あれから南館を回り終えた私たちは館内のレストランでお昼にした。
睦「……やっぱり水族館に来たからには、できるだけ珍しい魚料理を食べないと」
立希「へぇ、睦はサメの料理頼むんだ。流石に値が張るから私は安いの頼むけど」
祥子「? こんなものではありませんの? 私はワニの料理にしますわ」
立希「これだからお嬢様は……。2人とも、私のありきたりなオムライスと一口交換して」
祥子「安い代金で珍味を味わおうなんて姑息ですわね立希は!」
睦「……これだから庶民は……」
なんて会話を繰り広げてる3人と、私、ともりちゃん、構本さん瀬川さんの4人は別テーブル。恥も外聞もないコントに巻き込まれることもなく和気あいあいと食べておしゃべりしていた。
そよ「私、お手洗いに行ってきますね」
海「あ、私も行くー」
こうして私と構本さんは、ともりちゃんと瀬川さんを残して席を立った。
ちらっとともりちゃんの顔を見る。彼女はしょっちゅう瀬川さんをチラチラ見て、目が合えば慌てて逸らしていた。何か聞きたいことがあるけどこの場だと聞きづらい、みたいに見えて気になっていたのだ。
だから構本さんと抜け出せたのは好都合だった。いや、もしかしたら私と同じことを考えてついてきたのかもしれない。
そよ(聞きたいことがあるなら聞けるといいな。せっかくともりちゃんから珍しく初対面の人に歩み寄って、今こうなってるんだから)
彼女の引っ込み思案気味なところが少しでも解消されるきっかけになることを祈って、私たちはお膳立てが活かされた未来を期待した。
※ ※ ※
そよと海が席を外した後。
窓際の席に座る晶は静かに食事しながら、窓から見える東京湾をぼんやり眺めていた。
そこへ、正面の燈から遠慮がちに話しかけられる。
「あ、あの……瀬川、さん……」
「何、高松さん?」
晶は燈に顔を向ける。声の通り芳しくない表情に、言いようのないざわめきが心臓を過った。
少なくともペンギンとかの、楽しい話題じゃないことは直感していた。
「えっと……人魚……」
「人魚? あぁ、さっきのトラサメの話?」
「い、いえ。瀬川さんは、人魚のことどう思ってるのか、あのとき聞けなかったから。気になって……」
「あぁ……」
「あの……もし、言いたくなかったら、いいです……」
晶は自分と同じでコミュニケーションを苦手にする子が、2人になったタイミングでこの話を切り出したことに思いを巡らした。
あのときはよくない表情をしていた自覚があった。だから不器用ながら慮って、人のいないところで聞いてくれたんだと、晶は気づけた。その気持ちに応えるように曝け出す。
ところどころ、自分に似てると思っていた子に対して。
「去年までね。嘘つきな父親のせいで、人魚に会いたかったの。そんなの空想上の存在って、頭では分かっていたのに」
「お母さんは、お父さんが嘘ついてるって、教えてくれなかったんですか?」
「……いなかったから」
精一杯聞き手を気遣った晶の苦笑も虚しく、燈は目を見開いて口を噤んでしまう。晶は燈の気まずそうな反応を意に介す前に、自身の口の滑らかさに驚いていた。
こんな事を初対面の人に話すなんて思いもしなかった。でもなんとなく納得する。相手が燈だからだろう。
ペンギンに対して普通じゃない好奇心を示して。
人付き合いが上手じゃなくて。
誰もがマイワシのトルネードに注目してる中、1人死んだ魚に目を向けるなんてズレた行動をしていて。
昔から海の生き物にだけ関心を向けて孤立してきた自分に、重なるところがあった。
だから、これから話すことも理解ってくれると、根拠も無いの信じられた。
「それで小さい頃から人魚を探しに海辺へ通ってたから、自然と海洋生物が好きになった。でも当然人魚には会えなくて、生き物にばっかり詳しくなって。1人でそんなことばかりして、友達も作ろうとしなくて」
教室でクラスメイトから陰口を叩かれてきたこと。
先生から周りに合わせるよう何度も注意されたこと。
去年までずっと1人ぼっちだった記憶に、ドロドロと蝕まれそうだったから。
晶は逃げるように、無理やり話を終わらせにかかった。
「私って馬鹿だな、変だなって、そういう話」
晶は話終わった後になって思う。何が伝わったんだろう、そもそも何を伝えたかったんだろう、と。
自分に似てる燈に、あのとき言い淀んだ理由を少しでも伝えようとしたけど。心のままに口を動かしたら、とりとめのない話になってしまった。
(やっぱり、海がいないと私は……ダメだな……)
自分を嫌になる気持ちと、いつも隣に感じてた存在がなくて落ち着かない気持ちにどんどん浸食される。飲まれないように食事に集中した。悪感情を口にいれたステーキと共にかみ砕き、胃の底に嚥下する。
しばらくすると、消え入りそうな声が耳を掠めた。
「私も、みんなと、違いました。みんな仲良く遊んでるのに、1人で石とか拾って、ました。だから……ずっと、1人でした」
顔を上げた晶は、寂しそうな顔をしている少女の表情にハッとした。
まるで古い鏡を見てるように思えて、不思議だったから。
(本当に……一緒だったんだ。周りに馴染めなくて孤独だったことも、……温かい居場所に出逢って救われたことも)
だから。また1つ話すつもりのなかった思い出を打ち明けて、歩み寄る。
「石、とは少し違うけど。私も変わったもの集めてたよ。耳石っていってね、魚が持つ平衡感覚を保つ骨なんだ」
「どうして、耳石を集めてたんですか?」
「魚の年齢がわかったり、形がいろいろあったりして、その違いが面白かったんだ」
「ちょっと、分かるかもしれないです。私も海辺に来た時は、探してみたいかも、です」
「可愛いのあるかな」なんて興味をそそられた顔で呟く燈に、晶は共感してもらった嬉しさをささやかに微笑みで表した。
けれど燈の表情は暗くなった。俯きながら、心細い声を零す。
「……不安になったり、しないですか? みんなと違うこと、このまま続けてていいのかな、って。みんなみたいに生きなくていいのかな、って……」
燈の抽象的な問いを、晶は痛いくらい理解していた。みんなと違うことに夢中になって、独りぼっちな自分を責めたことなんて数えきれない。それでも生き方を変えられなかったから、今がある。そしてそれは、真正面にいる燈も同じなのだろう。でなければ、目を真っ暗に曇らせていない。
夜の海に飲まれたような瞳に、晶が映っている。その顔は今のものじゃない。あの時助けてくれた人魚ともう一度会いたいと、海辺を彷徨い始めた頃のものだった。晶は目を閉じて、錯覚を消し去る。
感傷に浸ってる場合じゃないから。今はただ、目の前で不安そうにしてる子を放っておけない。
(海だったら……)
いつも自分を励まし、守ってくれた微笑みを思い出す。いつまでも彼女の『凄い』は自分にはできないと、遠くから眺めてるままじゃ隣に居続けられない。
(もう昔の私じゃない。海と一緒にいれる私に変わったって信じたいから。なら、手を差し伸べないとダメだ)
あの頃の自分ごと、この子を救うために。晶はゆっくり目を開いた。そして初めて好きになった人から貰った言葉に、自分自身の想いを込めて、伝える。
「好きなものは好きなままでいいよ。自分にとって大切なものは、ずっと大切にしてていいんだよ。その方が、高松さんらしく生きられる」
「私、らしく……」
「今の高松さんが好きで、一緒にいてくれる人達だっているでしょ? なら高松さんは、そのままでいいんだよ。自分に胸張って、好きなものを手放さないまま、幸せでいて欲しい」
(海みたいに柔らかく笑えてるかな。海みたいに相手を元気づけられてるかな。
海がしてくれたみたいに、あのときの私みたいに、心が救われてるといいな)
誰かにそんなことしてあげた経験がほとんどない晶だけど。
今日、初めてそれを実感できた。
「ありがとうございます。瀬川……ううん、晶さん」
この子を見てると、やっぱり鏡を見てるみたいで。濡れた瞳がきらりと光る微笑に、晶自身も救われたのだった。
※ ※ ※
そよside
私と構本さんは、洗面所で手を洗っている。その後みんなのところに戻ったら、もう2人で話す機会はないかもしれない。そう思ったら、口が勝手に動いていた。
「構本さんって、すごく優しいですよね。なんというか、いつも周りを気にかけてて雰囲気守ってるっていうか……」
最初に出逢ったときだって、事態が丸く収まるように率先して発言してたし。みんなで回ろうと言ったのもウチのともりちゃんや、瀬川さんを気遣ってのこと。回ってる間も会話がこじれないように要所要所流れを変えてくれた。
すごく、身に覚えのある立ち回りだった。……打ちひしがれるくらいに。
「えー、それはそよちゃんもじゃない? 初めて会ったときだってそよちゃんから気遣ってくれたし、会話が弾むように相槌打ってくれるし。そよちゃんだって、優しい子だよ?」
友好的な笑みで返されたのは嬉しい言葉のはずなのに、私の愛想笑いを突き破ってはくれなかった。だって、私と構本さんの『優しさ』は違うと思ったから。
私の気遣いは、お嬢様学校に馴染もうと必死になった結果染みついた、外面な行動方針。上っ面な取り繕いはCRYCHICにだけはしなくなったけど、優しいお姉さんキャラは好きでこだわっていた。私は無理なく好きな自分で在れる居場所に満たされながら、誰にも嫌われない優しさを手放せなかった。そういうキャラしてると、気持ちが落ち着くから。
でも初対面の私たちにも、親しい瀬川さんにも変わらず優しい構本さんを見ていると、穏やかに凪いでいた心が波立つ。言葉や表情に作り物感がない構本さんは、私と違って元から優しい性格に見えるから。いつも誰にだって純粋に思って行動する、
そんな彼女の周りには自然と人が寄って来て、彼女自身もいつだって取り繕う窮屈さとは無縁なんだろう。誰も彼にも受け入れて欲しかった頃の私には、まさに理想的な世界。
洗面所の鏡に映る私の顔を嫌悪するほどこじらせてはいない。でも、その顔は決して晴れやかなものではなかった。常に取り繕っていた頃の名残か、湧き上がる羨望を胸中で持て余して、外に漏らさないよう精一杯堪える
……そんな貌を滑稽に思ったら、自分でも不思議に思うくらい勝手に口が動いた。
「私のは……構本さんのとは、違うんです。嫌われたくなくて、こんな風になっちゃったところもあって……」
何を私は、今日会ったばかりの人に重い事ぶっちゃけてるんだろう、と顔が熱くなってくる。でも、今日しか会わないだろうから口が軽くなったところもある気がした。
どうにしろ、変な話に迷惑してないかと顔色を伺うと、相手は複雑な微笑みを浮かべていた。なんとなくだけど、共感の色が滲んでるように見える。
「わたしもそうだよ。周りから浮きたくなくて。嫌われたくないって、凄く思う」
「構本さんでもそんな風に思うんですね。なんか、そういうのに無縁そうと思いました」
「わたしそんな能天気そうに見えるー?」
「い、いえそうじゃなくて! 何というか……ありのままで優しいから、きっとみんなから好かれていつも友達に囲まれて、人間関係に悩むことないのかな、って……」
「うーん……確かに、人間関係で悩むことはそんなになかったかも。でもそれだけだよ。みんなと何気ない会話ができるだけ。つまんない人間だよね」
「そ、そんなこと……!」
できれば言わないで欲しかった。だって、周りと良好な関係を築けるだけの人間がつまらないと否定されてしまったら、私だって……価値がない。
もうとっくに石鹸を洗い落とした手を、蛇口から出続ける水の中できつく握り込む。かろうじで残っていた理性によって、洗ってるフリでノロノロ揉みしだく。でもそんなイタイタしい誤魔化しは、不意に横から伸びてきた手に包み込まれて止まった。
隣を向く。私より先に洗い終わっていたのに、また濡れるのを厭わず手を伸ばしてくれた構本さんは、妙に透き通ったガラスみたいな笑みだった。
「……家族にも言われたんだけどね。私ってぼんやり生きてきたんだと思う。やりたいこととか、満たされるようなことがなくて。そのときの自分は虚しかったなって、そういう意味だよ」
「そのときの……ですか?」
「今はね、凄く幸せなの。私にとって凄く大切に想う人ができて、その人の隣っていう何より大事な居場所ができたから」
「大切に想う……居場所……」
幸せそうな笑顔を見て、1年前の自分を鏡映したような気持ちになる。この眩しいくらいの輝きは、CRYCHICを居場所に思い始めたとき覚えがあった。
「それだったら、分かります。私も、心から大切に想う居場所に出逢えてから、人生が変わった気がしますから」
「そうだよね! なんか、今が人生で一番幸せって思うときあるよね!」
これは決して大袈裟じゃない。世界が輝いて見えるようになったあの幸福感を、本当にそう思ってしまうんだ。
構本さんもあの、胸が躍って仕方ない感じを抱きしめて生きてるんだと思ったら。勝手に線引きしてるのが馬鹿馬鹿しくなって、気持ちのままに身を乗り出していた。
「ありますあります! 私、去年からずっと人生で一番幸せですから!」
「分かる分かる! わたしもそうだもん! よかったー、そよちゃんなら分かってくれるかなって勇気出してみた甲斐があった!」
「どうしてそう思えたんですか……?」
「だってそよちゃん、みんなと話してるとき良い笑顔してるから。居場所として大事に思ってるんだろうなって、共感してたの。わたしたち、なんだか似てるところあるのかもね」
理想に思う人からそう言ってもらえると、なんだか無条件に自分を肯定できる気がして。
ううん、単純に好ましいと思うこの人から親近感を持ってもらえたのが、嬉しいんだ。
親しくなりたい本音に鍵をしていた理性が緩む。自然、心は彼女へ1歩踏み出していた。
「私も、海さんに凄く親近感湧いてて、仲良くなれてよかったって……あ、そのすいません、急に名前で呼んだりして、馴れ馴れしいですよね……」
「ううん! よかったら名前で呼んで欲しいな! わたしだって名前で呼んでるでしょ?」
「じゃあ……海さん。この後からも、よろしくお願いします♪」
「うん! たくさん楽しもうね!」
私たちはお互い入ったときより一歩分距離を縮めて、お手洗いを後にした。