、条件が合致しすぎてると思うんだ」

 

「と、いいますと?」

 

「どうして、匂いの濃さが一定じゃないのか。どうして、特定の場所でだけ強く匂うのか。どうして、僕たち二人とも同じ場所で同じ匂いの変化を、全く同じように感じられるのか」

 

「んー、確かに。ここは二階だから……仮に精神的なものだったとして、火は上に昇っていくイメージがあるから勝手にそう思いこんじゃってるとか。私たちが二人同時に」

 

「それなら学校でもそうならないとおかしくないかな。僕の教室は三階にあるけど、ここまで匂いが酷くはなかったよ」

 

「じゃー、木製だからとか。あと狭いから」

 

「うちの学校だって割と古いし、木製の箇所も多い。まあ、だからって精神病の証拠にはならないとは言い切れないけど……小さい建物は燃えやすいってイメージも幻嗅を後押ししてるかもしれないし……」

 

「学校ってずっと中にいるものじゃないですか。私は二階教室いますけど、その階にいすぎて学校の上側の方にいるって自覚できなくなってる。だから火が下から上がってくるっていうイメージも持ちにくい、とかあるんじゃないですかね」

 

 と、言い終わった後に海未香は「やば、頭いい」と小さく驚いていた。

 

「……どちらにせよお医者さんに診てもらわないといけない気がするけどね」

 

 でもなんだ、この、形にならない不安感は。もっと別の要因が他にあるような気がする……引っかかりが、あるような……

 

「お待たせしましたー、いつものカフェオレと、パフェね。ミルクと砂糖もつけといたからね!」

 

 すると、ぎしぎしと音を立てて悠々と家庭夫な店長が二階に上がってきた。踊りながらやってくるものだから零してしまわないかと不安になるけど、マグカップは一切傾くことはなかった。

 

「ん、んー」

 

 店長は席のすぐ傍でダンスを止め、訝しむように僕たち二人を睨む。

 

「……どうか、しましたか?」

 

「なんだか、しっくりくるわね。こないじゃなく、くるのよ」

 

「なにがー?」

 

「いや、この席に海未香ちゃんとボーイが座るの。風早一家が座るよりもぴったりって感じ。でもなんだか、うーん」

 

 何やら考え込んでいる様子だったが、「ま、いいか!」と笑顔に戻る店長。そのままカップをテーブルに置こうとしたところで、

 

「店長すとーっぷっ」

 

 海未香の待ったが入ったのだった。

 

「ん、どうしたの?」

 

「……やっぱ、お外で飲んでもいい?」

 

 

 

 熱さと匂いに耐え切れず、店の外のテラス席でいただくことにした。二階よりは全然でマシでいくらか気分もよくなった。カフェオレはほんのりと暖かく、かつ舌に優しいまろやかな味わいだ。ミルクを入れるとクリーミー度が増して、段々と気持ちも落ち着いていくのだた。熱い寒い関係なく、この飲み物のおかげで体も大回復していってる。

 

「んま」

 

 一方海未香はカフェオレよりも先にパフェにスプーンを突っ込んでいる。とても海未香らしいといえば、らしい。ケーキもイチゴの方から食べそう。

 

「とりあえずー、お医者さんに診てもらうってことでいいですかねー」

 

「そう、なるのかな」

 

「一緒に診てもらった方がいいですもんね? だって全く同じタイミングで全く同じ症状なんですもん」

 

「そうだね。僕たちだけ感染症にかかったってこともあるだろうから……」

 

 とりあえず匂いに関する調査はこれで終わりだろう。今日は。海未香はグラスの底にたまったチップをかき混ぜながらつまらなそうに「あーあ」と呟いた。

 

「なんだか大事みたいになっちゃったなー、本物の病気かもしれないって。パパとママになんて言おうかなー」

 

「パパママって呼ぶんだ……普段、お父さんお母さんって言ってなかった?」

 

「学校の中だけです。家だと普通にパパママ。アメリカかぶれなので。二人称と三人称ぐらいの違いですよー」

 

「帰国子女じゃないじゃん」

 

 人前で臆せずに「ホントはパパママって呼んでるー」って言えるのは持ち前の気楽さと理由のない余裕があるからだろう。もし僕が海未香だったとしても、家での呼び方とか絶対人に教えられない……。

 

「ちなみに私たち家族がどれだけ仲が良いかというと、うちの新聞部の部長が逆に記事にしたくないレベルです」

 

「わかりにくいんだけど」

 

「逆にって部分に全てが詰まってます」

 

「……仲が良すぎて、記事に出来るゴシップがないみたいな?」

 

「うぇーい」

 

 ホントに海未香のクラスは明るいんだろうなぁ。

 

「休日は基本みんなで遊びに行くんです。思春期とかもなかったんじゃないかなー」

 

「……三人家族なんだね」

 

「そうですけど、それがどうかしました?」

 

「いや」

 

 一瞬だけ過ぎった違和感。海未香は三人家族ってところに、どうしてか「っぽくないな」と思ってしまった。口には出さない。

 

「病院行きたいって言ったら大事件ですよ。どう責任取ってくれるんですか?」

 

「誘ったのは誰だったかな」

 

 カフェオレをずずずと啜りながら無い罪をなすりつけてくるのはやめてほしいね。

 

 

 

「んじゃ、次は病院で会いましょー」

 

「変な約束」

 

 陽が落ち、海未香と別れる。「今日はお肉らしいですよ!」と早く帰りたそうにしていた彼女は、たたた、とハムスターみたいに曲がり角の方へ消えていくのだった。それを見送った後、僕は反対側の方の道へ戻っていく……その途中で、足を止める。

 

「……あれ」

 

 匂いが、薄くなった……?

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