CRYCHIC交響曲   作:りょーへい

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※前書き※

愛日……冬の日光。寒さをも一時忘れさせてくれる、愛すべき暖かみ。


10番後奏 愛日に溶ける光

 

 

 さて。駅前でわいわい賑わってる集団に混ざらず、1人呆然と西日を見上げている子がいた。どうやらライブで一番大切な目的が果たされたかどうか、気になって上の空みたい。

 そんな子の背中に、歩み寄る人がいた。幼馴染に文字通り背中を押された、柔らかなお嬢様。風に流された鶯茶色の髪を耳にかける仕草は上品で、そこは流石だと思う。

 けれど。品格通り(たた)えた微笑みが、薄皮一枚でギリギリ保ってるだけの脆い外面なのは、誤魔化せていない。

 

「豊川さんは……豊川さんたちは、凄いね。今っていう居場所が凄く大切なのに、先の見えない未来に進んでいけるなんて。変わっていくことを、怖がらないなんて」

 

 私たちがガーネットに込めた想いは、大方は伝わっていたみたい。でも、願っていたのはその先だから。

 さきちゃんはその人へ体ごと向き直り、水色の髪を(なび)かせたまま、ギュッと拳を握る。ここから先は子細工なし。彼女にしかできない直球勝負。

 沈みゆく夕陽を背に、さきちゃんは静かに1歩踏み出す。深まる暗がりに、そっと寄り添う仄明り。

 

(わたくし)にも、未来に絶望していた時期がありました。大切な家族を亡くす覚悟に精一杯で、後悔を残さない努力ができなかった、愚か者でしたわ」

「……」

 

 古城先輩。今言葉を詰まらせてるあなたは、そんな中でも大財閥の外聞を守るために、恐怖や悲嘆で胸が張り裂けそうな自分を押し殺して、令嬢としてふさわしい振る舞いに殉じれますか?

 きっとそこまでの地獄に生きてなかったでしょう。受け身で生きてきた人が初めて大切と思える居場所に縋りついてしまっただけ。1年前までの、私みたいに。

 そんな私たちとは全然違うから、彼女はやき焦げそうなほど眩しいですよね。でも、今この瞬間のあなただけは、線引きしちゃいけないんですよ。

 さきちゃんは私たち4人に向けて片手を広げる。今になった転機を示すように。

 

「そんなどうしようもない悲劇を、私の手で集めたCRYCHICが、書き換えてくれたんです。2度とない奇跡みたいなやり直しを、今度こそ全力で生き抜きたいんです。一辺の悔いも残すさず、思い出を全部抱えて、前に進みたいんですの。……時間は、どうしようもなく先にしか進みませんから」

 

 最後のセリフに、古城先輩は自分の片腕をこわごわ抱いた。時の流れに耐えられなくて、逃げたがってる。

 彼女の表情からは、とっくに笑みが失われていた。苦しそうに顔は歪み、でも目元は抗おうと力んでいて、けれど瞳は惜しむように霞んでいる。

 そんな苦悶を真正面から受け止めるさきちゃんの瞳は、微塵も揺れていない。押し付けにならないよう、精一杯の思い遣りを声に込めて、なおも踏み込んでいく。

 

「古城先輩に出逢い、アカペラを教わったことで、改めて思い知ったんですもの。私達じゃなくても、先の見えない未来へ進めますわ」

「……(わたし)には、しんどいよ。時が止まらないなんて当たり前を、最近後輩に諭されたぐらいなのに……」

 

 私の脳裏に、臆病そうな子が頼りなさ気に現れて、でもだからこそ打ち明けやすい雰囲気で寄り添おうとしてるシーンが想像される。

 きっとその後輩が勇気を振り絞っていなければ。例え私たちが出逢っていても、何も響かなかっただろうな。

 さきちゃんがどんなに案じて手を伸ばしても。繋がる余地すらなかった。

 

「……あなたが苦悩されてるのは、思い出話から伝わってましたわ。気持ちは分かるつもりです。大好きな仲間達と離れ離れになるのは、想像しただけで心が欠けそうになりますから。だからこそ——」

「そんなにあっさり言わないで……」

 

 優しい声色が、今にも手折られそうな、か細い拒絶に遮断される。古城先輩は顔が見えなくなるくらい俯いた。

 一番脆弱で柔らかい場所に触れられたその人は、肩が小さく震えていて、声も揺れる。

 

「……何よりも大切だったの。アカペラ部だけあればいいってくらい……それしか、いらなかったのに。みんな変わりつづけて……おいてかれる……」

 

 雨でずぶ濡れになった様に萎びれた少女を目にして、私の胸が氷塊で塞がれる。どうしようもなく共感(わか)ってしまう。本当は何が正解か気づいてるのに、怖くて向き合えない弱さが。

 惨めで、情けなくて、甘ちゃんみたいで恥ずかしくて。なのに心が壊死してるみたいに頑張ってくれなくて。受け入れることも立ち上がることもできず、塞ぎこんでしまう。

 

 あぁ。やっぱりこの人は、あのときの私だ。

 だからこそ、必要だったんだ。

 凝り固まった心の壁を突き破るまで、強引にでも踏み込むお節介な存在が。

 私を救ってくれた仲間の1人、大好きな友達が。

 

 その子は正面から丸まった背中を抱き締め、心から手を伸ばそうと、強く叫ぶ。

 

「古城先輩! 過去を……大切な思い出を、未来に運びましょう! そうして前に進むんです! 大好きな仲間達と同じく!」 

 

 伝えたかったメッセージの、結論。きっとここまでは届いていた。だからこそ途方に暮れてたんだと思う。受け取るにはまだ、重たかったから。

 傲慢だろうと身勝手だろうと見過ごせない。だって、あなたをこのままにしていたら——

 

「もしこのまま過去に縋りついてしまったら! 自分を愛してくれた人たちも、その自分自身すらも、いつか損なってしまいますわ! そしたら守りたかった思い出すら辛い重荷に変わって……。……そんなの、誰も救われない……」

 

 後半は奥歯を食いしばりながら漏らしてるみたいに悲愴だった。さきちゃんの手が古城先輩の服に皺を作る。

 濡れた双眸をキツくいからせ、最後にぶつける声は裏返るほど激烈に爆発した。

 

「そんな碌でもない未来をッ! 貴女は望むと言うのですか!?」 

 

 私は掌に爪を食い込ませて、立ち尽くす古城先輩を睨みつけるぐらい強く見守る。空っぽの器に、必死な想いが響くのをひたすら願う。

 私と同じく、外面に生きる彼女の殻を突き破るには、今しかないんだ。

 この人と、アカペラ部6人のために。

 届け。どうか届いて……

 

「……そっか……それは、嫌だね……」

 

 その声はヒビ割れていて、弱々しい。でもそれは、変わろうとする意志が生まれるからこその、産声だった。

 

「でも……やっぱり自信ないよ。みんなみたいには、進める気がしない……」

「貴女のペースでいいんですの。どんなにゆっくりでも、いくらつまづいても。前を向いて進む意思さえあれば。きっと、皆さんとの繋がりを感じて生きていけます」

 

 さきちゃんは安心したように声のトーンを落として、体を離していく。

 もうここから先は彼女次第。これ以上はいくらさきちゃんでも、どうにもできない領域。

 それでも好きな人にはできる限り手を伸ばしてしまうのが、私が大好きなさきちゃんだった。

 

「私は、古城先輩との思い出も一緒に抱えて、進みます。だから……未来で、待っていますわ」

 

 映画の代名詞ともいえる有名なセリフ。私には、あの男の子が言った意味とほとんど違いが無いように思えた。

 ただシンプルに。100年先まで、あなたを想っているだけ。

 相手は俯き気味で、何も応えない。変わり始めたとしても、映画と違って一方通行な誓いに終わったら、哀しいな。

 2人の間に、確かに伝わっていた熱が、寒々しい空気に流されそうなときだった。

 

「ぶ、部長! 私はやっぱり、部長と一緒に進みたいです!」

「愛莉。ずっと変わらず、隣にいるから。一緒に進もう」

 

 その両肩に手が乗せられる。そうだよね。私だってあの時、4人にここまで手を差し伸べてもらったから、前に踏み出せたんだもんね。

 古城先輩は顔を上げながら、寄り添う2つの手に自分のを重ねる。

 

「……そうだよね」

 

 閉じていた世界が割れ開き、差し込む光に照らされた呟き。そこへ付け加えた言葉には、仰ぎ見る黄金色の愛日に、いつか夢見た希望を思い出したような温もりが宿っていた。

 

「信じたいって、書いたのにね……」

 

 彼女はありがとう、と2人の手を優しく外す。

 少しだけ心残りはあるけど。まぁ、さきちゃんの目的はなんとか達成かな。

 と思ったら。古城先輩はスマホを取り出して操作し始める。デジャブだな、と思ったらやっぱりさきちゃんのスマホが鳴った。

 

祥子「これは……曲のデータ……いくつかありますが、もしや……」

愛莉「前に作っただけの、私たちの紹介曲とか。今日披露した新曲とか。合わせて3曲分だよ」

 

 残り1曲が何かは言わずもがな、らしいけど。

 思ってた以上の心境変化に、流石に私だけじゃなくさきちゃんも驚く。でも微笑む小牧さんや近衛先輩は、そうでもなかったらしい。

 まだ私たちには、彼女たちほどの絆がなかったから。さきちゃんも思わず伺ってしまう。

 

「でも、どうして……。何より宝物でしょうに——」

「私ね。前までリードで歌いたくなかったの。ソロなんてとんでもなかった」

「……そう、でしたの……」

 

 さきちゃんは絞り出すように相槌を打つ。思い出してるのは、間違いなく初めて出会ったライブで聞いた、思い出話のソロだろう。私もあれがそこまで大きな意味を持っていたことに、胸がズンと重くなる。

 少し、侮っていた。もうその時から変わろうと藻掻いていたのに。私もさきちゃんも、決めつけが過ぎたみたいで。お互い罪悪感で表情が曇る。

 

愛莉「変わろうとはしてたけど。私、人よりのんびりしてるから。これからも、こんな調子だと思う」

 

 目を伏せる古城先輩は諦めるように、自嘲するように、痛々しく微笑む。

 でもそれは。言い換えれば、ありのままを晒してくれてる笑みであって。

 そんな彼女は、頼りなさげな苦笑で手を差し出した。慣れない本音を、心細そうな声で添えながら。

 

愛莉「それでも気長に待っててくれる? ……サキコちゃん」

 

 外面を取っ払い、1歩分歩み寄ってくれた人に。さきちゃんはパァアっと満開の笑顔を咲かせて、今度は勢いよく抱きつく。

 

祥子「はいっ! 本当に出会えてよかったですわ、愛莉さん!」

愛莉「わっ……もう。握手してくれればよかったのにー」

 

 言葉とは裏腹に満更じゃなさそうな先輩を、周りにいる私たちは温かい笑顔を交わすことで祝福する。

 これが、壮絶に気まずい邂逅から始まったアカペラ交流会が迎える、文句なしのハッピーエンドだった。

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