霞が関から地下鉄に乗って10分ほどで渋谷駅に着く。駅周辺の繁華街から東に歩いて5分、寂れた袋小路の雑居ビル1階に、その店はあった。
ラーメンはなまる。一番暑い時期に、響子さんはどうして熱々なラーメン店を『夏にぴったり』と勧めたんだろう。
そんな疑問を抱きながら、お店の引き戸を開け暖簾をくぐる。店内の狭さに足が止まった。床面積は半分くらい厨房だし、カウンター席は5つきり。しかも既に中年男性2人がラーメンをすすっていた。
どうしようかと迷っていると、厨房から灰色のタンクトップを着たポニーテールの女性が声をかけてきた。
「いらっしゃい。5名様? ――なぁ、悪いんだけどさ」
後半はカウンター席のお客さんへ身を寄せて話していた。私は女性として目を疑う。遠目からでも分かる豊胸が、白いサラシを巻きつけてるだけに見えたから。
「いいよマスター。せっかくの若い女性客、大事にしなって」
「女子高生くらいか? そんなのヒロが釣ってこないとまず来ないもんな」
「なんだとッ」
見た目からして男勝りな女性は、20代中盤に見えるけど店主だったらしい。その人が目を吊り上げて包丁を振り上げる(!)と、おじさんたちは丼を持ってスタコラ店の奥から外に出て行った。私は気になって玄関から外を覗くと、お店のビルと隣のビルの間で、ひっくり返したビールケースに座って食べているのだ。え、私の知ってる飲食店文化にそんなのないんだけど? というか申し訳ない……。
「気にしないで、あの人達常連で慣れてるから!」
厨房から出てきて明るく声をかけてきたのは、エプロンつけた高校生くらいの女の子。栗色のショートカットな彼女に促されるまま、私たちはおずおずと席についた。
そこに、タンクトップ店主さんがカウンターの向こうから威圧顔で迫ってくる。
「んで? ホントにヒロのやつに釣られたのか?」
燈「ヒッ……」
下手なこと言ったらスープの材料にされそうな殺気で、心拍数が急上昇する。
立希「ヒ、ヒロなんて人知りませんよ!」
「そ、そうか。悪い……」
「もー、ミンさん! せっかく女の子の団体新規客なんだから、怖い顔しちゃダメ!」
ミンさん「うるせぇ、顔は元々だ。それより彩夏、さっきのヤツらに餃子持ってけ」
そよ「ち、ちなみに私たちはフェケテリコの響子さんからご紹介頂きまして~……」
睦「……夏にぴったりという文句で勧められました」
ミンさん「あぁ、あの人か。ちゃんとサービスするからまずラーメン注文しな。ウチはラーメン屋だ」
祥子「それは存じてますが……なにぶん、こういうお店は初めてでして……」
箱入りお嬢様のさきちゃんやむつみちゃんだけでなく、私やともりちゃんもだった。するとミンさんが「じゃあわたしのおすすめ作る」と、勝手に注文が決まった。怒涛の流れに、4人でおずおずと顔を伺い合うことしかできなかった。
たきちゃんが「私は最近、宇田川先輩がバイトしてるラーメン屋行ってる」なんて話題提起してくれたので、ラーメン店独自の注文文化について聞いたりしながら待っていると。やがてテーブルに湯気を立ち上らせる丼が置かれる。
ハンカチで汗を拭いながら醤油ラーメンをすする。うん、結構イケるかも。琥珀色に澄んだスープから期待してたけど、出汁の旨味がありながらもすっきりした味わい。秋以降なら尚染みただろうな。
祥子「
ミンさん「よく分かんないけど失礼なお嬢様だな」
そよ「すみません、その子まだ庶民文化に慣れ切ってないお嬢様なので……」
立希「祥子の言い方はアレですけど、本当においしいです」
燈「あっさり食べやすくて、よかった……」
睦「……そういえば、サービスとか言ってましたけど」
ミンさん「あぁ、よかったらアイス食べる? 今日は初回サービスで食べたい味出してあげる」
響子さんが言ってたのはこういうことか。私たちは本当に望んでいた食べ物に、怪訝顔のたきちゃんを除いて表情が華やぐ。
祥子「なんと! ラーメン屋というのはアイスも出すのですね!」
立希「んなわけないでしょ、そんな非常識な店聞いたことな……」
ミンさん「そうかそうか。アンタには特別にスープん中放り込んでやる」
立希「な~かったけど悪くはないかも! いい店だなぁ!」
彩夏「期待していいよ、ミンさんアイスの腕はプロ級だから!」
ミンさん「彩夏ぁ、アイス『も』、だよなぁ?」
笑い顔のミンさんに頭をグリグリされて平謝りする彩夏さん。仲の良い姉妹みたいなやりとりに、私はさっきの気やすい常連を思い出す。この店が親しまれるのはラーメンやアイス以上に、2人が作るアットホーム感が大きい気がした。
ほっこりしながら、カップに入ったバニラアイスをスプーンですくう。火照りきって喉も乾いてた身体を、ほどよく甘い氷菓が潤していく。彩夏さんの言った通り格別な美味しさに舌鼓をうっていると、その彼女が厨房から話しかけてくる。
彩夏「年の近い女の子たちが来てくれると、やっぱり嬉しいな。よかったらまた食べに来てね!」
祥子「えぇ。こんなに美味なアイスが食べられるなら、是非来たいですわ」
睦「……流石響子さん、絶品アイスを出す隠れた名店を教えてくれた」
燈「アイスだけ、食べたい……」
ミンさん「ウチはラーメン屋だ!」
立希「わぁあちょっと! おたま振り上げるのやめてください! 暴力反対!」
そよ「え~っと~……そうだ、ヒロっていう人もここの店員さんなんですか?」
荒ぶるミンさんを鎮めるため、咄嗟に話題を逸らした。けどその名を出したときの彼女は不機嫌だったし、失言だったかも。
でもミンさんは、ぶすっとはしてるけど怒気の抜けた表情になったので、ほっとする。
ミンさん「彩夏みたいに正式なバイトでもないけどな。アンタたちのために言っておくと、会わない方が身のためだぞ」
彩夏「う~ん。あたしも会っていきなり恋人だったって嘘つかれたっけ」
いやどういうジョークなの? どんな場面でどんな条件でもウケないでしょ。
ミンさん「この店は関わらない方がいい奴らのたまり場になってるんだよ。その穀潰しは増える一方だし」
彩夏「その内ニートで溢れちゃうかも」
ミンさん「ここはニート栽培所じゃねぇんだぞ」
ニート。またそのワードが出てきて、私たちは思わず顔を見合わせる。そんな私たちにミンさんが気づいた。
ミンさん「なんだアンタら。心当たりでもあるの?」
そよ「えっと、今日少佐っていう、ニートを自称する大学生を見かけて……」
ミンさん「あぁ、そいつもここにたむろする社会のダニだ」
とてつもなく辛辣だった。技術力はあるのに働く気が無いって公言してるだけなのに。……社会人としては終わってるか。
まぁ、このお店の(慣れれば)アットホームな雰囲気を居心地よく思うことだけは、共感できるんだけどね。
祥子「その方と親し気な藤島さんとはご挨拶しました。あの方は高校生を自称してましたが」
彩夏「えーっ! 藤島くんとも会ったの?」
目を大きく見開いてすっとんきょうな声を出す彩夏さん。かと思ったら眉尻下がった複雑そうな苦笑いで「相変わらずだなぁ」なんてぼやく。少佐って人にはしなかった、特別そうな反応。
ミンさん「そいつもニート候補の筆頭だ。やっぱりろくなやつじゃない」
そよ「えーっと、どういう意味で……?」
関わりたくないけどそうもいかなそうだし、せめて気を付けるべきポイントを押さえておこう。
ミンさん「色々あるけど」色々あるんだ……。「例えば今の彩夏がいい例だ。関わる女みんなコマしてる。無自覚だから余計
彩夏「あ、あたしはそんなんじゃないですよっ!」
両手をバタバタ振って否定する彩夏さん。こますという言葉は聞き馴染みないけど、どうやら藤島さんのことが好きらしい。とても共感できなかった。
白ける私と違い、お顔が真っ赤な彩夏さんは勝手口へ逃げていく。厨房から勝手口に繋がる廊下の手前でこちらへ向き直った。
彩夏「ミンさんの言う通りだから! 藤島くんなんていっつもボーっとしてるくせにしょっちゅう危ないことに首突っ込んで痛い目にあって、こっちがどれだけ心配してるかなんてちーっとも考えない鈍感馬鹿だから、関わらない方がいいよっ!」
ナルミ「僕がなんだって?」
彩夏「ふっ藤島くん!? 急にガールズトークに入ってこないでよ!」
ナルミ「いやここ店の中だろ」
冷静に突っ込む藤島さんは、いきなりお店奥の勝手口側から店に入って来た。今更だけど、みんな勝手知ったる家族みたいに出入りするの、何かすごい。
なんてこと考えてる場合でもなかったらしい。彩夏さんからのポコポコハンマーを腕でガードする藤島さんが、こちらに話しかけてきた。奥歯に何か挟まってるような、難しい顔で。
ナルミ「さっきぶり。急で申し訳ないんだけど、ちょっとついてきて欲しい」
祥子「何か、ライブのことで御用でしょうか?」
ナルミ「うん。ライブはライブなんだけど、ここで話せることじゃないから……」
ミンさん「おいナルミ、ライブってまさか壮の? 上に連れてくのか」
ナルミ「はい」
ミンさん「フェケテリコの紹介ってそういうことかよ……あんたら、確かCRYCHIC、だったか?」
そよ「は、はい……」
なんでバンド名を知ってたの? 今の会話から何を察したの? 上ってどこ? 不穏な流れが、野音で聞いた藤島さんの危ない噂を思い出させて、嫌な予感に拍車をかける。
でも。
ミンさん「ナルミ、わたしの部屋から毛布持って行きな。アンタら悪いけど、ナルミについていって」
店主にこう言われてしまっては、訳が分からないながらも従うしかなかった。