『わかってるよ。でも他にどうしようもなかった。おまえにはわかんないだろうけど』
『わかるわ、アホ。——俺かてどうしようもなかった』
賑やかなラーメンはなまるを後にした私たちは、渋谷のライブハウスに訪れた。以前ライブしたよしみで、野音ライブのフライヤーを張らせて頂いたのだ。それまでの話題は、ともりちゃんがいないときに何話していたか。
暗室の箱から西日にさらされた外に出る。手で庇を作りながら夕空を眺めた。その頃には、今度は彼女が話の中心になった。
そよ「アリスちゃんと2人で何話してたの?」
燈「友達、のこと」
睦「……友達いなそうな探偵さんと?」
燈「作らないん、だって。えーっと……『相互理解から成り立つようなあやふやな関係でもって、外界とつながれる無防備さは持ち合わせていない』」
立希「いかにも言いそうな言い訳」
祥子「燈は友達になりたいんですよね?」
燈「ん……どう、かな。アリスちゃんが嫌がってるのに……」
睦「……お試しはどう?」
そよ「それいいかも。ひねくれものなあの子には逆に効果あると思うよ?」
立希「あのニートも意外と役に立つこと言うんだな」
祥子「彼の話をしていたら、また会いそうな気がしますわ」
彼女のセリフがフリになったのかは分からないけど。まさに噂をすれば影、だった。
ライブハウスから駅に向かおうと、箱の外周に沿って路地裏を歩いてるときだった。突然ライブハウス裏手の敷地から男3人が慌てた様子で道に飛び出して来て、そのまま向こうへ走り去っていった。
柄の悪い風貌に、私たちはアイコンタクトもせず、すぐさま回れ右してダッシュした。背を向けた方から聞こえてきたのは
「チッ。光物持ってたなんて、油断した……」
たった今噂してた人の声。そこから予感した通り、1人が再度反転して声の方へ走っていった。残された4人で苦笑を見合わせてから、追い始める。
燈「錬次さんっ!」
錬次「と、トモリ……どんだけ縁腐ってんねん」
建物の裏口や非常階段のある駐車スペースだった。そこで左腕を押さえて壁にもたれかかっていた錬次さん。手から赤い液体が漏れ滴っている。
私は周りを見回す。むつみちゃんが指さしてくれたおかげで自販機が見つかった。2人の一方的な会話も聞こえるほど近くて助かる。
燈「今日は絆創膏、あります。今、手当しますからっ」
錬次「いらんいら——」「傷、見せて、ください」
錬次「……ホンマ、ぼーっとした見た目のくせに頑固なやっちゃで」
と、いうことで。私が買ってきた水で洗い流しともりちゃんが絆創膏を貼ることに。彼を座らせて楽にさせ、隣にともりちゃんがしゃがむ。
可愛らしいペンギン柄をベタベタ貼られて顔を思いっきりしかめる錬次さんだけど、むっつり黙って作業する少女に文句をぶつけづらいのか、されるがままだった。誰かさんと一緒で、弱者に甘い人。
その間は私たちが話題をあげて場をもたせた。錬次さんの観るライブに、実は私たちも出るんです、って。
錬次「壮と絡みがあるんはそういうことか」
そよ「錬次さんのチケットも最終日なんですよね?」
錬次「せや。せいぜい応援しといたるわ」
立希「偉っそうに。絶対目にモノ見せる」
錬次「飛ぶ鳥落とす勢いのメジャーバンドと共演でよぅ大口叩けるわ」
祥子「数字的にも遥か彼方に位置するバンドと認めてはおりますが、だからといって
睦「……私達は私達で、魅せるだけ」
錬次「えぇ気概や。……で、肝心のボーカルがいつまで口閉ざしてるつもりや?」
もう絆創膏を貼り終わったというのに、まだ腕を掴んだままのともりちゃん。彼と目を合わせずに蹲る彼女が、探偵事務所のとき想いの話で圧し潰されそうだった姿と被る。
そういえば。ともりちゃんは、秘密の交換ならぬスーパー盃の正体に気付いたんだっけ。それに打ちひしがれて、想いと言葉の残酷さに打ちのめされていた。そんな彼女は今、不確かで複雑な想いを、彫刻刀で削り上げている最中なのかもしれない。彫師の作業場みたいな沈黙が、私にそう思わせていた。
ともりちゃんが錬次さんと真正面から目を合わせる。自分の心臓がズタズタに切り裂かれたように痛ましい顔で。
燈「四代目さんも、今でも標準語、使ってるんです」
サングラス周りの筋肉が大きく動いた。よくひょうきんな態度でおどけているこの人が、本気で衝撃を受けた証拠。標準語という単語で惨い真実を察した私は喉が詰まった。息遣いすら聞こえなくなったことから、他3人も同じだと分かる。
方便を、つまり言葉を交換したんだ。物心つく前から口にし続けて、魂に馴染んだもの。それを、自分以外の誰かに渡して。誰かのを自分のものにする。決別して、殺し合おうとも、互いの中で生き続けていた、想い。もう、交わし合うつもりさえないのに。それでも……。
その重さに、内臓がひしゃげそうだった。彼女が言えなかった理由もよく分かる、こんな、こんなの……。
錬次「……壮が教えるはずない。知ってるとしたらあのアホやけど……」
燈「誰にも教わってません。こんなの……軽々しく口にできるわけない!」
大きな声じゃないのに、耳にビリビリと響く絶叫。私は溢れそうになる何かが口から出て行かないよう唾ごと飲み込む。言葉にしてはいけない想いが、だらんと下げた腕から指先へと流れて、虚しく抜け落ちていく。
錬次「意外と洒落が分かる女やんけ」
白々しい軽口が耳を通り過ぎる。もう、軽薄さはほとんど繕えてなかった。
それくらい、隠し事をする余裕もなかったんだと思う。
燈「四代目さんも、錬次さんも、今も同じ想いなんです。だから……」
錬次「分かっとる。そんなのはな、もう1年前に分かってんねん。これ以上ない最悪な形で、思い知らされてんねや」
身体の傷よりも、再び抉られた心の傷が、全てを吐かせるくらい錬次さんを弱らせていた。
女が殺された話、したやろ。壮が身代わりにして、金に換えたってほざいたやつ。最初から最後まで、壮の、あの大ボケのクソッタレな嘘やった。
ホンマに狙われとったのは女やったんや。刺したんはやくざやない、そこの組長の正妻やった。壮が駆けつけたときには、もう腹を真っ直ぐ刺されとったらしい。その後や、闇医者んとこ運んで、手術は成功してたんやて。生きとったんや。今でも。内臓何個も取っ払ったから、歩き回れんどころか性別も変わって、名前も変えたらしいけどな。生きとるんや。昔から好きだったモン仕事にして、今でも、今でも……生きとった、のに……俺は、壮を……。
救われたはずなのに救いようのない真実が、血反吐みたいに喉へ張り付いて言葉が出ない。「な、んで……」一番近くで聞いていた子が呻きながら、語り終えた錬次さんの両肩を掴んで、揺さぶる。
燈「そしたら……四代目はっ、なんでそんな嘘を!?」
純度100%の怒り声を、気弱なともりちゃんから初めて聴いた気がする。
錬次「ハハッ、ここだけはえぇ話や。分かるか、トモリ? 女っちゅー生き物はな、惚れた男にだけは愛人だったことも、デキとったことも知られたくないらしいで」
燈「で、でき……あいじん? そんなことで? そんなのでっ、錬次さんたちが喧嘩別れしなきゃいけなかったって言うんですか!? 生きて……生きてるのにッ!」
錬次「そう……言うなや。惚れた女が死んでも御免やったことやで」
文字通り、な。街の喧噪に掻き消されそうなほど掠れた、死にかけた狼の啼き声。
何それ。それがたきちゃんの声だったのか、私の心の叫びだったのか、分からなかった。何それ。
それを知らずに復讐して、死ぬ寸前まで追い詰めた後に聞かされるのも。それを何年も胸の中にしまいこんで、真っ向から迎え撃つのも。どれほどの絶望だっただろう。
少なくとも。目の前にいる男は、2つとも背負ってるんだ。それが、彼なりのけじめだから。
錬次「けじめとしてな、去年また出て行ったんや。手酷く裏切った俺に、2度と関わる資格ない思ってな。そうクールに去ろうっちゅー俺に、満身創痍のあいつからアホ仲介して届けもんがあった」
涙が渇いた後みたいに淡い声色で、ショルダーバックをお腹に回し、ポンポン叩く。お腹にいる子を愛でるような、優しい手つき。
錬次「俺と、女と、壮と。大事な想い出が詰まった、唯一遺った大事なもんや。だから、大丈夫なんや。例え俺が、死ぬほど女に会いたくても。馬鹿みたいにデカい借りを、死ぬまであいつに返せなくても。……会えなくても、大丈夫なんや」
何が大丈夫なの? 亡骸みたいに両腕両足ダランと放り出して、涙腺も想いも決壊しそうな声して。口角だけ上げたら残りはサングラスが全部誤魔化してくれるなんて、本気で思ってるの?
口にしてもいいぐらいだった。でも、どんな言葉も自己満足にすらならない気がして。昂りが、上手く彫り上げられないもどかしさで白んでいく。やっぱり会うべきだ、っていう叫びを、心臓に突き刺せる気がしない。届かなかったら意味がない。
そう、彼女も思ったのかもしれない。顔を伏せながら動かしたのは、口ではなかったから。
錬次「なっ……なんやねんっ」
狼狽えた男の、金色の筋が入った黒髪に、小さな手が潜り込む。狼を撫でる少女が紡ぐ想いは、彼女自身のものではなかった。
「心配すンな」
昨日聞いた声とは似ても似つかないのに、一瞬で伝わったのが分かった。錬次さんの唇が2文字、無音で食む。
「テメェの心配してろ。俺らみたいになりたくないんだろ」
もう会わないと言ったもの同士の間を、およそ縁遠い仲介が一方的に繋いで、相方の想いが再生された。会いたいのに会えなかった者が、奇蹟的な便りを受け取る。
一番よく識る言葉が彼の中に染み渡るのを待ってから、ともりちゃんはサングラスに切なげな目を向ける。
燈「私がいる。私が、間にいるから。今度は錬次さんの想いを、四代目に……」
錬次「えぇねん。もう、十分や。壮もそんなつもりで言ったんとちゃうやろ」
思い遣りに尽きた手が垂れる。お返しの手が、力無く俯く頭に乗せられる。
錬次「トモリ。おおきにな。おかげで傷、塞がったわ」
燈「……嘘つき」
錬次「嘘ちゃうやろ。自分で絆創膏貼ったやんけ」
燈「でも——」
錬次「俺な、こう見えても義理堅いねん。この借りは憶えとくわ」
そう言って、錬次さんはともりちゃんの手を引きながら一緒に立ち上がる。確かに、意外と紳士的だった。
最後にサングラスを額に上げて、唇の端をほんの少し曲げた。今まで見た中で一番楽そうな笑み。
錬次「じゃあな、トモリ。バンド頑張りや。何より大切、なんやろ?」
燈「はい。……じゃあ、錬次さんも、頑張って……」
錬次「なんやそれ」
去り際に鼻で笑って、私にもすれ違い様「おおきにな」と言ってくれる。そのまま風のように消えて、見えなくなった。
祥子「何を応援したんですの?」
燈「ん……わかんない」
睦「……だと思った」
立希「燈らしいし、いいでしょ」
そよ「ともりちゃん」
私は許さなかった。今のが
燈「な、なにそよちゃんっ?」
立希「何なの!?」
そよ「たきちゃんシャラップ。いいともりちゃん? 最近コミュニケーションが独りよがりなニートとばっかり会ってるのが原因だけど。そういうとこ似てきてるよ?」
燈「う……でも、その……」
そよ「今のはいいよ。でも、なるべく相手に伝える努力はしようね。本当にニートに近づいちゃうよ?」
燈「う、うん」
私はにっこり笑って手を離した。
立希「ホントにおかんじゃん」
そよ「この際しばらくはそれでもいいよ。余計なお節介焼いてでも、ともりちゃんをあっち側に行かせないようにしないと」
祥子「なんという甲斐甲斐しさ、母性、世話焼きでしょう。私もお母様が恋しいですわ」
そよ「はいはい、練習がんばったら帰って甘えようね」
睦「……そよママ。お腹減った」
そよ「これから練習だから我慢しようね」
睦「……違う、違う。そうじゃない」
立希「甘々なバブみを求めてたらしいよ」
そよ「そういうお母さんはしません! ていうかお母さんじゃないし」
燈「そう、かな……さっきの、お母さんから優しく叱ってもらった、みたいだったけど」
要らないこと言ってくれるなぁ。本当に手のかかる子だよ。
私は「道草おしまい、いいから練習行こうね」と。ともりちゃんの背中を押して強引に駅へと向かわせた。配信準備は一件落着でも、肝心のライブ頑張れなかったら、大切を守れなくなっちゃうからね。
ライブのことを考えると、今まではどうしてもやくざが頭を過って怖かった。でもお昼にはなまるで明日のこと聞いてからは、一転して心晴れやかだった。
そよ「配信中止の危機も回避できて、明日には作業も完了させれそうで、万事順調だよねっ♪」
祥子「はなまるで『明日赤坂には近づくな』と言われてから、分かりやすく元気ですわね」
睦「……やくざ関連も片付きそうだから」
立希「Xデイってやつか。なんとしてもフェケテリコ守ってほしいよな」
燈「きっと、大丈夫だよ。アリスちゃんたち、なら」
色んな能力に長けたろくでなしたちを、今は信頼できた。窮地を救われた途端信用するんだから、我ながら現金だとは思うけど。特にハッキングと盗聴盗撮に聞き込みと、二重三重の情報網が盤石で心強い。明日赤坂にさえ近づかなければ、全部終わるんだ。やっとみんなとの日々を、安心して過ごせる。
平穏のありがたみに胸を躍らせながら、私は無事に守り通せた仲間たちと明るい未来へ歩んでいった。