『お別れしちゃったのは本当。お父さんとはもう一緒に暮らせないの』
『……私たち、捨てられちゃったの?』
『雨にそよいで晴れを請う』より
アリス「ナルミから電話で聞いたよ。結論から言おう、きみたちの依頼は受けられない」
細長い廊下から部屋に入った途端、冷房的にも歓迎のご挨拶としても冷た過ぎる空気を叩きつけられた。といっても予想の範疇、さきちゃんは真摯に食い下がる。
祥子「勿論依頼料は弾みます。なんでしたら相場の倍でも……」
アリス「実に財閥の令嬢らしい台詞だね、豊川祥子。お金で解決できる問題なら、豊川グループに大枚はたいて何とでもするといい」
睦「……物産会社にできることがないって分かってて言うの、意地が悪い」
アリス「泣きついてみなければ分からないだろう。他にも芸能界の大御所に働きかけて圧力をかけるなり、採れる手段はいくらでもあるはずだ。若葉睦のご両親なら、それくらいの影響力を持っているだろう?」
睦「……前から言いたかった。親のこと持ち出されるの、凄く嫌だからやめて」
アリス「奇遇だね、ぼくも不快な気分さ。金さえ払えばなんでもする便利屋として扱われてね」
確かに失礼だったかもしれない。どれだけ小さかろうが黙っていれば可愛かろうが、探偵は探偵。
分厚い氷壁を思わせる彼女の態度に納得しながら感謝さえ覚えた。気遣い無用、ということらしいからね。
たきちゃんの日本刀みたいに鋭い目つきがアリスちゃんへ向けられている。少し弱った表情のさきちゃんは尚も交渉を続けようと一歩踏み出す。そんな2人の間にいた私は、それぞれの肩に手を置き、笑顔で目を合わせる。どっちも任せて、という意味で。
私はベットの脇へ歩み寄った。アリスちゃんの背後にそびえるぬいぐるみの山を中腰で鑑賞する。
そよ「アリスちゃんってぬいぐるみ好きだよね~。こーんなにたくさん揃えるくらい」
アリス「なんだい急に。ぼくの友は1人たりとも譲らないぞ」
そよ「あぁ違う違う。むしろ逆だよ。アリスちゃんのお友達を増やすお手伝いができそうかな、って」
ニコニコと笑いかける。そんな私とは対照的に、ぬいぐるみ愛好家は訝しく歪む。
さて、仕掛けましょうか。
そよ「アリスちゃんはネットのどんな情報も拾って、どれも上質そうなこの子たちをお迎えしてきたんだよね?」
アリス「それがどうしたんだい」
そよ「そんなアリスちゃんは、現実にしか出回らない情報には弱いよね~。例えば、超大手の総合商社を抱えるお家に営業で来られる、ぬいぐるみデザイナーさんだけが知ってる話、とか~♪」
アリス「……」
そよ「きっとどんなものでも揃えられると思うな~。非売品でもヴィンテージものでも、生産終了品からこれから販売するものまで、まさしく何でもね。なんといっても天下の、と・が・わ・ぐるぅぷ♪ だもんね~」
私は両手を蝶々にして飛び立つ動作をしながら、アリスちゃんの反応を伺う。
くりくりした目を大きく開いて、まだ見ぬ友達の顔を思い浮かべるように呆け、はっとして我に返ったかと思えば苦々しく私を睨んでくる。
コロコロ移り変わる表情劇は傑作だったよ。笑い声を堪えるのに苦労した。
そよ「賢い賢い探偵さんはもう分かってくれたよね? アリスちゃんが泣きつくなら、さきちゃんは喜んで手を貸すと思うよ? ね~、さきちゃん♪」
祥子「……私のお母様はビスクドールが好きでしてね。そういったデザイナーとも懇意にしています。アリスさんが望むぬいぐるみ……もとい、お友達の情報を仕入れることも可能でしょう。その入手までも」
肩をすくめながらも、少し意地の悪い口角で微笑まれるご令嬢。ナイスアシストありがとう、さきちゃん。
そしてアリスちゃんはついに怒り顔になる。ベットの上でぼふんぼふん跳ねるところは見た目相応に可愛いんだから。
アリス「き、汚いぞ、長崎そよ! ぼくの友を人質にとるなんて!」まだあなたのじゃないでしょ。「刑法223条による脅迫罪、あるいは——」長々並び立ててくるので遮る。
そよ「え~? 私はただ、アリスちゃんが喜ぶと思って提案しただけだよ~♪」
アリス「陳腐なおためごかしまで……ぐぬぬぬぬ……!」
私は元の場所に戻りながら、たきちゃんにウインクする。むつみちゃんのタブーを土足で踏み散らした報いとして、上等だったらしい。呆れと満足の混じった笑みの彼女と、無音で掌を打ち合わせた。
立希「で、どうすんの? 探偵さん」
アリス「勝ち誇ったつもりかい、椎名立希。い、いくらぼくに不可侵な領域の友を人質に取られてもね、探偵としての矜持があるんだ」
睦「……矜持」
アリス「ぼくは死者の代弁者だ。墓の下に埋もれて死にゆく情報を扱う。きみたちの依頼にはどこにも死の臭いがないだろう」
立希「あってたまるか。じゃなくて、ただぬいぐるみが欲しいからって理由でいいでしょ」
アリス「きみがただ称賛されたいから音楽をするのと同じようにかい?」
立希「か、勝手に決めつけるな」
もごもご横向きに吐く彼女の、繊細な問題をかすめる反駁に、形勢がほんの僅かに盛り返される。もう決まったと思ったのになぁ。
ここから最後の一押しを決めたMVPは、やはりこの子だった。
燈「みんなで配信準備をやりきって、会場だけじゃなく世界中から見てもらえるようにして、そこでライブを成功させる。そんな未来を目指して、私たちは頑張ってきた」
ともりちゃんはベットへ静かに歩み寄り、膝をつく。目を合わせる彼女と、冷たくも気丈に見つめ返す探偵。
燈「そんな目標が、どうにもならないものに、殺されそうになってる。たくさんの人の想いと一緒に、無かったことみたいにされるのを、助けて欲しい」
フェケテリコ。ライブに関わる全スタッフ。そして、生配信を心待ちにしている10万のファン。
この子よりは交渉が上手いつもりだった。でも、やっぱり敵いそうにないな。見えない大勢だけでなく、目の前の子まで気遣う優しいともりちゃんには。
燈「便利屋扱いして、ごめんなさい。でも、アリスちゃんしか、頼れる人が、いなかった。だから……」
アリス「——配信も含めたきみたちのライブを保護して欲しい、という依頼だね」
燈「受けて、くれるの?」
アリス「きみの無垢で清純な心遣いに免じてね。今日中にバグは取り払っておくから安心するといい、トモリ」
燈「ありがとう、アリスちゃん」
2人は清らかな笑みを綻ばせる。この瞬間だけは天使みたいな子だよ、まったく。
さっきまでの頑なさが消えていて、安堵してるようにすら見えた私は、営業スマイルを崩して気楽に問う。
そよ「もしかして、いつもこんな調子で依頼にこだわってるの? しんどいんじゃない?」
立希「別に何でも屋になれとは言わないけどさ。もっと気楽に探偵すればいいのに」
アリス「きみたちがいうような無防備じゃ、ぼくには耐えられないんだ。死者の代弁者というのはね……」
アリスちゃんは後ろのディスプレイたちに向き直り、キーボードを引っ張り寄せて打ち始めた。ハッキング、もとい探偵業務に戻りながらも話を続けてくれる。
アリス「墓荒らし以外の何ものでもないんだよ。掘り返すためのつるはしは棺桶に眠る死者の尊厳を辱め、暴いた真実を元に誰かの形にならなかった想いを言葉で彫り上げ、それを生者へ突き立てる。そして、抉り出し削り上げ傷付けた分だけ、ぼく自身も痛みを伴う。こんな諸刃の剣を軽々しく行えるほど、ぼくは愚鈍ではないし被虐趣味もない」
私たちは探偵をイメージしていたけど、彼女は死者の代弁者として探偵を名乗っている。その食い違いが齟齬を生んでいたことだけは分かった。話が通じない訳だよ。死者だの墓荒らしだの、ただの女子高生な私たちに馴染みが無さ過ぎる。
馴染みなんて無い、はずなのに。死者という、もういなくなった人を指す言葉に、心臓辺りが重苦しくなる。
(……なんで? 誰かを亡くした経験もないのに……)
かぶりを振って心と頭を無にし、過った心当たりを消し去る。
違う。違うんだ。
(死別は別離と同じじゃない。過剰に捉えちゃダメ。飲み込まれる)
致命的な部分から目を逸らしつつ曖昧な暗示で心勢を整えるのに必死な私は、一番通じ合ってる子が対応してくれて密かに助かっていた。
燈「よく分からないけど。アリスちゃんも、依頼者も、亡くなった人も、みんなが辛い思いをするのは、なんとなくわかった」
アリス「それだけ汲み取ってくれれば充分だ」
燈「アリスちゃん。1つ、教えて? 想いを言葉で彫り上げる、ってどういうこと?」
アリス「言葉で想いを編み上げる作詞家らしい質問だね」
理解できない箇所が多すぎて流しそうになったけど、言われてみると確かにそこが一番よくわからなかったな。その表現の意図が全く読み取れない。ともりちゃんは謎の洪水の中でよく拾いあげれたな。
アリス「想いというのは、不確かなものなんだ」
心の叫びを謳う私たちが大事にしている、想い。それを言葉で彫り上げる探偵にとっても、片手間で語れるほど軽くないらしい。
珍しく作業の手を止め、ぬいぐるみの山から1つ取って抱きしめながら、背中越しに語り始めた。