『憐れむくらいなら、ほっといてほしいんだ。どうしてニートになったかなんて、訊くまでもない。そんなの——』
さて。目の前の、小学生にしか見えないのに小学生らしからぬ言動ばかりな女の子へ、何を尋ねたら少しでもスッキリするだろうか。そんなことを考えてる間にインターフォンが鳴り、彩夏さんが「ラーメン持ってきたよ」と、入ってくる。アリスちゃんはベットの傍にあった可動式のテーブルを引っ張り寄せて、そこに丼とジュースらしき赤い缶が乗せられた。ベットの上で食べるなんて病院の食事みたい。
彩夏「ごめん、お店忙しいからあたし戻るね! アリスが食べ終わったら食器持って来てくれる?」
そう私たちに言い残してさっさと出て行ってしまった。いや食べ終わったらって。丼にはラーメンのスープと白髪ねぎしかないよ? 何かの罰? でも本人は嫌そうな顔してないからいつも通りそう。
だとしても、小学生の食事としては到底見過ごせなかった。
そよ「もしかして、いつもそんな食生活なの? 身体壊しちゃうよ?」
祥子「というか大きくなれませんわ。もっとたくさん食べて栄養をつけないと……」
アリス「余計なお世話だ。ぼくにはドクターペッパーという完全栄養飲料があるのだよ」
立希「ドクターペッパーって、確か……」
睦「……アメリカの炭酸飲料。その赤い缶ジュース」
そよ「もう。そんな偏食じゃ、親御さんにも叱られるでしょ?」
アリス「親と名乗る存在には9年会っていない」
会話が断絶され、電子機器が駆動する音だけがワンルームに響いた。詮索しないでって、こういうことか。
極寒に沈む空気を入れ替えたい私は、割り箸を折ろうと奮闘するアリスちゃんに声をかける。非力過ぎて『人』の形から一向に割れないのだ。
そよ「え、えっと……割ってあげようか?」
アリス「きみもか。きみも翼の弱い雛鳥を空に放り投げて飛ぶのを手伝ってあげたと悦に浸るタイプか。結構だ。翼が折れようとアスファルトに叩きつけられようと、ぼくは自身の選択によるものなら受け入れられる」
断るだけでここまで嫌味を凝れるなんて。そういうコンテストがあったら優勝するだろうな、この子。
そして案の定、割り箸は根本の方でひん曲がった。片脚が折れたような歪さに、「うぅ……」と涙目な女児はネギを掬って食べ始める。たきちゃんが聞こえよがしにため息つく。
立希「そんなんじゃ小学校でもまともに過ごせないでしょ。給食とか体育とかどうしてんの?」
アリス「小学校には通ったことがない」
睦「……いくらなんでも嘘。義務教育だよ」
アリス「その義務を享受できる立場にいなかったからね。教育機関というものに縁のない人生だったよ」
嘘だと思いたかった。でもここまでのあらゆる要素が説得力となっているから、眩暈を覚えながらも受け入れざる得ない。常識が通用しなさ過ぎて、宇宙人と話してるみたいだった。
そよ「じゃ……じゃあ、どうやって生きてきたっていうの?」
その答えは、アリスちゃんの開きかけた口ではなく、私の隣で体育座りしてる子から差し込まれた。
燈「ニート、探偵……」
立希「あ、あぁ。玄関にあったね、そんなの」
燈「ずっと、気になってた。アリスちゃんは、探偵さん? にーとさん?」
アリス「その両方だ」
アリスちゃんは欠けた箸を丼に置いて、目を真っすぐこちらに向ける。薄暗い部屋の中、壁を埋め尽くすディスプレイから青白い逆光を受けて、ぬいぐるみの城壁を背負う彼女は凛然と宣う。
アリス「改めて名乗ろう。ぼくはニート探偵。部屋から一歩も出ずに、世界中に電子の窓を開き、墓の中に埋もれた真実を暴き出す。死者の代弁者だ」
ハッキングという、ネットを通じて機密情報を盗む違法行為がある。つまりこのパジャマ女児は、そうやって私たちのあれこれを覗き見たのだ。見た目もやり方も胡乱過ぎるけど、四代目さんがやくざ絡みの話に同席させていたことから、『探偵』として認められているのは確からしい。引きこもり『ニート』なのはよく分かった。初耳であるニート探偵はなんとか飲み込む。
今の口上で残る謎は最後の造語らしきものだけど、これ以上は何も喉を通る気がしなかった。チラッとたきちゃんを真面目な目で見る。向こうも疲れた顔で小さく首を振った。
こういうとき頼りになる、というか有難い存在がいる。心のままに口を開く不思議系少女のおかげで、無反応にならずに済んだ。
燈「代弁者……アリスちゃんも、なんだ」
アリス「も、とは?」
燈「私は、CRYCHICの、代弁者。最近、そう言ってもらえた」
アリス「あぁ。きみは控えめな見た目に反してバンドのボーカルだったね。作詞も担当しているのかな。代弁者を自称する人間と会うのは、ぼくも初めてだよ」
揶揄が入ったことにたきちゃんが目くじらをたて、彼女を隣のさきちゃんむつみちゃんが手を添えて抑えていた。ぶつけても倍で返されるのが目に見えてるからね。
燈「アリスちゃんは、どうして死者の代弁をするの? どうしてニート探偵になったの?」
そう訊ねるともりちゃんはアリスちゃんを見てなかった。折り畳んだ脚を下敷きにしてスケッチしながら、なんとなく口にしてるみたい。
その、訊いてる側としては無神経にも思える無関心さに。自称ニート探偵は機嫌を損ねた様子もなく、目を大きく開いてともりちゃんを見つめていた。
アリス「驚いた。その類の質問を、塵1つ分の憐れみもなく投げかけてくるとはね。きみは……そうやって、踏み込まずに踏み込むのか」
矛盾したようなことを言い、1人納得したようにうなずいてるけど。私たちは置いてけぼりで顔を見合わせるだけだった。というかともりちゃんですらきょとんとするのは何かおかしくない? いや、もうおかしいことだらけで何がおかしくないのかもわからなくなりそう。
アリス「そう訊かれたらね、ぼくに返せる答えは1つしかないんだ。神様のメモ帳の、ぼくのページにこう書いてあったからさ。『働いたら負け』、とね」
探偵というより、ニートになった理由を答えてるみたいだった。悪戯っぽく笑う、見た目相応な様子を見るに、適当なこと言って煙に巻こうとしてるんだと思うけど。
そんな風に腹の中を探る私と違って、純粋少女の返答は眩しいくらい透き通っていた。皮肉を吐かないと死んでしまうような子の濁りを浄化してしまうくらい。
燈「そうなんだ。アリスちゃんは、神様のメモ帳を見たことがあるんだね。私も、見てみたい……」
アリス「むっ、むっ?」目を白黒させる女児。
立希「燈、『そうくるとは思わなかった』みたいに戸惑ってるから。その辺にしてあげて」
そよ「ごめんね、ともりちゃんは人を疑わないというか、冗談が通じないところがあるから……」
睦「……揶揄われた側が気遣うのはどうかと思う」
祥子「どうやらアリスさんにとって燈は天敵のようですわね」
アリス「ふん……まぁいい、トモリが満足するまではきみたちもここにいたまえ」
それから私たちは、サイバーでファンシーな部屋にパジャマの日本人形が正座しているという異文化混同ファンタジー絵が出来上がるのを見守っていた。日本人形がベットの上でメモ帳に書き込もうとしているところで満足したらしく、「えっと、帰る?」なんてセリフに4人で同意する。
最後尾の私は部屋から廊下に出る直前、ちらっと振り返った。食べ終わりドクターペッパーを飲んで以来、ずっと無言でパソコンに繋いだキーボードを高速で打ち続けているアリスちゃん。どうなったら小学生の身で親も学校も切り捨てて、ハッカーの真似事で探偵する人生になるんだろう。
まぁ、普通から何次元も離れた世界に生きる彼女を案じても仕方ないか。もう会うこともないはずだし。
そう割り切った私は、小さな探偵の事務所を後にした。
非常階段を降りてラーメン屋に空の丼を返しがてら挨拶して店を出る。「おっ、ナルミいないのに食べきるなんて珍しい。またお前らに頼もうかな」なんて言われたけど、ニートの巣窟店へ来る予定は現在ございません。
外はすっかり暗くなっていて、サウナみたいな蒸し暑さに夏だったことを思い出す。改めて非常識な空間にいたんだと実感しながら渋谷駅へ歩き出した。
睦「……そういえば。アリスって本名なのかな」
立希「微妙。キラキラネームで普通にありそうだし」
そよ「みんなそう呼んでるから、深く考えなかったな」
祥子「不思議の国の少女という印象にもふさわしくて、違和感がないのもあったかと」
燈「うん。分からないことだらけだけど、それがアリスちゃんなのかな、って思った」
一番話が通じてそうなともりちゃんが言うと、説得力ある。
燈「私も、そう思われてたのかな」
立希「へっ?」
燈「『みんな』にとって、私はそういう風に、見えてたのかな。だから、一緒にいても独りみたいで」
そよ「……ともりちゃんはあの子みたいに嫌な言い方しないよ?」
燈「でも私、アリスちゃんのこと、他人事って思えなくて。みんなと出逢ってなかったら、あの頃のままな私は、いつか引きこもってたかも、って……」
なんて哀しい影響を受けているんだろう。しょげるともりちゃんの頭を、「そんなことないよ」って撫でる。
しょんもりした空気を晴らしたのは、太陽みたいな笑顔だった。
祥子「なら
睦「……祥にかかれば、出逢わないっていう運命は巡らないらしい」
祥子「そうメモしていますもの」
そよ「素敵な神様だね♪」
燈「……うん。ありがとう、祥ちゃん」
立希「こんなのが神だったら世も末だよ」
祥子「立希だけは引きこもっても助けませんわ!」
立希「余計なお世話だよ!」
ギャーギャー罵り合う2人が落ち着いたところで、話題をニートたちに戻した。少佐やアリスちゃんの尖った技術力は時間が有り余ってる故だとか、じゃあ藤島さんはどんな禄でもない能力を持ってるんだろう、とか。それこそ時間の無駄な会話をしていたらあっという間に渋谷駅に着く。電車に乗ってそれぞれの帰路についた。
私たちがそんな話をしていたのは、仕事抜きで今後も関わる予感が漠然とあったからだと思う。少なくとも私の頭には、やくざのしょうもない嫌がらせと、特異な能力を持つ暇を持て余した人たちと、ひきこもり探偵という要素が夏の大三角形みたいに散らばっていたのだった。