〇5つの海が集う南館
日本一大きな面積を誇るこの水族館は、2つに分かれている。大きなシャチやベルーガ、それに何匹ものイルカを泳がせるとびきり大きな水槽がある北館と、小さな生き物用の水槽がたくさん並ぶ南館。どちらを回りたいか、好みが別れるところだと思う。
構本さんと瀬川さんはウチのともりちゃんに気を遣って同行してくれたところもあるので、ルートは2人の希望に沿う形にしたかった。
年上として遠慮されながらも何とか希望を聞き出した私たちは、まず『南極への旅』というテーマで構成された南館を回ることにした。
日本海から南に向かって、深海、赤道の海、オーストラリアの海、そして南極の海。それぞれで過ごす生き物たちが見れるエリアだ。
という説明文を見た私たちは、5つの海を網羅するスケールの大きさにへぇーと感心の声を揃えた。
そんな私たち5人をよそに、構本さんは瀬川さんに意味深なことを言う。
海「晶がここに来たかったのって、こういうエリアがあったからだよね?」
晶「1年くらい前に話したこと、覚えててくれたんだ」
燈「? どうして、ここに来たかったんですか?」
晶「私ね、世界中の海を回ってたくさんの魚たちを見たいなって、よく空想してたの。だからいくつもの海が見れる水族館に憧れがあったんだ。子どもっぽい妄想だよね」
恥ずかしいのか自分自身をバカにするように苦笑する瀬川さん。
けど少なくともここにはバカにするような子はいないし、何ならお目目キラキラさせるなんて、真逆の反応する子がいるくらいだった。
燈「すごい……! 私も世界中のペンギンを見て回りたい、です!」
晶「そ、そう……?」
嗤うどころか共感して本人以上に乗り気を見せるともりちゃんに、瀬川さんも目を点にして呆気にとられてたけど、すぐ頬を緩ませる。共感してもらえて嬉しそうな瀬川さんに、構本さんがニッコニコで笑いかける。
海「やっぱり、晶の夢はおかしいものじゃないよ。大きな魚買ってみんなで寿司パーティーするより、よっぽど素敵」
晶「……ふふっ、懐かしいね」
2人だけの思い出に浸るように笑い合う先輩方。なんとなくお邪魔しづらいので、ともりちゃんの夢に私は口を挟むことにした。
そよ「世界中のペンギンかー。南極にいるのは知ってるけど、他にもいるのかな?」
晶「極寒の南極は有名だけど、そこから北に上ってオーストラリア、南アフリカから赤道直下のエクアドルまでいるよ。南半球で意外と広く生息してる」
燈「そ、そうですよね! 確かケープペンギンは温暖な環境にいるって、聞いたことあります!」
立希「へー。ペンギンって体中の毛がフワフワしてて温かそうだから、寒いところにしかいないのかと思ってた」
祥子「燈の願いを叶えるならば、南半球を回る旅路になりますわね。流石に気軽には企画できませんか……」
海「あはは、それはそうだよ~、1つの海に行くのだって難しいのに……」
そよ「あー、その子の家は特別過ぎて……それくらいなら、たぶんフツーに行けちゃいますね……」
瀬川「うそ……」
睦「……つくづく祥の感覚は庶民の常識を壊す」
立希「お前の家も相当でしょ」
海「あ、あはは……東京に住む人って、凄いお金持ちなんだね~。流石都会だなー」
そよ「いえいえ、この2人と一緒にされたら困りますよ~」
燈「そよちゃんの家も、高層マンションの最上階なんて、すごい豪華だよ…‥?」
なんだかよく分からない脱線をした私たちは、仕切り直して水槽を見て回ることにした。
〇マイワシトルネード
黒潮という、世界で最も大きな海流がある。そこに生息する魚を集めた水槽。
そこでは無数の魚たちが巨大な渦を作っていた。煌びやかなライトに照らされたマイワシトルネードは圧巻で、私たち7人は見惚れてしまう。
海「すごい、本当に魚で竜巻が作られてるみたい!」
晶「餌の落とし方を工夫してマイワシ達の動きをコントロールしてるんだって」
睦「……何百って数じゃない。どれくらいいるんだろう……」
そよ「アナウンスで3万5千匹って言ってたよ?」
立希「3万……。なんていうか、1匹1匹は小さいのにそれだけの数が密集して群れると、なんだか暴力的に見えるっていうか……」
祥子「えぇ。マイワシより大きくて強い生き物でも負けてしまいそうですわよね」
晶「実際、マイワシは食物連鎖の最底辺に位置する魚だから。こういう規模で群れて身を守ってるんだろうね」
海「弱いからこそ、文字通り身を寄せ合って生きてるんだね。そう考えるとちょっと親近感湧くかも」
そよ「人も1人じゃ生きていけませんもんね。……ところで、どうしてともりちゃんはトルネードじゃなくて、水槽の底を見てるの?」
みんな魚たちによるトルネードショーを見上げている中、1人だけ下を向いてるのはかなり目立つ。ツッコまざる得なかった。
燈「死んだ魚、見てた」
立希「ホントだ、動かなくなったマイワシが底に沈んでる」
睦「……言われるまで、全く気付かなかった」
ともりちゃんはこういうところがある。多くの人が普通気づかなかったり流すようなところに、ひっそり目を向けて掬い上げるような、独特の視点が。
祥子「死んだものに目を向けるのは相変わらずですわね」
晶「そうなんだ。高松さんって、変わった着眼点してるんだね」
燈「えっと……ズレてます、よね……」
晶「う、ううん。そういうことを言いたかったんじゃないから……気にしないで?」
微妙に気まずくなりかけたタイミングで、構本さんがすかさず話題を変えてお喋りを繋げた。
海「でも、何万って仲間が元気に生きてる中2,3匹だけ死んじゃってるの、何だか哀しいね」
そよ「確かに。取り残された感じがしますもんね」
燈「うん。そう、思って見てた……」
しんみりした声に、トルネードショーの高揚がすぅっと下がって、靴底から抜けていく。この虚しさ、まるでともりちゃんの悲しみが伝わってきたみたい。
海の空で生命の大息吹を巻き起こす魚たち。そこについていけなくなった者が堕ちる海底は、さながら墓地のようだった。
生と死のギャップをこれ以上なく感じ入る視点。そうか、ともりちゃんはこういう風に世界を見て、感じた痛みを歌詞にしてきたんだ——
燈「せっかくだから、ペンギンたちの餌にしてもらえると、いいな。イワシはペンギンの好物だから……」
そよ「いやそっち!? 生とか死とか重い事考えてると思ったのに、結局ペンギンなの!?」
せっかくともりちゃんの世界に近づいたと思ったのに、「そんな全然考えないよ?」ってはしご外されたみたいで納得いかない私だった。そもそもともりちゃんは何考えてるのか分かりづらいんだよ。
まぁ仕方ないか。裏表なく思うままに生きてるのがともりちゃんだから。こういうズッコケボケを天然でかまされてもついていけるようになろう。この不思議ちゃんに近づく1歩目としては、まずそこからかな。
睦「……そういえば、燈は命を感じるようないくらとか苦手なのに。命がなくなったらそういう忌避感さっぱりなくなるんだね」
立希「まぁ死んじゃったんだし、どうせなら有効活用された方がいいでしょ。元々食物連鎖の最底辺として餌にされるのが存在意義だろうし」
祥子「立希は立希で何て残酷なことを言うんですの」
海(うーん。5人の会話って結構変わってるっていうか……面白い子たちだよね)
晶(うん。……でも、見てるとなんだか安心する)
海(え?)
晶(高松さんみたいな子でもありのままでいられるような、家族みたいな温かさを感じるから)
海(……そっか。晶は優しいね)
晶(優しさじゃ海には敵わないよ)
〇人魚の財布
それは深海エリアに来たときのことだった。
祥子「あら、トラサメですって! やっぱり虎模様だからそういう名前なのでしょうか?」
立希「さっき見たネコサメもそれっぽい模様だったし、そうじゃない?」
睦「……名前の由来って、それだけですか?」
むつみちゃんはスマホを取り出そうとして、止めながら瀬川さんに訊く。
ググるより手っ取り早く面白い話が聞けそうって思ったんだろう。
晶「トラサメは単純に見た目だけど、ネコサメは夜行性で暗い場所を好む性質で名付けられたらしいよ」
海「そっか、猫もそうだもんねー!」
そよ「見た目だけで決めてるわけじゃないんですね。ちょっと面白いかも!」
燈「瀬川さん、本当に何聞かれてもその場ですぐ答えられるの、凄いです……」
晶「小さい頃からそういう本ばっかり読んできただけだよ」
海「ううん、晶はすごい! かっこいい!」
晶「もう、大げさだよ海」
当人より誇らしげな構本さんと、そんな彼女の反応に満更じゃなさそうに破顔する瀬川さんはお似合いの2人だなって思った。このほんわか仲良しな雰囲気は、ウチにも見習わせたいコンビがいるのだけど……
睦「……確かに、ググるより速く知りたいことが知れるのはAIみたいで便利」
立希「今日会ったばかりの先輩を失礼な扱いするなこの無礼お嬢様」
このコンビに爪の垢煎じるどころか、爪丸ごと詰め込んだらお2人みたいになってくれないだろうか。もう遅いか、この1年ですっかり定着しちゃったから。
祥子「お馬鹿な会話してないで、これ見てくださいまし。面白そうな話でしてよ」
立希「馬鹿に付き合ってあげただけだし。……なになに?」
睦「……絶対立希より成績上だけど。……人魚の財布?」
バチバチ睨み合う(黙っていれば)クールコンビを放置して、トラサメの水槽の上にある解説プレートに目を向ける。
題名からして、確かにそそられる話だった。
晶「あぁ、トラサメの産む卵についての話だね。海辺に流れ着いた卵の殻は、四角い袋状で角隅にひもみたいな細長い突起がついてるから」
海「留め具のついた長財布みたいに見えたから、そう例えたってこと?」
晶「触ってみると革みたいに固くて、つやのある質感だからっていうのもあるらしいけどね」
そよ「でも、どうして人魚なんでしょうか?」
燈「トラサメの卵ってすぐには分からなかったから、そういう幻想的な名づけしたのかな?」
晶「それに近いのかな。海辺に落ちてる不思議なものに対して、幻想的な存在である人魚が使った財布かも、っていう発想で広まったって説があるよ」
海「なんだかロマンチックだねー!」
そよ「それに、本当に人魚がいるような気もしてきます!」
燈「うん……海で人魚が暮らしてるイメージ、できそう……!」
海「だよねだよね!」
私たち3人でキャッキャとはしゃいでると、空気読まない勢が台無しにしてくる。
立希「馬鹿馬鹿しい。本当に人魚なんていたらパニックでしょ」
睦「……海の中で財布使うとか、どういう経済体制想像したんだろう」
祥子「貴女達……幻想の存在に現実視点で切り込むのはやめなさいな」
さきちゃんが呆れた顔でごもっともなツッコミしてくれる。
と、今度は瀬川さんに向き直って訊ねた。
祥子「海洋生物に詳しい瀬川さんとしては、人魚についてどう思われてるのですか?」
晶「えっ?」
祥子「人魚、いると思いますか? 私はいたら素敵だなって思うのですが!」
無邪気な笑顔で希望を口にしながら、一番専門知識を持つ人に意見を求めるさきちゃん。
対し、瀬川さんは表情を複雑そうに曇らせた。少し俯いたその顔が水族館の薄暗い翳に飲まれる。雰囲気がマズくなる予感に、何とかしなきゃと思わずフォローしかけたけど。その必要はなかった。
晶「……人魚なんて……」
海「——いるよ。きっと、人魚はいる」
瀬川さんの力無く垂れ下がる手を掬い取りながら、構本さんが優しく言い切る。
水槽の照明に当てられたその笑顔は、灯台のように心強く見えたんだろう。顔を上げた瀬川さんの表情には道標を見つけたみたいに安堵の色が浮かんでいた。
晶「……そうだね。いつか、2人で見つけよう。海」
海「うん!」
2人は青い光を反射する眩しい世界観に包まれていた。……余計なフォローしなくてよかった。何人たりとも犯し難い世界には、無粋でしかなかったから。
祥子「え~っと……何かこう、人魚に纏わる面白い話が聞けるかと思って質問したのですが……」
そよ「しっ、さきちゃんっ。邪魔しちゃダメだよ!」
睦「……ちょっと勘繰りしちゃうレベルの親密さ」
立希「あのな、今日会ったばっかの人にそういうジョークは流石にアウトだから」
私たちはお2人の世界がほとぼり冷めるまで、水槽の底で砂に埋もれながら佇むトラサメに同調するように息を潜めていた。
燈(でも……結局瀬川さんは、人魚のこと、どう思ってるんだろう……)