楽屋にはL字の大きなソファがあったから、先輩方にはそちらで寛いでもらう。私達は壁際のカウンターテーブルに固まって座り、2バンド10人のお喋りが繰り広げられていた。
お互いの自己紹介からバンドの馴れ初めに始まり、場が温まったところで。羽沢珈琲店の店員さん、羽沢先輩から私に話しかけられる。
つぐみ「そういえば、去年度の立希ちゃんは羽丘の制服着てたよね? 高校も同じかな?」
人懐っこい見た目通り、正に癒し担当といった優しい口調と明るい微笑みで話しかけてくる。純粋無垢っぽい雰囲気で毒気を抜かされるからか、嫌なところを掠める質問にも平常心で答えられた。
立希「いえ。高校は花ヶ咲に編入しました」
ひまり「? そうなんだ。そういえば、中学の頃に私たちの話って聞いたことある? イメージと違った?」
今度はピンクブロンドで後ろ髪を2つに結んでいる上原先輩に尋ねられる。よくそんなこと初めて会った後輩に訊けるな。リーダーを務めてるらしい人の厚顔さに呆れてしまう。
蘭「ひまり、よくそんなこと自分から訊けるよね」
ひまり「部活の後輩の子が、私たちの噂よく聞くって言ってたんだもん。中学でも流れてるのかなーって、気にならない?」
モカ「ひーちゃんには敵いませんなー」
ひまり「そのニヤけ顔は絶対バカにしてるー!」
ノリも口調ものんびりマイペースなアッシュブロンドヘアーの青葉先輩と、ノリも頭も軽そうな上原先輩が、年上の威厳を感じさせないノリで騒いでる。私に訊いてたはずなのに私そっちのけでギャイギャイふざけ合ってるものだから、私はどうしようかと周りを見る。すると、CRYCHIC勢は全員私をじっと見ていた。どうもこっちは噂に興味があるらしい。
接してみてさらに疑わしくなった噂の真偽を確かめる、いい機会かもしれない。私はとつとつ話し始めた。
立希「私が聞いたのは……ガルジャムっていう結構大きなライブイベントに毎年出てたり、去年はなんか批判的な空気があったけどライブでひっくり返したとか……最近だと、メジャーデビューしたロゼリアのライバルバンド、とか……」
睦「……プロとライバル。普通に凄い」
つぐみ「さ、最後のはどこから広がった噂なんだろ……」
巴「あの場にアタシたち以外いなかったよな……?」
最後のは流石に飛躍してると思ってたのに、否定はしなかった。マジか。ロゼリアって、プロレベルしか参加できないゴリゴリの実力主義なフェスに参加したガールズバンドでしょ? ガチの実力でのし上がった現プロと、マジで対等なのか。
さっきまで凄みを感じなかったのに、急に背筋を正さずにはいられなくなった。そんな私の恐縮が伝わったのが、深紅の長髪なんて不良っぽい見た目な宇田川先輩が朗らかに笑いかけてくれる。
巴「でもさ、高校成りたてでオファーされるCRYCHICの方がスゲーよな」
つぐみ「うん! 私たちだって、そこまでじゃなかったもんね」
ひまり「うんうん! ……私の気遣い、お節介だったかなって思うくらいだし……」
蘭「ひまりが空回るのはいつも通りでしょ」
モカ「おぉ~。蘭のいつも通り、いただきましたー。よかったねーひーちゃん」
ひまり「どこに喜べばいいの!?」
そよ「あ、あはは……ありがとうございます♪」
そよの愛想笑いも、上原先輩をイジって盛り上がる先輩方に届いてるか微妙だけど、どうでもよかった。重要なのは、プロとライバル張ってる人達から凄いと認められたことだ。全身をゾクゾクと震わす歓喜に、人知れず浸る。
これだ。私はこれをずっと望んで、過去の屈辱に抗ってきたんだ。頭に鳴り響いていてた『人間になりたい歌』と、昔自分を否定したやつらの顔と声が、フェイドアウトしていく。これがきっと、人並みの平穏ってやつだ。
ようやく始まった気分の私を余所に、CRYCHIC側では呑気な会話が繰り広げられる。
祥子「流石2年上の先輩方。諸々スケールが大きいみたいですわね」
そよ「さきちゃんにそれを言わせるんだから、本物感あるねー」
燈「仲、良いね」
睦「……燈。それは10年一緒にいる時点で分かりきってる」
立希「まぁ、そんな噂もあって、羽丘じゃ憧れの的って感じなのは確かだよ」
私は後輩らしくおだてながら、その裏では有り余る優越感によって、一周回ってドライなこと考えていた。
噂は本当でも、結局バンドで物をいうのはサウンド。噂に違わぬレベルなのか、ライブでちゃんと見極めないとね。実績だけじゃなくて、実力でもこの人たち以上を目指すべきたし。
なんて値踏みするつもりで、仲良く5人で騒いでるAfterglowを眺めているときだった。
楽屋の扉が急に開いたと思ったら、紫のツインテールを元気に跳ねさせる女子が入って来た。
「あ、お姉ちゃんたちの声聞こえたと思ったらやっぱりいた!」
私らよりも低い身長とツインテール、そしてガキっぽい言動的に、私達と同じか年下っぽい。誰だコイツ? 他人の楽屋にノックもなしで入りやがって。
なんて苛立ちが口をつくより先に、宇田川先輩が驚き半分、嬉しさ半分な表情で乱入してきた女子に駆け寄った。
巴「あこ! 今日はバンド錬で来れないんじゃなかったのか?」
あこ「うん! ライブの時間と被ってるから、せめてその前に応援しようかなって。近くまで来てたから!」
巴「ありがとなーあこ! 忙しいのにわざわざ来てくれて嬉しいよ」
あこ「お姉ちゃん、頑張ってね! あこもロゼリアでチョー頑張るから! 蘭ちゃんもモカちんもつぐちんもひーちゃんも、頑張ってねー!」
宇田川先輩と姉妹っぽいやり取りをした女児は、Afterglowに手を振られながらあっという間に出て行ってしまった。……話の内容的に、もしかして今の……。
つぐみ「あ、びっくりしちゃったよね、今のは巴ちゃんの妹さんなんだ。羽丘高校2年生のあこちゃんだよ」
ひまり「話してた通り、噂してたロゼリアのドラマーなんだよー!」
モカ「なんでひーちゃんが得意げなのー?」
巴「いーじゃんかモカ。実際あこはスゲーんだしな!」
蘭「相変わらず姉妹仲良いよね。忙しいスケジュールの合間にわざわざ寄って来るなんて」
立希(あっぶな、無関係の年下だと思ってた。下手なこと言わなくてよかったー)
ちなみにCRYCHIC側と顔を見合わせると、みんな微妙な顔してたから、大体私と同じ印象だった模様。
そんな私達の妙な雰囲気を察してか「どうかした?」って美竹先輩に訊かれるから、すかさずそよが適当こいてくれる。こういうとき頼りになるやつ。
そよ「いえ、宇田川先輩の妹さんが凄い人で、びっくりしちゃいましたー」
巴「だろー? 私も姉として鼻が高い分、姉貴やるのが大変でさー」
モカ「なんて言ってー、トモちん全然嫌そうに見えないよー?」
ひまり「そりゃあ巴だもん」
つぐみ「うん。2人とも、カッコいいね!」
蘭「ま、これが巴らしさだね」
バンドメンバーの温かい笑みに囲まれながら、妹のことを自慢げに誇るニコニコ顔の宇田川先輩。それを見てると、心の琴線がたわんで、もわんとした不快さが胸に広がる。でもその理由をはっきりさせる気になれなくて、別のことを意識して考える。
そうか、宇田川先輩はプロの姉なのか。見るからに慕われてたし、ってことは実力もそれに見合うってことだよな。でないとおかしいもんな——目を反らしたい靄から逃げれてない。
何か嫌な感じだ。さっさと別の話題に移んないかな。またそよが何とかしてくんないかな。なんて願望を視線に込めてそよに送っても、疑問符浮かべた顔で小首をかしげてくるだけ。ちっ、使えね。
その、むしゃくしゃした隙を突かれることになる。
妹の話で盛り上がってた羽沢先輩が、思い出したように私へ無邪気な笑みを向け、一番触れられたくないところに踏み込んできた。
つぐみ「姉妹といえば。立希ちゃんにも、もしかしてお姉さんがいるんじゃないかな?」
さっき揺れた琴線が、トランペットでブン殴られたみたいに激しく振動する。神経がビリビリして、目の前が一瞬霞む。
さっきまでの幸福感が嘘みたいに消え、代わりに頭の中は思い出したくもない記憶で埋まっていく。意識がその頃に侵食されそうだ。
ひまり「つぐ、何の話?」
つぐみ「えっとね、先輩達から聞いたことあったんだけど。昔吹奏楽部に、椎名真希さんっていう凄い先輩がいたんだって。当時から優秀なトランペッターで、卒業してからは地域のオーケストラに参加してるって聞いたことあって。名字が同じだから、もしかしたらそうなのかな、って」
柔らかな声に、うるさい耳なりが混じる。私は声の方へ顔を向けれない。それどころじゃない、『今までとは違う』展開を、祈らずにはいられなかった。 あの頃と違って、私はオファーもらって、凄い人たちにも認められたんだから、もう私は妹としては——
あっさり踏みにじられる。
ひまり「そーなんだ! 立希ちゃんも凄いお姉さんがいたんだね! ってことは、立希ちゃんが音楽やってるのもお姉さんの影響?」
巴「だとしたら、立希もお姉さんと一緒で吹部やってるのか?」
モカ「そーいえば、吹部もバンドもしてる人って初めて会ったかもー」
蘭「言われてみると、そうだね。じゃあ立希は、よっぽど音楽が好きなんだ」
途中から聞こえてなかった。『姉と同じように吹部やってる』とかなんとか聞こえた辺りから、過去に言われたセリフが頭を支配していたから。真希さんの妹なんだ、すごい、妹さんが吹部に入ってくれるなんて、百人力って感じ、真希さんの妹なんて期待しちゃうな。
一瞬だ。1年かけてのし上がってきた『私』が、あっけなく『妹』に塗りつぶされた。明るい日向から暗い影の下へと沈められる。なおもまだ蘇り続ける記憶は、一番嫌なシーンを再生するところだった。私を見る目が冷たいものへと変わる瞬間。
……それが繰り返されると思うと。昔みたいに結局失望されると思うと。また惨めな想いに打ちのめされると思うと——
どす黒い衝動に突き動かされる。
「姉は関係ないんで」
気づいたら吐き捨てていて、足が勝手に扉の方へヅカヅカ動いていた。「た、立希!」なんてお上品な声が遠く聞こえる。意に返すこともなく、私は一秒でもこの場を去りたい一心で、ドアを勢い任せに開いて出て行った。
『ごめん、みんな……私が無神経なこと言い出しちゃったから……』
『つぐのせいじゃないよ! 私たちだって、無神経なこと言っちゃったかもだし……』
『うーん。姉妹専門家たるトモちんとしては、どう思うー?』
『ちょっとモカ! 私だってお姉ちゃんいるんだけどー!』
『あー……あれは、部外者が簡単に触れていい感じじゃなさそうだな。アタシも他人事じゃないかもだし、……紗夜さん、思い出したよ』
『紗夜さん……日菜先輩とのことで、悩んでたよね……。家族との不仲って話しづらいだろうし、謝られても困るだけ、なのかな……』
『そうかもしれない。でも、あたしここで待っててもいい?』
『えっ、蘭? でも立希ちゃん帰ってきたら、気まずいんじゃ……』
『いやいやひーちゃん、蘭のこの顔は、何か考えがあると、モカちゃんは睨みましたー」
『考えっていうか。放っとけないだけ』