CRYCHIC交響曲   作:りょーへい

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※前書き※

グラウンド駆けてく あなたの背中は
空に浮かんだ 雲よりも自由で
ノートに並んだ 四角い文字さえ
全て照らす 光に見えた

好きという気持ちが 分からなくて
二度とは戻らない この時間が
その意味をあたしに 教えてくれた

あなたと過ごした日々を この胸に焼き付けよう
思い出さなくても 大丈夫なように
いつか他の誰かを 好きになったとしても
あなたは ずっと

特別で 大切で

またこの季節が 巡ってく


Street Live ガーネット ~Acapella covered by CRYCHIC~

 

 

 ともりちゃんがマイクに向かって、ゆっくりと口ずさみ始める。そんな彼女に付き添って、たきちゃんは4分音符のベースを2拍で刻む。その低音には温かみがこもっていて、平穏な心音みたい。長閑な歌い出しとノスタルジックな詞が、私に放課後のシーンを想像させる。

 街を歩くぼんやりとした少女の横を、水色髪が風のように駆けていくのだ。その子は交差点の信号を指さしながら、「赤に変わる前に渡ってしまいますわよ!」って、急かしてる。上空で流れる雲よりも自由奔放な背中に、少し髪が乱れた少女——ともりちゃんは、目を細めて微笑み走り出すんだ。

 そんな心の弾みで歌は燈り、付き添うベースの鼓動は高鳴り、駅前のお客さんたちは表情が明るむ。マイクで増幅した声は空まで飛んで、その軌跡は煌めいて見えた。そんなリードボーカルに招かれて、私たちコーラスは歌の切れ目にそっと呼吸を合わせる。

 

 目が眩むほど清澄なハーモニーが奏でられる。それは雲間を割いて降り注ぐ陽光。どこかしっとりと感じるのは、私が思い出を滲ませてるからかな。1人がノートに詞や絵を咲かせ、周りは見守りながら他愛のないお喋りを咲かせ、みんな笑顔を咲かせてる。夕陽色の光景から文字の並びまで、全部輝いていた。

 幸福が共鳴する。1小節ごとにコーラスは黄昏色に華やぎ、ベースが律動を巡らせるごとに温もる。心安らぐ陽だまりは波のように広がって、お客さんだけでなく歩行者まで表情が和らいで、立ち止まっていた。それぞれ青春の日々を重ねてくれてるのかもしれない。

 けれど私たちは、聴く人を眩惑させる程最高潮に達した、全てを照らす光を——

 

 消した。

 ともりちゃんの過去形な呟きを残して。

 駅前だけ世界から抉られたみたいな静寂。取り残された停滞感が、車道を挟んで伝わってきた。これが、あの人の恐れるもの。

 それを露にした私たちは、断絶させた時を戻そうと、息を吸い込む。

 

 透き通った和声の幻想的なロングトーンが、滞った侘しい空気を押し流し、割れ目を継ぎ直していく。その中を歩むともりちゃんの歌が、確かな足取りで揺れ惑う心に語りかける。それでもまた寂しさは埋まらないと、私たちは分かっている。

 理屈じゃないから。いくら戻らない時の残酷さを説かれても、冷めた納得で心の蔵は震えを止めるだけ。密閉された中では大波が逆巻いている。それに飲まれたままだから、あの人はどこにも行けない。

 だから私たちは、歌で心に手を伸ばす。あの人が、深く暗い海から解放されるように。

 時空が歪むみたいに、コーラスが高低のうねりを繰り返す。それは時間逆行の収束。

 やがて、もう前にしか進まない時間の先へ勢いよく駆けていこうと、1オクターブ跳ね上げた。

 

 ——路駐しているタクシーたちが窓を開いていくのを目にしながら、気掛かりが頭を過った。

 ともりちゃんの左隣をチラ見する。

 

 

 

『どうして古城先輩は、ここで手を差し伸べたのでしょう?』

『大丈夫だよって気持ちを、届けたかったんじゃ、ないかな』

 

『……私も、届けられるでしょうか……』

 

 今日まで不安そうだった2ndコーラス。

 私たちの中心は、迷いのない笑みで前を臨んでいた。私も同じ顔になって、倣う。

 事前に示し合わしたわけでもないのに、5本の腕が前に差し出された。

 

 

 

——あなたと過ごした日々を この胸に焼き付けよう——

 

 振り返らなくても、未来まで息づくように。一番大事な歌詞を、むつみちゃんとさきちゃんが字ハモで挟み、壮麗に迸る。聴く人の胸を打ち、奥底で泣き叫ぶ感情が掬われるように。あの人が、いつかの私みたいに、救われるように。

 気付いたら視界が水っぽく歪んでしまう。恥ずかしい。行き場を見つけた想いがキラキラと宙に散っていく。せめて私だけじゃないといいな。

 あぁ、大丈夫みたい。眼前に並ぶお客さんたちの濡れた目に安堵する。私たちの間を漂う空気に、お互いの涙が溶け合うことで、繋がっているんだ。きっと、あの人とも。だから信じて、前だけ見据えよう。

 その決意とリンクしたフレーズを、リードが痛切な声色でマイクに吐きかける。その想いを昇華しようと、2声による清爽なハイトーンが頭を突き抜けて舞い上がった。私はつい仰ぎ見ながらも、足下で律動する力強い低音にオクターブユニゾンし、中声部を埋めて演奏を厚く支える。

 

 今は永遠じゃない。心は移ろうもの。

 私たちの歌に重なり合った想いが七色の光を紡ぎ、そのハーモニーが湿っぽい空気を照らして、お客さんたちへ虹の橋をかけても。進み続ける時によって薄れていき、やがては消える。

 それでも悲しむことなんてない。夢のように色鮮やかな思い出まで、無くなることはないのだから。

 だってそれは、何よりも。

 

——特別で 大切で——

 

 ともりちゃんが繊細に唱える言葉は、シャボン玉みたいに浮かび上がる儚いコーラスで、ふんわり包まれる。彼女の温かくも切ない感傷に寄り添うように。

 その2語に込められる想いだけは、いつまでも色褪せないで欲しい。頭上に広がる遥かな大空は遠く、永い未来まで続いている。そこに浮かぶ彩雲に混じって、私たちと共に生き続きますように。

 5声は季節の循環をベルトーンで重ねていく。主旋律へ最初に加わるのは地を這うくらい低いたきちゃん。続く私とさきちゃんで弧を描き、むつみちゃんが加わって天へ飛翔する。1語ごとに混ざって、混ざるごとに巡って、巡るごとに過ぎ去っていく。

 いくつ季節が変わろうと、変わらないものを信じて、この先を進んでいくために。私たちは最後のフレーズを空に解き放った。手を掲げたさきちゃんが、余韻に浸りながら、捻るように握り込んで5声を吸い取る。

 太陽煌めく蒼穹は、どこまでも先へ繋がっているように見えた。

 




※後書き※

 パチパチとたくさんの手が打ち付ける音を耳にしながら、上を向く私の視界は一瞬だけ虹色に潤む。
 どうして共感(わか)ったんだろう。どうして2,3回しか会ってない人のために、ここまで洗練させたんだろう。
 分からない。気を抜いたらぐちゃぐちゃな感情に飲まれそうで、何も受け入れられない。でも、こんな形で伝えてくれた想いを投げ捨てることもできない。それができたらアカペラなんてやってない。

「愛莉……」
「……大丈夫。大丈夫だから」

 私はさりげなく首を振って雫を落とす。次は私達の出番だ、メソメソしてる場合じゃない。 
 だから私は目の前のアカペラに集中しようと、いつも通り心を透明にする。張り慣れた笑みで、みんなを連れてステージに向かう。
 入れ替わりでCRYCHICがこちらに近づいて来る。先頭の、綺麗な水色の髪をしたあの子が、やっと彼女らしい太陽みたいな笑顔になって、手をあげてくれた。激励のハイタッチ。この子は、私なんかのためにどこまでも真っすぐに、手を伸ばそうとしてくれる。なのに、私は——
 透明にしたはずの心が叫び出しそうになるのを堪えながら、何とか笑顔で手と手を打ち合わせた。
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