高校1年時、1月14日以降の、冬のある日の出来事です。
対2話 月の光は癒すもの。決して追い詰めたりはしない
放課後にバンド練習した後、CRYCHICのみんなで一緒に帰り道を歩いてるときのことだった。
「すいませーん、そこの君、ちょっといいですかー」
軽薄そうな声が私に向かって飛んで来たように感じ、つい振り返る。
そこにはカメラを持った男性と、レコーダーを持った女性がいた。
そして2人が口を下品に歪めたところで直感する。
私が大っ嫌いなタイプの人種に目を着けられたことに、血の気が引いていく。
女「やっぱりー! 若葉睦ちゃんだよね!? 昔テレビで見たの覚えててよかったー! 何が仕事に活きるか分かんないもんだねー」
男「ホントラッキーな! まさかこんな道端で、森みなみと若葉の娘に会えるなんてさー! これを逃すなんて、業界的にありえないっしょ!」
案の定マスコミ関係者だ。それも、低俗な口ぶりから地方クラスのテレビ局の下っ端か、小規模な会社のライターか。
芸能界という煌びやかな世界に埋もれて燻るだけの下っ端が、一発大当たりのチャンスに巡り合ったかのようなはしゃいでる。
視界に入れたくもない存在から俯いて目を逸らす。
こういう人間は、業界の中でも特に弁えない。金のためなら心だって換金するような下劣さを、散々見せられてきた。
睦(また……親のことでまた好き勝手騒ぎ立てられる……)
昔の嫌な記憶が、私を縛り付けて硬直させる。
心臓が早鐘のようにうるさく鳴り、動いてもないのに息が苦しくなる。
何を言うべきか、何を言わないべきか。久々にあの頃の思考が舞い戻って、2度と繰り返したくない地獄に引きずりこまれる——
女「ということで、ちょっとだけお話聞かせてくれないかなー? 君のお父さんとお母さんのプライベートなこと、ちょっとだけでも教えてくれると嬉しいなー!」
予想通りの質問に逃げ方が分からず、対処の仕方も分からず追い詰められて自身の腕を抱くように強張らせたとき。
祥子「失礼ですけど、人違いですわ」
そよ「すいません、私たち急いでるので。失礼します」
祥の声が割り込んで、そよの声が逃げ口を切り開く。
燈「むっ……行こう?」
燈が手を引いてくれる。背を向けて遠ざかろうとする私に、何かが迫ってくる気配がした。
女「ちょ、何勝手に邪魔してんの! 子どもが大人の仕事に口を挟むな……」
立希「おい」
女「ぎぃっ!?」
ガッと掴む音に、醜い悲鳴が聞こえて反射的に振り返る。
そこには怯えた顔で手を抑える女に正対している立希がいた。
立希「顔はどっちも覚えた。今度こいつに関わってみろ。潰す」
男「ハァ? ガキが何舐めたこと言って……」
祥子「脅しは結構ですわ、立希。私が頼れる力全てを使って、それらを徹底的に調べ上げます」
そよ「制服で分かりませんかー? この子がどこの学校の子で、そこに通うお友達がどんな家の子か。……その力を想像できなかったら、社会人として全てを失いますよ?」
男、女「……」
燈「もう行こうみんな。この人たち、嫌……」
手を繋いでいてくれた燈が再び歩き出し、3人も続く。
今度は追ってこないと確信しても、私は燈に手を引かれないと歩けなかった。
手足に力が入らない。そよと燈が励ましてくれる言葉が耳を通り抜ける。
心身を無にしないと、あの頃の記憶には耐えられなかったから。
その日はそよの家に泊まらせてもらった。こんな日に、あんな家に帰りたくなかったから。
みんなも一緒に泊まってくれた。それに、途中から無理に元気づけようとしないでくれた。
祥のおかげ。普通の家族関係をしてないことだけを遠まわしに伝えてくれて。
言葉ですぐに解決するような問題じゃないと、みんな察してくれたから。ただ傍にいてくれた。
身を寄せて、なるべく普段通りのくだらない、でもバカ騒ぎするほどでもない丁度いいくらいのおしゃべりを繰り広げてくれた。
ただ黙ってそこにいるだけで安心して、楽しくなれるような雰囲気を作ってくれた。
やがて夜も更けてみんなで就寝に入ったとき。
目を閉じると思い出すのは、昔のテレビ出演した頃のこと。
散々大人たちに親のことを聞かれ、有名人の子どもとして騒がれ。
特異な目に晒される中で、どう回答するか吐きそうになるほど悩んだあの頃。
私はみんなを起こさないように体を起こし、静かにバルコニーへ出た。
冷たい外気に晒されながら夜空を見上げると、月が穏やかに光っていた。
満月のようにくっきりとした濃い光ではなく、ぼんやりこもってるような明かりに安堵する。
今は、煌びやかな刺激に関わりたくない。
「……薄着じゃ、流石に冷えるな……」
と独り言を呟くほどに寒さを感じてきたときに。
「なら羽織るものくらい持っていきなよ」
そんな軽口と共に、ストールをかけられた。
「……立希」
「1人になりたかった、よな? 私はそれ持ってきただけだから、安心して」
「……」
1人になってもよかった。でも、立希なら……似た境遇どうし、吐き出しやすかった。
でも。それを言ったら立希は嫌だよね。踏み込まれたくないよね……。
なんて本音を躊躇して黙っていると、立希はいてもいいことを察したのか中に戻らないでくれた。
そして遠慮がちに、けれど覚悟を秘めた芯のある声でそっと踏み込んできた。
立希「睦はさ、親のことで騒がれるの、嫌いでしょ?」
「……うん」
立希「鬱陶しいよな。こっちの気も知らないで、勝手なことばっかり言ったり聞いてきたり。なんで家族だからって巻き込まれなきゃいけないんだ。……って、思ってた」
「……」
立希「私は私なんだけど。あの人の妹として生きてるわけじゃないのに、なんで妹だからって勝手な期待をされなきゃいけないんだ。応えられるわけでもないに、ただこっちが苦しむだけだったなのに……。って、そんな感じ」
同情かと思ってたら、立希自身の愚痴になってた。言うまでもなく姉のことだろう。
でも、本当に言う通りだったから。私はあれからようやく会話らしい会話ができた。
「……私が望んだわけじゃないのに。勝手に巻き込んで、気づいたらテレビ出演だのなんだのって状況から逃げられなくて。あの2人の子どもって条件なら誰だっていいのに、
「……悪い。その人の家族として見られる苦痛は私も分かるって思って踏み込んだけど。己惚れだった、私なんか、睦の苦しみに比べたら全然甘かった」
後悔と恥でズタズタに引き裂かれたような弱々しい声にはっとする。
隣にいてくれた立希が、俯き拳を震わせるくらいキツく握っていた。
「……私のは学校なんて狭くて普通の話なのに。睦は芸能界の、それも大人に混ざっての仕事だってこと、考えられてなかった。私なら少しは分かってあげれるなんて、それこそ勝手だった。ごめん……」
「……違う。勝手じゃない、自惚れなんかじゃない。立希が本当にお姉さんのことで苦しんだんだって、知ってるから。例え取り巻く環境の規模は違っても、私だって立希なら分かってくれるかもって、思ってた……」
「……そう言ってくれるなら、助かるよ」
いつもと違って覇気のない笑みを向けてくる。
そんな立希を見てると切なくなって、胸が苦しくなって。
でもやっぱり私は立希らしい笑顔を取り戻すような言葉は思いつかなかったから。
気が付いたら、立希の腕にしがみついていた。
私が心から立希を必要としてること、立希じゃないとダメなこと。
どうしたら立希の心傷に触れずに伝えられるか分からなくて、ただ離さないようにぎゅっと力を込めた。
「……そういえば。私らって元々口下手通しだったよな」
「……うん」
「こういうときこそ言葉で励ますべきなのに。情けな……」
「……よかった」
「何が?」
「立希と同じ気持ちって、はっきり思えたから」
「……それ、全然良いことじゃないんだけど」
「いいの。立希と、一緒がいいの。だから……私とは違うなんて、もう言わないで……」
「……分かった」
それからしばらく、黙って月明かりに照らされる街並みを眺めた。
時折吹く風が寒いぞと教えてくれて、ストールを立希にも巻いてあげる。
祥がつい最近誕生日プレゼントとしてくれたそれは大きいから、2人まとめてくるまれるのだ。
立希が小さくありがと、と呟く。
それが照れ臭かったのか、上を向いてわざとらしく別の話題を取り上げようと発してきたセリフが。
「良い月だな。ちょうどいい感じの明るさで、安心する月明かりだ。綺麗だよな」
「…………」
長ったらしいけど、あの有名な夏目漱石訳のI love youに違いなかった。
と思ったけど、恐る恐るチラ見すると立希は返事をしない私を不思議そうに見ていた。
やっぱり、セリフの意味なんて知らずに天然で言ってたんだ。
仕方ないしもったいないから、私がそれっぽくフォローしてあげることにした。
「……そうだね。まるで立希みたい」
「は? どの辺が?」
「……CRYCHICの誰かが困ってたり悩んでだりすると、あれぐらいの丁度いい優しさで寄り添ってくれるところが」
「別に、そんなつもりないし……」
「……ついさっき助けてもらった私が言うんだから。間違いないよ」
「それは……。んじゃ今日だけ、たまたまそうだった、ってことで」
「……そっか。なら今日の私は凄くラッキーだったね」
「ふざけんな。そのジョークは笑えない」
「……そうだよね。ごめん」
本気で怒る立希に、私は顔を緩ませながら謝った。
全然悪びれない私は、はぁ、とため息をつかれたけど。
気にするなと言わんばかりに、頭をぐしゃぐしゃと撫でられたからお返しに頭を立希の肩に預ける。
そうしてくっついたまま、改めて2人で空を見上げる。私たちを穏やかに照らす月明かり。
ずっと見ていても目が痛くならない。目を焼き身を焦がすような太陽とは大違い。
私にとって太陽といえば、祥だった。小さいころから手を引いてくれた明るいお日様。
その幼馴染に連れられた先で、隣にいる不愛想に出会った。
まさかその人が、私にとってのお月様になるなんて思いもしなかった。
決して眩しいほどに頼れる存在なんて言わないけど。今日みたいに傷ついたとき、不器用ながらも寄り添い守ってくれる。
この先どんなに悲しいことがあっても。彼女が傍にいてくれればきっと癒される。
月の光は追い詰めない。私を輝かせようともせず、ただ心に安らぎを与えるだけ。それだけでいい。
(どうせ元ネタを知らないんだ。なら私も、今の気持ちを堂々と言葉にしてしまおう)
「……立希。月が綺麗だね」
「あぁ。……まぁ、私にとっての月もずっと前から綺麗なんだけどな」
繰り返すが、こいつは元ネタを知らないはずなんだ。
知ってたらさっきも今も、照れ屋な立希が自然体の表情で微笑んでいられるわけがない。
よくもまぁ、ここまで狙ったような使い方ができるものだ。もはや芸術的ですらある。
(一瞬立希も、私のこと月みたいに思ってくれてるかと期待したけど。……よくよく思い返せば誕生日の観覧車じゃはっきりそう言われたわけじゃないしね)
なんだかなぁ、という気分で小さく嘆息し、立希に忠告する。
「……立希。もう少し文学的な常識を身に着けた方がいいよ」
「はぁ?」
せめて私以外に言われる人が現れないよう、後日それとなく教えてあげようと決意した夜だった。