そよside
薄闇に包まれていたライブハウスが色づき、話し声によるざわめきが止まる。
私たちが立っているステージにライトが当てられたことで、ライブの始まりを察したお客さんたちが拍手を送ってくれた。
「CRYCHICです。1曲目は、カバー曲をやります。さとう。で、朗朗」
ともりちゃんのあっさりした挨拶の後、待ちきれないとばかりにむつみちゃんが弦を
クリーントーンのナチュラルハーモニクスが響く。それは物語の始まりを予感させるファンファーレ。
ここは本来ピアノが鳴らされるところなのだけど。今回だけは、と愛器をギュッと抱きしめたギター娘が譲らなかったのだ。
そんな一幕を思い出しながら後列2人に視線を巡らすと、私と同じだったのか仕方ないな、という顔で苦笑していた。
——開いたページ 並ぶ文字
右から左 目でなぞる言葉たちに
試されている——
ギターの小気味良いアルペジオに合わせて、透明感のある声が活舌する。しかし、どこか迷うように揺らいでいた。
歌が1段落ついたところでピアノの高い1音がベースとドラムを招き入れる。
だけど、声は活気づかない。
——熱を持つ 喉の奥
今も僕の背中を叩く問いかけが
頭を駆け巡る——
漲る生命力は内側で燻るばかりなのか、吐き出される独白は焦げついて痛々しい。
そんな中ドラムの4つ打ちが力強く刻まれ、世界をグイグイと前に押し進める。伴奏のアルペジオをベースの私が受け継ぐと、空いたギターは分散された和音の合間に星屑のようなフレーズをまき散らす。遥か高みでエレクトリックピアノが虹を架けていた。
明るく前向きな世界で、問われて囚われる声だけが孤独に沈んでいくみたい。
ともりちゃんは朗読したいわけじゃなかった。それでもむつみちゃんを気遣うように流されて始めた理由なき読みは、案の定迷走してしまうのだった。
——「それでいいなら、それでいいけど
そうじゃないなら、今、覚悟を」——
それでも読むと、ともりちゃんは決意した。朗読会を提案されたとき、むつみちゃんを見ていた声は自分で表現したい部分を見出してなかったはずなのに。たぶん、他人のためという間違った理由をどこまでも貫くと覚悟したんだろう。
あのとき迷いのない目で参加を表明したのが、その証拠だった。
自問自答の時間を尊重するようにたきちゃんはリズムを落とす。バッキングに徹したむつみちゃんと慎ましく同調していた。
問いかけの切れ目をさきちゃんが上品な旋律が彩る。
——聞こえた声は紛れもない
いつかの僕の声だ——
むつみちゃんのために読むというあのときの想いは、間違ってない。
そんな想いが前を臨む声に指針を与える。抑えられたビートとバッキングに噛み合い始め、歯車が回り出した。
迷いも苦痛も抱いたまま、声は確かに踏み出して行く。
——誰かの言葉でも
構わない 伝えるんだ
この声に意味をくれたあの人へ
誰かの想いも
連れて行ける 待っていて
この声を 想いを 僕を 信じてよ——
ピアノの単音が散りばめられて光る。歩み始めたボーカルの後を追うように飛び跳ねてるみたいだ。
ギターはジャキジャキ走って、いつもみたいにドラムとテンション高めで同化している。
私はその跡を辿るベースラインで音の輪郭を整える。みんながバラバラに解けないように。
そんな私たちの盛り上がりを気に留める余裕もない様子で声が叫んだ。
今そっちに向かっているから、待っていてよ。
もがく声はどこかも分からない遠くへと願っていた。
——溢れて止まらない感情とは裏腹
乾いて仕方ない 潤し方も
わからないまま 遠くへ来てしまった——
煌びやかな駆け足から一転して、落ち着いたビートに合わせるように声は抑えられていた。
けれど唸るように上下して、これまでより明らかに増した感情を持て余してるみたい。
そんな中ピアノのゆっくりとした足取りが逆に焦燥感を煽り、妙な緊張感を形成する。
自身の軌跡を他人事のように振り返った声は、相変わらず不安定な感情を滲ませていた。
——闇の中 その声だけが頼り
いつしか目の前照らした光——
けど一度乗り始めたリズムに逆らうこともギターが刻んだ足跡を辿り戻ることもしない。
ただ前へ前へと進もうとする声は溢れる感情によってブレーキを壊され、次のフレーズで爆発する。
——これしか 残されちゃいないんだ——
ともりちゃんがあの詩から抉られた傷を慟哭する。
彼女は周りに馴染めなかった思いを詩として書き殴ることで慰めてきた。それだけが、自身に認めてあげれる表現方法。『これしかない』と思わせる大事なアイディンティティでもあり、決して失えない弱点でもある、傷という名の宝物。
だからこのフレーズは特別痛かったんだろう。ギターをずっと弾いて来たあの子も、だから……。
2人にそんなことないよって言っても癒えないんだろうな。これは、自分の問題だから。
たきちゃんが保つ盤石なリズムの上を私と、浸るように目を伏せているむつみちゃんが1小節ごとに和音を伸ばす。
——か弱く頼りない それでも
確かな僕の声だ——
バスドラムの2ビートが4ビート、8ビートと加速していく。スタッカートされたギターによって勢いづいた声が、胸の灯火を頼りに長く長く絶叫し続ける。
その間ピアノの旋律が、ハイハットのシャッフルビートが、私とギターのバッキングが共に走った。
4小節駆け抜けた声が止んで、私たちへ振り向く。入れ替わりで七色の弦が思いっきり歪ませたグリッサンドの切り返しから暴れ出した。ギターのソロパートだ。
自由に、激しく、憚らず。フロア中をギザギザに切り裂き駆け回るエレキサウンドを、一番間近でぶつけられているのはともりちゃんだった。
間違ってない。一緒に行こう。
高らかに掻き鳴らされるメロディは、確かにそう言っていた。
だって、ともりちゃんはそのメッセージを自身に
私たちだってそうだ。
むつみちゃんを肯定するように、音の厚みを支えた。
——それでいいなら、それでいいけど
そうじゃないから、ここにいるんでしょう——
ともりちゃんは客に背を向けたまま、ここにいる理由を歌いながら、声に宿る灯火を大きくさせる。
自身に言い聞かせるような答えの終わりに合わせてブレイク。1秒もないこの静寂を、時が止まったように永く感じてしまう。
——誰かの言葉でも
構わない 伝えなくちゃ
この声に優しく触れたあの人へ——
1巡目。ギターとキーボードが静かに絡み合い、幼馴染が旋律と共に笑みを交わし合う。
2巡目。参入したベースとドラムは歩みを揃えて、私とたきちゃんは微笑み合った。
私たちは4人の通じ合いを束ねてボーカルに視線で繋ぐ。受け取ったともりちゃんは、どんどん色づく世界で高らかな笑声を天にぶつけ、フロアへ拡散させた。
息継ぎしながら前へ向き直って行ったその表情は、希望に満ちた笑顔だった。
——誰かの想いも
連れて行ける 待っていて
この声を 想いを 僕を Ah——
ともりちゃんの叫びが流星のように奔る。
決意と望みで高まったシャウトに合わせて、さきちゃんの指が鍵盤の上を左から右に流れる。
たきちゃんのドラミングが激しさを増し、盛り立てた。そこにカッティングでぴったりついていくむつみちゃん。私も置いてかれないようにベースラインを築く。
——音のない夜を超え
会いに行く 待っていて
この声を 想いを 僕を 信じてよ——
例え無響の闇が立ち塞がっても、必ず乗り越える。
だから信じてよ、と命令形のような要求の言葉に、疑心暗鬼は微塵もない。
いつか辿り着くから、という約束のメッセージを強調させるように。私たちは息を揃えて再びブレイクした。
今度はさして永くない一瞬の間を、歪んだグリッサンドが切り裂く。
ウキウキとスキップするようなピアノのリフが妙に目立つ。私とたきちゃんと仕方ないな、と言う顔で見合わせた。
——信じてよ——
またも長く叫ばれる一言。ここだけは弁えて主張を抑えるさきちゃんは忠犬みたいで可愛らしかった。
——この声を 想いを 僕を 信じてよ——
音の残響の中、願いが投げかけれて終わった。
その声は、ただ未来を信じていた。