彩夏「あれっ? みんな、また来てくれたのー?」
ところ変わって、ラーメンはなまるの勝手口。用が用なので、お店の玄関には寄らず外を回って裏手からビルの非常階段を上ろうとしたのだけど。
勝手口から出てきた彩夏さんとばったりバッティングしてしまったので、私がとっさに取り繕う。
そよ「はい。でも……まだお腹減ってないので、先にアリスちゃんのところへ遊びに行こうと思って」
祥子「え、えぇ。あとでラーメンも頂きたいと……」
睦「……できることならアイスだけ頂きたいと……」
ミンさん「ウチはラーメン屋だって言ってるだろ。これでもプライド持ってやってんの」
ミンさんも店内から口をへの字にしてやってきた。そして、持っていた丼をこちらに寄こしてくる。
ミンさん「にしてもアリスのとこに自分から行くなんて、物好きだな。ちょうどいいや、彩夏の代わりにご飯持って行って」
燈「? 中に、何も、ない……」
ミンさん「ネギともやし入ってるだろ」
だろ、って。真上から覗き込んで、やっと視認できる量で主張されても。昨日のねぎスープも大概だけど。
呆気に取られてる私たちに向けて、ミンさんが本日のメニューを解説してくれる。
ミンさん「ネギ味噌ラーメンの麺とスープとチャーシューとメンマと味噌抜きだ」
立希「プライドも抜けてるけど」
鬼の形相で殴りかかろうとするミンさんを彩夏さんが抑えてるうちに、私たちは非常階段に逃げ込み駆け上がった。
アリス「また来たのかい」
祥子「今日はこちらに用がありまして」
昨日と同じパジャマを着た、黙っていれば天使並みな可愛いアリスちゃん。開口一言目でもう可愛げがないけど。
さきちゃんがさらっといなしてる間に、私はほぼ空っぽの丼をベット脇のテーブルに置く。それから、はなまるを襲おうとしてる輩についてアリスちゃんに報告した。はなまるにもニート探偵にも詳しい、錬次と名乗る平坂さんについては誤魔化してあげた上で。
話を聞いてる最中にもやしとねぎを食べ終わったアリスちゃんが、独り言みたいに呟く。
アリス「ふむ。となると、昨晩の情報は当たりだね」
そよ「何の話?」すかさずつっつく。
アリス「探偵には守秘義務というものがあるんだ。なに、義務教育はおろか高等教育でも教わるものでもないだろうし、知らなくても恥じゃない」
こ の 子 の こ と 嫌 に な り そ ~ !
外面スマイルが弾け飛びそうなほどの憤りをグッッッと堪える。6秒じゃ治まらなかったので、その後の会話は聞き流していた。
立希「もっともらしいこと言うじゃん。そんな小さいのにマジで探偵やってるんだな」
アリス「ニート探偵としての能力は昨日示したつもりだったが、まだ足りなかったかい?」
立希「いやよく分かったからやめて」
睦「……そもそもニートって無職じゃないの?」
祥子「言われてみればそうですわね。探偵として依頼料が発生しているなら、ニートではないのでは?」
アリス「NEETの2文字目のEはEmployment、つまり雇用職だ。自営業とニートは矛盾しない」
燈「雇われてなかったら、働いててもニート……」
睦「……なんでそんなややこしいんだろう」
アリス「話してあげてもいいが、その代わりに冷蔵庫からドクターペッパーを持って来てくれ。あぁ、プルタブもあげてくれ」
燈「う、うん。あの、今日もお絵描き、していい? 色、塗りたくて……」
アリス「勿論だとも。この叡智に満ちた17平方メートルの王国を、存分に描写し尽くしてくれ」
気付いたら引きこもりちゃんの講義を聞く展開になっていた。迷い込んだ非受講生の気分で、人生に役立たなそうな話を最小限にまとめる。
昔外国で、『学生でも被雇用者でもない若者』を『ニート』と定義し、その社会復帰を応援する労働施策があった。その目的なら、条件を満たして収入もある圧倒的少数なんて考慮する必要はない。ニートとは別に定義づけられる存在として認められなかったのだ。
だから、アリスちゃんみたいな例外中の例外は、なし崩し的にニートの広義へ含まれることになった。
と、いうことらしい。
祥子「そのような政治的背景があったのですね。存外勉強になるお話でしたわ」
アリス「ぼくらが切り捨てられた存在という話を学びとしてくれたのなら重畳だよ」
どこか可哀想な話なんだろう。でも、皮肉を返しながらこちらに背を向けキーボードをカタカタ打ち始める太々しいアリスちゃんに、少しもそうは思えなかった。例のハッキングにでも勤しんでるのかな。
講釈垂れてたくせに、部屋に引きこもってネット漬けなんてまさにニートの鑑だった。この子以上にニートが板についてる人なんて……。
あぁ、今日会ったなぁ。鍛えられた肉体を無駄にしてるギャンブル狂が思い浮かび、溜息混じりに吐き出す。
そよ「そういえば今日、テツさんに会ったよ。探偵団の仲間なんでしょ?」
睦「……他にもいるの?」
アリス「少佐には会っただろう。後はヒロくらいだ。同じ女性の身として、やつには会わないことを願っているよ」
立希「それミンさんたちも言ってたな」
祥子「よほどの要注意人物、ということですか」
どんな人なのかは気になるところだけど、決して会いたくはない。もし本とかで知れるならそれが一番良いな。探偵は物語になるものだもんね。
なんて馬鹿げたことを考えてたとき、三角座りのともりちゃんが絵を描きながら訊ねる。
燈「アリスちゃん。アリスちゃんにとって、ニートって、何?」
アリス「昨日と違って何か含みがあるね」
燈「テツさん。風見さん……は、元ニートだけど。昨日の少佐や他にも、たくさんニートに、会った」
アリス「彩り豊かな無職たちに出逢って、何を想ったんだい?」
しばらく打鍵の音だけがワンルームに響いた。アリスちゃんは壁を埋め尽くす画面の群れへ、ともりちゃんは折り畳んだ膝にひいたノートへ、それぞれ集中してるみたいだった。
会話をしていたはずなのに。2人とも、無言の空気を気にもしていない。意識を向けてるのは、自分のことだけ。少なくとも、ともりちゃんはそうだ。
だって彼女は、ページをめくって文字を書き殴っているから。おそらく、彼女の心に渦巻く言葉。
やがてともりちゃんが手を止め、凝縮された一滴を零す。
燈「宿命」
打鍵音が鳴り止む。
燈「テツさんはニートを、そう言ってた。風見さんも否定しなかった。アリスちゃんが昨日言ってた、神様のメモ帳も、そういうこと?」
彼女は振り返らなかった。代わりに小さな呼気が吐き出され、静寂に溶ける。空調の駆動音が煩く聞こえるほどに、雰囲気が張り詰めた。
そして、神様のメモ帳なんて気取った造語を扱うニートの、深く息を吸う音が聴こえた。