CRYCHIC交響曲   作:りょーへい

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4番 夜明けの陽だまり

 

 

 祥子side

 

 ベットで寝た切りになったお母様に縋りついて、嗚咽を漏らして泣きじゃくっていた。死の病に罹ったと聞かされた日は、食事なんて喉を通るはずがなかった。

 お祖父様に「豊川の娘として、外での振る舞いは気を付けなさい」と言いつけられた。当然のように納得しながら、胸の中で泣き喚く感情を無理矢理お腹の底へ押し潰す日々が始まった。

 そうして平気そうな笑顔を作っていると、自分を醜悪に感じて吐きそうになる。幼馴染すら頼れないから、孤独で余計追い詰められる。泥のような負感情が溜まるばかりで挫けそうになった私は、豊川の娘である矜持にしがみついた。それだけを無心に意識していると、振る舞いが楽になっていった。

 気づいた時には。どうして辛かったのか、何が悲しかったのか、考えなければ思いつかなくなった。笑顔は作れてる、料理だって口にしている、私の振る舞いに周りの反応は良好だった。ただ、何も感じなくなっただけ。

 話すことすらできなくなったお母様を見ても、もはや涙の兆候すら起きない自分自身に絶望した。私はこんなにも冷たい人間だったのか、そもそもまだ人間なのだろうか。なんとなく、オズの魔法使いを読んだ。心を取り戻そうとするブリキの木こりは、他人事として過ぎ去った。

 

 久しぶりにあの頃の、懐かしい地獄の感覚に呑まれる。私はもう、生きることを諦めていた。お母様は死んでしまうのに、私1人が人並みの人生を望むなんて罰当たりだ。苦しみも悲しみも感じないだけ上等ではないか。

 どこか色味のないこの世界で、家の役割を守れていれば、私の人生は何も問題ない。

 この先もずっと、無をこなすだけの牢獄みたいな日々を。

 お母様と同じところに逝くまで、永遠に——

 

 真っ暗闇の中落ちていく浮遊感に恐怖して、反射的に意識が覚醒した。

 

 

 

「祥子にあそこまでの過去があったなんてね。流石に面食らった」

「私は……人の死に関わったことなかったから。正直寝付けなかったな。さきちゃんはあんなの、よく背負えたよ」

「うん……。もし()()ならなかったら、って嫌な想像過ってばっかりで……怖かった」

(……ショッキングな過去に囚われないで。今の祥から、離れていこうとしないで……)

 

 

 

 悪夢から跳ね起きた私は、頬に何かが伝う感触がして驚いた。ベットから抜け出しながら拭って、大きく息をつく。いくら生きた心地がしなかったとはいえ、もう昔のこと。なのにここまで怯えるなんて馬鹿馬鹿しい。()()()()()()()()立希だって、そう言うはず。

 頭では分かっているのに、胸の内側から衝いてくる不快な鼓動は静まらない。安らぎを求める叫びが、CRYCHICを想像させる。別室のみんなはまだ寝てるだろうか。窓の外では朝陽が昇っていたから、起きていてもおかしくはない。

 寝巻のまま自室を出て、みんな用の客室に向かう。昨晩はなんとなくいつもと違う感じが気まずくて、一緒の部屋に居づらかったのだ。いつだって温和に綻ぶそよの笑顔が、ほんの少しだけ強張っていたのが、特に後ろめたかった。

 道中の廊下で会った使用人から、みんなは外に出たと聞く。礼を言って進路を変更した。どうして私に声をかけてくれなかったんだろう。いくら広い屋敷といえど、勝手知ったる睦がいるのだから迷うこともないのに。

 私だけ放置されたことに嫌な胸騒ぎを覚えながら階段を降りる。妙なしこりを残したまま別れたから、みんなと溝ができてしまったのだろうか。こうなるのが嫌だから話すつもりもなかったのに。私のことを理解して欲しいという、お母様の親心を責めるつもりはないけれど。燈の、取り繕うことを知らない素直さが、今は怖かった。

 それでも足は淀みなく動き、気づけば玄関まで来た。例えみんなとの距離が変わってしまったとしても、それでも会いたかった。

 

「だってみんなは、CRYCHICは。私にとって、何より大切な……」

 

 変わってしまうかもしれないそれを口にするのが憚られて、言葉は途絶える。ウジウジしてても仕方ないと思い直して、玄関の取っ手をグッと握る。鈍重な感触に抗うように、みんなのいる空間へと扉を開けた。

 

 

 

「でも……もう夜は明けたから。祥ちゃんの悲しみ、分かち合えて、よかった」

「分かってるよ、燈」「うん。私たちは、そういうバンドだもんね」

「……3人とも、不安にさせないで。CRYCHICなら大丈夫って、信じてたんだから」

 

 

 

 屋敷の影から外に出た瞬間、目映い暁光に思わず手をかざす。寝起きというほど意識が微睡んでいたつもりもなかったのに。今日はとびきり日射しが強い日なのか、よほど空気が澄んでいるのか。

 明順応してきた目から手をどけ、前を臨む。色とりどりの花が散らばる庭園に、妙に眩しく感じた理由(わけ)を見つけた。

 

 心が洗われるような白銀の光の中に、4人がいる。私に向けてくれてる微笑みは、目に痛くない輝きを放っていて。思いがけず目を奪われる。

 昨晩みたいな固い表情じゃない。私が大好きなみんならしい顔だった。1年以上積み重ねてきた、私たちだけの、いつも通り。

 その光景は朝露煌めく花々に彩られていて、どこか神聖でさえあった。地獄を塗り潰し、天国すら遠ざける、不可侵の現実。

 

 私は吸い寄せられるように歩き始める。私を迎えてくれるみんなの元へ。かけがえのない拠り所へ。

 

「おはようさきちゃん。よく眠れた?」

 

 そよの笑顔がどうしてか嬉しそうな、誇らしいような。昨晩の、何かに怯えていたような翳は一切ない。

 どういう心境の変化か、なんて考えるだけ野暮だろうか。見てるだけで気持ちが温かくなる、素敵な笑顔の前では。

 

「眠れたも何も。家主の癖して一番起きるの遅かったんだから、さぞ熟睡だったんでしょ」

 

 ()()()()()小馬鹿にする立希の顔は、やっぱり優しかった。ただ思ったことを、言いたいときに遠慮なくぶつけ合う。そんな立希と私の当たり前を、少しも疑ってない笑み。

 自然と口角が上がる。悪夢で委縮した心が、私を満たす確かな現実によって、醒めてきた。

 

「この庭園、朝は特に綺麗だって、睦ちゃんが連れてくれたんだ。祥ちゃんにも、声かけてからにすれば、よかったね」

 

 ささやかに微笑みながら、目をキラキラさせて周りを見渡す燈。美しい物に浸るような静けさと、勿体なさを孕んだ名残りが声に宿っている。

 最初から一緒なら、さっきまでの思いもせずに済んだかもしれない。でも、今なら悪くないと思える。

 やっぱりみんなは、CRYCHICは。どんなに絶望しても、どんなに怖くても、どんなに傷ついていても。私を掬い上げてくれる、救いだって噛みしめられたから。

 

「……祥。さっきから静かだけど、大丈夫?」

 

 睦が心配そうに眉を寄せて覗き込んでくる。10年一緒にいた幼馴染だから。私の苦しみも悲しみも、喜びも楽しみも。まるで半身のように、全部知ってる。

 だから、私がおかしな不安に駆られていたことも察したかもしれない。それはそれで幼馴染として有難いけれど、この優しくて温かくて眩しい世界には不釣り合い。

 だから私は、愛しさを覚えるほど華奢な体を抱きしめて伝える。心配しなくて大丈夫と。

 

「我が家の庭園が余りに綺麗だったので、見惚れてましたの。睦、みんなをここに案内してくれてありがとう」

 

 私の腕の中でフルフルと首を振る睦は、頬を緩ませて破顔する。この笑顔も、CRYCHICを結成してからより増えて、より豊かになった。なんて善い影響しか生まない居場所なんだろう。奇跡を超えた奇蹟に報いる術は、感謝するだけでは到底足りない。

 起き抜けだというのに、心身にエネルギーが湧いて仕方ない。これを堪えてたら、いつもの私じゃなかった。

 

祥子「気持ちのいい朝ですわね! こういうときは走りたくなりますわ! ちょっとランニングに出かけませんか!? ほんの一時間ほど!」

燈「き、気持ちいい朝はそうだけど……」

睦「……だからって走らない。何が何でも断固拒否」

そよ「着替えもないしね。あっても嫌だけど」

立希「ていうか1時間をほんのって言うな、長すぎるから」

祥子「もう、仕方ないですわね。それならこの庭園で鬼ごっこにしましょう」

そよ「どれだけ走り回りたいの……」

睦「……仕方ない。私たち4人で鬼になって、祥をタッチしたら勝ちね」

立希「おっ、それならいいな。ってことでよーいスタート!」

祥子「きゃっ!? 4対1なんて卑怯ですわ、1人は寂しいですわー!」

燈「起きたばっかりなのに不意打ちをさらっと躱す祥ちゃん相手なら、ちょうどいいハンデじゃないかな……」

 

 私達は朝色の陽光が降り注ぐ草花のなか駆け回る。私はみんなに追われながら、思いっきりはしゃぎ回る。

 心の臓が働かなくては、人は全力で走れない。目の前を存分に謳歌することなんてできない。だから走る。心臓をはち切れそうなくらいポンプさせ、肺に目いっぱい酸素を送り込み、手足を存分に躍動させ、感じる全てを胸に刻む。

 精神的にも——身体的にも。走れなくなってからでは、遅いから。

 

(次はお母様が戻ってこれないとしても。……そう遠くない未来に、私も続くとしても。だからこそ、何よりも大切な縁に、後悔を一片も残したくない。その全てを憶えたまま、生き抜きたいから!)

 

祥子「ほらほら、4人がかりでしょう!? 早く私を捕まえてくださいましー!」

立希、そよ、睦「ハァ、ハァ……この体力お化けお嬢様め!」

燈「ふふ、あははっ! 待ってよ祥ちゃん!」

 

 生まれたばかりのように瑞々しい精気に満ちる太陽の下、私達らしく賑やかに騒ぐ。今日というかけがえのない日もまた、始まったばっかりだった。

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