桜がヒラヒラと舞い落ちる風景を背に、燈が原稿を構えている。
私は心を気張らせて笑みを作った。さっきみたいに不甲斐ない顔した私へ、燈が気遣わないで済むように。
でもそんな作り笑いは、台本から目を離して前口上のように話し出した燈によって緩和される。
「これは、私だけの読みじゃありません。私と同じ想いを抱えて生きている、大切な親友との読み。私たち2人の、心の叫びを、聞いてください」
(燈……! 気づいてくれたんだ、私からそんなこと一言も言ってなかったのに……)
元々私に巻き込まれて訳も分からず始めたのに、何も言わなくても追いついてくれた。その通じ合いが、頑張っていた笑顔を自然に力が抜けたものにしてくれる。
燈にも、私と同じ傷を同じくらい抱えていて欲しい。そんな願望も燈を追い詰めた負目から捨て去ったけど、今になって息を吹き返す。
期待に胸を膨らませて朗読を待っていると、燈はさっきの前口上と比べて重々しく口を開いた。
——『自分』を持って生きる人々に
私の気持ちはわからない——
今までの練習で聴いたことなかった、負感情塗れの声色。これだ、この重苦しいほどに執着を感じさせる声こそが、この詩に相応しい。初めてテレビでこの詩を聴いたときを思い出す。でもそのときの読み手、西園寺修羅とはまた違った感じだった。
あの人はどす黒い感情を自分の一部のように纏い、制御下に置いていた。だから容赦なくその力を振るって、こちらを刺し貫いてきた。
一方、心臓辺りを服の上から握りしめて前傾気味な燈は、自身を覆い尽くす感情に押し潰されそうだった。
それでも踏ん張りながら咀嚼された想いが、聲に染み込んでいた。目を背けたくなるほど独りよがりな哀しみが耳から流れ込んできて、心を揺さぶる。
——だから私は
完全に響く 私だけの倍音を——
何度も何度も読んできたんだろう。深淵のような感情に呑まれながら、直前の練習通りアクセントは正確に発声されていた。いやそれどころじゃない。そのとき扱えてなかった技術さえ、この土壇場で自分のものとしていた。
『私は』の後一瞬息を吸い直し、立てられたのは『うた』という、この詩の核。私と、燈と、きっとたくさんの人が大切に抱きしめてる宝物。強調された言葉が私の胸にストンと落ちて、じんわり甘苦しい疼きが記憶を想起させる。
小さい頃から自分だけのうたを求めて、ギターを弾き続けてきた少女が思い浮かんだ。
——生きていくために 自分を砕くしかなかった
割れ目を
1人の人間として欠けている——
まるで演じ分けるように、その場その場で無限に自分を入れ替える少女。でも本当は、無自覚なところで、自身を証明する唯一のうたを歌いたかったんだと思う。
だから人が変わったように、
極端に削り過ぎた少女はそれまでと違う意味で歪なままだったけど。
それでも1人の人間として、やっと歩み始めていた。
——他人にはわからない
当たり前に愛されて 当たり前に持つ『自分』
そんな当然から外れた私は
燈の聲が、長い間堪えてきた愚痴みたいにボトボト零れる。震え声のイントネーションが『わからない』を強調して、共感の波が肌をゾクゾクと這う。魂の嘆きは体の奥底で共鳴した声を引っ張り出す。
分かるはずがない。分かってもらいたくない。その頃のことは、半生以上一緒だった祥にだって話してないんだ。
私にはギターがある。ギターさえあれば、私は人らしく生きられるんだ。
あぁ。やっぱり私には、『これ』しかない。
諦めと共に、手放しちゃいけない命の重みに浸る。切なく満たしてくれる感傷が愛おしい。
けれど、そのぬるま湯のような心地すら寒々しく奪われることになる。
最終段落まできたその聲が、諦めたように無心無痛で語り出したから。
——
完全に調和したとき 『自分』は完成する
それはどこまでも虚しい独奏曲
でももしも これが砕かれてしまったら
私の苦痛と一緒に 全て塵と消えるだろうか——
自身の喪失さえ何も思わないかのような聲に虚しさを覚えて、疑問を訴えたくなる。
(これで、いいの? そんな終わりで納得できるの?)
心の中でそう唱えて、この悲痛こそ私が望んでいたものだったことに気づく。他者と分かち合えない孤独な終焉。私はこんな不毛で無意味な終わりを、燈と共有したがってたのだ。愚かにも程がある自分自身に愕然とする。
どうして私は燈の足を引っ張ってばかりなんだろう。心底嫌気がさして塞ぎ込みたくなる中、それでもこんな私に向き合い続けてくれた燈からせめて顔を逸らさない。約束でありケジメであり、大切な友達のために今の私ができる、ただ1つのことだから。
視線の先では台本が下ろされていた。これで終わりのはずなのに、前を臨む朗読者の目が炎のように力強くて拍手の雰囲気じゃない。
それは正しかったようで、お腹から出た声が叫ばれる。
私に向けられる目と声が、手を差し伸べてるように感じた。
「消えない。砕かれない。僕達で苦痛を抱き続ける限り、ずっと。
だから一緒に 手放さないでいて欲しい。
これがあって良かったと いつか一緒に笑い合おう」
独りきりの暗がりから光当たる場所へ引っ張り上げれたように心がフワリと楽になる。
一緒に苦しんで終わるより、一緒に笑って進もうよ。
誰かの言葉を借りた先で、そんな風に自分の想いを加える燈に、私は歓喜と驚愕が入り混じった思いで見とれていた。
元々私の身勝手な想いすら伝えてなかったのだ。なのに自力で追いついただけに収まらず、まさか私を追い越した先で手を差し伸べてくれるなんて。
燈の格好良くて心強い優しさに、心身の強張りが解けていく。悴んだ心をじんわり温める、雪解けのような救い。
望んでた以上のところまで導いてくれた燈が誇りで、尊くて、感謝でいっぱいで。
燈に出会えてよかったと、泣きそうになるくらい胸がいっぱいになった。
(よかったよ。燈とこんなにも通じ合えたなら、それだけで。私にはギターしかなくて、本当によかった……)
油断したら涙が出そうになる衝動をなんとか堪えていたけど、それは予期してない形で昇華されることになる。
「ごめんなさい、名前と作品名を言い忘れてました」
燈の言葉に今私も気づいた。そもそも詩のタイトルを知らない。知ろうともしてなかったけど、結局何という詩だったんだろう。
燈は尚も私を見つめたまま、少し照れたように、さらにちょっぴりだけ誇らし気に口角を上げて答えを告げた。
「高松燈より、『ともしびのうた』……でした」
(……えっ……?)
見物客から湧き上がった拍手の中、私は驚き過ぎて呆けてしまう。
灯火、つまり燈火だ。まさかあの詩のタイトルに、燈の名がつけられていたなんて。
心が揺れ動きっぱなしだった私は、ついに許容オーバーを迎えて呆けてしまう。そこに、横からコソッと話し掛けられる。
立希(あの詩ってそういう名前だったんだ。それもあって睦は燈に読ませようとしたの?)
睦(……知らなかった……)
そよ(その顔は本当にそうみたいだね。ならやっぱりこれって……)
祥子(えぇ。ここに至るまでの全てが、きっと運命でしたのよ)
睦(……うん。そうかも、しれないね……)
CRYCHICの3人と一緒に盛大な拍手を送りながら、私はなんだか気が抜けてしまった。
燈の名前を冠したような詩を、その気のなかった燈自身に読ませる。結果的に、その詩に燈の灯火を燈すことができた。
極めつけは、内気で恥ずかしがり屋なあの子の満ち足りたような微笑み。
朗読に挑戦して良かったという前向きな感情が、間違いなくある顔だった。
睦(……なら少しは、燈のためになれたって、己惚れても、いいかな。燈……)
なんて出来すぎストーリーなんだと我ながら呆れつつ、自身を強く責め立てていた罪の意識が浄化されていく。
代わりに芽生えるのは、私も燈やCRYCHICのみんなに与えられる存在になりたい、という想いだった。今回の私は気を遣われて、救われて、貰ってばかりだったから。この分くらい返せないと、みんなと親友なんて自称もできない。
そのためには、自分の過去に囚われて独りよがりになってるようじゃ叶わないんだろう。だから人として強くなりたい。今より先に進んで生きたい。
(今回は話せなかった傷のこと。昔の異常性まで含めて話せるくらいに、過去を乗り越えたい。それがきっと、ここまで救ってくれた燈や気を遣わせたみんなに報いることにも繋がるから……)
今日と言う日を忘れないために、私は密かに誓いを立てた。