館内は薄暗いのに、晶と眺めている水槽は明るい光に満ちていて、視界いっぱいに広がるシャチがくっきり見える。非日常な光景と周りに誰もいないシチュエーションは、まるで2人っきりの映画館みたいで。なんだか胸がときめいてしまう。
『もうすぐ閉館時刻です』というアナウンスを聞きながら、わたし達は最後にシャチの水槽を見に来ていた。言い出したのは晶。でもわたしだって大賛成だった。やっぱり、晶と2人っきりで楽しんだ思い出も欲しかったから。晶もそう思って提案したのかな? だとしたら両思いらしくて、最高に幸せだな。……お互いの好きが全く同じものかは、置いといて。
それはともかく。なら2人っきりじゃなかった今までが嫌たったかというと、そんなことは1mmもない。あの子達との出会いはわたしにとって色んな意味で喜ばしいことだから。その内の1つを、晶に話す。
「燈ちゃんに聞いたよ。晶が励ましてくれたって。……わたしが去年、晶の家で言った言葉を使ったんだね」
「燈から聞き出したの? 海の受け売りそのままで恥ずかしいから、知られたくなかったのに……」
弱ったように眉を寄せながら頬を朱に染める私の恋人は、恥ずかしがる顔もやっぱり可愛い。もっと眺めていたいけど、あんまり悠長してられる時間もなさそうだから。
晶の間違いを、指摘する。
「恥ずかしいことじゃないよ、晶。わたし凄く嬉しかった。あの時晶を励ましたくて、晶を想って選んだ言葉が、今でも大切にして貰えてたって分かったから。その言葉を、誰かを助けるために使ってくれたんだよ? こんなに誇らしい事なんてないよ」
晶の両手を取る。わたし達は向かい合った。水槽からの明かりで、晶の綺麗な顔が蒼く幻想的に彩られる。もう、晶しか目に入らなかった。
「晶は前と違って、学校でも寮でも話す人が増えた。自分と似た傷を抱える子を励まして、救ってみせた。もう子どもっぽくて臆病なんかじゃない。晶は、変わったんだよ」
「海……」
「わたし、晶が好き。初めて会ったときよりも、初めて遊びに行ったときよりも、初めてキスしたときよりも。ずっとずっと、晶が大好き。これからも、もっともっと好きになると思う」
「……愛の告白?」
「そうだよー♪」
晶の目が眩しそうに細められる。こういう、優しく解きほぐされた晶の笑顔も大好きだった。なんてね、晶の顔ならわたしはなんだって好きだったや。
晶は、どう思ってるのかな。例え私を恋として求めなくても、好意の大きさが同じだったら嬉しいな。
なんて願っていたら、わたしの手が晶の両手で包まれる。わたしのより少し冷たい、優しい手。
「初めて会った頃は、この人は優しさから無理して一緒にいてくれてるんだと思ってた。だから、その内離れてくんじゃないかって、寂しいのに諦めてた」
手に力が籠められる。晶の熱が、より私に踏み込んでくる。
「でもあの夜の海で、そうじゃないんだって、理屈じゃなくて心で分かった。初めて私に心から向き合ってくれる人ができた。そんな人が、私を好きでいてくれる。こんなに恵まれたこと、人生で1度もなかった」
晶が儚げに微笑む。純粋で、真っすぐな眼差しはわたししか映してない。晶の過去を聞いた身としては、微笑も眼差しも悲しいものに見えてしまう。なのにわたしの心は、砂糖のナイフで切られたみたいに心地よく痺れていた。晶にはわたししかいないのだと、どうしようもなく思い知らされるから。
そこに醜い悦びを一瞬でも覚えた自分が腹立たしい。許せるとしたら、今まで晶が受けてきた心傷を残らず癒し、晶が全てを笑って話せるくらい救うことだけ。
でも、そんなのは贖罪でも何でもなかった。晶の彼女として、彼女を世界一愛する人として、元から当然のように成すつもりだから。
目に決意を込めて晶を映す。その子は、わたしに告白を返してくれた。
「私の方が、海の事大好き。何度も私に手を差し伸べてくれて、助けてくれた海だけが好き。誰よりも優しくて温かい海と、ずっとずっと一緒にいたい」
「晶……」
海の事大好き。海だけが好き。海とずっと一緒にいたい。わたしを強く求める言葉が、身体の芯を火照らせる。清い決心を、燃え上がった情欲が飲み込む。潤んだ瞳で見つめる最愛の人との、特別な繋がりを求めて止まなかった。もう、我慢できない。
晶を視界から外すのも惜しくて、極々一瞬だけサッと周りを見渡し、誰もいないことを確認する。顔を戻したわたしは、晶へ切なさを込めた上目遣いで、手を繋いだまま距離を1歩詰める。いつも全部受け入れてくれる微笑みをした晶も、1歩詰めてくれた。
お互いのつま先が触れ合うくらいの距離で、わたし達は見つめ合う。もう何度も交わしたから、わたしから
わたしは晶の唇に吐息がかかりそうなくらい顔を寄せた。清廉な存在へ祈るような晶の顔を目に焼き付ける。わたしの初恋の女性。晶もきっと、わたしが初めての相手。だから晶にも、わたしと同じくらいキスに幸せを感じて、穏やかに救われて欲しい。
なんて言い訳みたいな願いも、晶の
甘い。初めてキスしたときよりも、ずっとずっと甘美な刺激に溺れそうになる。晶の熱を帯びた柔らかな唇を、もっと深く貪ろうと開きかける口を、辛うじて残っていた理性が抑えつけた。
がっつき過ぎて引かれたくないから。そっと、口づけするだけに留める。それだけでも、十分幸せが流れ込んでくる。けれど体の奥底から湧き上がる衝動は胸から溢れて手先まで巡ってしまった。せめて口以外でもっと繋がろうと、晶の手を
やがて名残りを惜しむように、啄みながら唇を離す。夢が醒めていくような切なさに、思わず晶の手を強く握る。目を開いた晶のとろんとした表情が扇情的で、愛しさと汚れた欲求がない交ぜになる。胸の内はぐちゃぐちゃで、どうにかなってしまいそうだった。
いっそこのまま時が止まってしまえばいい、と思ったとき。晶がクシャッと破顔する。
「……海。人が来たらどうするつもりだったの?」
仕方ないな、というような口調で、表情はニコリと笑っていた。勢いでキスしてしまったけど、本気で嫌がってなさそうで一安心。
だからわたしも、諸々の感情を押し流して、おどけたように笑って返した。
「えー、これでも短めに抑えた方だよー?」
「海はキス、好きだもんね」
「す、好きな人とのキスは誰だって好きだよ!」
「そうだね。私も、海とキスするの好き。抱き合ってるよりあったかくて、幸せだから」
「……もう。そんなこと言われたら、またしたくなっちゃうよ……」
「流石に退館しないとだから。……続きは、その……」
「……また後でなら、いい?」
「……いいよ。海がしたい分だけ」
わたし達は恋人繋ぎしたまま歩き出した。結局碌に見なかったシャチを、CRYCHICのみんなと一緒に見たたくさんの生き物を、思えばハチャメチャな一日のきっかけになったペンギンたちを置き去りにして。
晶と並んで出口のゲートを越していく。いつか振り返って懐かしむだけの、青い思い出から遠ざかるように。
それでも、これからもずっとずっと2人で、隣り合って生きていけますようにと祈りながら。
わたし達は、夕陽によって茜色に染まった世界へと踏み出していった。
*後書き*
キスシーンを書いてみて思った。碌な恋愛経験ないやつにキスは書けない。という気づきが辛い。もう恋愛シーン描きたくなくなる。
とはいっても、今回もまた良き勉強となった。残り3イベントと立希誕の4編、なんとか書ききろう。