『……ハッカー?』
『ハッカーじゃない。ニート探偵だよ』
勝手口を出て左に、ラーメン屋が入ってるビルの非常階段があった。藤島さんが何も言わずに上っていくので、私たちも不安げな顔を見合わせながらついていく。3階で共用廊下を通り、辿り着いた先は308号室。ドアに看板が打ち付けてあった。
燈「『NEET探偵事務所』……?」
立希「何ここ?」
藤島さんは疑問に答えずインターフォンを押して、「アリス、連れて来たよ」と言う。インターフォンの青いランプが点滅して、彼が玄関を開ける。
ナルミ「あ、1つだけ。アリスにあんまり詮索しないでやって。嫌がるから」
それだけ言い残して、持っていた毛布を私たちに押し付けてから中へスタスタ消えていった。いや言う事絶対他にあるでしょ。アリスって誰? この暑い時期になんで毛布?
色々意味不明だし、非常に入りたくなかった。でもあの人はライブ運営の中核を担う人、無視して逃げるわけにもいかない。さきちゃんを先頭にして、おそるおそる玄関の中へ踏み入る。
季節が真夏から真冬に変わったのかと思った。それが奥の部屋から流れてくる冷房のせいだと気づく。汗が急速に冷えていく寒気で毛布に納得し、羽織りながら細長いワンルームの廊下を進む。このまま何事もなく謎が解けることを祈って。
残念ながら謎は減るどころか星の数ほど増えることになる。夜空みたいに暗い部屋につくと、そこは3方の壁一面をPC機器や液晶画面が埋め尽くしていた。照明はつけずに、ディスプレイの光だけがその代わりになっている。何故かは見当もつかないけど。
いや。それらがどうでもよくなるほど目を惹きつける存在が、部屋の中央に鎮座していた。ベットの上でぬいぐるみの山に囲まれた、クマさん柄なパジャマ姿の日本人少女。この子がアリスだとすぐ分かった。ベッドに川をつくるほど長い黒髪、むつみちゃんすら比べ物にならない白い肌、そして小学生くらい小柄で童顔なのにどこか大人びた雰囲気。現実離れした可憐さで言えば、天使みたい。
そんな子を前にして、この部屋の有様も何しに来たのかも、私の頭からすっ飛んでいた。思考を埋め尽くしているのは、着せ替え人形にしか見えないこの子を撫でまわしたいという衝動だけだった。
気づいた時にはベットに上がり込み、可愛すぎる日本人形に後ろから抱きついていた。他2人と一緒に。
そよ「か、かわ、可愛いっ! え、この子がアリスちゃん? だよね、年はいくつ? パジャマ可愛いね、クマさんが好きなのかなぁ」
祥子「な、なんということでしょう……。お母様が大事になさってるビスクドールが黒髪になって大きくなったようですわ! テイクアウトはできないのでしょうか?」
睦「……私も人形みたいって散々言われたけど。この子には負ける」
アリス「ま、待ちたまえっ、抱きかかえて頭を撫でるな、肌をさするな、ぼくを人形扱いして持ち帰ろうとするなっ!」
あ、やっぱり声も幼くて可愛い。なんというか、全体的にむつみちゃんに似てるな。むつみちゃんを黒の超ロングヘアーにして小学5年生まで巻き戻したらほぼアリスちゃんになりそう。でもプリプリ怒っちゃってるとこ見るとむつみちゃんより感情が顔に出るなぁ。子どもらしいところも増々保護欲を刺激されちゃう。
ただの可愛い子どもにしか見えなかった。だから、再び彼女が口を開いてから、私たちは過度な冷房のせいではなく凍り付くことになる。
アリス「だっ大体っ、ぼくはきみのように、芸能業界に都合良く扱われるお人形じゃないぞ、若葉睦っ」
睦「……え?」
祥子「む、睦のことを御存じで?」
アリス「きみのこともだ、豊川祥子。まったく、天下の豊川グループのご令嬢がこんなはしたない真似をするなんてね。会長の定治氏はさぞ嘆かれるだろう」
そよ「ど、どうしてさきちゃんの家や、お
アリス「2人は少し調べたら誰でも分かりそうなものだが。長崎そよ、きみのことだって、
私は空恐ろしくなって、「下がりたまえ」という静かな声に従ってしまう。なんで私の
アリス「このビルには監視カメラをつけてるんだ。タイミングも重なってね、きみたちがラーメン屋に入ってから調べたんだ」
さきちゃんむつみちゃんと一緒にベッドから離れて、奥に並ぶ画面を見まわす。その中に、ラーメン屋の外を映してるものを見つけた。色んな何故がまだ私の中で渦巻いてるけど、もう何から聞けばいいか分からなくて、喉で疑問が渋滞してしまう。
アリス「まぁ、ついでにつまらない血縁関係まで掘り出してしまったのはご愛敬だが……」
祥子「な、なんのことです?」
アリス「なに、よくある些事さ。きみが気にするほどのことでもない。それより、こちらで怖い顔している男から話があるらしいよ」
ずっとずっと後。さきちゃんのお
雛村壮一郎と名乗る、20歳くらいなその男性は、部屋の隅っこで電子機器にもたれかかっていた。ベット脇まで寄ってきたことで、ディスプレイの光が研ぎ澄ました風貌を明らかにする。昼間噂されていたやくざらしい集団、平坂組の組長さん? なこと。そしてなんと、フェケテリコのプロモを請け負っていて、去年から連続ライブをコーディネートしてると明かしてきた。
つまり。脱色したような灰色の髪で相手を射殺さんばかりの鋭い目つきに、タンクトップでむき出しになった肩には揚羽蝶の入れ墨があっても。この人は今回のライブ運営における実質的なトップなのだ。
そんなことよりも私は、飢えた狼みたいな眼光が怖くてビビっていた。許されるなら他のことで気を紛らわせていたい。
例えば。『この部屋、スケッチしたい、んですけど。書くものないから、貸してください……』と言い出して、『この部屋の魅力を描きたいとは、実にいいセンスをしているね。ナルミ、紙とペンを』と快く提供してもらい、妙にどっしりしたペンでカキカキし始めた不思議ちゃんみたいに。
そんな一幕に雛村さんはため息ついて、私たちに向き直った。どうやら放っておく、というより見捨てたらしい。そのまま本題に入ってくる。
「今回のライブ。辞退した方がいい」
立希「……は?」
そよ「た、たきちゃん!」
思わず漏れ出たような喧嘩腰の反応を、私は反射的に遮る。お願いだから明らかにヤバい人の不興を買う真似はやめて。胃がキリキリする……。
祥子「どういうことでしょう? 雛村さん、納得のいく説明を求めます」
「……去年のライブ、裏でやくざに絡まれてたんだ。元々プロモ引き受けてた連中だ」
睦「……そんな噂、ネットにもなかった。ライブの揉め事というより、雛村さんたちバックどうしの諍い、ですか?」
「…………あぁ」
どんどん顔が苦み走って声も噛み殺すように低くなる。いつかキレて殺されるんじゃないかってビクビクしてしまう。
そこに、助け船(?)が出される。
アリス「彼が不機嫌なのは、嫌いな名字で連呼されてるからなんだ。だから四代目と呼んであげるといい」
四代目「アリスてめぇ!」
アリス「部屋の主として場所を提供してあげているぼくに、何か不満でもあるのかい? 四代目」
文字通り、灰色の狼がベットの方へ牙をむく。すくみ上る私たちと違って、アリスちゃんは微笑ましいものを見るようにニッコリしている。そんな彼女に、舌打ちだけわざとらしく漏らして彼はすごすごこちらに向き直る。それで薄々察した。中身は見た目ほど粗暴じゃないかもしれない、と。
そして、しれっとアリスちゃんがこの部屋に住んでいることが確定してしまった。遊びに来てる子どもの方が色んな意味でマシだったのに。
燈「えっと、四代目、さん。去年やくざさんと揉めたことが、どう私たちに繋がるん、ですか?」
ともりちゃん、お絵描きしながら話聞いてたんだ。しかもあだ名で呼ぶし。無垢って怖い。
四代目「……………………その揉めた組が、今年もちょっかいかけてきてる。キナ臭い状況で、未成年の女が関わるべきじゃねぇ」
そよ「なる、ほど……」
なんとなく理解してきた。危ない要素から私たちを遠ざけようとしてること。ふざけたあだ名で呼ばれても怒りをぶつけてこなかったことも合わせると、見た目も立場も怖いのに中身は人情溢れる人だということも。
怖れがなくなったら説明不足の不満に目がつくようになる。それをさきちゃんが解消しにかかってくれた。
祥子「そのちょっかいというのは、例えばどのようなものでしょう?」
四代目「ライブハウスのゴミ箱荒したり、スタッフにいちゃもんつけたり……小火だって起こされた」
祥子「どの程度の規模で、原因はなんでしょう」
四代目「……配電盤の故障が起因して、煙が上がった程度だ」
なんというか、肩透かしをくらった気分だった。反社会組織の仕業としてはどれもしょうもない、学生のいたずらレベル。下手したら昨今のバイトテロの方が酷いくらいだよ。
立希「そんなんでライブ辞退しろって? 小学生じゃないんですけど」
そよ「お気遣いは有難いのですが。やくざが絡んでることさえ分かっていれば、危険に近づかないよう自己管理できます」
睦「……高校生ですので」
燈「あの、私たち、配信のお手伝いも、任された、ので……」
祥子「申し訳ありませんが、辞退しかねます。その程度で投げ出しては、託してくださった響子さんに顔向けできませんわ」
ナルミ「四代目、やっぱりちゃんと言わないと……」
四代目「うるせぇ。ならお前が言え」
私たちをよそに男性2人で言い合い始めたとき、スマホの着信音が部屋に響く。素早く四代目さんがポケットから抜き取って耳に当てる。
四代目「俺だ。……分かった、すぐ戻る。そのまま抑えとけ。――園芸部、組の事務所に行くぞ」
ナルミ「何か収穫……いえ、行きましょう」
アリス「待ちたまえ、リッリルウを忘れていくつもりじゃないだろうね!」
四代目「あー分かってる、こんなとこで言うんじゃねぇ! 園芸部、運べ」
藤島さんが四代目さんの傍に置いてあった箱を両手で抱える。こっちとしては辞退拒否を示したけど、それで話が終わったことにしていいのかな。
アリス「そーっと運ぶんだぞ。あっこらナルミ、ぼくの友を乱暴に揺らすんじゃない!」
四代目「急げ。モタモタしてっと歩いて事務所まで運ばせるぞ」
ナルミ「正反対なこと言って僕をイジめるのはやめてくれませんかね!」
納得しかないけど、この中で一番立場が弱いのは藤島さんらしい。そしていい加減箱の中身が気になるけど、流石に訊く度胸まではなかった。ズンズン廊下を突き進む組長さんの機嫌を損ねそうだから。
ヨチヨチ歩きで一生懸命急いでる姿を眺めていると、開け放たれた玄関から声が飛んでくる。
四代目「おい。辞退ならどれだけ直前になっても受け付ける。よく考えとけ」
厳しくも真剣な目がドアで阻まれる。厄介事を処理したい、というよりは……。
アリス「四代目は相変わらず優しい男だね。妹のことも、なんだかんだ甘やかしそうだ」
くくっと笑い声が漏れる方へ、私たちは向き直る。ひとまず話とやらは終わった。でもこのまま帰れるわけもない。
目の前にいる、謎が密集してできたような少女を放って帰るのはとても難しかったから。