『なんでやろな。今は、そいつのこと、ズタボロにせんといけん羽目や。なんでやろ、なんで俺、こんな……』
怒鳴り声が裏路地に響く。やくざ2人がサングラス男に殴りかかった。危ない、と思う間もなかった。
鈍い音が2連続くと、襲った側の男たちがゆっくり横に傾き始める。アスファルトにドササッと倒れ伏し、そのまま動かない2人に、残りの2人も私たち同様硬直する。
私は信じられない思いで、今の一瞬を頭に再生する。サングラス男の脚が高速で2度、男たちの頭辺りに閃いたみたいだった。
蹴った、ってこと? 一撃で沈ませるほどの威力を、2人同時に相手しながら?
「テ、テメェ!」「ぶっ殺すぞッ!」明らかに怯んだ顔で残り二人も立ち向かっていく。今度は甲高い弾き音がして、跪くのはやっぱりやくざたち。手を抑えて苦悶の表情を浮かべていた。
それを見下しながら、その人はサングラスを額にずり上げる。露になった眼光は、飢えた獣のようにギラついていた。最近どこかで感じた悪寒が背筋を這う。
「くたばってるやつ連れて失せろや。それともまだやるんか」
大の大人たちが大慌てで倒れてる人を抱える。
そのまま逃げ去るかと思ったら、数メートル先で1人がバッとサングラス男へ振り返った。
「思い出した……あいつ、平坂だ」
「おい、このシマでその名前が出てくるってことは……!」
「クソッ、去年藤島に東京から追い出されたんじゃねぇのかよ!」
捨て台詞を吐いて、こちらに逃げてくるやくざたち。「なんで俺があいつに追い出されたことになってんねん」なんてぼやきを耳にしながら、私はみんなと一緒に背中を壁に貼り付けて気配を消しながら、頭の中で素早く情報を整理する。
(平坂……この街で……去年藤島に追い出された……去年戻って来て四代目さんとやり合ったのも、『平坂』さん……)
君子危うきに近寄らず。触らぬ平坂に祟りなし。
ドタドタと遠ざかっていく足音とは反対方向へ向き直り、ダッシュの準備をしながら小声で呼びかける。
そよ「私たちも逃げるよ」
祥子「分からなくはないですが、はなまるを襲おうとする計画について訊くべきでは?」
立希「このまま見て見ぬふりするのは確かに後味悪いよ。けどさ……」
睦「……あの人が敵か味方か、絶妙に判断しきれない」
燈「あの……平坂さん、ですか?」
最後の声だけ遠くから聞こえた。4人で同時に「ん?」と疑問声をあげ、キョロキョロ見回し、まさかと思いバッとサングラス男の方を覗き込むまで、動きがピッタリシンクロしていた。
関わるべきか慎重に相談してたのに、ともりちゃんは単独で近づいていたのだ!
今度は私たちが大慌てになって、彼女の元へ急行する。サングラスをかけなおした男性は改めて近くで見ると若かった。20歳ぐらいで、海老色のTシャツを着ていて、その右肩にはショルダーバックをかけている。どこか違和感のある関西弁でヘラヘラ緩いところもあるけど、暴力に躊躇いのない人間……。
でもともりちゃんの声は、さっきの喧嘩なんて忘れちゃってるんじゃないかと思うくらい、のほほんとしていた。
燈「平坂組の、平坂さん、かなって……」
「それ、この辺で任侠ぶってる不良チームやろ? そんな時代遅れに関わってるなんて思われたくもないわ。てかお前こそ誰や」
燈「私は……」
そよ「いえいえ名乗るほどの者でもないのでーほら失礼するよ」
祥子「待ちなさいそよ、やはりはなまるのことを放っておくわけには……」
「なんやお前ら。ラーメン屋のはなまる知っとんのか」
立希「まぁ、一応……」
睦「……はなまる襲う計画、とか聞こえました」
「ほか。知っとるなら渡りに船や。頼みたいことがあんねん」
燈「頼み、ですか?」
サングラスさんは強烈に苦い食べ物の味を思い出したような表情をしていて、強引に話を切りづらくなる。
こうなってしまったからにはもう仕方ない。さきちゃんの「なんでしょう」という対応に、私も従う。
「そのラーメン屋と同じビルに探偵がおるのは知っとるか?」
燈「アリス、ちゃん?」
「あぁ、そんな名前やったな」
非常識だけで構成され、皮肉ばかり製造する少女が思い浮かぶ。知り合いたくはなかった、というのが本音。
「そいつに、はなまる襲おうとしてる輩がおるって伝えてほしいねん」
立希「自分で伝えればいいでしょ」そうだそうだ!
「俺そいつのこと苦手なんや」奇遇ですね。「な、な? 頼むて、伝えるだけでいいんや」
睦「……普通警察に通報する事案では?」それもそう。
「警察沙汰なると店も迷惑やろ。まずは探偵頼るのが無難ちゃうか?」急にまともなこと言わないでよ。
祥子「商売にも影響しそうですしね。いいでしょう、私達も案じておりましたので、お引き受けしますわ」
「おおきに、助かるわ~!」
サングラス男性は肩を下ろして声の調子を浮ついたものに戻す。対して私は苦い愛想笑いを返した。貧乏くじ押し付けられた気分。
「にしても、1年ぶりに戻ってきて早々厄介毎に巻き込まれるなんてな。……あのアホにも関わらんって、清々しとったのに」
燈「あの、アホ?」
「あー、なんでもあらへん」燈「……」「俺の悪運も尽きてもーたって話や」
祥子「どちらかというと悪運に見舞われた、が正しいのではなくて?」
「どっちでもえぇねん。今年はクソッタレな事情もなくライブ楽しめるーて期待してたんや、台無しやで」
立希「ライブ観に来たんですか」
「せや。去年この時期に5日連続でライブがあってな。今年もやる聞いて、気まぐれにチケット申しこんだら当たってもうた。やからついでに大阪から逃げてきてん」
私の推測通り去年の事件に関わってるのだとしたら、どういう神経してるんだろう。
でも口調や頬は自然に緩んでいて、嘘や悪意を感じない。聞いた以上に奥深い話みたい。
それでも気になる点がいくつかある。まずは無難なところから拾っていく。
そよ「えっと、そのライブまだ先ですよね? お仕事とか……」私たちの関与を隠しながら、一縷の望みに賭ける。
「ニートや」やっぱり無駄だった。ニートはもうお腹いっぱいだよ。
睦「……追われてるんですか?」一番怖かったフレーズ。
「せやねん。人情のない連中でな。ちょっと金返さんかったくらいで、仕事やゆーてしつこいったらありゃしない」なんだ借金取りか。自業自得だよ。
祥子「そんな状況なのにライブは申し込んだのですね」そうだよおかしいでしょ、少しは返しなさいよ。
「それはそれ、たまーに借金がチャラになる神展開もあんねん」
立希「あるわけないでしょ。どんだけクズな生き方したらそうなんの」
そよ「たきちゃん、いくらお金にだらしないニートでも手加減してあげないと可哀そうでしょ」かくいう私も外面はずれかけてた。
「なんや、ツッコミに愛が足らんな。もちっと修行せなあかんできみら」
そよ、立希「お笑いグループじゃないです!」
カラカラ笑うサングラスさんに思いっきりつっこんでしまう。この人のペースに飲まれたらダメだ、頭痛くなる。
そんな会話を断ってくれる子がいた。純粋な刃が、触れづらい確信に切り込む。
燈「あの。平坂さんじゃないなら、名前、なんですか?」
「なんやお前。こんな東京砂漠でもう会うことないやろ」
燈「やっぱり、平坂さん、ですか……?」
食い下がるねぇ。どうしてそんな、子犬みたいな目して危ないニートに深入りしようとするの。
止めようか迷ったとき、相手もうんざりした様子で短く息をつく。暴力の世界に馴染んだ圧倒的強者なのに、力を振りかざさない。またしても既視感。つい最近同じ気質を感じたような。
「錬次や。次の金は東にあるって書いて、錬次。今度はそういうわけとちゃうから、ただの錬次や」
燈「えっと、火が登るって書いて、燈です。まだ火は見つけてないから、私もただの、燈」
錬次「そか。もう会うことないやろうけど、よろしくな、トモリ。あと物騒やから気ぃつけぇや」
そう言って錬次さんは駅の方へ去って行った。海老色のシャツを見送って、十分距離を話したところで円になる。
祥子「どうも平坂錬次なる人物らしいですわね」
睦「……否定してたけど、平坂組を興した片方」
立希「あの強さ、ところどころ重なる情報。そう見ていいでしょ」
そよ「まぁ、あの人の言う通り、会う機会もない……よね?」
祥子「今年は関わっていなければ、そうですわね」
はぁ、と息が4つ重なる。ふざけたことばっかり言う人だけど、本質はあの一瞬瞳に覗かせた暴力性。それだけで、次も和やかに話せる保証なんてあってないようなもの。
そんな人との関わりを持つことになった元凶へ、私は不服を込めて訊ねる。
そよ「ともりちゃんはどうして話しかけにいったかな」
燈「あ……そうだ、四代目さんに会いに来たのか、訊きたかったんだ」
睦「……そんなこと気にしてたんだ」
燈「うん。だって、秘密の交換するくらい、一番の友達、だったんだよね」
立希「まぁ、平坂組の人はそう話してたけど……」
ともりちゃん以外の4人で気遣わしげに視線を交わす。あのときのともりちゃんはキョトン顔だったからまさかとは思ったけど、2人が仲違いして喧嘩したのは察してないらしい。あえて現実を突きつける必要もない、と私たちは目で通じ合った。
燈「会えるといいな。錬次さん、なんだか寂しそうな目してたから」
睦「……サングラスしてたのに、よくそんなこと思えるね」
立希「燈は純真だからニートにも優しいんだよ」
祥子「どちらにしろ、今案じるべきはあの方ではありませんわ。そろそろ向かいましょう?」
そよ「それもそうだね」
5人で歩き始める。私とたきちゃんとむつみちゃんでブチブチ文句を垂れ、頼み事を引き受けたさきちゃんにまぁまぁと窘められ、ともりちゃんがどことなくソワソワしながら先導する。
行き先はニート探偵事務所。もう訪れることがないよう祈っていた、冷え冷えの機械部屋である。